ノーベル平和賞がイラン人女性に!

ノーベル平和賞がモハンマディさんに授与されました。イランの民主化、女性解放のために活動している女性です。同じく平和賞を2003年に授与されたエバディさんが率いる「人権擁護センター」の副代表である。モハンマディさんは現在刑務所に収監されている。イランで「自由、命、女性」というスローガンを掲げて立ち上がった人々のリーダーである。受賞当日彼女は「この日は刑務所での最も輝かしい最高の1日だった」と家族が投稿するインスタグラムで伝えられた。
喜ばしいニュースではある。私自身もインスタグラムに「おめでとう」と投稿した。そして「これが彼女にとって良かれとなるか否や?少し心配である。」と付け加えた。私の思いはノーベル賞が授与されることによってイランの現状が変わるかという疑問である。2003年のエバディさんの受賞によってイランは変わったか?いや変わってはいない。いまも継続して活動中であるので今後変わることを期待したいのであるが、ノーベル賞によって飛躍的に事が改善するとは思えないのである。活動が勢いづいて再び政府の圧力が増すことがないように祈りたい。

想い出の中東イスラム世界:Sizdah Be-dar (سیزده‌بدر) 祝日 سیزده‌بدر

今日は3月31日です。そろそろイランではFarvardin月の13日になるでしょうか。3月21日の春分の日がイラン暦の元旦でしたから、4月の2日頃が13日になるでしょう。この日はタイトルに書いたように、シーズダアベダルという祝日になります。イスラムの行事ではありません。ペルシアの伝統的な祭事です。春が近づいた春分の日を年の初めの元旦とし、更に2週間ほど経つと草木の芽が一斉に吹きだします。このときイランの人々はお昼の食事を抱えて外に飛び出すのです。英語ではピクニックデイと訳されていたりします。この日でなくともイランの人々は外で食事をするのが大好きです。次の写真はある年の9月に通りがかった公園で写した風景です。家族そろって昼食をしている所でした。

普段でもこのように食事を広げて、楽しくひと時を過ごす姿があちこちで見られるのです。私たちが傍を通ると「ベファルマイ!(どうぞ)」と言って誘ってくれるのです。「メルシー(ありがとう)」と言って通り抜けようとすると「タアロフナコン(えんりょしないで)」と更にしつこく誘ってくれるのです。彼らはすごく社交的で開放的な人々でした。彼らは「自分たちはメフマンドゥーストなんだ」と言います。メフマンは客人のことで、ドゥーストは好きという意味。つまりお客好きの民だというわけです。そうです日本でいう「おもてなし」好きということです。

話を戻しましょう。イランの現体制は厳格なイスラムによって統治されています。イスラムにおいての祝祭日は当然イスラムに関する日に限られています。例えばラマダン明けの日というように。でも、イランは厳格なイスラム体制ですが、アケメネス朝ペルシアのようなイスラム以前の誇り高き歴史があります。その当時の宗教はゾロアスター教が有名です。先ほどの春分の日の元旦やここで紹介しているシーズダアベダルの風習はゾロアスター教に由来するものです。従って、イスラム暦の新年とは異なるノウルーズというお正月をお祝いする風習があるのです。お正月の飾りにも頭文字がSの付くハフト・シン(七つのS)を飾ったりします。ついでに言うならば「お年玉」も子供たちが楽しみにするものです。イランでは「エイディ」というのですが、日本と同じような風習です。

いま日本中が桜の花に酔いしれています。今年はコロナ以前のように花見をすることができるようになったところが増えましたね。コロナが治まって、イランの核合意が好転して制裁が緩和されたりすれば、是非ともイランを訪れたいと思います。そのためにも、ペルシア語を忘れないように勉強をしておきたいなと思うのです。

想い出の中東・イスラム世界:パーラヴィー国王の切手

前回はロシアとウクライナの戦争にこじつけて、無理やり中東の金貨に結びつけたのでした。金貨に描かれていたのはイランのパーラヴィー国王でした。今回は、パーラヴィー国王つながりで、世界最大級の切手を紹介いたしましょう。1979年の革命までの1970年代は彼の全盛期でした。この切手の大きさにもそれが伺われるのではないでしょうか。子供時代に切手収集に夢中になっていた私が買ったのは言うまでもありません。沢山買いました。そして、日本の色々な人に書いた手紙に貼り付けました。当時の通信手段は手紙だったのです。

会社の事務的な通信はテレックスでした。電話回線を通じて文章を印字するタイプライターのような機器がありました。国際電話(国際通信)料が時間で加算されるので、事前に原稿をタイプしてテープに穴をあけて(さん孔というのかな)、電話回線が通じたらそれを一気に流すというものでした。緊急の場合は国際電話ですね。プライベートな場合の通信となると、国際電話はやはり高くつくので、もっぱら手紙になるわけです。今のようにメールがあれば随分違ったでしょうね。また、孫の様子を日本の祖父母たちに見せることは今ではラインやスカイプで世界中どこでも簡単ですが、70年代はそんなものはありません。我々は8mmフィルムで撮影して、フィルムを送ったのでした。親たちはそのフィルムを現像して映写機で映して見たわけです。今考えると隔世の感がしますが、その当時は最先端だったのです。

この国王の切手は1枚だけ記念にとってあります。これを貼って家族に送った手紙もとってあります。次の画像がそうです。封筒の幅いっぱいに貼った切手の大きさがお判りでしょう。私も若かったころの思い出の一枚です。

経済協力推進を確認 イスラエルとUAE

昨日のテレビニュースではイスラエルの首相がアブダビを訪問し、UAEの事実上の指導者ムハンマド皇太子と会談したことが伝えられました。両国の国交樹立から1年余が経ち、ベネット首相の訪問が実現したのです。

13日、アブダビで、イスラエルのベネット首相(左)を迎えるアラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国のムハンマド皇太子=イスラエル政府提供(AFP時事)
13日、アブダビで、イスラエルのベネット首相(左)を迎えるアラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国のムハンマド皇太子(AFP時事)

このニュースをこのブログで取り上げる意味はどこにあるでしょうか。私は、今後の中東情勢が非常に不透明になりつつあると思うのです。単純に言えば、この先の状況が分からないということです。

アラブの国であるUAEとユダヤ国家が友好関係を築き、平和な中東社会が実現するならば歓迎すべきことと言えるでしょう。でも両者の思惑はまた別のものがあるようです。メディアも注目するのはイランとの関係です。両国が協力する分野は多々あるでしょうが、政治的な面では対イラン政策です。イスラエルはUAE以外のアラブ諸国とも関係を改善しつつあります。それらは結局はイラン包囲網を築くということなのです。イランはアラブではありません。イランとアラブ諸国の関係はサウジアラビアのように険悪なところもあれば、オマーンのように関係が良好な国もあります。が、全体としてみれば関係は良くありません。イエメンの内戦ではイランとサウジアラビアの代理戦争の体をなしているわけです。イスラエルのアラブ接近の動きはトランプ大統領時代のアメリカの仲介によるものです。つまり、アメリカの対イラン政策の一環であるわけです。

話を広げましょう。いまサウジアラビアがレバノンからの輸入をストップさせています。レバノンは政治も経済も混乱状態にあります。政治への国民の信頼は崩壊しています。経済はサウジへの輸出が頼みの綱的な面もあったのですが、それがサウジの輸入規制によって、ますます混乱しているのです。レバノン国内の宗教分布は非常に多岐にわたっています。そこで現在の政治の運営はキリスト教徒、イスラムシーア派、イスラムスンニー派と3者から選出された三頭政治になっていたのです。もうおわかりでしょう。シーア派はイランの影響、とくにヒズボラの影響をうけています。スンニー派はサウジアラビアの影響をうけているわけです。そして、レバノンはフランスの植民地でありましたから、宗主国であるフランス(キリスト教)がいまだに影響力を有しています。日産のゴーンさんを思い出しますね。
今回のサウジの輸入禁止の原因はシーア派から出ている政治家の発言に対して、サウジ側が激怒した結果と言われているのです。

イランを巡って、今後さらに中東情勢が複雑化する予感がするのです。イランには中国やロシアが接近します。そしてこれまで通りシリアに影響力を及ぼします。逆にアメリカとイスラエルはアラブを仲間に入れようとしているわけです。そこにインドも加えようとの動きもあるようで、日本・アメリカ・オーストラリア・インドのクアッドに習い、これを中東のクアッドと呼ぼうとしているようです。ますます目が離せなくなる今後の中東情勢です。

オリンピック開催中:バレーボール「イラン―日本」戦

東京オリンピックが始まって、既に1/2程が経過しました。日本は柔道での結果が素晴らしく、金メダルが続出して勢いがつきました。卓球混合ダブルスの金メダルでも日本中が盛り上がりましたね。一方で、コロナ禍の下で「それどころではない!」という医療従事者や感染した人々も沢山いるのが現状です。7月末から東京の感染者が3千人超が続いています。4千人超の日もありました。私自身はコロナに関係なくオリンピック反対なので、一部の競技を静かにテレビ観戦しています。
そんな中、8月1日の男子バレーボールの予選を見ました。日本ーイランの試合でした。どちらもこの試合に勝てば決勝リーグに進出できるということで熱戦が繰り広げられました。このブログは中東寄りのサイトですので、どちらも応援しました。テレビに映るイランの選手の映像を写してインスタグラムにアップしました。ここにも紹介しましょう。

インスタグラムではイランの人々から「いいね」を頂きました。この時点では1-1という状態でした。その後1-2とイランがリードし、そのあと日本が踏ん張って2-2となりました。最終5セットに突入し、そこでも接戦の結果、日本が勝ったのでした。イランチームはアジアで一番強いチームだそうでしたが、開催国の利もあったのでしょうか。決勝リーグでの日本の勝利は厳しいのでしょうが、頑張ってほしいものです。

ダマバンド山 5,671m

今回も山の紹介である。ダマバンド山 5,671m である。


イラン北部、首都テヘランの北東方70キロメートルにあり、アルボルズ山脈中にそびえる。同国の最高峰で標高5671メートル。アルカリ岩系の粗面岩、粗面安山岩からなる成層火山で、噴火記録はないが、山頂火口付近には噴気孔が多く、東~南側山麓(さんろく)には温泉がある。頂部は万年雪を頂く。1836年イギリス人W・トムソンが初登頂した。ゾロアスター教の霊地として知られ、南麓にある同名の集落(人口約5000)は著名な避暑地、行楽地である。(日本大百科全書より引用)

イランの首都テヘランは標高 1200m ほどに位置している。そして、町から北の方角には高い山が連なっている。冬は真っ白な雪に覆われていて、夏には溶ける。それが、大都市テヘランへの供給水となる。その連山がアルボルズ山脈の一部なのだ。テヘランから 66km 離れた北東方向にあるのが、ダマバンド山である。直接テヘランからは見えないが、テヘランからカスピ海方面へ抜けるいくつかのルートのうち、東ルートつまりチャールース方面へ抜けるルートを取るとダマバンド山の姿を見ることができる。飛行機を利用する場合は勿論見ることができる。標高であるが5,671m と記されているが、5611m や5610mというのもあるから、どれが正確化は分からないが、5600mほどの高さであることは間違いない。

イランに在住する日本人の間では、イラン富士と呼ばれている。冒頭の画像が示す通り、富士山のように形の美しい神々しい山である。
日本の旅行会社「西遊旅行」のウェブをみると、ダマバンド山へのツアーの企画も掲載されている。勿論、高山病対策などを要する山なので簡単なものではないだろうが、興味ある人はこのサイトを覗いて見るといいだろう。

 

中東世界とは (2)

前回、数多くの少数民族がいると書いた。例えば、イランにはルール、バルチ、トルクメン、クルド、バクチヤーリなどがいる。アラブ人やトルコ人もアルメニア人もいる。でも中心をなすのはイラン人=ペルシア人=アーリア人であって、イランと言えばペルシア文化が基調の国である。

同様にトルコもそうである。中東問題のひとつでもあるクルド問題のクルド人達は少数民族ではない。しかしながら、東ローマ帝国を滅ぼして築いたオスマン帝国の主役はトルコ人であり、そこに築いたのはトルコ文化である。このような意味合いで、私は上の図を描いたのである。中東にはアラブとペルシアとトルコの3つの文化があることを認識してもらいたい。

強調したいのは「中東には数多くの民族、そして彼らの文化があるので一つではない。しかし、中東の文化には3つの中心的な文化がある」ということである。多くの人々はイラク人とイラン人は同じ中東の隣の国で同じような民族・文化であると思っているのではないだろうか。イラクはアラブであり、イランはそうではない。特にイラン人は同一視されることを嫌悪する。それは西洋人が我々をみて「チャイニーズ?」「コーリアン?」と言われたときの感情以上のものがある。シルクロードを通じて中国や日本に洗練された文化を伝えたササン朝ペルシアは初期のイスラム帝国=アラブに滅ぼされたのだった。

 

2019年1月ブログ開始です。

中東・イスラム世界について名古屋から発信いたします。サイトの整備しながら進めてまいります。記事の掲載は最初は歴史から入っていきますが、合間合間に時事的な記事や、想いでの体験話などを取り混ぜていこうと思います。遅々たるものかもしれませんが、お付き合いの程を宜しくお願いいたします。