トルコ料理

以前に、イラン料理を紹介したことがある。中東にも色々な国があるのだから、イラン料理だけ紹介したのでは片手落ちだろう。そこで今回のトルコ料理となった。

これまた随分前のことであるが、このブログの中で中東の文化圏を3つに分けたことがある。その時に示したのが次の図であった。
中東に数多くの国があるが、大きく分けるとアラブ、トルコ、ペルシャとなる(イスラエルは別として)。それぞれの国にそれぞれの特徴ある料理があるかもしれないが、この3つの区分で紹介してみよう。そうすると次はアラブ料理ということになるのかも知れない。

さて、トルコ料理である。いつからそうなったのか?誰がそう決めたのか?は知らないが、トルコ料理は世界三大料理の一つであるという。フランス料理と中華料理とトルコ料理だそうな。他の二つは日本でも馴染みがあるが、それらに比べるとトルコ料理は馴染みの薄い料理であることは間違いないだろう。でも、トルコ料理レストランは近年増えているように思う。少し大きな都市ならば、見つけようとすれば見つかるのではないだろうか。ちなみに私の住んでいる愛知県では大小色々10件以上検索される。

肝心の料理であるが非常に沢山あるし、私がここで詳しく紹介するよりも、ウェブには数多くのサイトで紹介されているのをご覧いただいたほうがいいだろう。ちなみに、   https://4travel.jp/magazine/gourmet/00183 のトラベルマガジンのサイトは写真付きで料理の説明が詳しくされている。料理の名前だけをここに引用させていただこう。ドネル・ケバブ。シシ・ケバブ。イスケンデル・ケバブ。キョフテ。バルック・エクメーイ。ミディエ・ドルマ。メルジメッキ・チョルバス。チョバン・サラタス。フムス。 ピラウ。ピデ。マントゥ。ドンドゥルマ(アイスクリーム)。さらにデザートのスイーツも紹介されているのである。他のサイトではサルマもおいしそうに紹介されている。ケバブは一般的にケバーブとかキャバーブと呼ばれる肉を焼いたものである。有名なドネル・ケバブは肉の塊をクルクル回転させて、焼きあがった外周りを削って供するもので、街角でのファストフードのようにパンに挟んだりすることもできる。ドルマは野菜でご飯とひき肉などを詰めたもので大きなピーマンが一般的かな。ピラウはピラフ。ピデはパンというかピザの類。サルマはブドウの葉やスイスチャード(ふだん草)などの葉で豆やコメなどを包んだもの。マントウは餃子のようなもの。
こう見てくると種類が豊富、世界中の料理に似たものもあり、一度や二度、レストランに行っただけでは、トルコ料理を食べたとは言えないような感じである。つまり、私はトルコレストランに行った事があるが、食べたことのない料理がまだまだあるということだ。

最後に写真を2枚載せておこう。もう20年位前に学生一人を連れてイスタンブールに行った時の写真である。貧乏旅行である。町中にある小さな店先にトルコ料理が並んでいた。それを二人で食べた時の写真である。現地の人々が気軽に食べる庶民的な食堂というか、屋台に近いものである。店の外のテーブルでの愉しいひと時であった。私にはこのような旅のほうが似合うような気がする。


ダマバンド山 5,671m

今回も山の紹介である。ダマバンド山 5,671m である。


イラン北部、首都テヘランの北東方70キロメートルにあり、アルボルズ山脈中にそびえる。同国の最高峰で標高5671メートル。アルカリ岩系の粗面岩、粗面安山岩からなる成層火山で、噴火記録はないが、山頂火口付近には噴気孔が多く、東~南側山麓(さんろく)には温泉がある。頂部は万年雪を頂く。1836年イギリス人W・トムソンが初登頂した。ゾロアスター教の霊地として知られ、南麓にある同名の集落(人口約5000)は著名な避暑地、行楽地である。(日本大百科全書より引用)

イランの首都テヘランは標高 1200m ほどに位置している。そして、町から北の方角には高い山が連なっている。冬は真っ白な雪に覆われていて、夏には溶ける。それが、大都市テヘランへの供給水となる。その連山がアルボルズ山脈の一部なのだ。テヘランから 66km 離れた北東方向にあるのが、ダマバンド山である。直接テヘランからは見えないが、テヘランからカスピ海方面へ抜けるいくつかのルートのうち、東ルートつまりチャールース方面へ抜けるルートを取るとダマバンド山の姿を見ることができる。飛行機を利用する場合は勿論見ることができる。標高であるが5,671m と記されているが、5611m や5610mというのもあるから、どれが正確化は分からないが、5600mほどの高さであることは間違いない。

イランに在住する日本人の間では、イラン富士と呼ばれている。冒頭の画像が示す通り、富士山のように形の美しい神々しい山である。
日本の旅行会社「西遊旅行」のウェブをみると、ダマバンド山へのツアーの企画も掲載されている。勿論、高山病対策などを要する山なので簡単なものではないだろうが、興味ある人はこのサイトを覗いて見るといいだろう。

 

シナイ山

前回がアララト山だったので、今回も山にしようと思った。そこで選んだのがシナイ山だ。
場所は言うまでもなくシナイ半島であるから、エジプトに位置しているわけである。シナイ半島の南部にあって、標高は2,285m 。上の画像は朝日新聞社発行の地図からの引用であるが、山の名前はムーサー山(シナイ山)と書かれている。ムーサーとは旧約聖書に登場するモーセのことである。モーセがユダヤ人を率いた出エジプトの物語の舞台である。つまりモーセが十戒を授けられたことで有名なあのシナイ山である。次の画像は前回同様に Pixabay のフリー画像のシナイ山である。
次の画像はまた別のサイトのフリー画像であるが、これは山の上からの景色である。
そして次のフリー画像は山頂からみた日の出の景色である。
神が授けた十戒とは:
主が唯一の神であること
偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
神の名をみだりに唱えてはならないこと
安息日を守ること
父母を敬うこと
殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
姦淫をしてはいけないこと
盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
隣人について偽証してはいけないこと
隣人の財産をむさぼってはいけないこと
であるが、ここではそれだけにとどめておこう。

つまり、シナイ山は聖地である。従って世界中から多くの人々がシナイ山を訪れているそうだ。その人たちを受け入れる体制も整っており、体力に自信がなければラクダの背に乗って頂上近くまで行くことができる。夜中に登山して頂上で日の出を迎えるというのが定番である。日本からも旅行会社のツアーが販売されていることがネットで見つけることができた。

確信があるわけではないが、十戒を授かったという山は実はこのシナイ山ではなく、アラビア半島の違う場所なのだという説もあると聞いたことがある。もともと、この物語が神話のようなフィクションであれば、そんな山は存在しないのであろうし、事実であるならその所在地の真偽にも興味関心が湧くのである。私の場合は後者なのであるが。

アララト山

今回は珍しく自然の風景です。アルメニア側からみた写真で、出所はフリー画像のサイト、Pixabay の写真を利用させていただいた。アララト山である。標高5,137mでトルコの東部に位置している。アルメニア川から写した写真なので、前景にある建物は修道院である。アルメニア正教会の修道院なのであろう。アララト山と呼ばれるが、実際には2つの峰があり「大アララト山」「小アララト山」と呼ばれている。5,137mは主峰、つまり大アララト山の標高である。小アララト山の標高は 3,896m である。二つ並んだ景色が次の画像である。

アララト山の周辺は古くからアルメニア人たちが居住しており、オスマン帝国時代の末期までそうであった。帝国末期の時代に強制移住により、アルメニア人が居なくなったが、その当時に大量虐殺が行われたともいわれている。それはともかくとして、アルメニアにとってアララト山はシンボルとして生き続けているのである。次の画像はアルメニア共和国の国章である。

小さくて見えにくいかもしれないが、真ん中に描かれていいるのがアララト山である。三色旗の国旗の中にこの国章が描かれた旗も見かけることがあった。

アララト山を話題にするなら、ノアの箱舟を忘れてはなるまい。このブログでもノアの箱舟伝説の記事を書いたことがあるが、旧約聖書の大洪水の舞台である。箱舟の残骸というか化石のようなものが山中から発見されたなどというニュースか噂のようなものが流れたこともある。

私自身はこの目でアララト山を見たことはない。でも、冬の12月にイスタンブールからテヘランへの飛行機に乗った時に窓から見下ろした一帯が高峻な山々で真っ白に雪で覆われていた。アララト山もそこにあったかもしれない。目を凝らして探したが見つけられなかった覚えがある。

日本の最高峰よりも、さらに1500mほども高い聖なる山である。ひとつの自然界の山が人間の歴史を見続けて、何かを私たちに語り掛けているようである。

イスラムを知る:4つの法源

イスラム社会はイスラム法によって統治されている。今回はイスラム社会の法の体系について簡単に記してみよう。

イスラム世界で最も重要なのは啓典、つまりコーランであることは誰でも知っているだろう。コーランはイスラム法の体系の中で最も重要な第一の法源である。コーランは神の啓示を集大成したものである。神がムハンマドに与えた啓示が示されている。イスラム社会での決め事は全てコーランに則ればいいわけであるが、必ずしもコーランで全てが解決するわけではない。そこで次に拠り所となるのがスンナである。

スンナとは範例、慣習の意味である。ムハンマドの言葉と行為によって示されたものである。具体的にはそれらを集大成した伝承(ハディース)によって保存されているのである。ムハンマドが生前に示した種々の問題に対する解釈であったり、彼が処理した前例などである。ムハンマドの言行録であるといってもいい。ハディースは日本語にも訳されているので私も読んでみたが、分厚い文庫本6冊にぎっしりと書かれているものである。極端にいうと「ムハンマドが・・・・について尋ねられたときに、ムハンマドはこのように答えたと、誰誰が言った、ということを誰誰の友人の誰誰が誰かに伝えて、それを聞いた誰誰が誰誰に文にして記録していた」とかのようなものもあり、スパッと問題を解決するようなものではない部分が印象的であった。が、様々な面での疑問に対して答えらしきものが示されているのである。これが二つ目の法源である。

3つ目の法源はイジュマーである。これはムハンマドの死後、権威ある法学者による総合意見、個々の学者の研究結果がイスラム社会の中で受け入れられた「神の真意」と見なされて法源となったものである。権威ある法学者による法学的な見解とでもいうべきものだろう。

最後の4つ目の法源はキャースである。「類推」「理性による類推」などと訳されることが多い。コーランとスンナから三段論法的に規定を導きだした結果によるものである。

我々に異教徒にはよくわからない部分が多いが、当事者達にとってはコーランをどう解釈するかは大きな問題である。人の運命をも左右してしまう法の解釈だからである。近代的な現代になっても、イスラム法を維持し続けることは難しいことであると思う。例えばイスラム銀行が利子を取ってはいけないというイスラム法に逆らわずに銀行業務を続けるためには、イスラム法に抵触しない法解釈が通用するような論理が必要である。また時間があれば、イスラム金融などの法解釈にも触れることにしよう。

 

 

 

 

オリンピックが近づきましたね。

コロナ禍の中でオリンピック、パラリンピックの開催が近づいてきました。開催の賛否両論、観客をどうするかの意見も多岐に分かれている中での開催になりますね。そこで、前回のリオデジャネイロでの開催時の中東諸国のメダル獲得数を調べてみました。出所は朝日新聞のネット記事から拝借しました。

順位
6 日本 12 8 21 41
25 イラン 3 1 4 8
41 トルコ 1 3 4 8
48 バーレーン 1 1 0 2
54 ヨルダン 1 0 0 1
69 カタール 0 1 0 1
75 エジプト 0 0 3 3
77 イスラエル 0 0 2 2
78 UAE 0 0 1 1

メダル数は日本が41個で第6位だそうです。中東ではイランとトルコが8個ですが、金メダルを3個取っているイランが25位、トルコが41位となるようです。メダルの数や順位などどうでもいいことですが多くの国はそんなにメダルを取ることができないわけです。先進国有利な競技大会です。

私はもう何年も前からオリンピックは不要と考えています。始まった当時のアマチュア精神が無くなった以上、存在価値はないと思っています。勝つことよりも参加することに意義があり、勝ち負けではなく世界の平和、友好のシンボル的な競技会であったのです。そのころはプロのアスリートは参加できませんでした。参加標準タイムなどもないので、閉会式が終わるころになって帰ってきたマラソンの選手などもいました。水泳でも一人ダントツに遅いスイマーもいてみんなで応援したものでした。

プロ選手も出場できるようになった今のオリンピックに魅力はありません。それぞれのスポーツにはワールドカップがあって世界一を競う大会があります。なのに、オリンピックを開催する意味はどこにあるのでしょうか。IOCの姿勢もいけません。商業主義になり下がりました。面白くするために、協議のルールにまで口出しするようになりました。レスリングもそのとばっちりを受けてオリンピック種目から外されかけたこともありました。IOCを接待しなければならなくなります。IOCの意向に沿うために競技種目まで歪められてしまいます。

開催地の選考もIOCの独壇場です。IOC役員は開催希望国を豪遊してまわり、接待を受けて、あれこれ注文をだして決定しているわけです。金のかからない五輪には、なりようがありません。

サッカーの世界一はワールドカップでいい。テニスの世界一はウィンブルドンなど4つのグランドスラムがあればいい。野球など世界でマイナーなスポーツは五輪には要らない。プロとして稼ぐことの難しいような競技種目、例えば陸上だとか、フェンシング、体操などは五輪にふさわしいのではないだろうか。

中途諸国のメダル数から横道に逸れてしまったようだけど、コロナ禍の今、開催地以外で真剣に開催を望む国、国民はいったいどれくらいいるのでしょうか?

というものの、出場のために一生懸命頑張っているアスリートは応援していますよ、勿論。特に水泳の池江さんなどはそうですね。
冒頭の画像は昨日のイラン・デイリー紙の記事です。バドミントンの出場権を勝ちとったイランの女子選手の紹介です。感染対策を十分にして来日してほしいものです。

 

 

イラン大統領選挙結果と州別の投票率

イランデイリー紙のオンライン版は選挙結果を報じています。その一部を自動翻訳したのが次の通りです。

内務省は土曜日、保守的な聖職者のライバルが敗北を認めた後、司法長官のSeyyed Ebrahim Raeisiがイランの第13回大統領選挙で62%近くの票を獲得したと述べた。Raeisiは、金曜日に投じられた2890万票以上のうち、1790万票以上を獲得した。これは、340万票を獲得した2位の候補者であるMohsenRezaeiをはるかに上回っている。アブドルナーセル・ヘマティは240万票以上を獲得し、セイエド・アミロセイン・ガジザデ・ハシェミは100万票近くを獲得した、とアブドルレザ・ラーマニ・ファズリ内務大臣は全国テレビで述べた。
イランには5900万人以上の有権者がおり、投票率は48.8%で、1979年のイスラム革命以来最低であった。Rahmani Fazliは、370万票が無効になったと述べた。

勿論、日本の各紙も報じているが、ここには落選した候補者の票数も記されている。また、今回の選挙は候補者の事前審査で民主穏健派がふるいにかけられたことで嫌気になった国民の多くが投票しなかったために、投票率が低いということが注目されたのであった。その投票率は48.8%であった。低いというが、日本の選挙と比べてどうだろうか。かなり高いように私は思う。保守強硬派を支持する層は積極的かつ組織的に投票したのであろう。

ペルシャ語日刊紙Hamshajri紙では、速報記事の中で各州別の投票率を前回の大統領選のそれと比較している。速報であるのですべての州が出そろってはいないが、それらを表にしてみたのが次である。

前回投票率 (%) 今回投票率 (%)
東アゼルバイジャン 65.0 44.0
北ホラーサーン 81.0 65.0
セムナーン 80.3 52.0
ガズヴィン 80.0 50.0
ケルマン 80.0 57.0
ケルマンシャー 70.0 45.0
ゴレスターン 78.0 57.0
ヤズド 93.0 57.0

前回の投票率が殆どの州で80%以上であったが、今回は50%前後となっているわけである。その差、30%の投票しなかった人は、投票したい候補者がいないために棄権したのであろう。もし、民主派、穏健派が候補者になっていれば、この投票率の差の30%を得ることができたであろう。そうすると保守強硬派は敗れることになる。前々回にロウハニ前大統領が選ばれたのは今回棄権した人たちが投票した結果の番狂わせであった。最高指導者たちは十分に情勢を把握しているがために、今回の事前審査では民主穏健派の候補者を一人も入れなかったのである。つまり、国民の欲している大統領の人物像をきちんと認識しているのである。そうである以上う、今回の保守強硬派と称される新大統領も強硬路線をひた走りすることはないであろう。最高指導者ハメネイがこの新大統領もコントロールしながらしたたかな外交を推進することであろう。

 

 

イスラエルの新政権発足!

前々回の続きになります。
イスラエル国会は13日、右派政党「ヤミナ」のベネット党首が率いる連立政権を承認し、歴代最長の12年続いたネタニヤフ政権に終止符が打たれた。連立を切り崩そうとしていたネタニエフの抵抗もむなしく、イスラエル国会は連立政権を承認した。投票結果は60対59であるからギリギリの得票であった。連立を率いるベネットのヤミナ党は右派強硬派であるから、これまでのネタニエフと同じ傾向の思想であるが、連立構成は前々回に述べたように8党の構成であるから、右派強硬派ばかりではない。ベネット自身がこれまでに比べて、穏健な面を出さざるを得ないというような発言をしている。様々な思想をもった党の連立であるから、いつ破綻するかもわからない。
ネタニエフの汚職に関する裁判も進むことであろうし、今後のイスラエルを注視することが必要だ。

2021年アラビア書道作品展の準備

コロナ禍の中で昨年来アラビア書道の教室(名古屋)も休講が多く、先生の指導を受ける機会も非常に少なくなっています。そんな中でも、昨年も川崎市において作品展が開催されて全国から数多くの作品が寄せられました。私の作品もここに掲載したのでありますが、今年も9月に開催が予定されています。今年は川崎のほかに久しぶりに京都でも開催予定です。次回教室が開かれるのは6月30日ですが、緊急事態宣言のために今年になってからは殆ど開かれていません。30日は非常事態宣言が解除されていれば久しぶりに出席することになります。

そんなわけで、今年の作品をどうするかということです。もうそれほど時間があるわけではありません。そこで私は今年もオマル・ハイヤームのルバイヤートの中の一つの四行詩を選びました。そして、お手本をメールで先生に依頼しました。それが5月の下旬でしたので、このところそれを練習しております。まだまだハードルが高いのですが、挑戦です。先生から頂いたお手本が次の画像です。

アラビア書道の世界では世界のトップであられる本田先生が書いて下さったものです。先生の作品は大英博物館にも常設の部屋があって展示されているほどの有名な先生です。恐れ多いとは思いながら、練習に励んでいます。9月初めには完成させて、皆様に披露できるように頑張ります。

さて、詩の内容ですが。次の通りです。私の訳です。

ああ、青春の書(ふみ)は閉じ、

人生の春も過ぎ去ってしまった。

青春という名の歓喜の鳥は、

いつ来て、いつ飛び去ったのだろう? 

英語訳でもっとも有名なFitsGeraldは次のように訳しています。
Alas, that Spring should vanish with the Rose!
That Youth’s sweet-scented Manuscript should close!
The Nightingale that in the Branches sang,
Ah, whence, and whither flown again, who knows!

彼の英訳は元の詩の気持ちを訳していると定評があるのですが、英語のニュアンスまで理解できない私にはよく分かりません。というか、この訳はそれほど元の詩とかけ離れた訳ではありませんが、いったいどの詩を訳したのかと思うようなものもあります(失礼ですが)。

原文のペルシャ語の調べを味わってもらいたいために、ペルシャ語の読み方を次に記しておきました。口ずさんでみてはいかがでしょうか。

افسوس که نامه جوانی طی شد

Afsuus keh naameh-ye javaani tey shod

وآن تازه بهارزندگانی دی شد

Van(va aan) taazeh bahaar-e-zendegaani dey shod

آن مرغ طرب که نام او بود شباب

Aan morgh-e tarab keh naam-e uu bud shabaab

افسوس ندانم که کی آمد کی شد

Afsuus, nadaanam keh kei  oomad key shod

                 

イスラエル:ネタニエフ政権の終焉か!

これまで何度か総選挙をやっても連立協議がまとまらずに選挙を繰り返したイスラエルであるが、この度、タイムリミット30分前にようやく八つの野党が連立を組むことに合意した。というものの最後までどうなるかはわからない。
出所:中日新聞

上の図でお分かりのように、今予想されている連立野党の議席は62と、過半数の61に対して一人多いだけなのである。造反者が一人でも出れば過半数には達しない。何よりも危惧されているのは、8党の政治思想がバラバラであるということ。これで連立を組んで事がスムーズに進んでいくのかということである。主義主張が異なる者同士の連立であって、唯一一致しているのは反ネタニエフということだ。第二党党首のラピド氏が組閣作業を開始したわけであるが、今後の動向は注目しなければならないだろう。

私個人としては、ネタニエフ政権のパレスチナに対する強硬な姿勢には辟易している。この二年間に4回の総選挙をしても政権を樹立できなかったということは、彼の求心力は既に衰えているということだ。汚職問題も発覚して、彼の立場は弱まっている。その彼が、自分の足元を固めようとするために手っ取り早い手法は、国外の敵(ここでは当然パレスチナ)との抗争を拡大することである。パレスチナに平穏をもたらすのはもだ遠い先のことであろうが、ネタニエフは退場してもらったほうがいい。