ペルシャ語講座(番外篇):ユーチューブを利用しよう

このブログに「ペルシャ語講座」を時々入れていますが、これまでに10回になります。お遊び程度に始めたものですが、少しは見てもらえているようです。中でも、4回目の「挨拶の会話」の閲覧回数が多いようです。でも、正直言うと、私が書くこのブログでペルシャ語が学べるとは思えません。ペルシャ語の一端を知っていただける程度でしかないだろうなというのが本音です。やはり語学は音が重要です。それもネイティブの発音が望ましいでしょう。そんなことを思いながら、ユーチューブでペルシャ語のレッスンをしているものを探してみました。色々出てきました。中でも「挨拶の会話」などを扱ったものがありました。それが冒頭のユーチューブ動画です。再生スピードが少し早いので、今から始めようという方にはちょっと聞き取りにくいかもしれませんが、簡単な内容ですので予め予習しておけばいい動画だと思いました。このような動画が昔あったなら、勉強も楽だっただろうなと思います。当時はインターネットそのものがなかった。いや、パソコン自体がまだ知られていない時代でしたからねえ。せいぜい、リール式のテープレコーダーが最新の語学学習機器でした。あるいはリンガフォンというレコードも有名な教材でした。私は英語のリンガフォンを買いました。話がそれましたが、今日はユーチューブの動画を紹介するだけが目的です。

同じ動画の2も次にアップしておきます。参考にして学習してみてください。

イラン革命から40年

上の画像は2月9日のイランの新聞 (Iran daily)です。1979年2月8日の革命から41年となります。新聞はハメネイ最高指導者が「イランは敵の脅威を終わらせるために、強くならなければならない」と演説したとあります。参考までに英文を紹介すると次の通りです。We must become strong so that there will not be a war, become strong so that the enemy’s threats will end. アメリカと名指しはしていませんが、敵の脅威を終わらせるために強くならなくてはならない。戦争にならないように強くならなければならないということです。先だって、アメリカがコッズ部隊のソレイマニ司令官を殺害した際には、トランプ大統領が、戦争にならないように彼を殺害したと述べていました。お互いに戦争は欲していないというものの、戦争を回避するために何をしてもいいのではなく、話し合いをして平和裏に解決してもらいたいものです。第二次大戦の際の日本への原爆投下についても米国は「戦争を終わらせるためだった」と正当化しようとしたことが思い出されます。そして、今日12日の新聞は次の画像のように全国で記念集会が開かれたことを紹介しています。

イランには昔から沢山の新聞があります。1979年の革命以前に私が見ていたのは保守的な Keyhanというペルシャ語紙とその英文版 Keyhan internationalでした。また英文紙の Tehran Journalも時々読みました。最近ネットから覗くのは、もっぱら上に紹介している Iran daily 紙です。英語だから読みやすいので、日々のできごとを知ることができます。今日はTehran Times も見てみました。こちらの写真は次のものです。国民の団結を叫んで旗を広げている風景のようです。いずれいせよ、日本にいても世界中の新聞が読める時代なのですね。

先月のソレイマニ司令官殺害の直後にウクライナ機がイランのミサイルによって撃墜された事件がありました。これは間違って撃墜してしまったのですが、この時に民衆から反政府的な行動が起きました。「アメリカに死を!」という決まり文句の「アメリカ」の部分を「最高指導者」として叫んでいたと報じられました。沈静化されたようですが、長い間続くアメリカとの関係による経済制裁に苦しむ人々からは、今回の撃墜時間だけでなく、複雑な思いが膨らんでいるようです。

革命から41年となりまして、40歳以下の人々は革命後のイランしか知らない状態になっています。50歳の人でも当時10歳位なら、あまり覚えていないでしょう。先週インスタグラムの友達とライブ電話で話しましたが、お父さんは62歳だと言っていました。革命時は二十歳ぐらいだったのでしょう。この人たちは、今のイランをどのように思っているのか気になるところです。でも、政治的な話は日本のように自由にはできないのが世界の多くのところです。相手に迷惑のかかることの無いように話さないように心がけています。

ペルシャ語講座10:形容詞最上級

前回のペルシャ語講座は形容詞比較級でした。比較級をやるなら、最上級も早くやってよという声にせかされました。比較級は使う機会もあるし、知っておくと便利ですが、最上級はどうでしょうか。英語の場合を思い出すと、比較級を使えば最上級的な意味を表すことができましたよね。例えば、Mt.Fuji is taller than any other Japanese mountains. 富士山は日本のどの山よりも高い。このように比較級の使い方はペルシャ語でもできるわけです。どの言語でもできるということですよね、きっと。

比較級は形容詞の語尾に tar タル تر を付けました。最上級は tarin タリン をつけます。形容詞の「大きい」と「小さい」を表にしてみましょうか。

大きい bozorg bozorgtar bozorgtarin
بزرگ بزرگتر بزرگترین
小さい kuchek kuchektar kuchektarin
کوچک کوچکتر کوچکترین

二つだけを示しましたが、形容詞の語尾に付け加えるだけですから、簡単です。形容詞をいくつか紹介しておきましょうかね。

 美しい qashang 寒い sard 暖かい garm
若い jaba-n 老いた pir 高い(値段が) gera-n
高い(山が) boland 安い(値段が) arza-n 美味しい khoshmaze

それでは文章にしましょう。先ほどの「富士山は日本で一番高い山です」kuh-e-Fujisan bolandtarin kuh dar japon astとなります。「琵琶湖は日本で一番大きい湖です」 daryache-ye Biwako bozorgtarin daryache dar japon. です。  Biwako bozorgtarin daryache dar japon.  湖はダルヤーチェ。ダルヤーは海でして、チェをつけて小さな海=湖です。ちなみにカスピ海は darya-e-Mazandaran つまりマーザンデラーンの海といいます。マーザンデラーンというのはカスピ海のある北部地方を指す言葉です。ハザル族の海という意味でダルヤーエーハザルと呼ばれることもあります。

冒頭の画像は大学書林発行の黒柳恒男先生の『ペルシア語四週間』です。定価7千円という高価な本ですね。私も社会人になって余裕ができた時に買っておいてはありますが、殆ど未使用状態です。もし昔これがあったら勉強できただろうなと思います。私たちの時代は日本語参考書は皆無でした。前にも書いたかもしれませんが、Lambton著の英語があるだけでした。生のペルシャ語を聞く機会も殆どない時代でしたね。今ではNHKの国際放送も聞けます。インターネットを開けばいくらでも耳にすることができる良き時代です。一昨日もインスタグラムで知り合ったイランのラシト市(RASHT)の方とインスタグラム電話で顔を見ながら話をしました。私が昔いたことのあるラシト市の方なので懐かしく話すのですが、今は全然変わっているよということです。逆に昔のその町のことを聞かせてほしいという有様です。昔に比べると、イランも近いものです。ここ名古屋から孫たちのいる東京とライン電話ビデオで交わすやり取りと何ら変わりません。・・・それでは今日はここまでで。

沖縄でイラン映画の上映(2月8日)

今朝、イランの新聞 Iran daily on lineを見ていたら、イラン映画を沖縄でやるという記事がありました。
Okinawa to screen Iranian film ‘Douch’ with Japanese dub
Iranian feature, ‘Douch,’ directed by Amir-Mashhadi Abbas, will go on the silver screen at a special program for children on Okinawa Island in Japan on February 8. そして、その76分の映画のストーリーは10歳の少年が古い自転車を買い替えるためにお金を求めるために、文字の読み書きを教えるコンテストにでるような話だそうな。the 76-minute film narrates the story of a 10-year-old boy, Gholamreza, who is looking for money to replace his old bicycle. During his pursuit, he comes upon a contest that promises enough money for a new bicycle if he can manage to teach an illiterate person in the village how to read and write. Gholamreza decides to take part in the contest, and his pupil is a grouchy 90-year-old woman with really poor eyesight and hearing, who does not want to learn anything. 彼の生徒になったのは視力も聴力も衰え、学ぶ意欲もない90歳のお婆さん。という面白そうな話だ。

The film had previously taken part in the 59th Zlin International Festival for Children and Youth in the Czech Republic and the 10th DYTIATKO International Children’s Media Festival in Ukraine. この映画はウクライナとチェコの映画祭にも参加したとのことだ。

沖縄で上映されるというので、ネットを調べたら出てきました。沖縄までは行けないが、興味ある人はどうぞ行ってみてきてください。

イラン映画は結構評判がいいことをご存知でしょうか。日本でも有名なのはアッバス・キアロスタミ監督でしょうね。『友だちのうちはどこ?』『オリーブの林をぬけて』『桜桃の味』『風が吹くまま』などが有名です。マジッド・マジディ監督の『運動靴と赤い金魚』『少女の髪どめ』なども日本で上映されました。アスガー・ファルハディ監督の『別離』も見ました。特に恋愛ものや体制批判的なものはあまりおおっぴらには表現できない環境の中で、以下に表現するかというのが見どころのようだとか。ウイキペディアで「イランの映画」のページを見ると日本で上映された映画が沢山あることを知ります。気が付くと見るようにしていますが、気が付かないことの方が多く残念です。

キーワード:イラン映画、アバッス・キアロスタミ、マジッド・マジディ、『友だちのうちはどこ?』、『オリーブの林をぬけて』、『桜桃の味』、、『風が吹くまま』、『運動靴と赤い金魚』、『少女の髪どめ』、アスガー・ファルハディ監督、『別離』

ペルシャ語講座9:形容詞比較級

今回は形容詞の比較級です。比較級は形容詞の単語の語尾に tar タル を付けます。「これはあれより大きいです」の場合、in bozorgtar az a-n ast (イン ボゾルグタル アズ アーン アスト)این بزرگتر از آن است となります。英語の場合の than はアズを使います。アズの意味は普通はfrom 「から」という意味です。

簡単にいうとそれだけです。「この花はあの花より美しい」の場合は「この花は あの花より より美しい です」となり、「イン ゴル アズ アーン ゴル カシャングタル アスト」となります。日本語の語順と一緒ですから、難しくはありませんね。

語順は時には入れ替わっても大丈夫です。冒頭の図に示した形は次のように書きました。「イン ゴル カシャングタル アズ アーン ゴル アスト」といえば「この花の方がより美しいよ あの花よりは ね」という感じでしょうか。もう少し普通に会話的な場合は「イン ゴル カシャングガタレ アズ ウーン」程度でも十分伝わるでしょう。

タルを付けて比較級を付けるのが標準ですが、そうでないものが少しあります。ですからそれは覚えなければなりません。

good は khub ですが、 比較級のbetter は behtar ベヘタルです。前にも言いましたがペルシャ語は英語の親戚ですから、英語のbetterがそのままペルシャ語になっているわけです。かといってbestもそうかと言われたらこれは違うのです。

many はziya-d  ジヤードですが、比較級は bishtarです。一応タルは付いてはいます。

本当に簡単でしたが、比較級はこの程度にしておきましょう。参考のためにペルシャ語の参考書を見てみましたが、そちらの本も比較級と最上級で1ページほどしか費やしていませんでした。それではまた次回に!

キーワード:形容詞、比較級、ペルシャ語、goog, better, behtar, best, カシャング、many, bishtar, 

 

イラン革命防衛隊司令官ソレイマニ殺害される。

もう世界中でトップニュースになりましたが、イラン革命防衛隊の司令官がイラクで米軍によって殺害された。トランプ大統領が殺害計画を承認し、命令したとのことで、アメリカ本国の政治機構の内部でも驚いている人々も多いようだ。

これは「ちょっとまずいよな」という感想です。先般、米人が殺害されたことがあり、それに対する米国の姿勢が国内のタカ派から弱腰だと批判されていたり、様々な背景があるわけだが、それはそれとして、もっと適切な方策があったはずである。

殺害の理由を「ソレイマニが新たな米側への攻撃を計画していたため」としているが、そういう理由なら説得力はない。戦争になるまえに殺害したのだという。日本に原子爆弾を落としたのも、戦争を終わらせるために決定したという理屈に通じるものがある。これまでにも、フセイン大統領政権を崩壊させた時にも、結局は見つからなかった大量破壊兵器を持っていることが理由であった。結局はでっちあげであった。

問題はこれからどうなるかだ。イランが報復すると言っている以上、何かするであろう。周辺国のヒズボラを初めとしたシーア派組織も行動を起こすだろう。それに対してトランプは「そうなれば52カ所を攻撃する」と言い、その52というのは、かつてのイランのアメリカ大使館人質事件の人質の数であるそうだ。どういう発想の展開なのだろうか笑ってしまいそうだ。

イランが何処かを攻撃する。おそらくイラン周辺の米軍基地や米関連施設、親米国家の施設あたりであろう。そうなると米軍もまた報復するであろう。でも両者はある程度自制をしながら展開させることを余儀なくさせられる。両者とも大戦争を望んでいるわけではない。私が一番心配なのは、このドサクサに乗じてイスラエルが攻撃されたり、逆にイスラエルがイランを攻撃することである。そういうことにならないように祈る。アメリカはイスラエルを監視下に置いておかなけらばならないだろう。

中東に سلام 平和がくるのはいつのことになるのやら?

キーワード:イラン、アメリカ、革命防衛隊、ソレイマニ、ソレイマニ殺害、イスラエル、

ペルシャ語講座8:形容詞 این گل قشنگ است

    این گل قشنک است 

前回は「名詞と形容詞」ということで、名詞と形容詞のつなぎ方を説明しました。ペルシャ語を使うときの語順は、日本語の語順にペルシャ語を並べていけば大体良いのですが、形容詞で名詞を修飾する場合は逆というわけです。今回は形容詞そのものの使い方がテーマですが、何も難しいことはありません。

この花は美しいです。 この=イン  花=ゴル  美しい=カシャング  です=アスト 。 日本語の語順通り並べたら、これで完成です。カタカナで書いているので発音をきちんとするためにアルファベットで書くと、in gol qashang ast となります。花は gol でして、決して goru ではありません。同様に美しいのカシャングのカは qa なので少し喉の奥から音を出す感じがいいでしょう。ペルシャ語で綴ると    این گل قشنک است なります。

あとは形容詞の単語を沢山覚えることになります。

  • 大きい ボゾルグ  bozorg  بزرگ
  • 小さい クーチェク kuchek      کوچک
  • 美しい カシャング qashang    قشنگ
  • きれい パーク   pa-k           پاک
  • 清潔な  タミーズ    tamiz          تمیز
  • 高い  ボランド       boland        بلند
  • 低い、短い  クウター  kuta  کوتا
  • 暑い  ギャルム      gyarm           گرم
  • 寒い  サールド      sa-rd             سرد
  • 美味しい  ホシュマゼ  khoshmazeh     خوشمزه

キリがないのであとは単語集などで語彙を増やして下さい。複数の形容詞を使う場合は形容詞と形容詞を英語の and に相当するva でつなげます。vaはペルシャ語では و 一文字です。また余談ですが、最初の例文 「この花は赤いです」を「in gol qashang ast」とするのは正しいペルシャ語です。口語・会話になるとアストの部分は省略されて、qashangnの次に e だけで済ませます。つまり「イン ゴル カシャンゲ」となります。

キーワード:ペルシャ語、形容詞、ペルシャ語講座、

ペルシャ語講座7:名詞と形容詞

余談ですが、先日愛知県図書館で上の本を見つけました。サーデク・ヘダーヤトの短編集です。イランでは有名な作家です。自殺したと聞いていました。現地にいる時に何冊か買い求めましたが、ちゃんと読むことはできずに積読になったと思います。折角の和訳があるので読んでみることにしました。それはそれとして、今日のペルシャ語講座です。

今回も基本的なところで名詞と形容詞を扱います。まず、ペルシャ語には男性名詞や女性名詞という区分はありません。だから、それによって動詞が影響されるようなこともないので、簡単です。複数形の作り方について少し説明しましょう。

名詞の後ろに ha-  ハー ها  を付けるだけです。簡単そのものです。例えば book はketa-bですから、keta-b haで結構です。ケターブハーです。

ただし、例外というか、そうでないものが少しあります。ありますが、少しなので大したことではありません。

子供は「バッチェ」です。「バッチェハー」でも間違いではありませんが「バッチェガーン」が一般的です。

イスラム教とは「モスレム」です。複数は「モスレミン」。「モスレマーン」ともいうかな?ちょっと自信ない。

すぐには思い出せませんが、ほかにもいくつかあると思います。アラビア語からきた単語に多いのかもしれません。おいおい覚えていけばいいでしょう。次に形容詞です。

形容詞の使い方は、名詞の後ろに置きます。大きいは「ボゾルグ」です。「大きい本」の場合は 本(ketab) の後ろに「ボゾルグ」を置きます。ローマ字で書くと、 ketab-e-bozrg となります。見てお分かりのように ketab と bozrgのあいだにeがあります。これはエザフェというものですが、名詞の後ろに形容詞が付くと、e エ という音が付いて、繋がります。ペルシャ語の文字には何も付記されません。状況から判断してエの音を入れて発音することになります。

大きい本 ケターベ・ボゾルグ ketab-e-bozrg کتاب بزرگ
小さな車 マシーネ・クチェック mashin-e-kuchek ماشین کوچک
美しい花 ゴレ・カシャング gol-e-qashang پل قشنگ
美味しいパン ナーネ・ホシュマゼ nan-e-khoshmazeh نان خوشمزه
冷たい水 アーベ・サルド ab-e-sard آب سرد

 

名詞や形容詞の単語をどのようにして覚えるのかという問題があります。書店で単語集を購入するのが手っ取り早い方法です。しかし、文法書にしても単語集にしても高価ですね。でも一冊は必要かもしれません。このブログをご覧の皆さんはインターネットを利用しているわけですから、グーグル翻訳を使えば必要な単語は簡単に知ることができます。日本語とペルシャを対比させておけば、左側に日本語を打ち込めば、即座にペルシャ語が現れます。短文でも同じことです。一度利用してみてはいかがでしょうか。

形容詞には比較級や最上級もあるわけですね。それについてはまた後日ということで、今日は形容詞は名詞の後ろに付けるが、その時に名詞の語尾にe エの発音が付いてつながるということを覚えてください。

キーワード:ペルシャ語、名詞、形容詞、サーデク・ヘダーヤト、

イランのロウハニ大統領訪日・安倍総理と会談

今回はロウハニ大統領来日に関する中日新聞のマンガと記事を紹介します。そのあとにイランの新聞もプラスしました。

アメリカとイランの間で板ばさみになった日本政府は自衛隊の派遣を「調査活動」としてペルシャ湾内には入らずに、有志連合とは別に湾外で「調査活動」という苦肉の策で対応する。このような名目が通用するのであれば、「調査活動」と名付ければどこにでも行けることになってしまう。

一方、12月21日のイランの新聞「Iran Daily」はロウハニ大統領の訪日、安倍総理との会談を以下のように報じた。

Rouhani in Tokyo urges Japan to help rein in US 東京でロウハニ大統領は日本にアメリカの手綱を握るように促す

President Hassan Rouhani on Friday called on Japan to help confront the United States’ bid to wreck the multinational deal on Iran’s nuclear program, as he met Japanese Prime Minister Abe Shinzo in Tokyo.

“I hope Japan and other countries will make efforts to help keep the nuclear agreement in place,” said Rouhani, who became the first Iranian head of state to visit Japan for two decades.

The Iranian president inspected a guard of honor along with Abe at the latter’s central Tokyo office before summit talks.

He slammed the “irrational” withdrawal of the United States from the 2015 nuclear deal.

“The nuclear agreement, needless to say, is a very important agreement for Iran. That is all the more reason for me to criticize strongly the United States’ unilateral and irrational departure,” Rouhani said through a translator.

“The withdrawal was a blow to peace and security, and in fact did not benefit either the United States or any of the other parties to the deal,” the Iranian president said. “The withdrawal proved that sanctions have no destiny except a lose-lose situation for all.”

Known formally as the Joint Comprehensive Plan of Action (JCPOA), the nuclear deal was agreed between Britain, China, France, Russia, and the United States, plus Germany.

The JCPOA has been at risk of falling apart since US President Donald Trump unilaterally withdrew from it in May last year and reimposed economic sanctions.

Twelve months from the US pullout, Iran began reducing its commitments to the deal, in an effort to win concessions from those still party to the accord.

Its latest step back came last month, when engineers began feeding uranium hexafluoride gas into mothballed enrichment centrifuges at the underground Fordo plant south of Tehran.

Rouhani branded US sanctions as “economic terrorism” and “countries fight terrorism must counter this act by the US”.

The European parties to the deal have been pushing for talks between Iran and the US to salvage the nuclear deal.

Rouhani said Iran “has done and will do its utmost to reserve the JCPOA” and in return expects other parties live up to their commitments.

He also said Iran was ready for talks and welcomes any effort to maintain the deal as well as global peace and stability.

“Naturally, we do not refrain from any negotiation or agreement in the context of our interests,” he said.

 

 

キーワード:イラン大統領、ロウハニ大統領

 

想い出の中東・イスラム:幻のイラン新幹線計画

東海道新幹線が開業したのは昭和39年(1964年)10月1日であった。東京オリンピック開催の直前だった。私は高校3年生で大学受験前であった。あれからもう55年になるのだ。私が大学を卒業して、社会人になったのが昭和44年(1969年)。そして、2年後の1971年にイラン駐在員となった。その後、現地で2年ほど経過したときだった。パーラヴィー国王時代であったが、イラン政府が日本の新幹線をイランに走らせたいという意向を私たちの会社に伝えてきた。日本の新幹線をイランに走らせるという新たな計画が突然現実化し始めたのであった。

当時の日本はまだ「国鉄」の時代だった。昔のことなので詳しいことは忘れたが、国鉄と直接ではなくJARTSという国鉄の関連組織が窓口となって、プロジェクトの調査計画を始めたと記憶している。イランはテヘランとペルシャ湾の港コラムシャーとを結ぶ既存の「南線」を電化複線化にすることのほかに、テヘランと聖地マシャドを結ぶ既存の路線を新幹線にすることが希望であった。マシャド線はフランスの技術協力で完成したターボトレイン車が快適な列車の旅を提供していた。下の写真のように車内には飛行機のキャビンアテンダントのような若い女性がいて乗客のケアをしていた。しかし、国王は国威発揚的な意味で新幹線を走らせたいという意向であったようだ。従って、このプロジェクトのメインは新幹線計画であった。

とんとんと話が進み、日本国鉄の技術者たちがイランに入ってきた。当時の滝山技師長、呉副技師長他が来イした。副技師長は現地の中心メンバーとして長期に滞在していた。テヘランからマシャド間の調査のためにイラン国鉄は列車を提供してくれた。列車には寝台車と食堂車がついており、調査中の食事はそこで摂ることができた。イラン料理は美味しかった。次の写真はその時のものである。私はずーと同行して、現地の人の聞き取りなどに活躍(笑)した。

数日間かけて路線の周辺を調査しながらマシャドに到着した。マシャドはシーア派イラン国内で重要な聖地である。817年、8代目イマーム・レザーがこの場所で殉教した地である。モンゴルの攻撃を受けたり、ティームールの息子ミーラーン・シャーによって壊滅的な打撃を受けた町である。しかし、16世紀になりサファヴィー朝の時代に復活したのである。

我々の調査はマスタープラン作成後のフィージビリティ・スタディ(可能性調査)を経て、実施設計へとはいり、その設計も完了したのだった。分厚い報告者が日本から持参されて、すぐさまそれは道路大臣にプレゼンされた。そして、計画に係るすべての成果品を引き渡したのであった。

イランに革命(1979年)が起こらなかったなら、80年代に日本の新幹線がイランに走ったはずだった。けれども革命、その後のイラクとの戦争でイランは混乱状態になっていった。前政権(王政時代)のプロジェクトは殆どが否定されてしまった。ペルシャ湾では三井グループが推進していたIJPCプロジェクト(イラン・日本石油化学プロジェクト)が完成前に頓挫してしまった。私たちの会社が手掛けていた他のいくつかのプロジェクトも継続が不可能となっていった。

この新幹線計画がなされていた時、私は結婚直後であった。南線の方の調査に行ったときは、妻を一人テヘランに残すのが偲びないので、一緒に連れていくことが許されるという粋な計らいを会社はしてくれた。途中、イスファハンなどの名所は国鉄のスタッフと一緒に観光するということもできた。それは私たちの新婚旅行でもあった。

また、この時に日本の新幹線を語るときに欠かせない人物「島秀雄」さんにお会いすることができた。当時はすでに十河総裁とともに国鉄を去っており、宇宙開発事業団の初代理事長であったが、イランの新幹線計画ということでアドバイスにお出でいただいたのであった。滞在中にケアさせていただいたわけだが、同じ島という姓同士で色々話が弾んだことを覚えている。その時に戴いた宇宙開発公団のグッズ(ネクタイピン)は今も大事にとってある。その時は、正直言うと、新幹線計画になくてはならない人物という、そんなに偉い人とは知らなかったのである。でも新幹線と島三代の関りのテレビ番組などを見て、今は詳しく知っている。

長々と書いたが、日本の新幹線技術の最初の海外輸出が幻に終わったという苦い思い出である。

(注) マシャドという地名について。日本ではマシュハドと書かれているのが殆どであるが、それでは現地で通じない。現地語ではمشهدであり、m-sh-h-dの4文字である。3音目のhは子音のhであり、haではない。従って発音は「マシャhド」と書くのが一番近いと思う。地球の歩き方を読むとローマ字表記がMashhadとなっているので、カタカナではマシュハドとなっているようだ。余談ではあるが、旅行に行く人のために一言付記しました。

 

キーワード:イラン新幹線、テヘラン、マシャド、