ペルシャ語講座4:挨拶の会話

今回は「挨拶」にしましょう。ペルシャ語の挨拶の前に先ずはイランもイスラム社会ですから、イスラム圏共通の挨拶がありますね。皆さんご存知の「サラーム」です。「平和」だとか「平穏」というような意味です。アラビア語では定冠詞のalアルがつくので「アッサラーム」となりますが、イランのペルシャ語では単に「サラーム」でいいです。アラビア語では「アッサラーム アレイコム」とも言いますが、ペルシャ語では「サラーム アレイコン」。勿論、アラビア語のようにアッを付けて言っても構いません。この挨拶に対する返事はアラビア語の場合「アッレイコム アッサラーム」ですが、ペルシャ語では返事も「サラーム」または「サラーム アレイコム」とそのまま返すのが一般的かと思います。それでは以下にペルシャ語の日常的な挨拶を紹介しましょう。

  • おはよう   ソブ・ベイル   sobh bekheir
  • ソブは朝。ベヘイルはgood。ですからソブ・ベヘイルは文字通りgood morningです。
  • こんにちは  ルーズ・ベイル  ru-zu bekheir
  • ルーズはdayですから、good dayという意味です。
  • こんばんは  シャブ・ベイル  shab bekheir
  • シャブは夜ですから、good eveningと同じです。
  • さようなら  ダー・ーフェズ  khoda- khafez
  • ホダーは神様。意味は「神様のお加護を!」がさようならの言葉です。
  • 発音で注意するのはカタカナではハヒフヘホの部分ですが、ローマ字ではkha khi khu khe khoとkが付いている部分です。ペルシャ語では خ という文字を使います。上に点が一つ付いています。これは喉の奥を擦って音を出します。点が付いてなければ喉の奥を擦らずに普通にハヒフヘホの音で結構です。この喉の奥を擦る音がペルシャ語を学習し始めた時の最初の難関ですが、すぐになれます。この音はアラビア語も同様ですペルシャ語で発音の難しいのはこれ位でして、アラビア語に較べるとかなり易しいと思います。

次の挨拶は英語でいうと「how are you」です。ペルシャ語は「ハーレ・ショマー・チェトウル・アスト」「ha-l-e shoma- chetour ast」ショマーは既に習った「あなた」です。状態という意味のhalの前にショマーがついて「あなたの状態は(調子)は」となりますが、単語をつなげる場合にエザフェというのですが単語と単語の間に-e-を入れます。hal-e-shomaとなるのです。私の本という場合は ketab-e-man。 あなたの家=khane-ye-shomaとなります。eとかyeを記しましたが、実際には何も書きません。チェトウル=howという意味です。いかが? どう?という意味になります。最後のアストは既に習ったbe動詞ですね。「ハーレ・ショマー・チェトウル・アスト」ですが、チェトウルの部分をkhub = good として調子はいいですか?ということも一般的です。親しい間柄なら、もっとくだけて چطوری チェトウrーイ だけで十分です。答えはまずは「ありがとう」「メルシー」「モテシャッケラム」と言ってから、正式にはhal-e-man khub astですが。普通はkhub-amで十分です。khubはグッド。アムは1人称のbe動詞。I am goodな状態となります。そして、今度は相手に「あなたはいかが?」と問い返すことになりますね。簡単に「あなたは?」だけなら「ショマー?」と語尾を上げればいいですね。日本人なら挨拶はさっと済ませたいところですが、イラン人はそうはいきません。あなたの調子はどうかと尋ねた後は、あなたの家族はどうか?ご両親はどうか?と延々と挨拶が続くのが普通です。

日本でも初めて会ったりしたり、長年会いたかった人に会った時などは「お目に書かれて嬉しいです」というような言い方もあります。ペルシャ語では「アズ ディダーレ・ショマー kホシュハールショダム」となります。ディダールがお目にかかるでして、あなたにですから先ほど説明したエザフェがついてディダーレ・ショマーとなっています。kホシュハールの部分がkホシュヴァクタムともいうかな。

長い間会ってなかったときは「kheili vaqt nadidamet」文字どおり非常に長い間あなたを見なかったと言います。名古屋では「やっとかめだなも」といいます。ヤットカメとは80日とかの意味らしいです。80日ほどぶりの久しぶりですな、という意味とか。今日はここまでだなも???

追加:冒頭に私が昔使っていた「ペルシャ語の慣用句」の参考書の一頁です。この中から一つ紹介しましょう。Life is too shortという英文の部分です。ドンヤー ドウ ルーズ アスト(ast) . دنیا دو روز اسث  ドンヤーというのは「世界」「現世」ひいては人生などの意味。現世はたったの二日! 日本の光陰矢の如し的な意味。だから人生を謳歌しようぜというニュアンスです。実際、若いときに自分でも使った覚えがあります。会話だったので、最後のアストはeエに変えました。ドンヤー ドウ ルーゼ (ru-z-e)と。

キーワード:ペルシャ語の挨拶

+2

シバの女王のイエメンとは

先月、サウジアラビアの石油基地が何者かにドローンによって攻撃された事件が起きた。サウジと米国はイランの仕業であると主張し、その後イギリスやフランスもイランによる犯行であると断定した。一方でイエメンのアンサール・アッラーは事件後に犯行声明を発してもいるのである。アラブの春が吹き荒れた約10年前の時にチュニジア、リビア、エジプトなどの独裁政権が次々と崩壊し、シリアやイエメンにも波及したのであるが、シリアはご存知の通りアサド政権が依然として存在している。イエメンの場合,反政府運動では何とか持ち堪えたのであったが、その後にサレハ大統領が退陣したのであった。その後も内政は安定せず、現在もそうである。そこにサウジの介入などがあり、今回のサウジの石油基地攻撃に繋がっている。今回はこのイエメンという国について整理してみる。

上の図は左が草思社発行『地図で読む世界情勢』から、右はウィキペディアから拝借したものである。現在のイエメン共和国は通称北イエメンと南イエメンが1990年に統合されて成立した国である。

北の正式名はイエメン・アラブ共和国(1967年にイギリスから独立した国)
南の正式名はイエメン人民民主共和国(1967年から1990年に存在)
南イエメンはイエメン社会党の一党独裁体制によるアラブ世界初の社会主義国で、中東やインド洋におけるソビエト連邦の足場だったが、冷戦終結で経済的に行き詰まり、1990年5月22日に北イエメンと統合して現在のイエメン共和国となった。1994年に南イエメンの再分離独立を求めるイエメン内戦が起きたが鎮圧された。

自由国民社発行の『国際情勢ベイシックシリーズ・中東』57頁のイスラムの諸派の図(上)によるとシーア派の中にザイド派というのがある。ザイド派のイマームが897年にイエメンを拠点としたことに始まり、その子孫のラシード家からでたイマームがこの地域を統治してきた。一応、オスマン帝国領ではあったが、トルコから遠く離れていたので、自治が与えられている状態であった。
19世紀、スエズ運河の建設が始まると、イギリスはマンデブ海峡の安全確保のために、港町アデンを占領、さらに南イエメンを保護領化した。北イエメンはオスマン領として残り、ここにイエメンの南北分断の歴史が始まった。1839年であった。

北イエメン 南イエメン
191810月30日、当時のイマーム(アル・ムワッタキル・ヤヒヤ・ムハンマド・ハミードゥッディーン)がオスマン帝国からの独立を宣してイエメン・ムタワッキリ王国(北イエメン)を成立させた。 南イエメン民族解放戦線が反英独立闘争を指揮。

その結果「イエメン人民民主共和国」を建国し、独立(1967年)。マルクス・レーニン主義に基づく社会主義国家を掲げた。

1958年、エジプトのナセルが汎アラブ主義を掲げてアラブ連合共和国を結成。北イエメンも参加。南から英を追い出そうとする。  
1961年、シリアの独立によりアラブ連合共和国が崩壊したため連合から脱退。  
1962年、エジプトの支援を受けた一派がクーデターを起こして王制打破。イエメン・アラブ共和国が成立。  
国王と王政の支持者たちはサウジに亡命。新エジプト派が握る実権を取り戻すべく戦いを始める。 1986年、実権争いから内戦状態に陥り、一万人の餓死者と6万人の亡命者をだす。財政が破綻。
1970年、第三次中東戦争が勃発し、エジプトはイエメンのことに手が回らないために、イエメンから手を引いた。  
1990年、南北イエメン統合。

北の方が人口、経済共に大きい。財政破綻したのは南である。そもそもの本家は北であるため、北が南を併合する形で統合がなされた。その後も、北の政治主導に反発する南の分離独立を唱えたりする者も・・・・

このようにイエメンという国は南北分断の時代を経て統一されたのである。しかしながら統一後も北が主導権をもつ体制に不満を抱く南の人々がおり、統一後も安定した国家運営にはならなかった。そしてアラブの春の運動が中東全域に広がったとき、イエメンではサーリフによる長期独裁政権が続いていた。結果的に新大統領としてハーディ大統領の政権が生まれたのであったが、サーリフ元大統領の勢力が温存されており、アンサール・アッラーが結びついてハーディー政権を脅かした。サーリフ元大統領は2017年末に殺害されているが、イエメンではアンサール・アッラーと政府が戦っている状態である。

アンサール・アッラーは通称フーシー派と呼ばれており、アンサール・アッラーとは神の支援者というような意味である。シーア派ザイド派であるという。そういう観点からシーア派であるイランとの関係が取りざたされることになる。実際にイランとの関係があるのかもしれない。イランは今ドローン技術での先進国でもある。サウジの石油基地攻撃がイランでなくてフーシー派の仕業であったとしたときにイランの関与があったかもしれない。しかしながら、私が強調したいのは、イランが関与する理由がシーア派同士であるという短絡的な理由付けは間違っているということである。ザイド派はシーア派から分離していった派である。イランの12イマーム派とは後継者問題で分かれていき、シーア派同士と言っても考え方は異なっている。

一方、サウジアラビアとイエメンの関係はどうであろうか。私たちが子供の頃のアラビア半島の地図はイエメンとサウジの国境は定まっていなかった。サウジとしては紅海からインド洋にでる出口にあるイエメンを自分の影響下に置きたいというのは当然の理屈であろう。ペルシア湾側の出口ホルムズ海峡をイランに、紅海側をイエメンに抑えられることはサウジの安全保障面にとっては喜ばしいことではない。サウジがイエメンにサウジ寄りの政権を置くことが重要となる。サウジとイランの派遣争いである。ただそれをイランがシーア派同士なのでイエメンに関与するというのは正しくない。

タイトルに「シバの女王」を入れていたことを忘れていた。シバの女王がその昔、莫大な財宝をもってソロモン王に会いに行った有名な話がある。その女王はイエメン辺りにいた女王だったという伝説があるのである。つまりイエメンはその昔、非常に豊かな地域であったということである。シバの女王が持参した財宝とはおそらく乳香などであったのであろう。イエメンでは今でも近くの島で乳香が採れるという。またモカコーヒーという品種のモカはイエメンで採れたコーヒーであった。えっ、コーヒーの栽培ができるの?という疑問は愚問である。イエメンには標高の高いところもあり、樹々もある。その昔、世界で最初に造られたダムがイエメンである。マーリブダムといって、灌漑に使われたそうである。イエメンの豊かさをもって、この周辺は「幸福のアラビア」と呼ばれたそうである。うろ覚えに昔聞いた話を綴ったので若干の間違いがあるかもしれません。その場合はお許し下さい。

キーワード:イエメン、北イエメン、南イエメン、シーア派、ザイド派、12イマーム派、アラブの春、イラン、サウジアラビア、シバの女王、モカコーヒー、マーリブダム、幸福のアラビア、ソロモン王

 

0

ペルシャ語講座3:これは本です。این کتاب است

これは本です。این کتاب است

前回は「私は日本人です」でした。主語・述語・補語という形でした。今回も同じ文型です。This is a bookです。これ=イン(in) 本=ケターブ(keta-b) です=アスト(ast)となります。つまり「イン ケターブ アスト」です。ローマ字で表記すると「in keta-b ast」です。カタカナで書くとアストの部分はastですから asutoではないことに注意して発音してください。 アストはbe動詞のisに相当します。「これは本です」という場合は「in keta-b ast」と覚えてください。名詞の単語を覚えていけば本の部分にその単語を入れれば良いわけです。英語の単数の場合のaや定冠詞のtheについてはここでは気にしないでください。始めから細かいことを言っていたら、前に進まないし継続できなくなります。要は「これは****です」は「いん ****アスト」でいいわけです。「これ」でなくて「あれ」にしたいなら「イン」を「アーン」にしてください。

「これは本です」は三人称単数でbe動詞はアストでした。前回は「私」と「あなた」でしたが、「彼」を追加しましょう。「彼は日本人です」=「ウー ジャポイニー アスト」となります。英語のthis is a book.. He is a Japanese.とおなじようにis=astが使われていますね。英語とは異なり、彼も彼女どちらもウーです。

複数形はどうなるでしょうか。これ➡これら=インハー という風にハーをつけます。ケターブの複数形はケターブハーとなります。これ➡これら=インハー。あれ⇔あれら=アーンハーでいいです。彼ら、彼女らはアーンハー(またはイーシャーン)です。アーンをつけて複数形を作るのが一般的ですが、そうでないものもあります。というものの限られたものであることと、規則性があるのでボチボチ理解できるようになると思います。焦らないで、ゆっくり楽しみながら進みましょう。

 

+1

ペルシア語講座2 私は日本人です。من ژاپنی هسثم

私は日本人です。من ژاپنی هسثم

ペルシア語講座を開講すると言ったが、いざ始めようとすると何から始めればいいのか戸惑った。表記はカタカナかローマ字か?アラビア文字をどうするか?いきなり文字は取りつきにくいからカタカナとローマ字併用でやってみよう。市販されている参考書と同じではここで作る意味がない。簡単な会話ができる程度の内容にしてみよう。

先ずは、人称代名詞から 私=マン=man。 私は日本人です。マン ジャポニー ハスタム 簡単でしょう。次に2人称であなたは=ショマー。複数形も同じくショマーでいい。単数形で親しい中であればトウ=tou が使われる。 あなたはイラン人です=ショマー イラニー ハスティ となる。あなた方はイラン人です=ショマー イラニー ハスティド(hastid)である。 単数の場合にもhastidを使うこともある。 ここで英語のbe 動詞 amはhastamである、hastに1人称の語尾amが付くのでハスタムとなる。

2人称の場合は単数がiで、複数はid(イッド)がつくので、hasti, hastidとなる。この語尾の形はbe動詞以外の一般動詞の語尾も同様である。 私たちは=マーである。ローマ字で書くとmaだがaを伸ばす。aの上に横棒を引いて表したいのだが、このパソコンではそれができないのでカタカナでマーとしておく。私たちは中国人です=マー チーニー ハスティム となり、語尾はim となる。ちなみに日本人はジャポニー、中国人=チーニー、トルコ人=トルキー、アメリカ人=アムリカイー、ドイツ人=アルマニー、フランス人=フランサヴィー、英国人=エングリーシーかな。アラブ人=アラビー。

今日はここまでです。

追記 ハスティドとカタカナで書くとティドとなるが、ローマ字の場合 idとかいたように、dの後ろに母音はありません。ドではなくてdです。

+1