イラン、イスラエル戦争その後

前回の投稿から約1週間が経過し、7月になりました。トランプが米軍にイラン攻撃を命令し、核施設を攻撃しました。地下深くに築かれた核施設を破壊することもできるという超大型爆弾を投下したというのです。爆弾を60mの地下に打ち込むと、爆弾はそこで爆発するということで、トランプはイランの核施設をほぼ全滅に近い状態に破壊したと成果を誇りました。大規模な攻撃を受けたイランはカタールにある米軍基地を米側に通告したあとでミサイルを撃ち込んだと発表。トランプもイランの通告のおかげで被害は軽微に済んだと謝意を述べていました。一応、イランの名目も立ったような形でお互いが幕引きを図ろうとしたようです。

トランプ自らがイラン攻撃に参加し、その後で自らが戦争を終わらせた立役者だというシナリオでイランとイスラエルに停戦をするように圧力をかけたわけです。戦争を止めて、核開発を断念しなければ再度攻撃もあることをほのめかしながら、イランとアメリカが協議するという計画らしいです。独りよがりも甚だしいことですね。

イランの核施設の状況はどうなのか明白ではありません。米は成功したと主張する一方でイランは被害は大したことがなかったと主張します。ウラニウムは事前に安全な場所に移したといっているのです。イランの言うことが例えそうであったとしても、大きな被害を受けた、と言っておけば良いのにと私は思うのですが。アメリカとイスラエルはイランの核が怖いのですから、核開発が今後も続く可能性があるなら、再度攻撃することになるでしょう。私は昔書いた本の中で「イランは寝業師である」と書きました。かつてロシアがイラン領に侵略したときの交渉で一部の石油利権を与える条件で、ロシアの撤退を成功させたことがあります。ロシアの撤退後にその協定を議会が批准しなかったために石油利権は与えなかったのです。トランプには騙し合いも通用しないかも知れませんが、まともに相手にするのもどうかと思いませんか。

いずれにせよ、イスラエルが仕掛けた攻撃が終わったようですが、安心はできません。イスラエルはガザの攻撃を再び始めています。多くの血が流されています。イスラエルから攻撃を受けたイラン人の叫びをSNSで読みました。「イスラエル人は人の血を栄養源としている!」というのです。戦争は被害者である一般の人々の心も憎しみに満ち溢れさせてしまいます。

ここまでの文章は7月1日に書いたものです。その後、アメリカ=トランプ側もイランの核施設のダメージが期待通りのものではないと疑い始めたようですね。今後のイランとの協議で言うことを聞かない場合は更なる攻撃をするとの意向のようです。協議がいつ始まるかも全く不明な状況です。とにかくトランプの言うこと、やることはいい加減ということです。今はまたガザに矛先を向け、一方で日本他への関税アップの通達を送るなど大忙しのようです。7月8日記

 

 

米軍がイラン核施設を空爆

昨日の11時ごろでした。NHKワールドのサイトからタブレットに速報のお知らせが届きました。急いで開けてみると上の画像が現れました。トランプが米軍がイランの核施設を攻撃したとの演説が流れました。テレビをつけるとNHKニュースもこのことを伝えていました。オーマイゴッド!と私は叫びました。先にイスラエルがイランを攻撃し、イランも報復攻撃を繰り返していたさなか、アメリカは2週間以内に攻撃するかどうか思案中ということだったわけですが、たった2日後に空爆が実施されたのでした。

翌日、つまり今日の中日新聞朝刊第一面です。勿論大きく取り上げています。詳しくは皆さん既にニュースでご承知のことですね。イランの核施設3カ所を攻撃したとのことです。アメリカは3カ所を完全に破壊したと言っています。イランは降伏して核開発を放棄しなければならないと主張しています。

これ以後は私の私見です。私はイランが核兵器や核爆弾を持つことは止めて欲しいと思います。が、それはイランだけでなく世界中の国にとっても同じ思いです。既に核を保有している国々も持ってはいけないということです。広島、長崎の被爆体験を有する日本、日本人は特にそう考えるべきだと思っています。欧米諸国はイスラエルがイランを攻撃を仕掛けたことに対して、イランに核を保有させないためにイスラエルの立場を理解できると表明し、イランに核協議に復帰するように勧めていました。核協議に参加したり、離脱したり、再び参加しているのは米国ではないでしょうか。協議が行き詰まれば力でねじ伏せようと空爆するのがアメリカのやり方、イスラエルと一体の今回の行動に怒りを覚えるのです。イランが核開発を進めるのを認めるという気持ちは私にはありません。現政権に対するイランの多くの国民が不満を持っていることも知っています。民主的な国家に生まれ変わるべきだとも少なからず思っています。でも、今回のように戦争を起こして、多くの市民を殺したり、生活を破壊するようなやり方は駄目でしょう。イスラエルが同時にやっているガザでの虐殺は5万人を超えました。前にハマスの攻撃でイスラエル人が殺されたことの報復というのが大義名分かもしれませんが、度の超えたやり口でしょう。
6月23日記

 

2024年アラビア書道作品展(川崎会場)

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長い間ご無沙汰しておりました。猛暑の夏に嫌気がさして休んでおりました。またイスラエルはガザだけでなくレバノンのヒズボラとの争いも激化した嫌な日々が続いていましたし、今も続いています。そんな中、今年のアラビア書道作品展は例年どおり開催されました。私の作品を冒頭にアップいたしました。今回はペルシアの詩人ハーフェズの詩の中でも特に有名な詩の冒頭の部分2行を書きました。その詩の全文を小さな文字で入れて背景としました。もう一つの背景は左右に男女の姿を入れました。詩の意味が分かれば二人の男女の意味も分かるというものです。

冒頭2行の意味は次の通りです。
「かのシーラーズの美女がわが心を受け入れるなら、その黒いほくろに私は捧げよう、サマルカンドもブハーラーも」
美しいシーラーズの美女への思いを詠ったものです。彼女が私の思いを受け入れてくれれば、当時栄えたサマルカンドやブハーラーの町をも捧げようという大げさな語り掛けです。これらの町は今はウズベキスタンの古都であります。かつてウズベキスタンの大統領がイランを訪れた時に歓迎会場でのスピーチで「イランの女性がいくら美しい女性であっても我が国の町を取り上げないでもらいたい」とユーモラスに語りました。会場は大いに盛り上がったのでした。イラン人なら誰でもこの詩を諳んじているのです。この2行をもじって替え歌を作ることもありました。この詩の雰囲気を味わえるようにバックグランド音楽と朗読を入れて見ました。次の動画をご覧頂ければ幸いです。30秒ほどです。

 

イランの新大統領決選投票で改革派候補が勝利

2004年7月6日、イランの大統領選挙で改革派候補者が当選した。一回目の投票で過半数を獲得した候補者がいなかったために、上位2人による決選投票となっていた。私としては当然保守派が当選するための儀式でしかないであろうと予想していたのあるが、意外な結果に驚いている。保守派にとっては1回目の選挙結果が大きな誤算であった。保守強硬派の有力な2人の候補者の一本化ができなかったため、二人の候補者が1位と3位に票が割れてしまったのである。そして知名度の低い改革派のペゼシュキアン候補が第2位に食い込んだのであった。冒頭の新聞は7月7日付の Iran Daily 紙である。写真の左側のコラム(英文)には次のような編集者の記事がある。

モスタファ・シルモハマディ編集長
マスード・ペゼシュキアン氏は、イランの有権者6140万人のほぼ半数が投票した決選投票で、イランの第9代大統領に就任した。社会、政治、経済改革を公約に掲げて出馬した70歳の元保健大臣は、約1640万票を獲得した。一方、保守派のサイード・ジャリリ候補は約1350万票を獲得し、金曜日の時点で勝者と9%以上差をつけた。
(中略)
ペゼシュキアン氏は、経済繁栄、社会的自由、インターネット規制の緩和と解除などの選挙公約を実現し、4年間の任期中にこの国家資産を守るという大きな重荷を背負わなければならない。
このベテラン改革派には、制裁を受けたイランの経済を強化し、国民生活の向上を第一の優先事項とする以外に方法はない。これは、次期大統領選挙の支持基盤を維持し、一般投票率を上げるために、在任中の計画の要となる可能性がある。
急激なインフレ、2桁の失業率、法外な家賃など、経済的困難に見舞われている国を、選挙に積極的に参加させるのは「ミッション・インポッシブル」のように聞こえる。
こうした目標を達成するために、次期大統領は、他の権力機関、経験豊富な政党、そしてイスラム共和国内の同様に強力で影響力のある人物や団体を味方につける必要があることは間違いない。争いや内紛は、彼の政府だけでなく、より広い意味ではイスラム体制全体に害を及ぼすだろう。なぜなら、これが彼の改革計画の失敗を早め、結果として次の大統領選挙で多くの有権者の士気を低下させる可能性があるからだ。
国民の団結は、ペゼシュキアンの新興政権の成功にとって必要条件である。

承知のようにイランの政治体制では大統領の上に最高指導者が存在する。現在はハメネイ師である。彼は保守強硬派の頂点であり、大統領と言えども彼には逆らえないのである。新大統領が改革を進めようとしても保守派からの横槍が入るのは当然のことである、過去にもハタミ大統領、ロウハニ大統領などの穏健派大統領が選ばれたが思うような政治ができなかった経緯がある。今回も新大統領が難しいかじ取りに苦労するのは自明である。そのためにも上述の新聞記事が述べているように国民の団結を力にするように最大限の努力が必要であろう。

ノーベル平和賞がイラン人女性に!

ノーベル平和賞がモハンマディさんに授与されました。イランの民主化、女性解放のために活動している女性です。同じく平和賞を2003年に授与されたエバディさんが率いる「人権擁護センター」の副代表である。モハンマディさんは現在刑務所に収監されている。イランで「自由、命、女性」というスローガンを掲げて立ち上がった人々のリーダーである。受賞当日彼女は「この日は刑務所での最も輝かしい最高の1日だった」と家族が投稿するインスタグラムで伝えられた。
喜ばしいニュースではある。私自身もインスタグラムに「おめでとう」と投稿した。そして「これが彼女にとって良かれとなるか否や?少し心配である。」と付け加えた。私の思いはノーベル賞が授与されることによってイランの現状が変わるかという疑問である。2003年のエバディさんの受賞によってイランは変わったか?いや変わってはいない。いまも継続して活動中であるので今後変わることを期待したいのであるが、ノーベル賞によって飛躍的に事が改善するとは思えないのである。活動が勢いづいて再び政府の圧力が増すことがないように祈りたい。

断食明けとイエメン

前回の投稿は断食月の最中であったので、断食のことを書きました。そして、断食明けは盛大なお祝いの日だと書きました。今回のラマダン明けは21日ということでした。そこでタイトルに挙げたイエメンでは85人の死亡者がでるような惨事が起こったことが報道されました。イランとサウジアラビアが国交正常化に向けて歩き出した一環の流れの中でイエメンの内戦も終結に向けて動きが進んでいる中での今回の事件というか事故だったので、私はとっさに和平への動きに反発する騒動かと思ったのでした。が、そうではなかったようです。事故のあらすじは以下のようでした。

ラマダン明けのお祝いのために富裕層が一人当たり5千イエメン・リアル(約1070円)を配っていたとのこと。そこに大勢の人が殺到して建物の入り口周辺で転倒して事故になったそうである。世界で最も貧しい国の一つに挙げられるイエメンでは5千リアルというのはかなりの金額なのであろう。少なくとも死者が85人、320人以上が負傷したとのことである。ラマダン明けのお祝いがこのようなことになったのは残念である。報道ではこの配布イベントを主催した実業家3名をフーシー派が逮捕したとのことである。ここが現在のイエメンの状況なのである。本来ならイエメンの正式な政府の支配の下での警察が逮捕するのであろうが、そうではなくてフーシーが事実上の支配者であることを示している。今後、イランとサウジの和解により、イエメンでのこの状況が変わろうとしている筈であるが、そうなるであろうか・・・・注目すべきことである。

 

今、イスラム社会では断食月(ラマダン)の最中です

イスラム社会には1ヵ月に亘る断食の月があることは有名ですから、皆さんもご存知ですよね。今が丁度、その時に当たります。今年のラマダンは3月22日の夕方に始まりました。終わるのは4月21日金曜日の夕方になります。夕方というのはイスラムでは1日の始まり=終わりだからです。その間、ムスリム(イスラム教徒)は日の出前から日没までの間、飲食を断つわけです。名古屋でいうと日の出は5時半頃で、日没は6時半頃でしょうか。そうするとほぼ13時間の間飲食を断つわけです。これが夏の季節だと日の出はもっと早く、日没ももっと遅くなるわけですから、例えば4時から19時とすれば、15時間となるわけです。逆に真冬であれば、7時から17時とすれば10時間ですね。真夏と真冬では5時間位の差が出てしまいます。このように断食の月は毎年時期が違うのです。それはイスラム暦が太陰暦だからです。月は満ち欠けがあります。新月から次の新月までの間がイスラムのひと月になります。ほぼ30日間です。イスラム暦の1年は30日の月が6回、29日の月が6回で合計354日となります(閏年の時は355日)。つまり私たちの太陽暦の365日より11日少ないわけですから。毎年我々の暦でいえば前に来るわけです。来年のラマダンは今年よりも11日早く始まります。そういう理由で断食月の季節が常に一定ではないのです。

私はムスリムではありませんので断食をしたことはありません。しかし、イランに滞在中にその時期を何度も体験しました。そのころは王様の時代でしたから、脱イスラム的な方向に向いていたので、断食をやらない人もいましたし、敬虔な信者はきちんとしていました。レストランの入り口は締まっているように布や紙で覆っていても中では営業していることもありました。イラン革命後の時代には旅行中に昼食にありつけず、夕方まで空腹を我慢したこともありました。断食はやはり大変なことです。断食後に最初に摂る食事をイフタールと言いますが、最初はデーツを食べると言います。いきなり胃に沢山放り込むのではなく、胃に優しい食べ方を勧めているようです。日本でもデーツは健康に良いということでスーパーなどにも並ぶようになりました。私の近くのスーパーには「王様のデーツ」が売っています。ここに写真をアップしようと思いましたが、みんな食べてしまって残っていませんでした(残念)。東京にあるモスク(東京ジャーミ)の売店にも箱入のデーツが売っていたのでお土産に買ったことを思い出しました。

トルコのイスタンブールに立ち寄ったとき、ちょうど断食明けの日でした。人々が町に繰り出して、どこも満員で混雑状態でした。地下鉄とバスに乗ったのですが、無料でした。私の友達は断食の終りの方になると心が神経が研ぎ澄まされるような感じになると言ってました。普段当たり前のように摂っている食事がありがたいものであるとも。

ところでタイトルに断食のことをラマダンとカタカナで書きました。でもイランではラマザンと言っていたのです。ですから私はいつもラマザン、あるいはラマザーンと言っているのですが、大部分のイスラム社会ではラマダンなんですね。つまりアラビア語ではラマダンだということでした。アラビア語もペルシア語も  رمضان このように書きます。つまり文字は同じです。5文字でなっている単語なのですが、真ん中の文字 ض この文字の音訳がアラビア語では d であり、ペルシア語では z なのです。ですからイランではラマザンとなっていることが分かりました。そろそろお腹が空いてきたので食事の準備をすることにしましょう。ムスリムならあと30分ほどは食事ができないのですが。

 

 

 

想い出の中東イスラム世界:Sizdah Be-dar (سیزده‌بدر) 祝日 سیزده‌بدر

今日は3月31日です。そろそろイランではFarvardin月の13日になるでしょうか。3月21日の春分の日がイラン暦の元旦でしたから、4月の2日頃が13日になるでしょう。この日はタイトルに書いたように、シーズダアベダルという祝日になります。イスラムの行事ではありません。ペルシアの伝統的な祭事です。春が近づいた春分の日を年の初めの元旦とし、更に2週間ほど経つと草木の芽が一斉に吹きだします。このときイランの人々はお昼の食事を抱えて外に飛び出すのです。英語ではピクニックデイと訳されていたりします。この日でなくともイランの人々は外で食事をするのが大好きです。次の写真はある年の9月に通りがかった公園で写した風景です。家族そろって昼食をしている所でした。

普段でもこのように食事を広げて、楽しくひと時を過ごす姿があちこちで見られるのです。私たちが傍を通ると「ベファルマイ!(どうぞ)」と言って誘ってくれるのです。「メルシー(ありがとう)」と言って通り抜けようとすると「タアロフナコン(えんりょしないで)」と更にしつこく誘ってくれるのです。彼らはすごく社交的で開放的な人々でした。彼らは「自分たちはメフマンドゥーストなんだ」と言います。メフマンは客人のことで、ドゥーストは好きという意味。つまりお客好きの民だというわけです。そうです日本でいう「おもてなし」好きということです。

話を戻しましょう。イランの現体制は厳格なイスラムによって統治されています。イスラムにおいての祝祭日は当然イスラムに関する日に限られています。例えばラマダン明けの日というように。でも、イランは厳格なイスラム体制ですが、アケメネス朝ペルシアのようなイスラム以前の誇り高き歴史があります。その当時の宗教はゾロアスター教が有名です。先ほどの春分の日の元旦やここで紹介しているシーズダアベダルの風習はゾロアスター教に由来するものです。従って、イスラム暦の新年とは異なるノウルーズというお正月をお祝いする風習があるのです。お正月の飾りにも頭文字がSの付くハフト・シン(七つのS)を飾ったりします。ついでに言うならば「お年玉」も子供たちが楽しみにするものです。イランでは「エイディ」というのですが、日本と同じような風習です。

いま日本中が桜の花に酔いしれています。今年はコロナ以前のように花見をすることができるようになったところが増えましたね。コロナが治まって、イランの核合意が好転して制裁が緩和されたりすれば、是非ともイランを訪れたいと思います。そのためにも、ペルシア語を忘れないように勉強をしておきたいなと思うのです。

サウジアラビアとイランの国交正常化合意のその後

前回、中国の仲介によりイランとサウジアラビアが国交正常化への合意をしたことを取り上げた。私の考えはどこの国が仲介しようと和解⇒和平⇒平和になるなら歓迎であると述べた。しかしながら、イエメンの問題など難しい問題が残っているとも述べた。早速ではあるが、イエメン問題についても和解へのステップが始まったようだ。私の読みが狂ったとしても、いい方向への流れであるから歓迎である。明らかになった合意のポイントを中日新聞が共同通信によるものとして伝えている。
5項目が示されているが、イエメンに関するもの以外は大したことではない。イランの核合意の立て直しはアメリカ次第である。サウジが米に働きかけたとしても、中国の仲介によることが米の機嫌を損なっている以上、簡単ではない。イランの反政府メディア支援を停止するという項目は訳が分からない。サウジが支援していたと認めているのだろうか。もはやイランの反政府運動は若者たちの間で根強く広まっており、サウジの影響を受けているものではない。やはりこの合意で注目すべき動きはイエメンの問題であろう。具体的に終結を目指す動きがでるならば、これが一番大きな成果であろう。

 

サウジアラビアとイランの国交正常化への動き


この画像は2016年にイランとサウジアラビアが国交を断絶した当時のものである。サウジアラビアや周辺の湾岸諸国、つまり王政の国々が1979年のイラン革命の後、自国への革命の伝播を恐れ、何かとイランと対立していたのであった。評論家は中東における覇権争いであるとか、シーア派とスンニー派の対立であると論じてきた。現代ではイエメンの内戦を取り上げて、反政府派のフーシーをイランが、政府をサウジが支援し合い、事実上はイランとサウジの戦いであるとも言われている。いずれにせよ、両国の対立は根深いものがある。

今回、中国の仲介で両国が国交を正常化に戻すことに合意した。既にお互いの大使館を開くことも具体的に進んでいる。昨日はイラン側が大統領に対してサウジから招待状が届いたと発表した。サウジは公には認めていない。外相同士の会談も準備中であると報道されている。両国の接近は世界中で概ね歓迎されている。しかしながら、この和解への道が中国による仲介であることから、「中国の思惑はどこにあるのか?」と、論説するメディアもある。でもそれはどうでもいいことではないだろうか。脱化石燃料と叫ばれるようになったのは最近のことで、過去の長い間、中東は世界のエネルギーの重要な供給者であった(いまもそうではあるが、化石燃料に対する重要性は減少している)。本来なら、中東のエネルギーに依存する比率の高かった日本が中東の安定のために、中東の紛争を解決すべく積極的に動くべきだった。パレスチナ問題がその最も代表的なものであるが、フセインのイラク、シリア問題、イラン・サウジの対立などの解決にもっと関わるべきであった。何もしないできた日本が、また西側の大国も今更中国による仲介に文句を言う資格はないだろう。中東が平和になるなら誰が仲介してもいい。イラン・サウジ関係がが正常化してもそれは中東の一部の問題解決にしかならないのは分かっている。また、それすら実際にどこまで進展するかはまだまだ未知である。

話は飛ぶが、いま習近平がロシアを訪問している。ロシアとウクライナの戦争終結のために提案するとかも言っているみたいである。それに対してまた「中国の思惑は?」と世界中が言う。私は中国がどういう思惑であろうと、この戦争は一日でも早く終わらすべきだと思っている。中国がロシアに武器を提供することを西側が批判するなら、西側もウクライナに武器を供与しないで欲しい。武器製造企業は莫大な利益を挙げているのだ。彼らは戦争は終わらせたくないのである。今日、岸田総理がウクライナを電撃訪問したと昼のニュースで報じられていた。どうせ行くならロシアに行って、「戦争を止めろ」と説得してもらいたい。北朝鮮に拉致された人々を取り戻すためには、北朝鮮に行って、「彼らを返せ」と連れて帰ってもらいたい。