アラブ人、アラブ民族とは?

今回は基本に戻ってみましょう。このブログを書き始めた時、つまり2019年の1月だから約1年半前に書いた第2番めの記事で次の図を示していました。

ブログを始めたばかりで、一回の文字数も短い状況でした。この図を示して「中東世界には大雑把にいうと、3つの民族・文化で成り立っている」ということを述べたのでした。ただそれだけでした。トルコとペルシャとアラブです。そして、それぞれについては何も説明がなされていませんでした。その後も、このブログの中ではアラブやトルコ、ペルシャなどという語句を当たり前のように使ってきました。でも、よく考えてみれば、ちょっと不親切なような気がします。今回は反省の意味を含めて「アラブとは?」を考えてみましょう。

アラブとはどういう意味でしょうか?アラブ民族というのがあるのでしょうか。アラビア半島の例えばサウジアラビアの人と、地中海沿岸のモロッコ人とはアラブ人という同じ民族なのでしょうか?いま、「アラブ人とは」とネットで検索してみると、世界史の窓というサイトでは次のように書かれています。
「アラブ人は、本来はアラビア半島を原住地とするセム系民族でアラビア人ともいう。彼らは広大な砂漠地帯で、遊牧生活を送っていたので、ベドウィンとも言われる。いくつかの部族に分かれ、交易と略奪に従事し、それぞれの部族神を礼拝する多神教を信仰していたが、7世紀に厳格な一神教であるイスラーム教を創始したムハンマドによって統一された。イスラーム教の教団国家は当初、アラブ人が主体となっており、非アラブ人のイスラーム教徒は差別される状態だったため、「アラブ帝国」と言われたが、イスラーム教の拡大に伴い、その周辺の諸民族と融合していくと次第にアラブ人と非アラブ人の差はなくなり、アッバース朝の時からは「イスラーム帝国」となった。こうしてアラブ人の概念そのものも拡張されていった。単にイスラーム教の信者と言うときには「ムスリム」を使う。また、イスラーム教徒の商人はムスリム商人といわれ、帝国の拡大に伴い広く東西で活動するようになり、東では中国にも及んだ。中国では唐代以来イスラーム教徒(広い意味のアラブ人)は「大食(タージ)」といわれた。」ちょっと意味不明のような記述がでています。アラブ人とは別名ベドウィンとも呼ばれる遊牧民だというのです。その前にセム系民族であると言っています。民族的な分類ではセム系という範疇に入るのがアラブ人であると。それは良しとしましょう。そうするとセム系民族とは何ぞや?となりますね。同じく世界史の窓で調べてみましょう。次のように書かれています。
「アフロ=アジア語族のひとつの語派とされ、西アジアに広く活動する語族の一派。セム語族(語派、語系)に入る言語には、アッカド語、バビロニア語、アッシリア語、アラム語、フェニキア語、ヘブライ語、アラビア語がある。なお、アフロ=アジア語に含まれる語派には、他に古代エジプト語派、チャド語派などがある。かつて、セム語族に対して、エジプトや北アフリカの言語をハム語族と言ったが、現在ではこの用語は用いられていない。」と。だんだん分からなくなってきます。つまりセム語系という言語学上の分類があって、その言葉を話す民族をセム系民族というらしいのです。そのセム語系にはアラビア語のほかに色々な言語が挙げられています。アラビア語のあればヘブライ語もあるのです。アラビア語を話すアラブ人もヘブライ語を話すユダヤ人もセム系という同じ民族なのです。

回りくどいことは止めましょう。アラブ人という人種的な区分はなくて言語的な区分でいうセム系民族の一つであるわけです。そして、アラブ人というのはアラビア語を母語とする人々のことなのです。

だから、先ほどのモロッコ人とサウジアラビア人とは同じアラブ人なのかという疑問は、アラビア語を話す人々同士だからどちらもアラブ人で良いわけです。人種的には異なるかもしれませんが、アラブ人ということです。

今日のタイトル「アラブ人とは?」の答えは「アラビア語を母語とする人々」ということです。そうするとトルコ人の定義とか、ペルシャ人の定義も気になりますね。それは次の機会に譲るとして、先ほどのヘブライ語を話すユダヤ人のことが気になります。アラブ人と同じセム系民族であり、ヘブライ語を母語とする人々なのでしょうか。そう簡単ではないようです。外見を見ただけでユダヤ人と分かる場合もあるようなので、ユダヤ人という人種があるのでしょうか。・・・ながくなりそうなので、それは次回にしましょう。