小川亮作訳『ルバイヤート』108~143「一瞬をいかせ」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第8章「一瞬(ひととき)をいかせ」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

いよいよ最後の章になりました。これまで1章、2章・・・8章と書いてきましたが、この岩波文庫版でそう章立てされているわけではありません。八つのパートに分けられているので、便宜上私が章としただけのことです。

イランで発行されているルバイヤートは数多くあります。イランの有名な作家サーデク・ヘダーヤトが編集したものが手元にあります。改めてそれを見てみるとルバイヤートの解説のあとに、143編の詩があるのですが、それは小川亮作さんが訳されたものと同じ内容でありました。こちらも8つの部分に分けられていて、それぞれに名前が付いています。ヘダーヤト版は岡田恵美子さんの訳で日本でも平凡社ライブラリーから発行されています(冒頭の画像はその表紙です)。それによると、8つのパートは章になっていて、それぞれの名前が以下の通りです。

1.創造、この不可解なもの
2.生きる苦しみ
3.太初からの運命
4、廻(めぐ)る天輪
5.土から土へ
6.なるようになるさ
7、無
8.一瞬を知ろう
それでは最後の章をお楽しみください。

一瞬《ひととき》をいかせ

108
迷いの門から正信までは、ただの一瞬《ひととき》、
懐疑の中から悟りに入るまでもただの一瞬。
かくも尊い一瞬をたのしくしよう、
命の実効《しるし》はわずかにこの一瞬。

109
たのしくすごせ、ただひとときの命を。
一片《ひとかけ》の土塊《つちくれ》もケイコバードやジャムだよ。
世の現象も、人の命も、けっきょく
つかのまの夢よ、錯覚よ、幻よ!

110
大空に月と日が姿を現わしてこのかた
紅《くれない》の美酒《うまざけ》にまさるものはなかった。
腑に落ちないのは酒を売る人々のこと、
このよきものを売って何に替えようとか?

111
月の光に夜は衣の裾《すそ》をからげた。
酒をのむにまさるたのしい瞬間《とき》があろうか?
たのしもう! 何をくよくよ? いつの日か月の光は
墓場の石を一つずつ照らすだろうさ。

112
あすの日が誰にいったい保証出来よう?
哀れな胸を今この時こそたのしくしよう。
月の君*よ、さあ、月の下で酒をのもう、
われらは行くし、月はかぎりなくめぐって来よう!

113
あわれ、人の世の旅隊《キャラヴァン》は過ぎて行くよ。
この一瞬《ひととき》をわがものとしてたのしもうよ。
あしたのことなんか何を心配するのか? 酒姫《サーキイ》よ!
さあ、早く酒盃を持て、今宵《こよい》も過ぎて行くよ!

114
東の空の白むとき何故《なぜ》鶏《にわとり》が
声を上げて騒ぐかを知っているか?
朝の鏡に夜の命のうしろ姿が
映っても知らない君に告げようとさ。

115
夜は明けた、起きようよ、ねえ酒姫《サーキイ》
酒をのみ、琴を弾け、静かに、しずかに!
相宿の客は一人も目がさめぬよう、
立ち去った客もかえって来ぬように!

116
わが心の偶像よ、さあ、朝だ、
酒を持て、琴をつまびき、うたえ歌。
千万のジャムシードやケイホスロウら
夏が来て冬が行くまに土の中!

117
朝の一瞬《ひととき》を紅《くれない》の酒にすごそう、
恥や外聞の醜い殻を石に打とう。
甲斐《かい》のないそらだのみからさっさと手を引き、
丈なす髪と琴の上にその手を置こう。

118
こころよい日和《ひより》、寒くなく、暑くない。
空に雲 花の面の埃《ほこり》を流し、
薔薇《ばら》に浮かれた鶯《うぐいす》はパハラヴイ語で、
酒のめと声ふりしぼることしきり。

119
花のころ、水のほとりの草の上で、
おれの手をとるこの世の天女二、三人。
世の煩《わずら》いも天国ののぞみもよそに、
盃《さかずき》にさても満たそう、朝の酒!

120
はなびらに新春《ノールーズ》の風はたのしく、
草原の花の乙女の顔もたのしく、
過ぎ去ったことを思うのはたのしくない。
過去をすて、今日この日だけすごせ、たのしく。

121
草は生え、花も開いた、酒姫《サーキイ》よ
七、八日地にしくまでにたのしめよ。
酒をのみ、花を手折《たお》れよ、遠慮せば
花も散り、草も枯れよう、早くせよ。

122
新春《ノールーズ》にはチューリップの盃《はい》上げて、
チューリップの乙女《おとめ》の酒に酔え。
どうせいつかは天の車が
土に踏み敷く身と思え。

123
菫《すみれ》は衣を色にそめ、薔薇の袂《たもと》に
そよかぜが妙なる楽を奏でるとき、
もし心ある人ならば、玉の乙女と酒をくみ、
その盃を破るだろうよ、石の面《も》に。

124
さあ、起きて、嘆くなよ、君、行く世の悲しみを。
たのしみのうちにすごそう、一瞬《ひととき》を。
世にたとえ信義というものがあろうとも、
君の番が来るのはいつか判《わか》らぬぞ。

 

125
大空の極《きわみ》はどこにあるのか見えない。
酒をのめ、天《そら》のめぐりは心につらい。
嘆くなよ、お前の番がめぐって来ても、
星の下《もと》誰にも一度はめぐるその盃《はい》。

126
学問のことはすっかりあきらめ、
ひたすらに愛する者の捲毛《まきげ》にすがれ。
日のめぐりがお前の血汐を流さぬまに
お前は盃《はい》に葡萄《ぶどう》の血汐を流せ。

127
人生はその日その夜を嘆きのうちに
すごすような人にはもったいない。
君の器が砕けて土に散らぬまえに、
君は器の酒のめよ、琴のしらべに!

(128)
春が来て、冬がすぎては、いつのまにか
人生の絵巻はむなしくとじてしまった。
酒をのみ、悲しむな。悲しみは心の毒、
それを解く薬は酒と、古人も説いた。

129
お前の名がこの世から消えないうちに
酒をのめ、酒が胸に入れば悲しみは去る。
女神の鬢《びん》の束また束を解きほぐせ、
お前の身が節々《ふしぶし》解けて散らないうちに。

(130)
さあ、一緒にあすの日の悲しみを忘れよう、
ただ一瞬《ひととき》のこの人生をとらえよう。
あしたこの古びた修道院を出て行ったら、
七千年前の旅人と道伴《みちづ》れになろう。

(131)
胸をたたけ、ああ、よるべない大空の下、
酒をのめ、ああ、はかない世の中。
土から生れて土に入るのか、いっそのこと、
土の上でなくて中にあるものと思おう。

132
心はたぎる、早くこの手に酒をくれ!
命、いのち、銀露のようにたばしる!
とらえないと青春の火も水となる。
さあ、早く物にくらんだ目をさませ!

133
酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、
また青春の唯一《ゆいつ》の効果《しるし》だ。
花と酒、君も浮かれる春の季節に、
たのしめ一瞬《ひととき》を、それこそ真の人生だ!

134
酒をのめ、マハムード*の栄華はこれ。
琴をきけ、ダヴィデ*の歌のしらべはこれ。
さきのこと、過ぎたことは、みな忘れよう
今さえたのしければよい――人生の目的はそれ。

135
あしたのことは誰にだってわからない、
あしたのことを考えるのは憂鬱《ゆううつ》なだけ。
気がたしかならこの一瞬《ひととき》を無駄《むだ》にするな、
二度とかえらぬ命、だがもうのこりは少い。

(136)
時のめぐりも酒や酒姫《サーキイ》がなくては無だ、
イラク*の笛も節《ふし》がなくては無だ。
つくずく世のありさまをながめると、
生れた得《とく》はたのしみだけ、そのほかは無だ!

137
いつまで有る無しのわずらいになやんでおれよう?
短い命をたのしむに何をためらう?
酒盃に酒をつげ、この胸に吸い込む息が
出て来るものかどうか、誰に判ろう?

138
仰向《あおむ》けにねて胸に両手を合わさぬうち*、
はこぶなよ、たのしみの足を悲しみへ。
夜のあけぬまに起きてこの世の息を吸え、
夜はくりかえしあけても、息はつづくまい。

139
永遠の命ほしさにむさぼるごとく
冷い土器《かわらけ》に唇《くち》触れてみる。
土器《かわらけ》は唇《くち》かえし、謎《なぞ》の言葉で――
酒をのめ、二度とかえらぬ世の中だと。

140
さあ、ハイヤームよ、酒に酔って、
チューリップのような美女によろこべ。
世の終局は虚無に帰する。
よろこべ、ない筈《はず》のものがあると思って。

141
もうわずらわしい学問はすてよう、
白髪の身のなぐさめに酒をのもう。
つみ重ねて来た七十の齢《よわい》の盃《つき》を
今この瞬間《とき》でなくいつの日にたのしみ得よう?

142
めぐる宇宙は廃物となったわれらの体躯《からだ》、
ジェイホンの流れ*は人々の涙の跡、
地獄というのは甲斐《かい》もない悩みの火で、
極楽はこころよく過ごした一瞬《ひととき》。

143
いつまで一生をうぬぼれておれよう、
有る無しの論議になどふけっておれよう?
酒をのめ、こう悲しみの多い人生は
眠るか酔うかしてすごしたがよかろう!

 

小川亮作訳『ルバイヤート』101~107「むなしさよ」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第7章「むなしさよ」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

むなしさよ

101
九重の空のひろがりは虚無だ!
地の上の形もすべて虚無だ!
たのしもうよ、生滅の宿にいる身だ、
ああ、一瞬のこの命とて虚無だ!

102
時の中で何を見ようと、何を聞こうと、
また何を言おうと、みんな無駄《むだ》なこと。
野に出でて地平のきわみを駈《か》けめぐろうと、
家にいて想いにふけろうと無駄なこと。

103
世の中が思いのままに動いたとてなんになろう?
命の書を読みつくしたとてなんになろう?
心のままに百年を生きていたとて、
更《さら》に百年を生きていたとてなんになろう?

(104)
地の青馬にうち跨《またが》っている酔漢《よいどれ》を見たか?
邪宗も、イスラム*も、まして信仰や戒律どころか、
神も、真理も、世の中も眼中にないありさま、
二つの世にかけてこれ以上の勇者があったか?

105
戸惑《とまど》うわれらをのせてめぐる宇宙は、
たとえてみれば幻の走馬燈だ。
日の燈火《ともしび》を中にしてめぐるは空の輪台、
われらはその上を走りすぎる影絵だ。

106
ないものにも掌《て》の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないかと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。

107
世に生れて来た効果《しるし》に何があるか?
生きた生命の結果として何が残るか?
饗宴の燭《ともしび》となってもやがて消えはて、
ジャムの酒盃*となってもやがては砕ける。

小川亮作訳『ルバイヤート』74~100「ままよ、どうあろうと」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第6章「ままよ、どうあろうと」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

この挿絵は㈱マール社発行『ルバイヤート ペルシャで生まれた四行詩集』から拝借いたしました。この本の和訳は竹友藻風によるもので、美しい調べの見事な訳で有名です。フィッツジェラルドの英訳からの重訳でありますが、ペルシャ詩のイメージを伝えている名訳だと思います。

ままよ、どうあろうと

74
マギイ*の酒に酔うたとならば、正《まさ》にそうさ。
異端《いたん》邪教《じゃきょう》の徒というならば、正にそうさ。
しかしわがふるまいを人がどんなにけなしたとて、
われはどうなりもしない、相変らずのものさ。

75
わが宗旨はうんと酒のんでたのしむこと、
わが信条は正信と邪教の争いをはなれること。
久遠の花嫁*に欲しい形見は何かときいたら、
答えて言ったよ――君が心のよろこびをと。

76
身の内に酒がなくては生きておれぬ、
葡萄酒《ぶどうしゅ》なくては身の重さにも堪えられぬ。
酒姫《サーキイ》がもう一杯《いっぱい》と差し出す瞬間の
われは奴隷《どれい》だ、それが忘れられぬ。

77
今宵《こよい》またあの酒壺を取り出してのう、
そこばくの酒に心を富ましめよう。
信仰や理知の束縛《きずな》を解き放ってのう、
葡萄樹の娘*を一夜の妻としよう。

(78)
死んだらおれの屍《しかばね》は野辺《のべ》にすてて、
美酒《うまざけ》を墓場の土にふりそそいで。
白骨が土と化したらその土から
瓦《かわら》を焼いて、あの酒甕《さかがめ》の蓋《ふた》にして。

(79)
死んだら湯灌《ゆかん》は酒でしてくれ、
野の送りにもかけて欲しい美酒《うまざけ》。
もし復活の日ともなり会いたい人は、
酒場の戸口にやって来ておれを待て。

(80)
墓の中から酒の香が立ちのぼるほど、
そして墓場へやって来る酒のみがあっても
その香に酔《よ》い痴《し》れて倒れるほど、
ああ、そんなにも酒をのみたいもの!

81
尊い命の芽を摘みとられる日、
身体の各部がちりぢりに分れる日、
その土でもし壺を焼いたら、さっそく
酒をついでよ、息を吹きかえすに。

(82)
命の幹が根を掘られて、
死の足もとにうなじをたれよう日、
身の土だけは必ず酒の器に焼いてくれ、
しばらくは息をつこう、酒の香に。

(83)
愛《いと》しい友よ、いつかまた相会うことがあってくれ、
酌《く》み交《か》わす酒にはおれを偲《しの》んでくれ。
おれのいた座にもし盃《さかずき》がめぐって来たら、
地に傾けてその酒をおれに注《そそ》いでくれ。

(84)
あのしかつめらしい分別《ふんべつ》のとりことなった
人たちは、あるなしの嘆きの中にむなしく去った。
気をつけて早く、はやく葡萄の古酒を酌《く》め、
愚か者らはまだ熟《う》れぬまに房を摘まれた。

(85)
法官《ムフテイ》よ、マギイの酒にこれほど酔っても
おれの心はなおたしかだよ、君よりも。
君は人の血、おれは葡萄の血汐《ちしお》を吸う、
吸血の罪はどちらか、裁けよ。

(86)
或る淫《たわ》れ女《め》に教長《シャイク》*の言葉――気でも触れたか、
いつもそう違った人となぜ交わるか?
答えに――教長《シャイク》よ、わたしはお言葉のとおりでも、
あなたの口と行《おこな》いは同じでしょうか?

(87)
恋する者と酒のみは地獄に行くと言う、
根も葉もない囈言《たわごと》にしかすぎぬ。
恋する者や酒のみが地獄に落ちたら、
天国は人影もなくさびれよう!

88
天国にはそんなに美しい天女がいるのか?
酒の泉や蜜《みつ》の池があふれてるというのか?
この世の恋と美酒《うまざけ》を選んだわれらに、
天国もやっぱりそんなものにすぎないのか?

(89)
天女のいるコーサル河*のほとりには、
蜜、香乳と、酒があふれているそうな。
だが、おれは今ある酒の一杯を手に選ぶ、
現物はよろずの約にまさるから。

(90)
エデンの園《その》が天女の顔でたのしいなら、
おれの心は葡萄の液でたのしいのだ。
現物をとれ、あの世の約束に手を出すな、
遠くきく太鼓《たいこ》はすべて音がよいのだ。

91
なにびとも楽土や煉獄《れんごく》を見ていない、
あの世から帰ってきたという人はない。
われらのねがいやおそれもそれではなく、
ただこの命――消えて名前しかとどめない!

(92)
おれは天国の住人なのか、それとも
地獄に落ちる身なのか、わからぬ。
草の上の盃と花の乙女と長琴さえあれば、
この現物と引き替えに天国は君にやるよ。

93
この世に永久にとどまるわれらじゃないぞ、
愛《いと》しい人や美酒《うまざけ》をとり上げるとは罪だぞ。
いつまで旧慣にとらわれているのか、賢者よ?
自分が去ってからの世に何の旧慣があろうぞ!

94
はじめから自由意志でここへ来たのでない。
あてどなく立ち去るのも自分の心でない。
酒姫《サーキイ》よ、さあ、早く起きて仕度をなさい、
この世の憂いを生《き》の酒で洗いなさい。

95
バグダード*でも、バルク*でも、命はつきる。
酒が甘かろうと、苦かろうと、盃は満ちる。
たのしむがいい、おれと君と立ち去ってからも、
月は無限に朔望《さくぼう》をかけめぐる!

(96)
選ぶならば、酒場の|舞い男《カランダール》*の道がよい。
酒と楽の音と恋人と、そのほかには何もない!
手には酒盃、肩には瓶子《へいし》ひとすじに
酒をのめ、君、つまらぬことを言わぬがよい。

(97)
酒姫《サーキイ》よ、寄る年の憂いの波にさらわれてしまった、
おれの酔いは程度を越してしまった。
だがつもる齢《よわい》の盃《つき》になお君の酒をよろこぶのは、
頭に霜をいただいても心に春の風が吹くから。

(98)
一壺の紅《あけ》の酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐ糧《かて》さえあれば、
君とともにたとえ荒屋《あばらや》に住まおうとも、
心は王侯《スルタン》の栄華にまさるたのしさ!

99
おれは有と無の現象《あらわれ》を知った。
またかぎりない変転の本質《もと》を知った。
しかもそのさかしさのすべてをさげすむ、
酔いの彼方《かなた》にはそれ以上の境地があった。

100
酒姫《サーキイ》の心づくしでとりとめたおれの命、
今はむなしく創世の論議も解けず、
昨夜の酒も余すところわずかに一杯、
さてあとはいつまでつづく? おれの命!

小川亮作訳『ルバイヤート』57~73「無常の車」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第5章「無上の車」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

 

無常の車

57
君も、われも、やがて身と魂が分れよう。
塚《つか》の上には一|基《もと》ずつの瓦《かわら》が立とう。
そしてまたわれらの骨が朽《く》ちたころ、
その土で新しい塚の瓦が焼かれよう。

(58)

地の表にある一塊の土だっても、
かつては輝く日の面《おも》、星の額《ひたい》であったろう。
袖《そで》の上の埃《ほこり》を払うにも静かにしよう、
それとても花の乙女《おとめ》の変え姿よ。

59

人情《こころ》知る老人よ、早く行って、
土ふるいの小童の手を戒めてやれ、
パルヴィーズ*の目やケイコバード*の頭を
なぜああ手あらにふるうのかえ!

60

朝風に薔薇《ばら》の蕾《つぼみ》はほころび、
鶯《うぐいす》も花の色香に酔《よ》い心地《ごこち》。
お前もしばしその下蔭で憩えよ。
そら、花は土から咲いて土に散る。

61

雲は垂れて草の葉末に涙ふる、
花の酒がなくてどうして生きておれる?
今日わが目をなぐさめるあの若草が
明日はまたわが身に生えて誰が見る?

62

新春《ノールーズ》* 雲はチューリップの面に涙、
さあ、早く盃《さかずき》に酒をついでのまぬか。
いま君の目をたのします青草が
明日はまた君のなきがらからも生えるさ。

 

63

川の岸べに生え出《い》でたあの草の葉は
美女の唇《くちびる》から芽を吹いた溜《た》め息《いき》か。
一茎《ひとくき》の草でも蔑《さげす》んで踏んではならぬ、
そのかみの乙女の身から咲いた花。

64

酒のもう、天日はわれらを滅ぼす、
君やわれの魂を奪う。
草の上に坐《すわ》って耀《かがよ》う酒をのもう、
どうせ土になったらあまたの草が生える!

(65)

ありし日の宮居《みやい》の場所で或《あ》る男が、
土を両足で踏みつけた。
土は声なき声上げて男に言った――
待てよ、お前も踏まれるのさ!

66

よき人よ、盃と酒壺《さかつぼ》を持って来い、
水のほとりの青草の茂みのあたり。
そら、めぐる車*は月の面《おも》、花の姿を
くりかえし盃にしたり、また壺にしたり。

67

昨夜酔うての仕業《しわざ》だったが、
石の面《も》に素焼の壺を投げつけた。
壺は無言の言葉で行った――
お前もそんなにされるのだ!

68

なんでけがれ*がある、この酒甕《さけがめ》に?
盃にうつしてのんで、おれにもよこせ、
さあ、若人よ、この旅路のはてで
われわれが酒甕とならないうちに。

(69)

昨日壺をつくる所へ立ちよったら、
壺つくりは土をこねてしきりに腕をふるっていた。
盲の人は気もつかなかったろう、しかし
その手の中におれは亡《な》き人の土を見た。

(70)

壺つくりよ、心あるならその手を休めよ、
尊い土に無礼なことはやめよ!
ファレイドゥーン*の指やケイホスロウ*の掌《てのひら》を
ろくろに取ってどうしようてんだよ?

71

壺つくりの仕事場へ来て見れば、
壺つくり朗らかにろくろをまわしては、
みかどの首もこじきの足もごっちゃに、
手に取ってつくるは壺の首と足だ。

72

この壺も、おれと同じ、人を恋《こ》う嘆きの姿、
黒髪に身を捕われの境涯か。
この壺に手がある、これこそはいつの日か
よき人の肩にかかった腕なのだ。

73

壺つくりの仕事場に昨日《きのう》よって見ると、
千も二千もの土器《かわらけ》がならべてあったよ。
そのおのおのが声なき言葉でおれにきくよう――
壺つくり、売り手、買い手は誰なのかと。

小川亮作訳『ルバイヤート』35~56「万物流転」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第4章「万物流転(ばんぶつるてん)」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

万物流転《ばんぶつるてん》

35

若き日の絵巻は早も閉じてしまった、
命の春はいつのまにか暮れてしまった。
青春という命の季節は、いつ来て
いつ去るともなしに、過ぎてしまった。

36

ああ、掌中《しょうちゅう》の珠《たま》も砕けて散ったか。
血まみれの肺腑《はいふ》は落ちた、死魔の足下。
あの世から帰った人はなし、きく由《よし》もない――
世の旅人はどこへ行ったか、どうなったか?

37

幼い頃には師について学んだもの、
長じては自ら学識を誇ったもの。
だが今にして胸に宿る辞世の言葉は――
水のごとくも来たり、風のごとくも去る身よ!

38

同心の友はみな別れて去った、
死の枕べにつぎつぎ倒れていった。
命の宴《うたげ》に酒盛りをしていたが、
ひと足さきに酔魔のとりことなった。

39

天輪よ、滅亡はお前の憎しみ、
無情はお前 日頃《ひごろ》のつとめ。
地軸よ、地軸よ、お前のふところの中にこそは
かぎりなくも秘められている尊い宝*!

40

日のめぐりは博士の思いどおりにならない、
天宮など七つとも八つとも数えるがいい。
どうせ死ぬ命だし、一切の望みは失せる、
塚蟻《つかあり》にでも野の狼《おおかみ》にでも食われるがいい。

41

一滴の水だったものは海に注ぐ。
一握の塵《ちり》だったものは土にかえる。
この世に来てまた立ち去るお前の姿は
一匹の蠅《はえ》――風とともに来て風とともに去る。

(42)

この幻の影が何であるかと言ったっても、
真相をそう簡単にはつくされぬ。
水面に現われた泡沫《ほうまつ》のような形相は、
やがてまた水底へ行方《ゆくえ》も知れず没する。

43

知は酒盃《しゅはい》をほめたたえてやまず、
愛は百度もその額《ひたい》に口づける。
だのに無情の陶器師《すえし》は自らの手で焼いた
妙《たえ》なる器を再び地上に投げつける。

44

せっかく立派な形に出来た酒盃なら、
毀《こわ》すのをどこの酒のみが承知するものか?
形よい掌《て》をつくってはまた毀すのは
誰のご機嫌《きげん》とりで誰への嫉妬《しっと》やら?

45

時はお前のため花の装《よそお》いをこらしているのに、
道学者などの言うことなどに耳を傾けるものでない。
この野辺《のべ》を人はかぎりなく通って行く、
摘むべき花は早く摘むがよい、身を摘まれぬうちに。

46

この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
帰って来て謎《なぞ》をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。

47

酒をのめ、土の下には友もなく、またつれもない、
眠るばかりで、そこに一滴の酒もない。
気をつけて、気をつけて、この秘密 人には言うな――
チューリップひとたび萎《しぼ》めば開かない。

(48)

われは酒屋に一人の翁《おきな》を見た。
先客の噂《うわさ》をたずねたら彼は言った――
酒をのめ、みんな行ったきりで、
一人として帰っては来なかった。

49

幾山川を越えて来たこの旅路であった、
どこの地平のはてまでもめぐりめぐった。
だが、向うから誰一人来るのに会わず、
道はただ行く道、帰る旅人を見なかった。

50

われらは人形で人形使いは天さ。
それは比喩《ひゆ》ではなくて現実なんだ。
この席で一くさり演技《わざ》をすませば、
一つずつ無の手筥《てばこ》に入れられるのさ。

51

われらの後にも世は永遠につづくよ、ああ!
われらは影も形もなく消えるよ、ああ!
来なかったとてなんの不足があろう?
行くからとてなんの変りもないよ、ああ!

52

土の褥《しとね》の上に横《よこた》わっている者、
大地の底にかくれて見えない者。
虚無の荒野をそぞろ見わたせば、
そこにはまだ来ない者と行った者だけだよ。

53

人呼んで世界と言う古びた宿場は、
昼と夜との二色の休み場所だ。
ジャムシード*らの後裔《こうえい》はうたげに興じ、
バラーム*らはまた墓に眠るのだ。

54

バラームが酒盃を手にした宮居《みやい》は
狐《きつね》の巣、鹿《しか》のすみかとなりはてた。
命のかぎり野驢を射たバラームも、
野驢に踏みしだかれる身とはてた。

55

廃墟と化した城壁に烏《からす》がとまり、
爪の間にケイカーウス*の頭《こうべ》をはさみ、
ああ、ああと、声ひとしきり上げてなく――
鈴の音*も、太鼓《たいこ》のひびきも、今はどこに?

56

天に聳《そび》えて宮殿は立っていた。
ああ、そのむかし帝王が出御《しゅつぎょ》の玉座、
名残りの円蓋《えんがい》で数珠《じゅず》かけ鳩《ばと》が、
何処《クークー》、何処《クークー》とばかり啼《な》いていた。

 

小川亮作訳『ルバイヤート』16~25「生きのなやみ」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第2章「生きのなやみ」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

生きのなやみ

16
今日こそわが青春はめぐって来た!
酒をのもうよ、それがこの身の幸だ。
たとえ苦くても、君、とがめるな。
苦いのが道理、それが自分の命だ。

17
思いどおりになったなら来はしなかった。
思いどおりになるものなら誰(た)が行くものか?
この荒家(あばらや)に来ず、行かず、住まずだったら、
ああ、それこそどんなによかったろうか!

18
来ては行くだけでなんの甲斐(かい)があろう?
この玉の緒の切れ目はいったいどこであろう?
罪もなく輪廻(りんね)の環(わ)の中につながれ、
身を燃やして灰(はい)となる煙はどこであろう?

19
ああ、空(むな)しくも齢(よわい)をかさねたものよ、
いまに大空の利(と)鎌(かま)が首を掻(か)くよ。
いたましや、助けてくれ、この命を、
のぞみ一つかなわずに消えてしまうよ!

20
よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀(えよう)をつくしたとて、
所詮(しょせん)は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。

21
歓楽もやがて思い出と消えようもの、
古き好(よしみ)をつなぐに足るのは生(き)の酒のみだよ。
酒の器にかけた手をしっかりと離すまい、
お前が消えたって盃(さかずき)だけは残るよ!

22
ああ、全く、休み場所でもあったらいいに、
この長旅に終点があったらいいに。
千万年をへたときに土の中から
草のように芽をふくのぞみがあったらいいに!

23
二つ戸口のこの宿にいることの効果(しるし)は
心の痛みと命へのあきらめのみだ。
生の息吹(いぶき)を知らない者が羨(うらや)ましい。
母から生まれなかった者こそ幸福だ!

24
地を固め天のめぐりをはじめたお前は
なんという痛恨を哀れな胸にあたえたのか?
紅玉の唇(くちびる)や蘭麝(らんじゃ)の黒髪(くろかみ)をどれだけ
地の底の小筥(こばこ)に入れたのか?

25
神のように宇宙が自由に出来たらよかったろうに、
そうしたらこんな宇宙は砕きすてたろうに。
何でも心のままになる自由な宇宙を
別に新しくつくり出したろうに。

 

ルバイヤート紹介 ①

先般、ハーフェズの抒情詩を紹介しましたが、今回はオマル・ハイヤームのルバイヤートの中から、彼の詩を紹介します。既に、ルバイヤートについては過去にも述べたことがありますので、重複する部分があるかと思います。

オマル・ハイヤームについて:
オマル・ハイヤームは1048年に現在のイランのニシャプールの町に生まれ、1131年に没したペルシャの詩人である。ところが生前の彼は詩人として知られた存在ではなかったようだ。そのような彼を岩波文庫『ルバイヤート』の著者である小川亮作氏は、そのあとがきの中で次のように述べている。
「性来彼は学問を好み、数学、天文学、医学、歴史、哲学などの蘊蓄を極め、今日のトルクメン族の祖先がペルシアを征服して建てたセルジュク帝国(1037~1194)の新都メルヴヘスルタン・マリク・シャー(在位1072~1092)建設の天文台に八人の学者の主席として聘せられ、1074年同王の命によって、他の七名の学者とともに暦法の改正に当たり、後で述べる通りその正確さにおいて現代のグレゴリオ暦にもまさるほどの有名なジャラリー暦を制定したが、これは惜しくも採用されるにいたらなかった。」

「彼の科学的業績として今日存在を知られているものは、アラビア語による『代数学問題の解放研究』、『ユークリッドの「エレメント」の難点に関する論文』、気象学の書、恒星表、インド算法による平方および立方根の求め方の正確度を検した数学書等である。」

このように生前の彼は詩人としてよりも科学者として有名であったことがわかる。小川氏のあとがきによると、死後しばらくしてから、彼が書き残していた詩は伝えられたようであるが、今でいう大きなヒットを飛ばすことはできなかったようだ。そんな彼を詩人として世界中に知らしめたのは英国人フィッツジェラルドの翻訳がきっかけであった。彼についての詳細は省略するが、彼は1959年に250部のみの私家版として出版したのであった。最初、売れなかったこの詩集が、次第に陽の目を見るようになったらしい。

ルバイヤートの日本での翻訳本
私の手元には次の翻訳本がある。
小川亮作訳『ルバイヤート』岩波文庫、1949年第1刷発行
竹友藻風訳『ルバイヤート』㈱マール、2005年第1刷発行
岡田恵美子訳『ルバーイヤート』平凡社ライブラリー、2009年初版発行
小川と岡田の訳は原語からの直訳である。2番めの竹友の訳はフィッツジェラルドの英語訳からの和訳である。2005年発行とあるが、竹友訳が最初に発行されたのは1921年(大正10年)である。彼の訳は文語調の美しい調べの名訳であると思う。が、私自身はフィッツジェラルドの英訳が原典からあまりにも意訳すぎると感じているので、原語からの和訳の作品に拍手を送りたい。勿論、フィッツジェラルドの英訳は英語話者にとっては原典の調べを上手に訳した良い作品なのであろうと思う。でないと、世界中の人にルバイヤートの良さを伝えることはできなかったはずである。
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ここで一つの詩を紹介する。そして先述の複数の訳者による翻訳を味わってみてもらいたい。

これが原語のペルシャ語によるものである。ペルシャの詩はこのように美しいナスターリーク書体で書かれると、詩の調べまで感じることができるような気がする。通常反対側の頁にミニアチュールの絵が挿入されるのだ。
ナスターリーク書体に慣れていない人のために、同じ詩を活字体で示すと次のようになる。

ペルシャ語学習の初級者のテキストにはアルファベットでの表記がある。ペルシャ文字が読めなくても、美しいペルシャ語の調べを少しは味わえるかもしれない。

そして、初級学習者用には、ペルシャ語の意味を直訳した英語訳が示されているのである。それが次の通りである。

そこでルバイヤートを世界的に有名にフィッツジェラルドの翻訳が次の通りである。

原文ではBaghdadとBalkhとなっている地名はNaishapurとBabylonとなっている。Balkhは現在のアフガニスタンにある中世に栄えた都市である。Baghdadは言うまでもなく現在のイラクの首都である。アッバース朝時代に首都として建設された大都市である。フィッツジェラルドが訳出したNaishapurは現在のイラン北東部の町でオマル・ハイヤームの出身地である。Babylonはバビロニア王国の都でる。Naishapuru(私はいつもニシャプールと発音しているが)やバビロンにしても地名であるからそのままでいいと思うのであるが、フィッツジェラルドにはその都市の名前から浮かぶイメージがあったのであろうと思う。この彼の英訳から竹友藻風が訳した日本語訳は以下の通りである。

文語調、五七調なので、詩の雰囲気をうまく醸し出している気がする。中には難しい言葉が使われているために、すぐには意味が分からないような訳もあるが、この詩については分かりやすいと思う。

次に、原語から直訳された日本語訳を小川訳、岡田訳と続けて示そう。

色々な訳を紹介したが、これまでにハーフェズの詩の時に登場した黒柳恒男先生の訳が欠けていた。その書籍は私の手元にはないのだが、黒柳恒男訳注『ルバイヤート』大学書林発行である。そこでの訳は次の通りである。

フィッツジェラルド(竹友)、小川、岡田、黒柳の4人による日本語訳を紹介した。いずれが一番しっくりと心に響いただろうか。原文の語順と意味の取り方から、4人の訳のいいとこどりをした私の訳は次の通りとなった。

人生が甘くとも、苦かろうと、 命は尽きる!
そこがバグダートでもバルフでも、 酒杯が満ちるなら、
酒を飲め! 我らが(この世から)去った後も、
月は限りなく満ちては欠け、欠けては満ちる!

お疲れさまでした。ハステ ナバーシイ!

ハーフェズ(その2)

前回に引き続きハーフェズ(2)とした。上の画像は手元にあるDVDの一頁である。頁の右側に一つの詩が、左側には絵が示される。これは3頁であるが、前回の最後に私が好きな一つだと紹介した「シーラーズの乙女が・・・・サマルカンド・・」の一篇である。絵の下の右側の▶を押すと、音楽にのせて朗読が始まるのである。好きな個所を聞けるように、絵の上部には検索枠がある。こうして、ハーフェズを愛する人は彼の詩を堪能することができるのだ。

ハーフェズはシーラーズを愛する詩や美女に恋する詩のほかに酒についても多く詠っている。その一つを紹介しよう。

酌人(サーキー)よ、起きて私に酒杯を与えよ
日々の悲しみに土をかけよ
酒杯をわが掌(て)に置け、体から
この青色の幣衣を脱ぎすてるように
賢者には(名声を求めぬことが)不評であろうとも
われらは名誉や名声を欲しない
酒をくれ、高慢の風をいつまで吹かすのか
悪い結果に終わる欲望には土をかけよ
わが嘆きの胸のため息の煙は
未熟な無常者たちを焼きつくした
恋に狂うわが心の秘密を守る友を
私は貴賤のうちにだれも見出せない
恋人といればわが心は楽しいが
彼女は一挙にわが心から安らぎを奪った
白銀(しろがね)の体をしたかの糸杉(恋人)を見た者はだれも
園の糸杉には決して見向きもしない
ハーフェズよ、日夜苦難に耐えよ
ついにはいつか望みが達せられよう
*青色の幣衣=神秘主義者の幣衣


この画像は私が昔シーラーズで写したものである。ハーフェズ廟である。周りが花いっぱいの公園になっているところで、始終人が訪れる場所である。インターネットで「ハーフェズ廟」と検索すれば美しい写真を沢山みることができる。特に夜の風景が美しいと思う。この墓石に刻まれているのが次の詩である。

私は天国の鳥、この世の罠から抜け出そう
そなたへの愛に誓って、私を自分の奴隷と呼んでくれるなら
私は時間と空間の支配から抜け出そう
神よ、私が埃のように消え去る前に
お導きの雲から慈雨を降らせ給え
わが墓の傍に酒を持ち楽師を連れて坐れ
そなたの芳香(かおり)で私は墓から踊りながら起き上がろう
麗しい歩みの恋人よ、立って姿を見せよ
私は踊りながら生命とこの世に別れを告げよう
老いたりとも一夜私をしっかり抱いてくれ
翌朝私は若返ってそなたの傍から起き上がろう
死ぬ日、そなたに会う一瞬(いっとき)の猶予をくれ
ハーフェズのように、私は生命とこの世を捧げよう

ハーフェズの作品はガザルという抒情詩が多いのだが、ちょっとペルシャの詩の形について説明しておこう。オマル・ハイヤームのルバイヤートは有名であるが、このルバイヤートというのは四行詩という意味である。1行と2行が対になっており、これで1バイトという。同様に3行と4行が対で1つのバイトを成している。2つのバイトの形、4つの短い行で4行詩なのであるが、バイトという概念からは2バイトの形式と言える。ハーフェズの詩で有名なガザルはこのバイトが5~15くらいからなるもので、行数でいうと10から30ということになる。かといって、ハーフェズが4行詩を書かないわけではない。次の画像は昔私がイスファハンの書店を覗いた時に買い求めたものである。サイズはA3ほど。イランの人たちはこのようなポスター的なものも部屋に飾っているのである。私にとって、これはアラビア書道(ペルシャ書道)のお手本なのである。

 

 

ハーフェズ(その1):ペルシャの詩人

昨年の10月に「ペルシャの詩人たち」というテーマをアップしたことがあった。そこではハーフェズやサアディ、そしてオマル・ハイヤームなどの名前を挙げて紹介した。しかし、その時には彼らの作品を紹介したわけではなく、作品紹介はまたの機会にすると約束していた。そこで今日は、ペルシャの詩人たちの中からハーフェズをテーマとする。ハーフェズ( حاقط )の詩集はغزلهای حاقظ ghazalha-ye-Hafez 、つまり「ハーフェズ抒情詩集」として出版されているように、彼の作品は抒情詩である。同じシーラーズ出身の詩人サアディが実践道徳詩詩を扱うのとは対照的な存在である。ハーフェズは本名をシャムス・ウッディーン・ムハンマドといい、詩人としての号を「ハーフェズ」と称した。ハーフェズとは「コーランの暗記者」を意味する言葉である。余談になるが、2008年日本で公開された「ハーフェズ・ペルシャの詩」というイラン映画をご覧になった方は、主人公がコーランを暗記してハーフェズという称号を得るという筋書きを覚えておいでのことだろう。この映画のヒロインが日本の女優、麻生久美子さんであったことでも話題となった映画であった。また、この映画をみたイラン人が「出演者に日本人がいたらしいが、だれだったのかなあ?」と話していたというのである。つまり、イランの中には色々な人種がいて、日本人のような顔つきの人も珍しくないということを物語っているのだろう。今はどうか知らないが、1970年代のテヘランでは肩に絨毯をかけて売り歩いている人たちがいた。顔つきはモンゴル系で我々と似ていた。トルクマンと呼ばれていた人たちだったが、私も同じように思われていたかもしれない。道を歩いていると、時々道を聞かれることもあった。顔つきだけでは自国民かそうでないかの基準にはならないことも知ったのだった。

話を元に戻そう。ハーフェズは1326年頃にシーラーズで生まれた(異説もあるが1300年代であろう)。イランに観光旅行で出かける日本人の多くはイスファハンとペルセポリスの遺跡に行くことがおおいだろう。シーラーズはこのペルセポリスを訪れる際の拠点となる町である。バラの花が香る美しい町として知られている。この町を愛したハーフェズの詩にはシーラーズが賛美されている。「ガザル」の一節をここに掲げよう。

 楽しきかなシーラーズとその比類なき位置(ありか)
 神よ、都を衰退から護らせ給え
 我らがルクナバードを荒らし給うな
 その澄んだ水はヒズルの齢(よわい)を授ける
 ジャファラーバードとムサッラーの間に
 吹くは竜涎香の香りを放つ北の風
 シーラーズに来たりて聖なる霊(天使)の恵を
 優れたる人びとから求めよ
   (平凡社東洋文庫『ハーフェズ』黒柳恒男訳より)
ヒズルの齢とは永遠の命のこと。聖なる霊(天使)とは大天使ガブリエルのこと。

この一節だけでなく、彼の詩にはシーラーズを愛して止まない心情が豊富に表現されている。そして、ハーフェズはこの町から出ることができなかったと次のように詠う。
نمدهند اجازت مرا به سیر سفر
نسیم باد مصلا و رکناباد
   ムサッラーの微風(そよ風)とルクナバードの流れは
   私に物見遊山の旅の許しを与えない

 

ハーフェズの詩の中で最も知られていると思われる、また私も好きな一つは次の詩である。黒柳恒男先生の訳に基づいて紹介する。

かのシーラーズの美女がわが心を受け入れるなら、
その黒いほくろに私は捧げよう、サマルカンドもブハーラーも
酌人(サーキー)よ、残りの酒をくれ、天国でも得られないのは
ルクナバードの川の岸とムサッラーの花園
ああ、都を騒がす陽気で優美な歌姫(ルーリー)たちは
トルコ人が王者の宴(うたげ)を略奪するようにわが心から忍耐を奪った
恋人の美にわれらの不完全な愛は必要でない
麗しい顔に紅(べに)、白粉(おしろい)、黒子や描き眉がどうして要ろうか
ヨセフの日毎に増す美から私は知る
愛はズライハーを貞節の帳から引き出すと
そなたが罵ろうが私は祝福をささげよう
苦い答えは甘く紅の口紅にふさわしい
恋人よ、忠告に耳を傾けよ、生命にもまして
幸福な若者たちが大切にするのは老いた賢者の金言
楽師と酒について語り、運命の秘密を決して探るな
だれもこの謎を知性で解いたり、解く者はいない
ハーフェズよ、そなたは抒情詩(ガザル)を作り、白珠(しろたま)を綴った、さあ楽しく歌え
そなたの詩に大空は昂星(スバル)の首飾りをささげよう

上の画像はペルシャ語と英語訳である。結構長い詩であるが、私が好きなのは初めの部分である。「シーラーズの美しき乙女がもし、私の思いを受け入れてくれるなら、サマルカンドもブハーラーをも与えよう」という心意気。そして、ここでも前の詩と同様に「ルクナバードとムサッラーの美しさは天国にても求められぬ」と詠んでいる。サマルカンドもブハーラーも現在はウズベキスタンの都市である。長い歴史の中で、特にサーマン朝の時代にはイラン・イスラム文化が栄えたところである。かれこれ10年位まえであったろうか。ウズベキスタンの大統領がイランを訪問したことがあった。そして、挨拶というかスピーチがあった。「・・・・親愛なるイランの国を訪問することを大変うれしく思います。イラン国民の皆さんの歓迎に感謝します・・・」とか儀礼スピーチから始まった後に「でも、かつての詩人が詠ったサマルカンドやブハーラーは私たちにとって非常に大切な町です。どうか持って行かないでください・・・」というような話をしたのでした。それを聞いて、聴衆はどっと笑いと歓声をあげたのでした。イラン人の殆どの人がハーフェズの詩を知っているのです。そして、多くの節を暗記していて、諳んじることができるのです。日常会話の端々にでてくることもあるのです。

ハーフェズの詩は美しい。ここまでだけでは語りつくせない。今回は「ハーフェズ(その1)」として、改めて「ハーフェズ(その2)」の機会を持つこととする。