パレスチナ問題の復習❶:シオニズム運動

前回、バイデン米大統領が中東を訪問したがパレスチナ和平問題については何も進展がなかったことを紹介した。トランプ大統領になって以後、彼のイスラエル寄りの姿勢が鮮明になっていらい、和平への動きはストップしていた。バイデンになれば何らかの進展があるかとする期待も若干あったわけだが、それも期待外れであった。今回(およびこれ以後)でパレスチナ問題の経緯を時代を遡って振り返ってみよう。内容は私がかなり昔に書いていたものを引っ張り出してきたものを修正しつつアップしていく。それゆえ今回のタイトルには復習とつけた。

パレスチナ問題は現代中東における最大の問題といっていいだろう。古い話になるが、1990年イラク軍がクウェートに侵攻した湾岸危機の解決にあたり、フセイン元大統領は単にイラクとクウェート間の問題ではなくパレスチナ問題とリンクさせなければならないと主張した。彼は中東における全ての問題はパレスチナ問題につながり、それ抜きにしての解決はありえないと言いたかったのであろう。中東諸国の成立過程を顧みるならば、中東諸国の諸問題を解決するには中東諸国間の国境、いやその国々の成立にまで遡って議論し、西側諸国の行動を総括することが本当は必要なのかも知れない。しかしながら、戦後70年以上が既に経過した今では現状国家の枠組みの中で和平・安定に向けて努力しなければならないだろう。パレスチナ問題は第二次世界大戦前後に発生した極めて新しい紛争であることを認識しなければならない。二〇世紀以前のパレスチナは現在のような紛争状況にあったわけではなく、少数のユダヤ人たちとアラブ人は平和に共存していたのである。

シオニズム運動
ユダヤ人たちは世界各地に居住し自分たちの国をもっていなかった。十八世紀までのヨーロッパ・キリスト教中心の世界においてユダヤ人たちはさまざまな形で迫害をうけてきた。例えば、帽子やユダヤの星のバッジの着用を強いられた。ゲットーとよばれる地区に居住させられた。このような状況のあと、1789年のフランス革命は身分制社会に終止符をうち国民という新しい集団を誕生させた。個々の国民は身分や民族・宗教などに関係なく国民として平等な義務と権利を有することができるようになった。1871年にはユダヤ人にもヨーロッパで初めて市民権が与えられた。ユダヤ人にとって、市民権が与えられたことは喜ばしいことであったが、一面ではユダヤ人としてのアイデンティをどのように維持するのか複雑な思いも同時に抱いたようである。
一九世紀に入りヨーロッパ各地で民族主義が台頭した。民族主義は時には他民族を差別し排斥する人種差別的な運動にもつながる危険性があった。1894年のドレフェス事件はそのような時代に起きた出来事であった。フランス軍のドレフェス大尉がドイツに軍事秘密を漏洩したというスパイ疑惑事件であった。彼がユダヤ人であったために反ユダヤムードが拡大したのだった。ユダヤ人ジャーナリストであったヘルツルは1886年に『ユダヤ人国家』を著し、ユダヤ人国家建設こそがユダヤ人を解放するものであると主張した。1897年に最初のシオニスト会議がスイスのバーゼルで開催された。ユダヤ教の聖地であるエルサレムのシオンの丘に帰ろうという運動がシオニズム運動であり、その運動家たちがシオニストと呼ばれるようになった。「土地なき民に、民なき土地を」がシオニストたちのスローガンであった。シオンの丘には民がいないわけではなく、パレスチナ人(アラブ人)が住んでいたのだが。イギリスはシオニズム運動を支持し、オスマントルコの領土に第一大戦後にユダヤ人たちがホームランドを作ることを支援するというバルフォア宣言を発した(1915年)。ユダヤ人たちのパレスチナへの移民が次第に増加していった。ユダヤ人たちが増えるにつれてパレスチナ人との対立が激しくなった。それでも初期の移民に対してパレスチナ人たちはさほど拒絶反応を示したわけではなかった。あるものはユダヤ人に土地を売却しているのである。1947年当時のユダヤ人の比率は三分の一程度に達した。ユダヤ人とパレスチナ人の対立が激化するなか、イギリスは委任統治を放棄しパレスチナの地の扱いを国連に委ね、1947年11月29日に国連総会はパレスチナ地域をユダヤ人の国とアラブ人の国に分割するという「パレスチナ分割決議」を採択した。その内容はパレスチナ全土の五五%を少数派のユダヤ人国家、残りの四五%の土地をアラブ人国家とし、エルサレムとその周辺は国際管理とするものであった(図1-A参照)。ユダヤ側はこの決議を受け入れたが、アラブ側は拒絶した。その翌日、ユダヤ人のバスがアラブ人に攻撃を受けることになり、ユダヤ人はこの日から「イスラエル独立戦争」が始まったとしている。

バイデン大統領の中東訪問・成果なし

バイデン米大統領が中東を訪問しました。一番の目的はサウジアラビアを始めとしてアラブ産油国に原油の増産を要請することでした。結局、軽くいなされた感じでしたね。産油国側は後日開かれるオペック+で話し合うとして、色よい返事はもらえなかった。エネルギー問題が深刻なことは周知の通りであるが、産油国側も「はい、わかりました。増産いたします。」というわけはない。現状の原油高で彼らは潤っているのだから。一方で、原油を売りたくても制裁が科せられているために西側諸国には売ることができずにいるイランのような国もある。日本はイランとは敵対していないにも拘らず、米国の同盟国であるがゆえに輸入を控えている。そのような無益な制裁を科していると今回噂になっているようにイランがロシアにドローンを輸出するように、接近していくことになってしまう。元々、ロシアはイランにとって潜在的な脅威国である。何度も苦い汁を飲まされてきた国である。

冒頭の新聞の画像は「パレスチナ和平に進展なく」とタイトルをうっているが、今回のバイデンの訪問はそれが目的ではない。ロシア、中国、イランの包囲網を敷くことに協力を要請することでもあった。イスラエルとは「イランの核兵器保有阻止のため、あらゆる力を行使する」という宣言をすることができたが、GCC(アラブ湾岸諸国)との間ではそのような宣言には至らなかった。バイデンは成果を得られず帰国の途についたのであった。米国のような大国が世界のリーダーとなりたいのなら、ウクライナに武器を供与して戦争を拡大させるのではなく、戦争終結に向けての行動をとるべきではないのか。とにもかくにも世界の食料不足、エネルギー不足、物価高を押さえるには戦争終結が第一と思うのだが。

安倍元首相が銃撃に死す

昨日、安倍元首相が銃弾に倒れ、死去されました。世界中でそのことが報じられ、彼の生前の業績を伝えていました。サウジアラビア、トルコ、イランの紙面の画像を紹介しておきます。

元首相のご冥福をお祈りいたします。

書籍紹介:古代メソポタミア全史

最近購入した中公新書を紹介する。小林登志子著『古代メソポタミア全史』である。副題として「シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで」が付いている。定価1000円(税込み1100円)である。まだ数ページしか読んでいないので中身の感想を書くことはできない。このブログの読者にはこの本の中身がわかるように目次を次にアップしておこう。

メソポタミア文明に興味のある私にとってこの辺りの歴史は興味深い。ハンムラビ法典などは子供の時の社会(歴史)で習ったことはあるが、世界最初の法典であり「目には目を」の精神が背景にあるという程度のことしか習わなかった。詳しい歴史は高校の世界史でも扱われてはいなかったと思う、アッシリアについてもそうである。アッシリアのオリエント統一という語句は重要語句として習うが、アッシリアそのものの歴史はあまり扱われていなかったと思う。これから読むのが楽しみである。

まだ少ししか読んでいないが、これを最後まで読むことができる一般読者は果たしてどれ位いるだろうかという思いもした。例えば12頁の部分を例に挙げてみよう。
シュメル人自身は自らが住んでいる地方を「シュメル」とは呼ばなかった。「シュメル」は後代のアッカド語で、シュメル人自身は「キエンギ(ル)」と呼んでいた。一方、「アッカド」はシュメル語で「キウリ」という。まとめるとアッカド語の「シュメルとアッカドはシュメル語では「キエンギとキウリ」といい、シュメル人も、アッカド人も「バビロニア」とは呼ばなかった。・・・・・
一般読者にとってアッカド語でどういうか、シュメル語でどういうかはどうでもいいように思うのである。地名などでも当時の地名で書いておいて括弧の中に(現題名〇〇〇)となっている。最初から現題名で書いてくれた方がスムーズに読めそうであるが、著者にとってはそれが正しい表記であり、親切心一杯なのであろう。分かる気もするのである。私は読んでみようと思う。特に最後の方のサーサーン朝の部分を先に読んでみるだろう。誤解しないでもらいたい。本書を紹介したのは、お勧めだからである。