この画像は集英社文庫・曾野綾子著『アラブのこころ』の表紙である。初版が1979年の発行である。彼女が中東アラブ諸国を旅したときのエッセイである。その中でこう書いている「アラブと付き合うには、IBMがいると教えられたのはエジプトに入って、ほんの数時間目であった」。その説明は以下の通りである。
I・・・・「インシャ・アッラー」ということで「アッラーの神の御意のままに」ということです。
B・・・・「ブクラ」明日という意味でして、当てにならないこと。
M・・・・「マレシ」といって「理のないもの」という意味だが「気にするな」「しょうがないじゃないか」というニュアンスである。
これらの言葉は使いようで非常に便利なのだと体験で知ったことを書いている。
前回のペルシャ語のエイブ・ナドレはMに相当する言葉だと私は感じました。ペルシャはアラブとは違いますが、同じイスラム社会、同じ中東の自然環境の厳しい点では共通しているので、言葉の表現にも相通ずるものがあるのですね。さて、今日のペルシャ語の有用表現はこのIです。曾野綾子さんの著書ではもう少し解説がありますので、その部分を引用させていただきましょう。
パレスチナ人に尋ねた時の話です。
たとえば「明日あなたはピクニックに来ますか?」と訊くと、「インシャ・アッラー」と答える。この言葉の中には、文字通り、アッラーの神様が、自分を行けるようにしてくれたら行くよ、との意味があるのですか。それとも、本当は、初めから行く気は全くないのだけれど、あまりはっきりその場で断ると相手に悪いから「行けたら行くよ」という程度の意味で言っているのですか。「両方です。どちらもありえます」と親切なパレスチナ人は教えてくれた。
「インシャ・アッラーについてはいろんな使い方がありますよ」アラブ人の女性と結婚したある日本人が青年が教えてくれた。「例えば僕が、いま勤め先で「僕は将来、一本立ちしてこういう事業をしようと思う」なんていうでしょ。そうすると、僕くらいの年のアラブ人連中は鼻の先で「シャルラ!」と聞こえるように言うんですよ。口の中では「インシャ・アッラー」と言ってるんだけど、調子が違うから日本語に訳したら、どうなるかな、「やれるものならやってみな」という感じかな。
ところが僕の女房に、「今日は早く帰って、映画に行くと約束したけど、用事ができて、少し遅くなるかも知れない。しかしできるだけ早く戻るからね」と電話すると、彼女「インシャ・アッラー」と心から言いますね。
インシャ・アッラーの少々複雑なニュアンスがよく説明されていると思います。さて、ペルシャ語でも同じでしょうか。ペルシャ語ではこのように書きます。 انشاءالله 発音は辞書ではこう書いてます ensha-allah 。意味は「神のおぼしめしがあれば」「多分」「おそらく」そして次の例文を挙げています。 فرداذ انشاءالله اورا خواهم دید 多分明日私は彼に会うでしょう。確かにこの言葉の裏には「神様の思し召しがあれば」という意味があるのですが、イランでの経験では、この辞書の意味のように「多分」というニュアンスが濃いように思っていました。「明日、一緒に映画に行きましょうか」と言った場合に「エンシャーッラー」と返答された場合はたとえ神の思し召し云々の背景があったとしても行くということの意思を持っています。明日行かないなら「エンシャーッラー」とは言わないものです。軽い気持ちで使われている様子から、皆さんも「多分」という意味の程度で使っていいと思います。ちなみに私の耳には「エンシャーッラー」と聞こえます。
インシャ・アッラーはイスラム世界ならどこでも使われる言葉です。マレーシアに行ったときに高級クラブに連れて行ってもらったことがあります。楽しいお酒を飲んで(そこは飲めました)楽しんだ後、帰る段になるとマレー人のママさんが「また是非お出で下さいね」と言われたので、わたしは「エンシャーッラー」と答えたら、びっくりされて大笑いになった想い出があります。この言葉を覚えておくと必ずいいことに出会いますよ「インシャ・アッラー!」