小川亮作訳『ルバイヤート』35~56「万物流転」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第4章「万物流転(ばんぶつるてん)」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

万物流転《ばんぶつるてん》

35

若き日の絵巻は早も閉じてしまった、
命の春はいつのまにか暮れてしまった。
青春という命の季節は、いつ来て
いつ去るともなしに、過ぎてしまった。

36

ああ、掌中《しょうちゅう》の珠《たま》も砕けて散ったか。
血まみれの肺腑《はいふ》は落ちた、死魔の足下。
あの世から帰った人はなし、きく由《よし》もない――
世の旅人はどこへ行ったか、どうなったか?

37

幼い頃には師について学んだもの、
長じては自ら学識を誇ったもの。
だが今にして胸に宿る辞世の言葉は――
水のごとくも来たり、風のごとくも去る身よ!

38

同心の友はみな別れて去った、
死の枕べにつぎつぎ倒れていった。
命の宴《うたげ》に酒盛りをしていたが、
ひと足さきに酔魔のとりことなった。

39

天輪よ、滅亡はお前の憎しみ、
無情はお前 日頃《ひごろ》のつとめ。
地軸よ、地軸よ、お前のふところの中にこそは
かぎりなくも秘められている尊い宝*!

40

日のめぐりは博士の思いどおりにならない、
天宮など七つとも八つとも数えるがいい。
どうせ死ぬ命だし、一切の望みは失せる、
塚蟻《つかあり》にでも野の狼《おおかみ》にでも食われるがいい。

41

一滴の水だったものは海に注ぐ。
一握の塵《ちり》だったものは土にかえる。
この世に来てまた立ち去るお前の姿は
一匹の蠅《はえ》――風とともに来て風とともに去る。

(42)

この幻の影が何であるかと言ったっても、
真相をそう簡単にはつくされぬ。
水面に現われた泡沫《ほうまつ》のような形相は、
やがてまた水底へ行方《ゆくえ》も知れず没する。

43

知は酒盃《しゅはい》をほめたたえてやまず、
愛は百度もその額《ひたい》に口づける。
だのに無情の陶器師《すえし》は自らの手で焼いた
妙《たえ》なる器を再び地上に投げつける。

44

せっかく立派な形に出来た酒盃なら、
毀《こわ》すのをどこの酒のみが承知するものか?
形よい掌《て》をつくってはまた毀すのは
誰のご機嫌《きげん》とりで誰への嫉妬《しっと》やら?

45

時はお前のため花の装《よそお》いをこらしているのに、
道学者などの言うことなどに耳を傾けるものでない。
この野辺《のべ》を人はかぎりなく通って行く、
摘むべき花は早く摘むがよい、身を摘まれぬうちに。

46

この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
帰って来て謎《なぞ》をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。

47

酒をのめ、土の下には友もなく、またつれもない、
眠るばかりで、そこに一滴の酒もない。
気をつけて、気をつけて、この秘密 人には言うな――
チューリップひとたび萎《しぼ》めば開かない。

(48)

われは酒屋に一人の翁《おきな》を見た。
先客の噂《うわさ》をたずねたら彼は言った――
酒をのめ、みんな行ったきりで、
一人として帰っては来なかった。

49

幾山川を越えて来たこの旅路であった、
どこの地平のはてまでもめぐりめぐった。
だが、向うから誰一人来るのに会わず、
道はただ行く道、帰る旅人を見なかった。

50

われらは人形で人形使いは天さ。
それは比喩《ひゆ》ではなくて現実なんだ。
この席で一くさり演技《わざ》をすませば、
一つずつ無の手筥《てばこ》に入れられるのさ。

51

われらの後にも世は永遠につづくよ、ああ!
われらは影も形もなく消えるよ、ああ!
来なかったとてなんの不足があろう?
行くからとてなんの変りもないよ、ああ!

52

土の褥《しとね》の上に横《よこた》わっている者、
大地の底にかくれて見えない者。
虚無の荒野をそぞろ見わたせば、
そこにはまだ来ない者と行った者だけだよ。

53

人呼んで世界と言う古びた宿場は、
昼と夜との二色の休み場所だ。
ジャムシード*らの後裔《こうえい》はうたげに興じ、
バラーム*らはまた墓に眠るのだ。

54

バラームが酒盃を手にした宮居《みやい》は
狐《きつね》の巣、鹿《しか》のすみかとなりはてた。
命のかぎり野驢を射たバラームも、
野驢に踏みしだかれる身とはてた。

55

廃墟と化した城壁に烏《からす》がとまり、
爪の間にケイカーウス*の頭《こうべ》をはさみ、
ああ、ああと、声ひとしきり上げてなく――
鈴の音*も、太鼓《たいこ》のひびきも、今はどこに?

56

天に聳《そび》えて宮殿は立っていた。
ああ、そのむかし帝王が出御《しゅつぎょ》の玉座、
名残りの円蓋《えんがい》で数珠《じゅず》かけ鳩《ばと》が、
何処《クークー》、何処《クークー》とばかり啼《な》いていた。

 

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