イマームザーデとは:Imamzadeh, امامزاده

今日で8月も終わり明日からは9月というのに日本列島は猛暑が続いています。中東に、イスラム圏に目を向けると今はイスラム暦のムハッラム月です。しかも昨日は10日だったようです。ウィキペディアによると、ムハッラム月の10日目は「ヤウム・アル=アーシューラー(「10番目の日」の意)」ないし単に「アーシューラー」と呼ばれ、断食贖罪の日とされているが、この日はイマーム・フセインの殉教日でもあることから、とくにシーア派の信徒の間で熱心に宗教行事が行われている。このフサインの死を追悼する殉教祭をさして「ムハッラム」と言う場合もある。」と書かれています。つまり、スンナ派にしろシーア派にせよ重要な時期にあたるわけです。暑い時期にイランのアシュラの日には男たちが鎖で背中を打つ、あるいは胸を手の拳で叩きながら町を行進するわけですから、大変な苦行でしょう。

そんなことを考えながら、昔自分が写したパソコンの中の写真や動画を見ていました。そこで10年ほど前にイランのシーラーズを訪れた時に立ち寄ったイマームザーデの動画を見つけました。シーラーズにはもっと有名なイマームザーデがあるのですが、そこに祀られている人の甥っ子のイマームザーデです。それでも沢山の人が来ており、グループの人たちは記念写真を撮り、おしゃべりに夢中でした。若いカップルが座り込んでデートの最中というのもいました。壁は鏡のモザイクで覆われているので照明が反射して眩いほどきらびやかでした。もっと昔に訪れた時は静かで厳粛な雰囲気だったように思いますが、この時はそうではありませんでした。イマームザーデはモスクではありません。また、シーア派独特のものです。百科事典には次のように出ています。

「イスラム教シーア派のイマーム (教主) の子孫,および主としてイランに残る彼らをまつった寺院をいい,現在では後者の意味で用いられる。イマームザーデの称号はイマームの息子や孫にだけではなく,神聖さや高潔さにおいて卓越する者,殉教をとげた者にも付される。7世紀末から,アッバース朝カリフ,マームーンが第8代イマーム・レザー Riḍāを後継者に迎えた9世紀初めにかけてイマームの子孫たちがイランに多数移住した。イマーム・レザーの死後彼らは分散し,イラン全土に多くのイマームザーデやその子孫の墓,あるいは彼らの墓と信じられているものが見出される。これらの墓やその上に建てられた寺院が人々の崇敬の対象となり,巡礼の中心地となった。その規模はワクフを有するものから,巡礼者の捧げるものだけで維持されるものまで大小さまざまであるが,イランの民間の宗教生活に果した役割はきわめて大きい。出典 ブリタニカ国際大百科事典」

ここにかかれているように、イランの民間宗教生活に果たす役割云々とありますが、私の知る限りでは、日本人が行う「願をかける」というようなこともするらしいのです。地方の田舎にいっても何を祀っているのか分からないようなイマームザーデもあります。それは村の鎮守様のようなものに感じました。

シーラーズのイマームザーデの動画をユーチューブにアップしてみましたので、このページの冒頭にリンクを張りました。よろしかったらご覧ください。3分丁度の動画です。「いいね」を入れてもらえば嬉しいです。

ペルシャ語講座22:アルファベット الفبا

この講座も20回を超えました。勝手気ままに続けてきました。そして、殆ど説明もしないままにペルシャ文字も使用するようになってしまっています。今日は文字の基本について取り上げておきましょう。

表題のところに الفبا と書いているのは「アレフバー」と読みますが、ペルシャ語の一番最初の2文字のことです。英語でいうならばABです。Aにそうとうするのが「アレフ」で「 ا 」という文字です。Bに相当するのが「ベ」で「 ب 」という文字です。それはともかくとして、ペルシャ語のアルファベットは32文字です。文字はアラビア語の文字=アラビア文字から28文字を借用しています。アラビア語にはないけれどもペルシャ語にはある文字を4つプラスしています。ではNHKのアラビア語講座に掲載されていた、アリフバー早見表を見てください。

一つの文字について、独立形、頭字形、中字形、尾字形の4つが示されています。独立形とは単独で使われる場合の形です。頭字形は単語の一番前に使われる場合の形です。同様に単語の中で前後に他の文字がある場合の形です。尾字形とは単語の末尾に使われる場合の形です。そして、それぞれの文字は他の文字とつながる場合の約束事があります。

例えば、最初の文字アレフ(アラビア語ではアリフ)は前の文字からは繋がりますが、後ろの文字にはつながりません。実際に単語を使って説明してみましょう。「本」は「ケターブ」です。アレフバーでいうと、k t a b です。ペルシャ語で書くと、ک  ت  ا  ب  の4文字です。k は頭字形を使います。t は中字形になりますね。a も中字形ですが、アレフは後ろの文字にはつなげないという約束がありますので、アレフの後ろの文字はアレフにくっつけて書くことはできません。最後の b は前のアレフとは途切れています。そして、この単語だけでは b で終了しますので、独立形が採られます。そうしてできるのが کتاب  となるのです。ややこしいようですが、これは使えばすぐに慣れます。

アレフのように後ろに繋がらない文字にはد  ذ  ر  ژ ز  و  があります

先ほどペルシャ語ではアラビア語にない4つの文字がプラスされていると言いました。その文字は「 pe  پ  」「che چ 」  「 je  ژ  」 「  gaf  گ 」です。cheが作られているので日本語の チャ チ チュ などの音もきちんと書くことができます。アラビア語ではチャやチの音がないので千葉さんなどの表記は難しいはずです?

表の中のアルファベットの読み方はアラビア語の読み方になっています。ペルシャ語では少し違います。アレフ、ベ、ペ、テ、セ be pe te se  というようにe の音で読んでいますが、どんな読み方でもいいでしょう。但し、細かいことをいうとアラビア語の発音はペルシャ語とは微妙に違うようです。今日はこれにて。
خدا حافظ khoda- hafez  さようなら

書籍紹介:アブー・ヌワース著『アラブ飲酒詩選』その2

「その1」をアップしたのが、2019年6月であったから1年以上の長い時間が経ってしまいました。ペルシャの詩のほうに寄り道したせいであったかもしれません。まだまだ紹介したい部分があるということで締めくくっているので、もう少し彼の詩を紹介したいと思います。

酒が欲しくなるとき
飲酒をとがめる人よ
 いつ君は愚かになったのか?
私に別な忠告をしたほうが
 君には似つかわしい。
とがめる人に我々が従うくらいなら、
 アッラーに従っていたことだろう。
飲み友達よ、朝酒の盃をほし給え。
 そして、私にも注いでくれ給え。
私は世人に非難されると、
 ますます酒が欲しくなる。

震える指
飲み友達は二日酔いが続き、
 指に震えがきている。
右手を左手で支えてやらないと、
 盃をもっていられない。
夜半、私が彼に盃をさすと、
 彼はもっと欲しがり、更に欲しがった。
彼は言った。「私を落ち着かせるため、
 もう一杯、私はもっと欲しいのだ」
これが毎夜の二人の習慣、
 私が余計に注ぐと、彼は更に求める。
やがて倒れてしまうが、彼は知らない、
 大地の上に寝たか、部屋の中に寝たか。

僧院の朝酒
鐘の音が君に暁を告げ、
 修道士が僧院で祈り声をあげた。
酔漢が酒を恋しがっている。
 雨が降り、時は春だ。
君は庭園を見廻し、
 緑の草、黄色の花に笑いかける。
さあ、飲み友達に酒を与えよ、
 雨の一滴をまぜた上で。
肴はラヴェンダーや睡蓮、
 そして色とりどりの花の飾りだ。
野原のここかしこで、
 白い若鹿が草を食んでいる。
すばらしいものは僧院の朝酒、
 そして一年の中で四月。
腰に帯をまいた者よ、
 聖なる酒場で、ユダヤ人の祭日に。
私を知っているなら、注がないでくれ、
 私の胸にひめたもの以外は。
君の知っている私の好物を持ってこい。
 酒であれば、名は何とでもつけよ。

不思議なもの
もし酒が私の食べ物だったら、私は幸せだ。
 食事を待たずに酒だけを飲んでいればよい。
酒は不思議なもの、君はそれを飲む。
 飲むがよい、たとえ酒が君に罪を負わせようとも。
生の赤酒をとがめる人よ、
 君は天国へ行け。私は地獄に住まわせてくれ。

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今回は飲酒詩の中から4編を紹介した。素直に味わっていただきたい。何も難しいことを詠ってはいない。ただ、酒を愛する気持ちの発露である。イスラム社会に生きた酒飲みである。少しは罪に気持ちも抱いている。大ぴらに、酒を扱うのは異教徒である。「僧院の朝酒」で「腰に帯をまいた者」はユダヤ人である。酒飲みの私としては共感すること大である。少し長いので今回紹介していないが「酒と船」の書き始めで今回の結びとしよう。

 悩みごとが生じたら、盃で癒し給え
 悩みごとなどなくなるように。

アブー・ヌワースは酒で有名な詩人であるが、美しい恋愛詩やたしなめの詩、禁欲詩なるものも書いている。またの機会に紹介することにしよう。

UAEがイスラエルと国交を樹立

昨日 (Aug.14,2020) の中日新聞の記事画像です。イスラエルとUAEが国交を結ぶことを発表したのです。既にエジプトとヨルダンが国交を結んでいるので、アラブ諸国では三カ国目になります。これにより、イスラエルはパレスチナ自治区の併合をこれ以上進めないことを確認したとありますが、私はどこまで守られるかは疑問に思います。よく見ると「一時的に」という条件が入っているようです。

このあと、中東地域の反応をサウジアラビアとヨルダン、イランの新聞で少しみてみました。それはそれとして、私見を述べてみると、既にアラブ諸国はイスラエルと対峙して戦うことはあり得ない状態になっているということです。4度にわたる中東戦争当時と今ではアラブのイスラエルに対する敵対心は完全に骨抜きになっているのです。戦っても勝てる相手ではないでしょう。今回の両国の合意はトランプ大統領の仲介によるものです。この協定はトランプ大統領の思惑で実現したものです。ユダヤ人がイスラエルを建国して以来、パレスチナ問題が発生しユダヤ人対パレスチナ人という対立がイスラエル対アラブ諸国という対立の構造になっていました。イスラエルは国際法違反といわれながらもパレスチナのエリアに侵略してきました。長年の紛争が解決されることもなく現在に至り、アラブ諸国のパレスチナ問題に対する考え方が変化してきました。サウジアラビアの王子は訪米した際に「パレスチナ問題は重要ではない」というような発言もしています。一方で、イランでは1979年に革命により王政が崩壊しました。湾岸のアラブ諸国は殆どが王政です。イランからの革命の輸出を恐れました。それ以来イランと対立するようになっています。イランはシーア派、アラブ側はスンニ派が主流なので両者の対立があるというのは短絡的な発想です。イスラムの宗派の違いはこの場合の根本的な原因ではありません。今、トランプがこのような仲介をするということは、パレスチナ問題で対立していたイスラエルの敵であるアラブ諸国に対して、彼らの敵をイスラエルではなくてイランに変えようとしているのです。イランに対してアメリカが敵対していることは明白な事実ですね。

今回の合意に続いて、おそらくサウジアラビアもイスラエルと合意する可能性が大でしょう。他の国も追従してくるでしょう。そのようにアメリカは働きかけるでしょう。そしてイランを封じ込めようとするのです。トランプの思惑は近づいた大統領選挙です。苦戦が予想されています。是非ともユダヤ系の有権者の支持を得るがために彼は必至なのです。今回の合意を平和への一歩だと歓迎するメディアもあるようですが、本質を見極めることができていないと思います。それでは現地新聞に目を向けてみましょう。

当事国のリーダー、それに仲介役の米大統領の3者の顔写真を並べて、締結した共同声明の全文を掲載しています。興味ある方は読んでみてください。日本の新聞でも和訳で明日頃には掲載されるかと思います。

US President Donald J. Trump, Prime Minister Benjamin Netanyahu of Israel, and His Highness Sheikh Mohamed bin Zayed Al-Nahyan, Crown Prince of Abu Dhabi and Deputy Supreme Commander of the UAE Armed Forces, spoke Thursday and agreed to the full normalization of relations between Israel and the UAE.

This historic diplomatic breakthrough will advance peace in the Middle East region and is a testament to the bold diplomacy and vision of the three leaders and the courage of the UAE and Israel to chart a new path that will unlock the great potential in the region. All three countries face many common challenges and will mutually benefit from today’s historic achievement.

Delegations from Israel and the UAE will meet in the coming weeks to sign bilateral agreements regarding investment, tourism, direct flights, security, telecommunications, technology, energy, healthcare, culture, the environment, the establishment of reciprocal embassies, and other areas of mutual benefit. Opening direct ties between two of the Middle East’s most dynamic societies and advanced economies will transform the region by spurring economic growth, enhancing technological innovation, and forging closer people-to-people relations.

As a result of this diplomatic breakthrough and at the request of President Trump with the support of the UAE, Israel will suspend declaring sovereignty over areas outlined in the President’s Vision for Peace and focus its efforts now on expanding ties with other countries in the Arab and Muslim world. The US Israel and the UAE are confident that additional diplomatic breakthroughs with other nations are possible, and will work together to achieve this goal.

The UAE and Israel will immediately expand and accelerate cooperation regarding the treatment of and the development of a vaccine for the coronavirus. Working together, these efforts will help save Muslim, Jewish, and Christian lives throughout the region.

This normalisation of relations and peaceful diplomacy will bring together two of America’s most reliable and capable regional partners. Israel and the UAE will join with the US to launch a Strategic Agenda for the Middle East to expand diplomatic, trade, and security cooperation. Along with the US, Israel and the UAE share a similar outlook regarding the threats and opportunities in the region, as well as a shared commitment to promoting stability through diplomatic engagement, increased economic integration, and closer security coordination. Today’s agreement will lead to better lives for the peoples of the UAE, Israel, and the region.

The United States and Israel recall with gratitude the appearance of the UAE at the White House reception held on January 28, 2020, at which President Trump presented his Vision for Peace, and express their appreciation for UAE’s related supportive statements. The parties will continue their efforts in this regard to achieve a just, comprehensive and enduring resolution to the Israeli-Palestinian conflict. As set forth in the Vision for Peace, all Muslims who come in peace may visit and pray at the Al-Aqsa Mosque, and Jerusalem’s other holy sites should remain open for peaceful worshippers of all faiths.

Prime Minister Netanyahu and Crown Prince Sheikh Mohamed bin Zayed Al-Nahyan express their deep appreciation to President Trump for his dedication to peace in the region and to the pragmatic and unique approach he has taken to achieve it.

そして、パレスチナのアッバス議長が、協定にdismay つまり、がっかりだと表明しています。

そして、既に国交を樹立しているヨルダンのヨルダンタイムズは次の画面でした。

そしてイスラエルと最も対立しているイランはUAEは地域の安定を考えなければならないと当然反発しています。

ペルシャ語講座21:基本的な動詞

今回は基本的な動詞をまとめて紹介しておきましょう。文法の基本を覚えればあとは単語を覚えて行けばいいわけですが、というものの「単語は自分で辞書を引けばすぐに分かりますよ」というのも不親切なので、使用頻度の高いと思うような動詞を一覧にしておきましょう。ここで重要なことは動詞の原形(基本形)に対する語幹(語根、不定詞などという参考書もあります)です。語幹を知らなければ動詞の現在形を作れないからです。(講座6の現在形の作り方を参照してください。)

日語 英語 原形 発音 語幹 発音
行く go رفتن raftan رو rav, rou
来る come آمدن ア(o)ーマダン آ アー(o)
与える give دادن dadan ده dah
書く write نوشتن neveshtan نویس nevis
払う pay پرداختن pardakhtan پرداز pardaz
料理する cock پختن pokhtan پز paz
見る see دیدن didan بین bin
食べる eat خوردن khordan خور khor
飲む drink نوشیدن nushidan نوش nush
読む read خواندن khandan خوان khan
眠る sleep خوابیدن khabidan خواب khab
売る sell فروختن frukhtan فروش furush
持ってくる bring آوردن avardan آور avar
持っていく بردن bordan بر bar
get گرفتن gereftan گیر gir
聞く hear شنیدن shenidan شنو shenav
理解する understand فهمیدن fafmidan فهم fahm
洗う wash شستن shostan شو shu-
する do کردن kyardan کن kyar

思いついた基本的な単語をリストアップしてみました。動詞の数は勿論まだほかにもありますが、この程度でもかなり使えるのではないでしょうか。それと次にもしかしたら最も重要で使用頻度が高いかも知れない動詞を紹介します。それは「する」という動詞です。英語の「do」に相当する動詞です。上の表の一番最後の行で太字にしている動詞です。

「する」という意味で使うのは勿論です。が、名詞につなげると、その名詞を動詞化することになります。例えば「仕事」は「カール کار 」です。カールとキャルダンで「働く」です。「考え・思い」は「فکر 」です。キャルダンを付けて、fekr kyardan で「考える・思う」となります。他にも「開く」は「バーズ・キャルダン」となります。「忘れる」は「ファラームウシュ・キャルダン」、「お願いする」は「khahesh kyardan」・・・・となります。このようにキャルダンを付けて複合動詞を作ることができるのです。キャルダンの他にも、上の表の中では「ダーダン」でも同じようなことができます。ダーダンは与えるといういみですから、「勉強という意味のダルス」とつながって「ダルス ダーダン」は「教える」になります。勿論「教える」というそのままの動詞もありますが、このような使いかたも知っておけば、役に立つものです。他にもありますが、「ヤヴァーシュ、ヤヴァーシュ(ゆっくり、ゆっくり)」やっていきましょう。

閑話休題:日本・猛暑の夏

例年より遅く梅雨明けした日本は猛暑の夏を迎えています。最高気温が35度以上の日が続いており、今日8月10日は37度位が予想されています。私自身も連日クーラーの中で過ごす時間が多くなっています。コロナで外出は控えいるので、クーラーのきいた涼しい部屋にこもりっきりというのは身体にあまり良いとは思えません。

今回は、「この程度の暑さは大したことではない」と私の頭を洗脳するために、中東地域の都市の気温をチェックしてみました。データの出典は日本気象協会 https://tenki.jp/world/ を利用させて頂きました。8月10日の日本時間で午前5時発表となっています。

都市 最高 最低 平均
湿度%
サウジアラビア リヤド 42 27 12
トルコ イスタンブール 33 22 58
UAE ドバイ 44 31 62
レバノン ベイルート 28 23 71
バーレーン バーレーン 37 34 48
イラン テヘラン 38 21 18
シーラーズ 44 20 47
イスファハン 41 17 34

やはり、暑いですね。暑いどころか熱いような気がします。最高が40℃を超えるのが殆どです。日本でも40℃を超えることはありますが、それほど多くはありません。そして、最低気温が結構涼しいくらいの温度だということです。20℃台の下の方、イスファハンではなんと17℃となっています。一番暑くて不快そうなのはバーレーンでしょうか最高は37℃ですが、最低が34℃なのです。34度以下にならないのは私ならちょっと・・・ですが、そこで住んでいる人は適応するのでしょうね。

日本でよく言われるのは、気温がそう高くなくても、「湿度が高いからいやだね」ということです。それに比べると中東地域は相対的に湿度は低いです。でも、ペルシャ湾岸などは湿度も高いところがありますが、この統計ではドバイが62%、バーレーンが48%という程度です。

私が住んでいたことのあるテヘランをみると、最高37℃、最低21℃です。湿度は18%。この統計は発表のあった日の記録ですから、年間の最高気温ではありません。明日は40℃を超すかもしれません。実際私もテヘランで40℃超は何度も経験しました。朝は少し涼しいけど午後にはすごく暑い。でも木陰や影に行くと涼しさを感じました。それは湿度が低いからです。この統計では18%ですから、カラカラ状態ですね。あの頃は若かったので、午前の仕事を終えて、午後というか夕方4時半からの仕事再開の間にホテルのプールにいって軽食をとり泳いだりしたものでした。プールから外にでると、空気が乾燥しているので一気に乾きます。そして気化熱の影響で身体が冷えるのです。注射を打つ時に腕をアルコールで消毒すると冷っとするようなものです。湿度が低く乾燥しているということです。他には、日本人ですからよく集まっては麻雀をすることがありました。その麻雀牌なのですが、使っているうちにヒビが出てくるのです。さすがに割れることはありませんが、牌にヒビ傷が入るようになると、それが目印になって相手の牌が読めるようになったりしたものです。また、尺八が趣味な人が、尺八が乾燥して割れたということも聞きました。気温の話から、ついつい昔のことを思い出してしまいました。

結論です。中東に較べると日本の夏はまだ生易しいということです。これでこの夏も乗り切れそう!乗り切りましょう!

コーランについて(5):第2章・・・雌牛③

第2章にはもうひとつ興味深い「利息」のことがあります。今ではイスラム社会では利子・利息は禁止されていることが広く知られるようになっています。それをクリアしたイスラム銀行が存在することや、イスラム法に抵触しない金融取引が存在するようになっています。さて、コーランではどう書かれているのでしょうか。

第275節「利息を喰らう人々は、(復活の日)すっと立ち上がることもできず、せいぜいシャイターン(サタン)の一撃をくらって倒された者のような(情けない)立ち上がり方しかしないであろう。それというのも、この人々は「なあに商売も結局は利息を取るようなもの」という考えで(やっている)。アッラーは商売はお許しになった。だが利息取りは禁じ給うた。神様からお小言を頂戴しておとなしくそんなこと(利子を取ること)をやめるなら、まあ、それまでに儲けた分だけは見のがしてもやろうし、ともかくアッラーが悪くはなさるまい。だがまた逆戻りなどするようなら、それこそ地獄の劫火の住人となって、永遠に出してはいただけまいぞ。」
第276節「アッラーは(最後の審判の日には)利息の儲けをあとかたもなく消して、施し物には沢山利子をつけて返してくださる。アッラーは誰であろうと罪業深い無信仰者はお好みにならぬ。」
第277節「(だが)立派な信仰をもち、善行をなし、礼拝をきちんと守り、喜捨を出す人たち、そういう人たちの御褒美は神様が引き受けてくださり、もう何も怖ろしい目にも悲しい目にも逢うことはない。」
第278節「これ、信者の者、アッラーを畏れかしこめよ。まだとどこおっている利息は帳消しにせよ。汝らが本当の信者であるならば。」
第279節「だがもし汝らがそれがいやだと言うのなら、よいか、アッラーとその使徒(ムハンマド)から宣戦を受けるものと心得よ。しかし(そのあとでも)もし悔い改めるなら、元金だけは残してやる。つまり自分でも不当なことをしなければ、ひとからも不当なことはされないのじゃ。」
ながながと引用したが、利息を取ることを相当強く禁じている雰囲気が伝わってくるようではありませんか。そして、ここでも、悔い改めれば元金だけは戻してやろうぞとあるように、非常に現実的な対応策を提示しているのである。商取引の規則のような感じさえしてきます。

このあと「貸借」についても記述もでてきます。簡潔にいうと、貸借関係はアッラーの教えの通り、きちんと契約書を作っておくようにとか、債務を負うべき者が白痴や精神衰弱者である場合は後見役をつけたり、男二人が証人として立ち会うこと、もし男二人がいなければ男一人に女二人を証人にすることなど、事細かく現実的な内容が記されているのです。直接関係があるかどうかはわかりませんが、私が1971年にイランに赴任した時のことですが、会議をしたときは直後に会議で決まったことが書類に作成されて参加者が署名していました。そうした書類をとじたファイルが会社の書棚にズラッと並んでいたことを思い出しました。会議録だけでなく、何事も文書化して後日トラブルのないようにしていました。これはイスラムだけではなく、契約社会の外国では当たり前のことなのかもしれません。これにて第2章は終わりにいたしましょう。

冒頭の画像の出典は前回と同じです。羊皮紙に書かれたコーランの一頁です。9-10世紀のもので、書体はクーヒー体です。

コーランについて(4):第2章・・・雌牛②

前回の「第2章雌牛」の続きです。正直な話、私自身はコーランを丁寧に読んだことはありません。必要に応じて、所々を拾い読みしたというのが現実です。でも、最初に手にしたのが以前にも紹介しましたが、岩波文庫の井筒俊彦先生訳でして、大学生の時でした。だから、もう50年も前のことですから、その間、ずっと私の傍には置いてあったことになります。でも、丁寧に端から端まで読んだわけではありません。ブログを書くようになり、いまコーランについて書くのを機会に、勉強しながら読んでいるのが真実であります。コーランの専門家などではありません。その辺はご了承ください。一緒に勉強していきましょう。

さて、本題に入りますが、この章には色々なことが書かれています。特に一般の人でも知っているようなイスラムのこと、例えば前回述べた「メッカの方向に向かってお祈りすること」「豚肉を食べないこと」「断食のこと」などです。今回もそのようなこと(と言っても私が興味ある事柄になるでしょうが)、をいくつか紹介いたしましょう。今回も井筒訳を拝借します。

第195節「アッラーの道に(宗教のために)惜しみなく財を使え。だがわれとわが身を破滅に投げ込んではならぬ。善いことをせい。アッラーは善行をなす人々を愛し給う。」
第196節「メッカ巡礼と聖所詣での務めをアッラーの御ために立派に果せ。しかし妨害されてそれができない場合には、何か手ごろな捧げものを(出せばよい)。その捧げ物が生贄を捧げる場所に到達するまでは頭を剃ってはいかんぞ。しかし病気とか、または何か頭に傷をうけて(どうしても頭を剃らねばならぬ)人は、その償いとして断食するか、自由喜捨をするか、さもなければ生贄(少なくとも羊一頭)を出すがよい。・・・・・」
宗教のためには金を使うことを奨励していることが面白い。また、巡礼についてであるが、できない場合は捧げものを、しかし、それについても頭を剃ることはあわてるなとか、でも、それも都合によっては無理なら、こうしたらいいというようなことが述べられているわけです。イスラムではこのように「~ができないときは、~しろ」ということが随所にあるように思うのです。断食の場合もそうです。「病気の時は仕方がない。旅行の時も断食は辛くてしんどいからやらなくていい。でも、後日改めて断食しろ。それが出来なければ施しを与えなさい」という風にです。つまり、非常に現実的な規則を定めているのです。精神論だけでなく、現実的な規則なのです。私はそれが「人間臭い」と感じるのです。

次のくだりは神へのお願いのことらしい。
第198節~202節「汝らが神様にお恵みをおねだりするのは罪ではない。・・・中略・・・人によっては、「神様私どもに現世で(沢山よいものを)お与え下さい」などとお願いする者があるが、そのような者は来世で何の分け前にも与れまいぞ。また人によると「神様、私どもに現世でもよいものを、来世でもよいものをお与え下さい。私どもを(地獄)の劫火の罰から護り給え」という者もある。このような者どもには自分で稼いだだけのものが与えられよう。まことにアッラーは勘定早くおわします。」
ここの部分もユーモラスではないでしょうか。「お前たちのなかにはいろんなことをお願いしてくるやつがいるんだよ」と苦笑いしているアッラーが目に浮かびます。そこでお気づきでしょうか。イスラムは今生きている現世の利益を求めるのではないということです。ムスリム(イスラム教徒がもとめるのは来世利益なのです。死後の世界で地獄に落ちて劫火の苦しみを受けることから逃れるために生前に善行を積むことを奨励しているのです。

第214節「一体汝ら、過ぎた昔の人々が経験したような(苦しい試み)に遭わずに(楽々と)天国に入れるとでも思っておるのか。。(昔の人たちは)みんな不幸や災禍に見舞われ、地揺れに襲われ、しまいには使徒も信者たちも一緒になって「ああ、いつアッラーのお助けがいただけるのか」と嘆いたほどではなかったか。いや、なに、アッラーのお助けは実はすぐそこまできておるのだが。」
第215節「どんなことに金を使ったらよかろうかとみんながお前(ムハンマド)に訊いてくることであろう。答えてやるがよい、善行につかう金なら、両親と親類縁者、孤児と貧民と路の子(旅行者)のため。お前たちがする善行については、アッラーは何から何までご存知だぞと。」
第219節「酒と賭矢(賭け事の一つ)についてみんながお前に質問してくることであろう。答えよ、これら二つは大変な罪悪ではあるが、また人間に利益になる点もある。だが、罪の方が得になるところより大きい、と。・・・・・」
楽々と天国に行けるものではないのだと、言っている。イスラムは現世よりも来世のほうが長いので来世で天国で幸せに暮らすことを夢見ているのです。そのためにも地獄の劫火に遭わないことを求めるのです。地獄の劫火にあったらそれはそれは苦しいこと限りない世界のようです。すでにもう死んでいるのだから、劫火にあってどんな苦しい目にあっても死ぬことはない。極限の苦しみが永遠に続くことにある恐ろしい地獄の世界らしいのです。
ここでもお金の使い方がでてきました。使い道の一つとして両親、親類縁者、孤児、旅行者への支出が挙げられています。血縁よりもイスラム同胞を重んじるイメージがあるので両親、親類縁者はちょっと意外ですが、孤児を大事にするというのはあちこちで述べられていることです。酒と賭け事については 益<害 ということで説明されています。

第256節~257節「宗教には無理強いということが禁物。既にして正しい道と迷妄とははっきりと区別された。さればターグート(イスラム以前のアラビアで信仰されていた邪神のたぐい)に背いてアッラーの信仰に入る人は、絶対にもげることのない把手を掴んだようなもの。アッラーは全てを聞き、あらゆることを知り給う。アッラーこそは信仰ある人の保護者。彼らを暗闇から連れだして光明へと導き給う。だが、信仰なき者どもは、ターグートたちがその保護者、その手引きで光明から連れ出され、暗闇の中に落ちて行く。やがて地獄の劫火の住人となり、永遠にそこに住みつくことだろうぞ。」
無理強いして入信させるのは禁物であると言っている。だから入信しなくてもいいではなく、イスラムを信仰しなければ地獄へ落ちて大変なことになるぞと言っているのである。そして、光明という言葉がでてきたが、イスラムではイスラム以前の時代をジャーヒリヤといって日本では無明時代、つまり光のない時代と訳されています。イスラムではイスラムが誕生して人々は光ある世界の下で暮らせるようになったと言っているのです。私からみるとイスラム以前にも例えばササン朝ペルシャなどでは洗練された文化のもとで豊かな世界が発展していたと言いたいのですが。

この章はもう少しありますが、とりあえず今日はここまでにしておきます。続きを書くか、また別の章へ移るのか、それは神のみぞ知ると言っておきましょう(笑)。ところで冒頭の画像はオスマン朝時代の17世紀にムスタファ・イブン・ムハンマドという書家のコーランの写本です。『Palace and Mosque, Islamic art from the Victoria and Albert museum』から拝借させていただいたものです。それから、ここに書いた事柄がすべてではありません。例えば酒なら酒についての記述は他にも沢山あります。同様に賭け事についても、断食や巡礼についても複数の章で書かれているので、ここのものがすべてではないことには御留意ください。

コーランについて(3):第2章・・・雌牛①

コーランの最初の頁「第1章・・・開扉」に続くのが「第2章・・・牝牛」です。かなり長い章で286節で構成されています。手元にある亜日対訳コーランでは約50頁の量になっています。ここには興味ある事柄が盛りだくさん含まれています。

第1節はアリフ・ラーム・ミームです。これだけです。アラビア文字の3文字があるだけです。つまり、الم というわけです。何を意味するのでしょうか?諸説あるようですが、それを聞いても私には良く分かりません。逆に言うと、こう言う意味であるとはっきりしたものがないということなのでしょう。全114章のうちの29章が冒頭にこのようにアルファベットで始まっています。そして、このアリフ・ラーム・ミームで始まっているのは6つの章です。残りの23章がどのような文字で始まるかはその都度紹介していきましょう。(以下の訳文は井筒俊彦著『コーラン』からの引用です。)

礼拝をする方角をキブラということは以前紹介したことがあります。このキブラについて142節以後で触れています。144節には「何処から出てきた場合でも、必ず顔を(メッカの)聖なる礼拝堂の方に向けるようにせよ。この(規定)は、まさしく主の下し給うた真理。アッラーは汝らの所業をぼんやり見過ごしたりはなさらぬぞ。」とあります。世界中のどこにいても、イスラム教徒たちが礼拝の時にはメッカの方向を見て行うということがここに記載されているのです。

では、食べ物について見てみましょう。173節には次のように書かれています。「アッラーが汝らに禁じ給うた食物といえば、死肉、血、豚の肉、それから(屠る時に)アッラー以外の名が唱えられたもの(異神に捧げられたもの)のみ。それとて、自分から食い気を起こしたり、わざと(神命に)そむこうとの心からではなくて、やむなく(食べた)場合には、別に罪にはなりはせぬ。まことにアッラーはよく罪をゆるし給うお方。まことに慈悲の心深きお方。」豚肉・血・死肉以外のものなら何を食べてもいいようです。

第177節「本当の宗教心とは汝らが顔を東に向けたり西に向けたりすることではない。いや、いや、本当の宗教心とは、アッラーと最後の(審判の)日と諸天使と聖典と予言者たちとを信仰し、己が惜しみの財産を親類縁者や孤児や貧民、または旅路にある人や物乞いに分け与え、とらわれの(奴隷)を購って(解放し)、また礼拝のつとめをよく守り、こころよく喜捨を出し、一旦約束したらば約束を果し、困窮や不幸に陥っても危急の時にのぞんでも毅然としてそれに堪えてゆく人、(これこそ本当の宗教心というものじゃ)そういうのが誠実な人、そういうのこそ真に神を畏れる心をもった人。」とある。とある。この部分は喜捨の勧めに相当するでしょうか。

第183節「これ信徒の者よ、断食も汝らの守らねばならぬ規律であるぞ、汝らより前の時代の人々の場合と同じようね。(この規律を良く守れば)きっとお前たちにも本当に神を畏れかしこむ気持ちが出来てこよう。」第184節「(この断食のつとめは)限られた日数の間守らなければならぬ。但し、汝らのうち病気の者、または旅行中の者は、いつか他の時に同じ数だけの日(断食すればよい)。また断食をすることができるのに(しなかった)場合は、貧者に食物を施すことで償いをすること。しかし、(何事によらず)自分から進んで善事を成す者は善い報いを受けるもの。この場合でも(出来れば規律通りに)断食する方が、汝らのためになる。もし(ものごとの道理が)汝らにはっきりわかっているならば。」このあともう少し断食についての記載が続いている。断食の規律に従えなかった場合には後日穴埋めをすればよいというようなことであるが、このような点で私はイスラムは非常に現実的かつ具体的なを有する集団であると思う。それにもう一つ人間臭いものでもあると感じている。それは次のような節である。第187節「断食の夜、汝らが妻と交わることは許してやろうぞ。彼女らは汝らの着物、汝らは彼女らの着物。アッラーは汝らが無理していることをご承知になって、思い返して、許し給うたのじゃ。だから、さあ今度は。(遠慮なく)彼女らと交わるがよい。そしてアッラーがお定め下さったままに、欲情を充たすがよい。食うもよし、飲むもよし、やがて黎明の光りさしそめて、白糸と黒糸の区別がはっきりつくようになる時まで。しかしその時が来たら、また(次の)夜になるまでしっかりと断食を守るのだぞ。礼拝堂におこもりしている間は、絶対に妻と交わってはならぬ。これはアッラーの定め給うた規定だから、それに近づいて(踏越え)てはならぬ。このようにアッラーは人間にそのお徴を説き証かし給う。こうすればきっとみんなも敬神の念を抱くようになるかも知れぬとお思いになって。」

長くなるので一度ここで終わることにし、後日つづきを追加することにします。