モスクを知る❸:モスクの分類

前回、モスクの形というタイトルで書いたのであった。が、それは基本的なことだけであった。もっと総合的に言及しなければモスクを知ることにはならないだろうと思う。というのはモスクと言っても地域によってかなり違ったものがあるからである。それらをどうまとめればいいのだろうか。モスクを分類するとどうなるのだろうか?インターネットで「モスクの分類」と検索すると神谷武夫氏のサイトに出会った(http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/1_primer/types/types.htm)。
神谷さんは建築家である。世界各地を旅して、インドやイスラム、ロマネスクの建築文化を研究している方である。
彼によれば、モスク建築の分類法としては ① 材料別 ② 機能別 ③ 構成別 という方法が考えられるとしている。

①材料による分類:
やはり建築家らしいと思った。私はアラブの一般的なモスクとイランのモスクは正面から見た形が異なると思っていたので、分類となるとまずは外観だろうと考えていたのである。しかし、建築家は建築に使用する資材から分類している。地域によって、利用できる資材が異なるであろう。従って、モスクを建築するについても、現地で容易に手に入るものを利用するのだと。もっともな話だ。
の分類によれば『「土のモスク」、「レンガのモスク」、「木のモスク」、「石のモスク」に大別される。現代では 鉄筋コンクリートのモスク、鉄とガラスのモスク、空気膜構造の 布のモスク、さらには プラスチックのモスクさえも考えられるが、ここでは伝統的な材料のみを考えることにする。』とある。イスラム建築、イスラムのモスクというと第一にレンガ造りをイメージする。そして、雨の降らない地域では泥を固めた土壁など、土を利用するのもある。私自身は木のモスクをイメージしたことはないが、山岳地方で木材が採れる地域ではモスクも木で造られるのである。そのような説明とともに、それぞれのモスクの画像も紹介されている。是非とも上述した神谷氏のサイトにアクセスして読んでもらいたい。

②機能別:第2の「機能別」というのは、そこで行われる礼拝が 個人用なのか、集団礼拝用なのか、葬祭用なのか、年に2度の大祭用なのか といった、規模と目的による種類分けである。このように記されているのだが、私には少しピンと来ない。集団礼拝が行われる大きなモスクと、そうではない比較的小さなモスク程度にしておきたい。あちこちに「金曜日のモスク」と呼ばれるものがあるが、それらは前者になるのだろう。

③構成別:この項は、神谷氏のブログの説明をそのままお借りしてここに張り付けておく。第3の「構成別」というのは、プランおよび空間構成による「型」の分類である。単室型と中庭型の違いは すでに見たので、歴史上で広く行われたモスク形式の 典型を求めると、「アラブ型」、「ペルシア型」、「トルコ型」、「インド型」の4つがある。最初のアラブ型は、アラビア語と同じように イスラーム圏全体で行われた建築形式であり、モスクの基本形となった。
モスクの代表的な 4つのタイプ
 アッバース朝が弱体化すると、各地が政治的に独立するとともに イスラーム以前からの文明を受けついだ独自の建築文化を発展させる。とりわけ 近世(16~17世紀)に イスラーム圏を分割するかのごとくに鼎立した3つの大帝国は、それぞれに 特徴的なモスク形式を確立することになる。すなわち ペルシアのサファヴィー朝、トルコのオスマン朝、インドのムガル朝である。それぞれの帝国は大規模なモスクを各地に建てたし、近隣諸国にも そのスタイルを普及させたので、ペルシア型、トルコ型、インド型のモスクが、アラブ型と並ぶ モスク建築の典型になったのである。以下に、それぞれの特徴を 詳しく見ていくことにしよう。とあるのである。しかしながらその説明を全てここに張り付けることはエチケットに反すると思うので、皆さんが各自、そのサイトにアクセスして勉強してもらうことにしよう。そのうえで、後日、私の目で見たアラブ型とペルシア型の比較でもやることにしようと思う。

モスクを知る❷:モスクの形

イスファハンで写したモスク

前回に続いて「モスク」です。今回はモスクの形?をテーマにしましょう。多くの方はモスクのイメージを抱いていることでしょう。ドームの天井をもった建物があり、周囲にミナレットと呼ばれる尖塔がある。ドームと尖塔、これだけでモスクの画像が十分に浮かんできますね。大和書房発行・山内昌之監修『イスラーム基本練習帳』51頁の図を引用してみましょう。

言うまでもなく図は一例であって、全てのモスクがこのようではない。先ずはミナレットである。高い塔であり、人が登ってここから礼拝の呼びかけ(アザーン)をする場所である。モスクの近くの宿に泊まると、早朝にアザーンの大きな声に目が覚めることも多い。今では塔の上にスピーカーを備え付けて、大音量で流すところが多い。でも地方の田舎の風景のなかで遠くから聞こえるアザーンは何とも言えぬ心地いい気持ちになる。

図は次にミーダーア(清めの水場)を紹介している。形は様々である。小学校の水飲み場のように蛇口が複数個並んでいるものもあれば、大きな池があったりもする。祈りの前には必ず身を浄めなければならない。

一番重要なのが図の下の方の「ミフラーブ」である。イスラム教徒のお祈りは、モスク以外の外でも、あるいは世界中どこにいてもメッカの方角を向いて行わなければならない。その方角を「キブラ」という。ミフラーブはモスクの建物のなかのメッカの方角にあたる部分の壁にくぼみを造って、装飾している。その隣に「ミンバル(説教壇)」がある。人々はミフラーブに向い、その人々に向って導師がミンバルから語り掛けるのである。

日本人が観光ツアーでイスラム世界に行くと、モスクを訪れることもあるだろう。個人で行く場合も美しいモスクは是非とも見てもらいたい。トルコのアヤソフアやブルーモスクのように世界中から観光客が押よせるモスクも、それはそれで素晴らしいものではある。しかしながら、ガイドブックに載っていないような小さなモスクに出会ったなら、そんなモスクにも入って見てほしい。本来の静かな祈りの場である。地元の人々や子供がのんびり遊んでいる風景がある。癒される風景である。次の写真はイスファハンの中で見つけた質素なモスクで写したものである。お気に入りの一枚である。

 

モスクを知る:モスクとは

このブログを始めてから、丸3年が経過しました。最初は中東の歴史から始めました。時の流れに従って、当然、イスラムが誕生して拡大していった歴史なども書きましたね。その後、少々、散漫になり、あれこれ雑多な内容になったような気もします。「石油のこと」「イスラムを知る」「コーランについて」「オスマン帝国について」などは、まだまだ終わってはいません。そんな状態で今、今年は何を中心に書こうかなという思いでして、その結果「モスク」から始めることにしました。自分の知らないことが沢山あるので、調べながらボチボチ書き進めて行きますので、よろしくお願いします。
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❶モスクとは:
簡単に言うと「礼拝所」「礼拝堂」などと和訳されるとおり、イスラム教徒が礼拝を行う場です。日本ではモスクと訳されています。アラビア語ではマスジドです。ペルシア語のイランでは、私の耳にはマスジェッドと聞こえました。トルコ語では?思い、グーグル翻訳をみてみると cami でした。読み方はカミではなくて多分ジャミと言うんでしょう。思い出したのです。東京にあるモスクが東京ジャーミーと呼ばれていることを。それでは日本のモスクという言葉はどこから来たのでしょうか。それは英語です。英語のmosqueをそのままカタカナで使っています。では mosque はどこからかというと、次の通りです。イスラムがスペインに伝わった歴史がありますね。その時にアラビア語の masjid がスペイン語では mezquita メスキータになり、それが英語ではさらに変化して mosque となったのでした。

❷イスラム初期のモスク:
イスラムの創始者であるムハンマドが、ヒジュラ(聖遷)のあと、メディナで家を建てたが、その中庭がイスラム最初のモスクとされているそうです。そこは現在の「預言者のモスク」の場所なのです。
預言者のモスクの無料イラスト素材

イスラムが勢力を拡大していきました。正統カリフ時代のあとにウマイヤ朝 (601-750) が起こりました。ダマスクスでは聖ヨハネ教会の東半分が接収されてモスクになりました。706年にはワリード1世が西半分も買収してモスクが大きくなりました。これがウマイヤ・モスクです。これが現存する最古のモスクと言われているのです。画像をお見せしたいのですが、著作権があるので控えます。

モスクの外壁やアーケードを飾っている建物や樹木などの華麗なモザイクがこのモスクの名を高めているそうです。 

ナスレッディン・ホジャ

2022年も早や10日になりました。日本でもオミクロン株の侵入と共に感染者数がうなぎ登りに増えています。海外では爆発的な増加が止まらずに、先日のアメリカでは一日に110万人という驚くべき実態が報じられていました。そんな中ですが、いやそんな中だからこそ、今日はホジャを紹介して、日々の緊張を和らげたいと思います。ホジャを描いた17世紀のミニアチュール(トプカプ宮殿所蔵)

上の画像はウイキペディアに掲載されているもので、ホジャについては次のように説明している。「ナスレッディン・ホジャ(Nasreddin Hoca)は、トルコ民話の登場人物。トルコ人の間で語り継がれる頓智話、小話の主人公であり、神話・伝説に現れるトリックスターの一人に挙げられる。ホジャの小話を集めた行状記はトルコのイソップ童話とも言われ、トルコ文学史上重要な作品の一つに数えられている。しかし、ホジャが実在の人物であるか、実在したとしてもいつの時代の人物であったかは明確ではない。

頓智話、小話であると説明されている。私は「笑い話」と捉えている。実際にホジャの物語の本を手にした最初はイランでペルシア語のものであった。優しい内容なのでペルシア語初心者でも楽しく理解できるものだった。日本語版は平凡社から『ナスレッディン・ホジャ物語ートルコの知恵話』というタイトルで出版されている。定価2500円(税込み2750円)とちょっとお高い。その中からいくつかを抜き出してみることにしよう。

ホジャが家の中で、指輪を失うたげな。探したげな。探したげな。見つからなんだげな。今度は、戸口の前へでて、そこを探しはじめたげな。隣の衆が見て、訊いたげな。
ホジャどん、何を探してなさる?
自分の指輪を無うしたんじゃ。それを探しとるんですわい。
どこで落としなさった?その指輪を?
家ん中で。
なら、何で、家ん中を探しなさらん?
ホジャはこう答えたげな。
中はひどう暗うてなあ。じゃで、ここを探してますわい。

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集まって喋ってるところで、アラビアからやって来たばかりの男が、彼地はどえろう暑いんで、人々は皆、真裸で歩き廻っとる。と話してたげな。
その場に居たホジャは、すかさず、口を挟んで、
へえぇ、ならば、そこじゃぁ、女と男とが、どうして見分けられるんじゃろかい?

他愛ないと言えばそうかも知れないが、このような話がこれでもか!というくらい沢山でてくるのである。面白いです。

数年前に私がアラビア書道の作品展に出品したものですが、文章はペルシア語の諺です。 یاسین بگوش خر خواندن  というのは直訳すると、「ヤースィンをロバの耳に」で、ヤースィンはコーランの中の一章の名前なので「コーランの一章をロバの耳に」ということ。つまり日本での「馬の耳に念仏」と同じ。それはそれでいいのですが、作品左上の挿絵がペルシア語版ホジャの本に載っていた挿絵を参考にして描いたものです。ユーモラスに書けたと思っています。

ロバにコーランを読んでやっているのがホジャというわけです。

2022年正月スタート

早いもので2022年の新年も4日になりました。コロナのせいで帰省できなかった子供・孫たちも2年ぶりに年末から帰ってきました。ところで西暦の1月1日が正月で、お祝いをするというのは世界中が同じというわけではありません。ご存知のように中国では春節といって2022年の場合2月1日から始まります。つまり旧暦でお祝いするのです。さて、中東ではどうでしょうか。イスラム世界ではイスラム暦の1月の1日はなんのお祝いもしません。ただ年が変わるだけです。お祝いするのは断食明とかなどの宗教上の大切な日です。イスラム国といってもイランの場合は異なります。イランには独自の暦があります。イスラム暦の紀元と同じなのですが、イスラム暦に太陰暦に対して、イラン暦は3月の春分の日を始まりとした太陽暦なのです。従って、月と季節が一致しています。イラン暦の正月はノウルーズと呼ばれて、盛大にお祝いします。春分の日が来て、これまでの冬の寒さから解放されて、草や木の芽が膨らむ季節は正月に相応しいものです。正月のお供えも7S(ハフト・シン)Sから始まる7つのものを飾ります。例えばニンニクなど。ノウルーズはイスラム以前のゾロアスター教の名残というか風習が引き継がれてきたものでしょう。イラン以外でもノウルーズの正月を祝う地域はあるようです。

簡単ですが新年の挨拶にさせていただきます。