ペルシア語講座37:私が使用した「ペルシア語辞書」

最近このブログの更新が非常に滞っていました。自分が書きたいと思っていたことも殆ど書き尽くしたような気持でもあったせいかも知れません。また既に仕事も辞めてから十数年になり、新しい情報収集、研究成果なども微々たるものになっていることが要因でしょう。要はモチベーションの退化とも言えましょう。そこで、この自分のブログを遡ってみてみました。「あれは書いただろうか?」「イスラムのあれはどういう風に書いたのだったかな?」とか思いながら。でも自分ながら長い間買い続けたなと少し感心したのも正直な気持ちです。統計データを見ると、ペルシア語講座と題した頁が意外に読まれていることが分かりました。また、世界史の重要事項に関係ある記事も読まれていました。奇をてらわないオーソドックスなものが読まれていたようです。そろそろこのブログを閉じようかとも迷っていたのですがもう少し続けて見ることにします。そこで今回のタイトルは冒頭のとおり「私が使用したペルシア語辞書」となりました。

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思えば最初にペルシア語学習を始めたのが大学入学時ですから、ちょうど50年前になります。その頃にはペルシア語から日本語の辞書はありませんでした。その逆も勿論ありませんでした。指導教官から推薦された「ペルシア語⇒英語」と「英語⇒ペルシア語」の辞書を丸善で買いました。と言っても注文してから届くまでかなり時間がかかりました。1ドルが360円時代なので、学生にとってはかなり高価なものでした。この2冊の辞書が大学4年間、そして卒業後2年後にイランに駐在してからも私の必需品でした。今手元に、ぺ⇒英語の辞書は残っていません。ボロボロにってしまいました。英語⇒ぺの辞書はいまも使ってはいませんが残っています。英語からペルシア語を引く頻度がぺ⇒英語に比べて低かったのだと思います。でも画像でご覧のようにかなりボロボロです。でも中身は線引きも少なく、今でも使用には耐えるでしょう。画像を4枚アップします。




1966年テヘランで発行されたHaimの辞書です。2枚目の画像は辞書を開くと背中が剥がれている状態を表しています。こんなになっていても捨てられない愛着のある辞書なのです。辞書については現地に行ってから色々買い求めました。それは後で紹介しますが、辞書とまでは言えませんが単語集的なものも多用しました。授業で使った文法書に準拠した単語集のようなものでした。
大学ではこれを使っていましたね。次の画像がそれです。




1961年ケンブリッジ大学出版の発行です。表紙はかなり色あせて、辛うじてタイトル文字が読める程度に劣化した状態です。中身は沢山の線引きがあり、勉強の跡が残っているようです。何しろ先述の辞書とこれが語彙を調べる唯一の助っ人であったわけですから、我々にとっての命綱のような存在でした。この後入手して座右の辞書になったものについては使いに回すことにいたします。

#ペルシア語  #ペルシア語辞書

閑話休題:夏休みにトルコ旅行にでも行きたいな

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今年も日本の夏は7月から既に猛暑ですね。イスラエルがガザやイランを攻撃し、いままたシリアにまで空爆を行いました。シリアに居るドウルーズ派の人々保護のためという意味不明の理由をつけていました。こんなきな臭い中東地域ですが、中東全体が危険ということではありません。私のアラビア書道の教室ではUAEへの研修ツアーなども企画されていて、参加希望者も沢山です。私は今度、中東に行くならトルコを考えています。これまではイランに行くときにトルコを経由してイスタンブールとその周辺を訪れただけなのです。でも充分に楽しむことはできました。特にミマール・シナンの建てたモスクについては事前学習もしていきました。彼のことはこのブログにも書いていますので、見て頂ければ嬉しく思います。ですから、今度はもっと遠くまで足を伸ばすような旅行がしたいものです。

                        
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イスタンブール周辺しか行ったことがありませんが、その時に行ったのはトプカピ宮殿、アヤソフィア他のモスク、グランドバザール、等々でした。丁度、断食明けの祭日でしたので、どこも人が一杯でしたね。バスや地下鉄も無料でした。最初に泊まった行き当たりばったりの宿は10ドルの木賃宿で2泊の予定でしたが、止まって見ると黴臭くて気分が悪くなるので、翌日別の宿に移ったりしたことが懐かしいです。

イラン、イスラエル戦争その後

前回の投稿から約1週間が経過し、7月になりました。トランプが米軍にイラン攻撃を命令し、核施設を攻撃しました。地下深くに築かれた核施設を破壊することもできるという超大型爆弾を投下したというのです。爆弾を60mの地下に打ち込むと、爆弾はそこで爆発するということで、トランプはイランの核施設をほぼ全滅に近い状態に破壊したと成果を誇りました。大規模な攻撃を受けたイランはカタールにある米軍基地を米側に通告したあとでミサイルを撃ち込んだと発表。トランプもイランの通告のおかげで被害は軽微に済んだと謝意を述べていました。一応、イランの名目も立ったような形でお互いが幕引きを図ろうとしたようです。

トランプ自らがイラン攻撃に参加し、その後で自らが戦争を終わらせた立役者だというシナリオでイランとイスラエルに停戦をするように圧力をかけたわけです。戦争を止めて、核開発を断念しなければ再度攻撃もあることをほのめかしながら、イランとアメリカが協議するという計画らしいです。独りよがりも甚だしいことですね。広告

イランの核施設の状況はどうなのか明白ではありません。米は成功したと主張する一方でイランは被害は大したことがなかったと主張します。ウラニウムは事前に安全な場所に移したといっているのです。イランの言うことが例えそうであったとしても、大きな被害を受けた、と言っておけば良いのにと私は思うのですが。アメリカとイスラエルはイランの核が怖いのですから、核開発が今後も続く可能性があるなら、再度攻撃することになるでしょう。私は昔書いた本の中で「イランは寝業師である」と書きました。かつてロシアがイラン領に侵略したときの交渉で一部の石油利権を与える条件で、ロシアの撤退を成功させたことがあります。ロシアの撤退後にその協定を議会が批准しなかったために石油利権は与えなかったのです。トランプには騙し合いも通用しないかも知れませんが、まともに相手にするのもどうかと思いませんか。

いずれにせよ、イスラエルが仕掛けた攻撃が終わったようですが、安心はできません。イスラエルはガザの攻撃を再び始めています。多くの血が流されています。イスラエルから攻撃を受けたイラン人の叫びをSNSで読みました。「イスラエル人は人の血を栄養源としている!」というのです。戦争は被害者である一般の人々の心も憎しみに満ち溢れさせてしまいます。

ここまでの文章は7月1日に書いたものです。その後、アメリカ=トランプ側もイランの核施設のダメージが期待通りのものではないと疑い始めたようですね。今後のイランとの協議で言うことを聞かない場合は更なる攻撃をするとの意向のようです。協議がいつ始まるかも全く不明な状況です。とにかくトランプの言うこと、やることはいい加減ということです。今はまたガザに矛先を向け、一方で日本他への関税アップの通達を送るなど大忙しのようです。7月8日記