新シリーズ「オスマン帝国」:⑤ オスマン侯国からオスマン一世へ

前々回までで、ルーム・セルジューク朝まで辿ってきた。この王朝も滅びたのであるが、その当時の周辺の勢力図というか王朝図を一瞥で分かる図を探していたのだが、中々見つからなかった。やっと見つけたのが次の図である。「世界史の歴史マップ」のサイトである。
( https://sekainorekisi.com/glossary/ ) 。ちょっと拝借させていただくことにする。

イスラーム世界の形成と発展

一目瞭然である。エジプト地域にはファーティマ朝 ⇒ アイユーブ朝 ⇒ マムルーク朝と推移している。一方、イラン・イラク方面ではモンゴル系の王朝が立ち並んでいる。そして、アナトリアではルーム・セルジューク朝の後にオスマン帝国が登場するのである。いきなりオスマン帝国が登場したのではない。先ずはオスマン侯国の登場である。

私なりに纏めるならば、トルコ系民族が中央アジアから西に移動してきた。今のイラン、イラク辺りで起こしたのがセルジューク朝である。セルジューク朝ではペルシャ人が登用されており、イラン文化が興隆していた。ここでの言語はペルシャ語が主流であった。トルコ系民族と言ったが、セルジューク朝を興したグループとは別にトゥルクマーンというのもよく耳にするのであるが、セルジューク朝では彼らの扱いが少々厄介(?)だったようでもある。彼らは東ローマ(ビザンツ)帝国との前線であるアナトリアに派遣されていき、ルーム・セルジューク朝のように、そこで地方政権を作っていった。ルーム・セルジューク朝の後の時代のアナトリアの地図が次の図である。

これは前に紹介した講談社「興亡の世界史」シリーズの『オスマン帝国500年の平和』の中の図である。太い点線がイブン・バットゥータが旅したルートである。アナトリアを旅したのは1332年ごろであるらしいが、アナトリア西部にオスマン侯国が描かれている。そして、イブン・バットゥータはオスマン侯国を、この地の最有力者と称しているとのことである。ようやくオスマン帝国への道筋が明らかになってきた。色々調べてみたが、やはりオスマン帝国が起きるあたりのことは詳しくは分からないというのが定説であるようだ。ウィキペディアには次のように記されている。
「オスマン家の起源に関する確実な史料は存在しないが、後世オスマン帝国で信じられた始祖伝説によると、その遠祖はテュルク系遊牧民のオグズ24部族のひとつのカユ部族の長の家系の出自である。イスラム教を受け入れたカユ部族は中央アジアからイランのホラーサーンに移住し、スレイマン・シャーが部族長のとき、おそらくモンゴル帝国の征西を避けてアナトリアに入った。スレイマン・シャーはそこで死に、部族の一部はホラーサーンに帰ったが、スレイマン・シャーの子の一人エルトゥールルは遊牧民400幕を連れてアナトリアに残り、ルーム・セルジューク朝に仕えてアナトリア東北部のソユトの町を中心とする一帯を遊牧地として与えられ、東ローマ帝国に仕えるキリスト教徒と戦った。1280年から1290年の間頃にエルトゥールルは病死し、息子のオスマン(オスマン1世)が後を継ぐ。」

このオスマン一世がオスマン帝国の祖である。
オスマン一世が登場したところで、今日は終わりにしよう。

 

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小川亮作訳『ルバイヤート』108~143「一瞬をいかせ」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第8章「一瞬(ひととき)をいかせ」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

いよいよ最後の章になりました。これまで1章、2章・・・8章と書いてきましたが、この岩波文庫版でそう章立てされているわけではありません。八つのパートに分けられているので、便宜上私が章としただけのことです。

イランで発行されているルバイヤートは数多くあります。イランの有名な作家サーデク・ヘダーヤトが編集したものが手元にあります。改めてそれを見てみるとルバイヤートの解説のあとに、143編の詩があるのですが、それは小川亮作さんが訳されたものと同じ内容でありました。こちらも8つの部分に分けられていて、それぞれに名前が付いています。ヘダーヤト版は岡田恵美子さんの訳で日本でも平凡社ライブラリーから発行されています(冒頭の画像はその表紙です)。それによると、8つのパートは章になっていて、それぞれの名前が以下の通りです。

1.創造、この不可解なもの
2.生きる苦しみ
3.太初からの運命
4、廻(めぐ)る天輪
5.土から土へ
6.なるようになるさ
7、無
8.一瞬を知ろう
それでは最後の章をお楽しみください。

一瞬《ひととき》をいかせ

108
迷いの門から正信までは、ただの一瞬《ひととき》、
懐疑の中から悟りに入るまでもただの一瞬。
かくも尊い一瞬をたのしくしよう、
命の実効《しるし》はわずかにこの一瞬。

109
たのしくすごせ、ただひとときの命を。
一片《ひとかけ》の土塊《つちくれ》もケイコバードやジャムだよ。
世の現象も、人の命も、けっきょく
つかのまの夢よ、錯覚よ、幻よ!

110
大空に月と日が姿を現わしてこのかた
紅《くれない》の美酒《うまざけ》にまさるものはなかった。
腑に落ちないのは酒を売る人々のこと、
このよきものを売って何に替えようとか?

111
月の光に夜は衣の裾《すそ》をからげた。
酒をのむにまさるたのしい瞬間《とき》があろうか?
たのしもう! 何をくよくよ? いつの日か月の光は
墓場の石を一つずつ照らすだろうさ。

112
あすの日が誰にいったい保証出来よう?
哀れな胸を今この時こそたのしくしよう。
月の君*よ、さあ、月の下で酒をのもう、
われらは行くし、月はかぎりなくめぐって来よう!

113
あわれ、人の世の旅隊《キャラヴァン》は過ぎて行くよ。
この一瞬《ひととき》をわがものとしてたのしもうよ。
あしたのことなんか何を心配するのか? 酒姫《サーキイ》よ!
さあ、早く酒盃を持て、今宵《こよい》も過ぎて行くよ!

114
東の空の白むとき何故《なぜ》鶏《にわとり》が
声を上げて騒ぐかを知っているか?
朝の鏡に夜の命のうしろ姿が
映っても知らない君に告げようとさ。

115
夜は明けた、起きようよ、ねえ酒姫《サーキイ》
酒をのみ、琴を弾け、静かに、しずかに!
相宿の客は一人も目がさめぬよう、
立ち去った客もかえって来ぬように!

116
わが心の偶像よ、さあ、朝だ、
酒を持て、琴をつまびき、うたえ歌。
千万のジャムシードやケイホスロウら
夏が来て冬が行くまに土の中!

117
朝の一瞬《ひととき》を紅《くれない》の酒にすごそう、
恥や外聞の醜い殻を石に打とう。
甲斐《かい》のないそらだのみからさっさと手を引き、
丈なす髪と琴の上にその手を置こう。

118
こころよい日和《ひより》、寒くなく、暑くない。
空に雲 花の面の埃《ほこり》を流し、
薔薇《ばら》に浮かれた鶯《うぐいす》はパハラヴイ語で、
酒のめと声ふりしぼることしきり。

119
花のころ、水のほとりの草の上で、
おれの手をとるこの世の天女二、三人。
世の煩《わずら》いも天国ののぞみもよそに、
盃《さかずき》にさても満たそう、朝の酒!

120
はなびらに新春《ノールーズ》の風はたのしく、
草原の花の乙女の顔もたのしく、
過ぎ去ったことを思うのはたのしくない。
過去をすて、今日この日だけすごせ、たのしく。

121
草は生え、花も開いた、酒姫《サーキイ》よ
七、八日地にしくまでにたのしめよ。
酒をのみ、花を手折《たお》れよ、遠慮せば
花も散り、草も枯れよう、早くせよ。

122
新春《ノールーズ》にはチューリップの盃《はい》上げて、
チューリップの乙女《おとめ》の酒に酔え。
どうせいつかは天の車が
土に踏み敷く身と思え。

123
菫《すみれ》は衣を色にそめ、薔薇の袂《たもと》に
そよかぜが妙なる楽を奏でるとき、
もし心ある人ならば、玉の乙女と酒をくみ、
その盃を破るだろうよ、石の面《も》に。

124
さあ、起きて、嘆くなよ、君、行く世の悲しみを。
たのしみのうちにすごそう、一瞬《ひととき》を。
世にたとえ信義というものがあろうとも、
君の番が来るのはいつか判《わか》らぬぞ。

 

125
大空の極《きわみ》はどこにあるのか見えない。
酒をのめ、天《そら》のめぐりは心につらい。
嘆くなよ、お前の番がめぐって来ても、
星の下《もと》誰にも一度はめぐるその盃《はい》。

126
学問のことはすっかりあきらめ、
ひたすらに愛する者の捲毛《まきげ》にすがれ。
日のめぐりがお前の血汐を流さぬまに
お前は盃《はい》に葡萄《ぶどう》の血汐を流せ。

127
人生はその日その夜を嘆きのうちに
すごすような人にはもったいない。
君の器が砕けて土に散らぬまえに、
君は器の酒のめよ、琴のしらべに!

(128)
春が来て、冬がすぎては、いつのまにか
人生の絵巻はむなしくとじてしまった。
酒をのみ、悲しむな。悲しみは心の毒、
それを解く薬は酒と、古人も説いた。

129
お前の名がこの世から消えないうちに
酒をのめ、酒が胸に入れば悲しみは去る。
女神の鬢《びん》の束また束を解きほぐせ、
お前の身が節々《ふしぶし》解けて散らないうちに。

(130)
さあ、一緒にあすの日の悲しみを忘れよう、
ただ一瞬《ひととき》のこの人生をとらえよう。
あしたこの古びた修道院を出て行ったら、
七千年前の旅人と道伴《みちづ》れになろう。

(131)
胸をたたけ、ああ、よるべない大空の下、
酒をのめ、ああ、はかない世の中。
土から生れて土に入るのか、いっそのこと、
土の上でなくて中にあるものと思おう。

132
心はたぎる、早くこの手に酒をくれ!
命、いのち、銀露のようにたばしる!
とらえないと青春の火も水となる。
さあ、早く物にくらんだ目をさませ!

133
酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、
また青春の唯一《ゆいつ》の効果《しるし》だ。
花と酒、君も浮かれる春の季節に、
たのしめ一瞬《ひととき》を、それこそ真の人生だ!

134
酒をのめ、マハムード*の栄華はこれ。
琴をきけ、ダヴィデ*の歌のしらべはこれ。
さきのこと、過ぎたことは、みな忘れよう
今さえたのしければよい――人生の目的はそれ。

135
あしたのことは誰にだってわからない、
あしたのことを考えるのは憂鬱《ゆううつ》なだけ。
気がたしかならこの一瞬《ひととき》を無駄《むだ》にするな、
二度とかえらぬ命、だがもうのこりは少い。

(136)
時のめぐりも酒や酒姫《サーキイ》がなくては無だ、
イラク*の笛も節《ふし》がなくては無だ。
つくずく世のありさまをながめると、
生れた得《とく》はたのしみだけ、そのほかは無だ!

137
いつまで有る無しのわずらいになやんでおれよう?
短い命をたのしむに何をためらう?
酒盃に酒をつげ、この胸に吸い込む息が
出て来るものかどうか、誰に判ろう?

138
仰向《あおむ》けにねて胸に両手を合わさぬうち*、
はこぶなよ、たのしみの足を悲しみへ。
夜のあけぬまに起きてこの世の息を吸え、
夜はくりかえしあけても、息はつづくまい。

139
永遠の命ほしさにむさぼるごとく
冷い土器《かわらけ》に唇《くち》触れてみる。
土器《かわらけ》は唇《くち》かえし、謎《なぞ》の言葉で――
酒をのめ、二度とかえらぬ世の中だと。

140
さあ、ハイヤームよ、酒に酔って、
チューリップのような美女によろこべ。
世の終局は虚無に帰する。
よろこべ、ない筈《はず》のものがあると思って。

141
もうわずらわしい学問はすてよう、
白髪の身のなぐさめに酒をのもう。
つみ重ねて来た七十の齢《よわい》の盃《つき》を
今この瞬間《とき》でなくいつの日にたのしみ得よう?

142
めぐる宇宙は廃物となったわれらの体躯《からだ》、
ジェイホンの流れ*は人々の涙の跡、
地獄というのは甲斐《かい》もない悩みの火で、
極楽はこころよく過ごした一瞬《ひととき》。

143
いつまで一生をうぬぼれておれよう、
有る無しの論議になどふけっておれよう?
酒をのめ、こう悲しみの多い人生は
眠るか酔うかしてすごしたがよかろう!

 

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小川亮作訳『ルバイヤート』101~107「むなしさよ」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第7章「むなしさよ」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

むなしさよ

101
九重の空のひろがりは虚無だ!
地の上の形もすべて虚無だ!
たのしもうよ、生滅の宿にいる身だ、
ああ、一瞬のこの命とて虚無だ!

102
時の中で何を見ようと、何を聞こうと、
また何を言おうと、みんな無駄《むだ》なこと。
野に出でて地平のきわみを駈《か》けめぐろうと、
家にいて想いにふけろうと無駄なこと。

103
世の中が思いのままに動いたとてなんになろう?
命の書を読みつくしたとてなんになろう?
心のままに百年を生きていたとて、
更《さら》に百年を生きていたとてなんになろう?

(104)
地の青馬にうち跨《またが》っている酔漢《よいどれ》を見たか?
邪宗も、イスラム*も、まして信仰や戒律どころか、
神も、真理も、世の中も眼中にないありさま、
二つの世にかけてこれ以上の勇者があったか?

105
戸惑《とまど》うわれらをのせてめぐる宇宙は、
たとえてみれば幻の走馬燈だ。
日の燈火《ともしび》を中にしてめぐるは空の輪台、
われらはその上を走りすぎる影絵だ。

106
ないものにも掌《て》の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないかと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。

107
世に生れて来た効果《しるし》に何があるか?
生きた生命の結果として何が残るか?
饗宴の燭《ともしび》となってもやがて消えはて、
ジャムの酒盃*となってもやがては砕ける。

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小川亮作訳『ルバイヤート』74~100「ままよ、どうあろうと」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第6章「ままよ、どうあろうと」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

この挿絵は㈱マール社発行『ルバイヤート ペルシャで生まれた四行詩集』から拝借いたしました。この本の和訳は竹友藻風によるもので、美しい調べの見事な訳で有名です。フィッツジェラルドの英訳からの重訳でありますが、ペルシャ詩のイメージを伝えている名訳だと思います。

ままよ、どうあろうと

74
マギイ*の酒に酔うたとならば、正《まさ》にそうさ。
異端《いたん》邪教《じゃきょう》の徒というならば、正にそうさ。
しかしわがふるまいを人がどんなにけなしたとて、
われはどうなりもしない、相変らずのものさ。

75
わが宗旨はうんと酒のんでたのしむこと、
わが信条は正信と邪教の争いをはなれること。
久遠の花嫁*に欲しい形見は何かときいたら、
答えて言ったよ――君が心のよろこびをと。

76
身の内に酒がなくては生きておれぬ、
葡萄酒《ぶどうしゅ》なくては身の重さにも堪えられぬ。
酒姫《サーキイ》がもう一杯《いっぱい》と差し出す瞬間の
われは奴隷《どれい》だ、それが忘れられぬ。

77
今宵《こよい》またあの酒壺を取り出してのう、
そこばくの酒に心を富ましめよう。
信仰や理知の束縛《きずな》を解き放ってのう、
葡萄樹の娘*を一夜の妻としよう。

(78)
死んだらおれの屍《しかばね》は野辺《のべ》にすてて、
美酒《うまざけ》を墓場の土にふりそそいで。
白骨が土と化したらその土から
瓦《かわら》を焼いて、あの酒甕《さかがめ》の蓋《ふた》にして。

(79)
死んだら湯灌《ゆかん》は酒でしてくれ、
野の送りにもかけて欲しい美酒《うまざけ》。
もし復活の日ともなり会いたい人は、
酒場の戸口にやって来ておれを待て。

(80)
墓の中から酒の香が立ちのぼるほど、
そして墓場へやって来る酒のみがあっても
その香に酔《よ》い痴《し》れて倒れるほど、
ああ、そんなにも酒をのみたいもの!

81
尊い命の芽を摘みとられる日、
身体の各部がちりぢりに分れる日、
その土でもし壺を焼いたら、さっそく
酒をついでよ、息を吹きかえすに。

(82)
命の幹が根を掘られて、
死の足もとにうなじをたれよう日、
身の土だけは必ず酒の器に焼いてくれ、
しばらくは息をつこう、酒の香に。

(83)
愛《いと》しい友よ、いつかまた相会うことがあってくれ、
酌《く》み交《か》わす酒にはおれを偲《しの》んでくれ。
おれのいた座にもし盃《さかずき》がめぐって来たら、
地に傾けてその酒をおれに注《そそ》いでくれ。

(84)
あのしかつめらしい分別《ふんべつ》のとりことなった
人たちは、あるなしの嘆きの中にむなしく去った。
気をつけて早く、はやく葡萄の古酒を酌《く》め、
愚か者らはまだ熟《う》れぬまに房を摘まれた。

(85)
法官《ムフテイ》よ、マギイの酒にこれほど酔っても
おれの心はなおたしかだよ、君よりも。
君は人の血、おれは葡萄の血汐《ちしお》を吸う、
吸血の罪はどちらか、裁けよ。

(86)
或る淫《たわ》れ女《め》に教長《シャイク》*の言葉――気でも触れたか、
いつもそう違った人となぜ交わるか?
答えに――教長《シャイク》よ、わたしはお言葉のとおりでも、
あなたの口と行《おこな》いは同じでしょうか?

(87)
恋する者と酒のみは地獄に行くと言う、
根も葉もない囈言《たわごと》にしかすぎぬ。
恋する者や酒のみが地獄に落ちたら、
天国は人影もなくさびれよう!

88
天国にはそんなに美しい天女がいるのか?
酒の泉や蜜《みつ》の池があふれてるというのか?
この世の恋と美酒《うまざけ》を選んだわれらに、
天国もやっぱりそんなものにすぎないのか?

(89)
天女のいるコーサル河*のほとりには、
蜜、香乳と、酒があふれているそうな。
だが、おれは今ある酒の一杯を手に選ぶ、
現物はよろずの約にまさるから。

(90)
エデンの園《その》が天女の顔でたのしいなら、
おれの心は葡萄の液でたのしいのだ。
現物をとれ、あの世の約束に手を出すな、
遠くきく太鼓《たいこ》はすべて音がよいのだ。

91
なにびとも楽土や煉獄《れんごく》を見ていない、
あの世から帰ってきたという人はない。
われらのねがいやおそれもそれではなく、
ただこの命――消えて名前しかとどめない!

(92)
おれは天国の住人なのか、それとも
地獄に落ちる身なのか、わからぬ。
草の上の盃と花の乙女と長琴さえあれば、
この現物と引き替えに天国は君にやるよ。

93
この世に永久にとどまるわれらじゃないぞ、
愛《いと》しい人や美酒《うまざけ》をとり上げるとは罪だぞ。
いつまで旧慣にとらわれているのか、賢者よ?
自分が去ってからの世に何の旧慣があろうぞ!

94
はじめから自由意志でここへ来たのでない。
あてどなく立ち去るのも自分の心でない。
酒姫《サーキイ》よ、さあ、早く起きて仕度をなさい、
この世の憂いを生《き》の酒で洗いなさい。

95
バグダード*でも、バルク*でも、命はつきる。
酒が甘かろうと、苦かろうと、盃は満ちる。
たのしむがいい、おれと君と立ち去ってからも、
月は無限に朔望《さくぼう》をかけめぐる!

(96)
選ぶならば、酒場の|舞い男《カランダール》*の道がよい。
酒と楽の音と恋人と、そのほかには何もない!
手には酒盃、肩には瓶子《へいし》ひとすじに
酒をのめ、君、つまらぬことを言わぬがよい。

(97)
酒姫《サーキイ》よ、寄る年の憂いの波にさらわれてしまった、
おれの酔いは程度を越してしまった。
だがつもる齢《よわい》の盃《つき》になお君の酒をよろこぶのは、
頭に霜をいただいても心に春の風が吹くから。

(98)
一壺の紅《あけ》の酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐ糧《かて》さえあれば、
君とともにたとえ荒屋《あばらや》に住まおうとも、
心は王侯《スルタン》の栄華にまさるたのしさ!

99
おれは有と無の現象《あらわれ》を知った。
またかぎりない変転の本質《もと》を知った。
しかもそのさかしさのすべてをさげすむ、
酔いの彼方《かなた》にはそれ以上の境地があった。

100
酒姫《サーキイ》の心づくしでとりとめたおれの命、
今はむなしく創世の論議も解けず、
昨夜の酒も余すところわずかに一杯、
さてあとはいつまでつづく? おれの命!

+1

新シリーズ「オスマン帝国」:④ルーム・セルジューク朝

 

さて、セルジューク朝の次はルーム・セルジューク朝である。大セルジューク朝には数多くの地方政権のようなものがあったとこれまでに述べてきた。ルーム・セルジュークもその一つであった。この王朝の始祖であったスライマーン・ブン・クタルムシュの父クルムタシュはセルジューク朝の創始者トゥグリル・ベクのいとこである。スライマーンは1071年のマンジケルトの戦の後、ニカエアを占領してルームの地に国家を建設したのである。・・・・13世紀に全盛期を迎えたが、カイホスロウ二世の時代にモンゴル軍の侵攻を受ける。1243年にキョセ・ダグの戦に敗れて、1277年以後イルカン国に従属することとなり、以後衰退し14世紀になって滅亡した。

十字軍とセルジューク朝
キリスト教徒の十字軍の遠征の目的はエルサレムの奪還であった。この時のエルサレムを占領したのがセルジューク朝である。キリスト教徒側はエルサレムを占領したセルジューク朝によって巡礼者が迫害されているという理由で十字軍の遠征を始めたのである。

1097年に第一次十字軍がビザンツ軍とともにニカイヤを奪い返すと、ルーム・セルジュークはコンヤまで後退した。その結果、12世紀のアナトリアはルーム・セルジューク朝とトルコ系のダニシュメンド朝、そしてアナトリアの西部でビザンツ帝国の三者に分割された状態であった(冒頭の図は講談社『興亡の世界史「オスマン帝国500年の平和』から引用させていただいた)。その後、ダニシュメンド朝はルーム・セルジューク朝に滅ぼされる。一方でヴェネチアに先導された第四次十字軍がコンスタンティノープルを征服してラテン王国を建てる(1204)事件があり、ビザンツ帝国はニカイヤに亡命国家を作るなど、アナトリアは混沌とした状態となったのである。ルーム・セルジューク朝もその後モンゴルによって滅亡するわけである。

この辺の歴史を今更に読み返してみると複雑極まりない。セルジュークとビザンツの関係も対立一辺倒だったわけではないようである。これらは本題ではないので深入りはしないでおくが、このような状況の中からオスマンが台頭してくることになるのであろう。

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新シリーズ「オスマン帝国」:③ セルジューク朝

前回はトルコ系民族がモンゴル平原の方から西へ移動し、カラハン朝やガズナ朝、さらにセルジューク朝を築いたというところまで辿り着いたのであった。なるほど、オスマン帝国を築いたトルコ系民族が、そのような国を築きながらオスマン帝国の建国に辿り着いたのだなと歴史の大きな流れを理解したのである。でも、まだしっくり納得できない部分があるので、セルジューク朝についてもう少し触れることにしたい。

インターネットの「世界史の窓」で「セルジューク朝」を検索すると以下のように説明されている。

中央アジア起源のトルコ人イスラーム政権。11世紀に大移動を行い、西アジアに入り、1055年にバグダードを占領、ブワイフ朝を倒しカリフからスルタンの称号を与えられる。1071年のマンジケルトの戦いでビザンツ軍を破り、小アジアに進出。小アジアのトルコ化の第一歩となった。その西アジアへの進出は、ヨーロッパのキリスト教世界に大きな脅威を与え、十字軍の発端となった。その後、いくつかの地域政権に分裂、十字軍とモンゴルの侵攻があって、13世紀には消滅した。
セルジューク族はもとはオグズ族といわれるトルコ系民族で、アラル海に注ぐシル川の下流(現在のカザフスタン)にいた。スンナ派イスラームを信奉し、はじめガズナ朝に服していたが、トゥグリル=ベクがニーシャープールで自立し、1038年に建国。セルジュークは一族の伝説的な始祖の名前からきた。

記述の順番が逆ではあるが、1038年にセルジューク朝が建国された経緯は前回の内容と同じである。そして、モンゴルの襲来によって13世紀には崩壊したということである。ではセルジューク朝の領土を図で確かめてみよう。いつものように山川出版社の世界史図録から引用させていただく。
膨大な領土である。最初、ニシャプールで立ち上がったトゥグリル・ベクは1055年にバグダードを占拠して、アッバース朝のカリフからスルタンの称号をえたのである。しかしながら、当時のアッバース朝は衰退期であって、西北イランに成立したシーア派のブワイフ朝がバグダードを占領し、アッバース朝カリフの権威を利用し、「大アミール」と称し、イラク、イランを支配していたのである。つまり、バグダードを支配していたブワイフ朝を打ってバグダードを占拠した功績でスルタンの称号を得たということである。アッバース朝は既に衰退期であったものの、崩壊はしておらず、権威付けのために地方政権が利用するような状態であったようだ。ブワイフ朝はバグダードの支配権を失った後、最後の拠点ファールスも1062年に失って滅亡した。

バグダードは再びスンナ派のセルジューク朝の支配下になった。セルジューク軍の中心はトルコ系の遊牧部隊であった。また、政治や文化を支える官僚として多くのイラン人が登用された。いわゆるイラン=イスラーム文化が開花した。私がこのブログの中で何度も紹介している『ルバイヤート』の作者であるオマル・ハイヤームもこのセルジューク朝時代のイラン(ペルシャ)の詩人である。前回、ガズナ朝のところでも多くのペルシャ詩人が宮廷に出入りしていたとあったように、トルコ系民族の王朝であったが、ペルシャ人、ペルシャ文化との融合が顕著であった。

広大な版図を有したセルジューク朝はセルジューク朝の権威を認める、複数のセルジューク族の地方政権で成り立ち、彼らは自治権を有していたようである。地方政権=小さな王朝を統括したのがセルジューク朝で、それゆえに大セルジュークという呼称があるのであろう。代表的な地方政権がルーム・セルジューク朝であろうし、ほかにはダマスカスのシリア・セルジューク朝、ケルマン・セルジューク朝などがある。

 

セルジューク朝時代の歴史としてビザンツ帝国との戦いを取り上げておこう。

1071年マンジケルトの戦:
セルジューク朝がビザンツ帝国軍を破った戦い。小アジア(アナトリア)のトルコ化の端緒となり、ビザンツ皇帝の十字軍派遣要請の要因となった。マンジケルトはマラズギルドとも言い、アナトリア(小アジア)東部の現在のトルコとシリア、イラク国境のヴァン湖に近いところ。1055年にバグダードに入ったセルジューク朝は、さらに西へと勢力を広げ、第2代スルタンのアルプ=アルスラーンは、ビザンツ帝国領のアナトリア(小アジア)に侵入した。ビザンツ皇帝ロマノス4世は大軍を率いて出兵したが、この戦いでマムルーク兵を主力とするセルジューク軍に惨敗し、皇帝は捕虜となって奴隷の印の耳輪を付けられてスルタンの前に連れて行かれたという。

歴史の常であるが、特にこの時代の王朝というか国の寿命は短かった。セルジューク朝も同様であり、先述の地方政権であったルーム・セルジューク朝が次の主役になってくるのである。

 

 

 

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新シリーズ「オスマン帝国」:②トルコ民族の台頭

前回、宮田律先生の『中東イスラーム民族史』の名前を挙げて終わったのであった。その中公新書の126頁の一部を引用させて頂こう。
トルコ語を話す人々が最初に確認されたのは六世紀のことだった。その活動の地理的範囲は内陸アジアと東ヨーロッパで、内陸アジアでは六世紀半ばに、トルコ語を話す、つまりトルコ系の遊牧部族が台頭する。
この遊牧部族の支配層は、テュルク(突厥・とっけつ)と名乗っていた。540年ごろ、中国の北端に、柔然(じゅうぜん)という遊牧国家が存在し、モンゴリアとその周辺部分を支配していた。テュルクは柔然を滅ぼし、やはりトルコ系の鉄勒(てつろく)諸部族を服従させてモンゴル高原から中央アジアのオアシス地帯までも支配する大帝国を築いた。

ということで、6世紀頃からトルコ語を話す人々の存在が歴史に現れてきているようだ。そして、モンゴル高原から中央アジアのオアシス地帯へと支配を拡げていったのである。いつもお世話になっている山川出版の『世界史図録ヒストリカ』から次の図を引用させていただいた。

 

この図によれば、トルコ系民族は8世紀頃にウィグルのクチャやカシュガルにいたが、その後、西進しカラハン朝、ガズナ朝、セルジューク朝を築いていった。ガズナ朝はその後インドのイスラム化につながっていった。トルコ系民族の王朝を平凡社『新イスラム事典』で見てみることにしよう。

カラハン朝 (840-1212):
中央アジアを支配したトルコ系イスラム王朝。王朝の起源についてはまだ定説がない。ブリツァクの説によると、840年にウイグル王国が崩壊すると、その支配下にあったカルルク部族連合体が独立、チュー河畔のベラサグンを本拠に新王朝を開いたとされる。サトゥク・ボグラ・ハーン(955没)の時代に初めてイスラムを受容し、続くムーサーの時代にあたる960年には20万帳に上る遊牧トルコ人がイスラム化したという。以後の諸ハーンは東トルキスタンのホータン、クチャなどの仏教圏に聖戦を敢行するかたわら、999年にはブハラを占領してサーマン朝を滅ぼし、マー・ワラー・アンナフルのトルコ化を促進した。しかし内部抗争のため、1041/42年にはシル・ダリヤおよびホーカンドを境に東西に分裂した。西カラハン朝は1089年セルジューク朝、1141年カラキタイ朝の宗主権下に入り、1212年ホラズム・シャー朝によって滅ぼされた。一方、東カラハン朝の首都カシュガルでは、最古のトルコ・イスラム文学作品『クタドグ・ビリク』が著される(1069/70)など、新たなトルコ・イスラム文化の萌芽がみられたが、1089年にはセルジューク朝、1132年にはカラキタイ朝の支配下に入り、1211年ナイマンのクチュルクによって滅ぼされた。

ガズナ朝 (977-1186):
アフガニスタンに興ったトルコ系イスラム王朝。サーマン朝のトルコ人マムルーク、アルプティギーンは逃亡してアフガニスタンのガズナの実質的な支配者とない、以後マムルークたちが次々に権力を握った。サブクティギーン以降は世襲となり、インドへの侵入を開始、その子マフムードは遠くソムナートまで遠征してヒンドゥー教寺院を破壊し、イスラムの擁護者としての名声を得るとともに、多数の略奪品を得た。彼の時代が最盛期で、その版図は、イラン中央部からホラズム、パンジャーブにまで達した。軍隊の中核はトルコ人などのマムルークによって占められ、官僚にはイラン人が用いられた。公用語は主としてペルシャ語で、多数のペルシャ詩人が宮廷に出入りしたが、インド遠征に同行して記録を残したビールーニーのように、アラビア語で著作を行う学者もあった。第五代のマスウード時代には、セルジューク朝によってホラズム、ホラーサーンを失い、12世紀にはセルジューク朝のサンジャルに服属して貢納を行うようになった。同世紀の中ごろにはゴール朝にガズナを奪われ、最後はラホールで滅亡した。

セルジューク朝(1038-1194):
トルコ系の王朝。トゥルクマーンの族長セルジュークは、カスピ海、アラル海の北方方面より10世紀末にシル・ダリヤ河口のジャンドへ移住してムスリムとなり、ガージーを集めて勢力をなした。その子イスラーイールは、サーマン朝、次いでカラハン朝、ガズナ朝と同盟して力を伸ばした。その甥のトゥグリル・ベク、チャグリ・ベクらは、1038年ニシャプールに無血入城し、40年にはダンダーナカーンの戦でガズナ朝軍を破り、ホラーサーンの支配権を手中に入れた。55年にトゥグリル・ベクはバグダードに入り、アッバース朝カリフより史上初めてスルタンの称号を公式に受け、当方イスラム世界における支配者として公認された。・・・

セルジューク朝の記述はまだまだ続くのであるが、トゥグリル・ベクがスルタンの称号を得たということで、セルジューク朝は大きな王朝になるので、これについては改めて取り上げるほうが妥当であろう。
セルジューク朝が台頭してきたところで、トルコ系民族がオスマン帝国を築くに至った民族の大きな流れが掴めたようである。

 

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新シリーズ「オスマン帝国」:①「オスマン・トルコ」という呼び方

このブログの最初は歴史から始まった。その過程の中でオスマン帝国も登場したのであるが、このブログの表示履歴を見ると、オスマン帝国の表示が意外に多い。日本人のトルコに対するイメージは「アジアの中の一員でありながら、西洋との接点の国であり、どこかエキゾチックな国」というようなものではないだろうか。トルコへの観光客も多いと聞いている。私も随分前に行ったことがあるが、やはりイスラム建築の美しいモスクなどが魅力的であった。ということで、トルコ、オスマン帝国について、今度は少し細かく辿ってみようと思うのである。勿論いつものように、ペルシャの詩、ペルシャ語講座など、あちらこちらに寄り道をしながらのことではあるが。

「オスマン帝国」と「オスマン・トルコ」

今では「オスマン帝国」という呼び方が定着しているように思うが、私が高校生だった当時は「オスマン・トルコ」や「オスマン・トルコ帝国」という呼び方が一般的であった。私は世界史の教科を選択したので、『世界史辞典』を手元に置いていた。受験参考書の出版社「数研出版」の発行である。それは今現在も手の届くところに置いてある。その時点の項目は「オスマン・トルコ帝国」となっている。その説明文は以下の通りである。

13世紀末、オスマン=ベイ(オスマン1世、1258~1326)が小アジアを中心に建てたオスマン=トルコ族のイスラム国家。オットマン帝国ともいう。その後バルカンに進出し、1453年コンスタンティンープルを陥れて東ローマ帝国を滅ぼし、アジア・ヨーロッパ・アフリカ3大陸にまたがる大国となった。1517年セリム1世のとき、アッバース朝の子孫からカリフの尊号を譲られ、ついで16世紀、スレイマン1世時代に国力の極盛期を現出、その後17世紀後半に至って衰微オーストリア・露の侵略を受けた。19世紀に入ると領内に多くの民族国家が独立し、さらに第一次大戦に独側に参加して失敗したので1922年、ケマル=アタチュルクはスルタン制を廃して帝国を滅ぼし、翌年トルコ共和国を建てた。

文中にある「オットマン帝国」は英語の「Ottoman Empire」のことであり、「オスマン帝国」のことを英語ではこう呼ぶのである。オスマンとはOttoman(オットマン)であることが分かる。

やはり、高校から大学生の頃であるが、私は大阪外国語大学の学生であり、言葉に対する興味・関心は強い方だった。自分の話す日本語は紀州の田舎弁であったため、言葉遣いやイントネーションには少々劣等感を持っていたが、クラスメートが「お前の言葉には古い日本の言葉が残っているようだ」と言ってくれたことから、むしろ誇りに思うようになった。横道に逸れたが、その頃の私はトルコ語も日本語もウラルアルタイ語族に分類されるので語学的には近い関係にあると認識していた覚えがある。でも、今はそんなことは言われていないようである。こう書いたのであるが、あまり信ぴょう性のないことを書いてもいけないので、ちょっとウィキペディアを開いてみると、今ではウラル語とアルタイ語とに分かれているようである。また、トルコ語がウラル・アルタイ語族であったというのは仮設であったようで、その後、その仮説は否定されているようである。そしてなによりも、トルコ語はチュルク諸語、トルコ諸語というようなグループ分けに入り、そこにはアゼルバイジャン語、トルクメン語、キルギス語、カザフ語、ウズベク語、ウイグル語、タタール語、サハ語(ヤクート語)などが挙げられていた。つまり、私は学生時代の仮説を今までずーと思い続けていたようである。常に勉強しておかないといけないということが分かった。

他にもトルコ人には我々と同じように赤ちゃんのお尻に蒙古斑ができるとも聞いていた。これなども正しくはないのかも知れないなと不安がよぎるのである。でも人種的にはアジアの方から移動していったという説があるようだから、トルコ人の人種について、次は調べて書いてみよう。今日は取り留めのない話になってしまったが、今入力しているパソコンの傍には宮田律先生の『中東イスラーム民族史』が置いてある。きっと、トルコ民族の答を見ることができるであろう。

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小川亮作訳『ルバイヤート』57~73「無常の車」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第5章「無上の車」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

 

無常の車

57
君も、われも、やがて身と魂が分れよう。
塚《つか》の上には一|基《もと》ずつの瓦《かわら》が立とう。
そしてまたわれらの骨が朽《く》ちたころ、
その土で新しい塚の瓦が焼かれよう。

(58)

地の表にある一塊の土だっても、
かつては輝く日の面《おも》、星の額《ひたい》であったろう。
袖《そで》の上の埃《ほこり》を払うにも静かにしよう、
それとても花の乙女《おとめ》の変え姿よ。

59

人情《こころ》知る老人よ、早く行って、
土ふるいの小童の手を戒めてやれ、
パルヴィーズ*の目やケイコバード*の頭を
なぜああ手あらにふるうのかえ!

60

朝風に薔薇《ばら》の蕾《つぼみ》はほころび、
鶯《うぐいす》も花の色香に酔《よ》い心地《ごこち》。
お前もしばしその下蔭で憩えよ。
そら、花は土から咲いて土に散る。

61

雲は垂れて草の葉末に涙ふる、
花の酒がなくてどうして生きておれる?
今日わが目をなぐさめるあの若草が
明日はまたわが身に生えて誰が見る?

62

新春《ノールーズ》* 雲はチューリップの面に涙、
さあ、早く盃《さかずき》に酒をついでのまぬか。
いま君の目をたのします青草が
明日はまた君のなきがらからも生えるさ。

 

63

川の岸べに生え出《い》でたあの草の葉は
美女の唇《くちびる》から芽を吹いた溜《た》め息《いき》か。
一茎《ひとくき》の草でも蔑《さげす》んで踏んではならぬ、
そのかみの乙女の身から咲いた花。

64

酒のもう、天日はわれらを滅ぼす、
君やわれの魂を奪う。
草の上に坐《すわ》って耀《かがよ》う酒をのもう、
どうせ土になったらあまたの草が生える!

(65)

ありし日の宮居《みやい》の場所で或《あ》る男が、
土を両足で踏みつけた。
土は声なき声上げて男に言った――
待てよ、お前も踏まれるのさ!

66

よき人よ、盃と酒壺《さかつぼ》を持って来い、
水のほとりの青草の茂みのあたり。
そら、めぐる車*は月の面《おも》、花の姿を
くりかえし盃にしたり、また壺にしたり。

67

昨夜酔うての仕業《しわざ》だったが、
石の面《も》に素焼の壺を投げつけた。
壺は無言の言葉で行った――
お前もそんなにされるのだ!

68

なんでけがれ*がある、この酒甕《さけがめ》に?
盃にうつしてのんで、おれにもよこせ、
さあ、若人よ、この旅路のはてで
われわれが酒甕とならないうちに。

(69)

昨日壺をつくる所へ立ちよったら、
壺つくりは土をこねてしきりに腕をふるっていた。
盲の人は気もつかなかったろう、しかし
その手の中におれは亡《な》き人の土を見た。

(70)

壺つくりよ、心あるならその手を休めよ、
尊い土に無礼なことはやめよ!
ファレイドゥーン*の指やケイホスロウ*の掌《てのひら》を
ろくろに取ってどうしようてんだよ?

71

壺つくりの仕事場へ来て見れば、
壺つくり朗らかにろくろをまわしては、
みかどの首もこじきの足もごっちゃに、
手に取ってつくるは壺の首と足だ。

72

この壺も、おれと同じ、人を恋《こ》う嘆きの姿、
黒髪に身を捕われの境涯か。
この壺に手がある、これこそはいつの日か
よき人の肩にかかった腕なのだ。

73

壺つくりの仕事場に昨日《きのう》よって見ると、
千も二千もの土器《かわらけ》がならべてあったよ。
そのおのおのが声なき言葉でおれにきくよう――
壺つくり、売り手、買い手は誰なのかと。

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小川亮作訳『ルバイヤート』35~56「万物流転」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第4章「万物流転(ばんぶつるてん)」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

万物流転《ばんぶつるてん》

35

若き日の絵巻は早も閉じてしまった、
命の春はいつのまにか暮れてしまった。
青春という命の季節は、いつ来て
いつ去るともなしに、過ぎてしまった。

36

ああ、掌中《しょうちゅう》の珠《たま》も砕けて散ったか。
血まみれの肺腑《はいふ》は落ちた、死魔の足下。
あの世から帰った人はなし、きく由《よし》もない――
世の旅人はどこへ行ったか、どうなったか?

37

幼い頃には師について学んだもの、
長じては自ら学識を誇ったもの。
だが今にして胸に宿る辞世の言葉は――
水のごとくも来たり、風のごとくも去る身よ!

38

同心の友はみな別れて去った、
死の枕べにつぎつぎ倒れていった。
命の宴《うたげ》に酒盛りをしていたが、
ひと足さきに酔魔のとりことなった。

39

天輪よ、滅亡はお前の憎しみ、
無情はお前 日頃《ひごろ》のつとめ。
地軸よ、地軸よ、お前のふところの中にこそは
かぎりなくも秘められている尊い宝*!

40

日のめぐりは博士の思いどおりにならない、
天宮など七つとも八つとも数えるがいい。
どうせ死ぬ命だし、一切の望みは失せる、
塚蟻《つかあり》にでも野の狼《おおかみ》にでも食われるがいい。

41

一滴の水だったものは海に注ぐ。
一握の塵《ちり》だったものは土にかえる。
この世に来てまた立ち去るお前の姿は
一匹の蠅《はえ》――風とともに来て風とともに去る。

(42)

この幻の影が何であるかと言ったっても、
真相をそう簡単にはつくされぬ。
水面に現われた泡沫《ほうまつ》のような形相は、
やがてまた水底へ行方《ゆくえ》も知れず没する。

43

知は酒盃《しゅはい》をほめたたえてやまず、
愛は百度もその額《ひたい》に口づける。
だのに無情の陶器師《すえし》は自らの手で焼いた
妙《たえ》なる器を再び地上に投げつける。

44

せっかく立派な形に出来た酒盃なら、
毀《こわ》すのをどこの酒のみが承知するものか?
形よい掌《て》をつくってはまた毀すのは
誰のご機嫌《きげん》とりで誰への嫉妬《しっと》やら?

45

時はお前のため花の装《よそお》いをこらしているのに、
道学者などの言うことなどに耳を傾けるものでない。
この野辺《のべ》を人はかぎりなく通って行く、
摘むべき花は早く摘むがよい、身を摘まれぬうちに。

46

この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
帰って来て謎《なぞ》をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。

47

酒をのめ、土の下には友もなく、またつれもない、
眠るばかりで、そこに一滴の酒もない。
気をつけて、気をつけて、この秘密 人には言うな――
チューリップひとたび萎《しぼ》めば開かない。

(48)

われは酒屋に一人の翁《おきな》を見た。
先客の噂《うわさ》をたずねたら彼は言った――
酒をのめ、みんな行ったきりで、
一人として帰っては来なかった。

49

幾山川を越えて来たこの旅路であった、
どこの地平のはてまでもめぐりめぐった。
だが、向うから誰一人来るのに会わず、
道はただ行く道、帰る旅人を見なかった。

50

われらは人形で人形使いは天さ。
それは比喩《ひゆ》ではなくて現実なんだ。
この席で一くさり演技《わざ》をすませば、
一つずつ無の手筥《てばこ》に入れられるのさ。

51

われらの後にも世は永遠につづくよ、ああ!
われらは影も形もなく消えるよ、ああ!
来なかったとてなんの不足があろう?
行くからとてなんの変りもないよ、ああ!

52

土の褥《しとね》の上に横《よこた》わっている者、
大地の底にかくれて見えない者。
虚無の荒野をそぞろ見わたせば、
そこにはまだ来ない者と行った者だけだよ。

53

人呼んで世界と言う古びた宿場は、
昼と夜との二色の休み場所だ。
ジャムシード*らの後裔《こうえい》はうたげに興じ、
バラーム*らはまた墓に眠るのだ。

54

バラームが酒盃を手にした宮居《みやい》は
狐《きつね》の巣、鹿《しか》のすみかとなりはてた。
命のかぎり野驢を射たバラームも、
野驢に踏みしだかれる身とはてた。

55

廃墟と化した城壁に烏《からす》がとまり、
爪の間にケイカーウス*の頭《こうべ》をはさみ、
ああ、ああと、声ひとしきり上げてなく――
鈴の音*も、太鼓《たいこ》のひびきも、今はどこに?

56

天に聳《そび》えて宮殿は立っていた。
ああ、そのむかし帝王が出御《しゅつぎょ》の玉座、
名残りの円蓋《えんがい》で数珠《じゅず》かけ鳩《ばと》が、
何処《クークー》、何処《クークー》とばかり啼《な》いていた。

 

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