バーレーンもイスラエルと国交樹立

アラブ首長国連邦がイスラエルと国交を正常化させたという記事を書いたのが8月15日でしたから、およそ1ヵ月後の昨日、バーレーンとイスラエルが国交を正常化させると合意しました。予想通りの展開になっていることですので、驚きはしません。

トランプ大統領はこのような合意を仲介することによって、中東和平の進展を推し進める功労者として自己アピールしているわけです。それが大統領再選へむけて大いに後押しをしてくれると信じて、精力的に運動してきたわけです。それと同時にやはりイランの孤立化、イラン包囲網を築こうとしているわけです。

バーレーンという国は人口が150万人位の小さな国です。バーレーンの影響力はそう大きくはありませんが、アラブ首長国に続いてのことですから、今後もサウジアラビアなどが続くと予想されます。すでにイスラエル機はサウジ上空を飛ぶことが暗黙の了解になっているとも報じられています。時間の問題でしょう。

問題は一連の流れが中東和平にどう影響するかということです。日本ではほとんど真剣な議論が公になっていません。パレスチナ問題の解決・和平につながるならば文句はありませんが、逆に解決から遠ざかるようなことになる可能性も大きいのです。和平への仲介をするならばパレスチナ自治政府を抜きにしてはスムーズに運ぶ筈がないことは自明です。トランプの考えていることは、中東和平ではなくて、自分の大統領選なのです。

アラブ人、アラブ民族とは?

今回は基本に戻ってみましょう。このブログを書き始めた時、つまり2019年の1月だから約1年半前に書いた第2番めの記事で次の図を示していました。

ブログを始めたばかりで、一回の文字数も短い状況でした。この図を示して「中東世界には大雑把にいうと、3つの民族・文化で成り立っている」ということを述べたのでした。ただそれだけでした。トルコとペルシャとアラブです。そして、それぞれについては何も説明がなされていませんでした。その後も、このブログの中ではアラブやトルコ、ペルシャなどという語句を当たり前のように使ってきました。でも、よく考えてみれば、ちょっと不親切なような気がします。今回は反省の意味を含めて「アラブとは?」を考えてみましょう。

アラブとはどういう意味でしょうか?アラブ民族というのがあるのでしょうか。アラビア半島の例えばサウジアラビアの人と、地中海沿岸のモロッコ人とはアラブ人という同じ民族なのでしょうか?いま、「アラブ人とは」とネットで検索してみると、世界史の窓というサイトでは次のように書かれています。
「アラブ人は、本来はアラビア半島を原住地とするセム系民族でアラビア人ともいう。彼らは広大な砂漠地帯で、遊牧生活を送っていたので、ベドウィンとも言われる。いくつかの部族に分かれ、交易と略奪に従事し、それぞれの部族神を礼拝する多神教を信仰していたが、7世紀に厳格な一神教であるイスラーム教を創始したムハンマドによって統一された。イスラーム教の教団国家は当初、アラブ人が主体となっており、非アラブ人のイスラーム教徒は差別される状態だったため、「アラブ帝国」と言われたが、イスラーム教の拡大に伴い、その周辺の諸民族と融合していくと次第にアラブ人と非アラブ人の差はなくなり、アッバース朝の時からは「イスラーム帝国」となった。こうしてアラブ人の概念そのものも拡張されていった。単にイスラーム教の信者と言うときには「ムスリム」を使う。また、イスラーム教徒の商人はムスリム商人といわれ、帝国の拡大に伴い広く東西で活動するようになり、東では中国にも及んだ。中国では唐代以来イスラーム教徒(広い意味のアラブ人)は「大食(タージ)」といわれた。」ちょっと意味不明のような記述がでています。アラブ人とは別名ベドウィンとも呼ばれる遊牧民だというのです。その前にセム系民族であると言っています。民族的な分類ではセム系という範疇に入るのがアラブ人であると。それは良しとしましょう。そうするとセム系民族とは何ぞや?となりますね。同じく世界史の窓で調べてみましょう。次のように書かれています。
「アフロ=アジア語族のひとつの語派とされ、西アジアに広く活動する語族の一派。セム語族(語派、語系)に入る言語には、アッカド語、バビロニア語、アッシリア語、アラム語、フェニキア語、ヘブライ語、アラビア語がある。なお、アフロ=アジア語に含まれる語派には、他に古代エジプト語派、チャド語派などがある。かつて、セム語族に対して、エジプトや北アフリカの言語をハム語族と言ったが、現在ではこの用語は用いられていない。」と。だんだん分からなくなってきます。つまりセム語系という言語学上の分類があって、その言葉を話す民族をセム系民族というらしいのです。そのセム語系にはアラビア語のほかに色々な言語が挙げられています。アラビア語のあればヘブライ語もあるのです。アラビア語を話すアラブ人もヘブライ語を話すユダヤ人もセム系という同じ民族なのです。

回りくどいことは止めましょう。アラブ人という人種的な区分はなくて言語的な区分でいうセム系民族の一つであるわけです。そして、アラブ人というのはアラビア語を母語とする人々のことなのです。

だから、先ほどのモロッコ人とサウジアラビア人とは同じアラブ人なのかという疑問は、アラビア語を話す人々同士だからどちらもアラブ人で良いわけです。人種的には異なるかもしれませんが、アラブ人ということです。

今日のタイトル「アラブ人とは?」の答えは「アラビア語を母語とする人々」ということです。そうするとトルコ人の定義とか、ペルシャ人の定義も気になりますね。それは次の機会に譲るとして、先ほどのヘブライ語を話すユダヤ人のことが気になります。アラブ人と同じセム系民族であり、ヘブライ語を母語とする人々なのでしょうか。そう簡単ではないようです。外見を見ただけでユダヤ人と分かる場合もあるようなので、ユダヤ人という人種があるのでしょうか。・・・ながくなりそうなので、それは次回にしましょう。

想い出の中東・イスラム世界:シーラーズのおばちゃん達

久しぶりの投稿です。9月になっても暑い日が続いていましたね。6,7日と超大型の台風10号が九州の西を通過して被害がでました。遠く離れた愛知県でも非常に強い風、そして時々ゲリラ豪雨のように降る大雨に怖い思いをしました。今日8日の午前中は少し過ごしやすいかなと感じていますが、湿度が高いのでクーラーを点けるのは時間の問題でしょう。

さて今日は、冒頭にタイトルを示しましたが「イスラムのおばちゃん達」の動画を紹介いたします。「想い出の中東・イスラム世界」のシリーズです。私が2011年の9月にイランに行った時の様子です。

日本人の多くの人々は、イスラムの女性について、どちらかというと開放的ではなくて閉鎖的、派手ではなくて地味系、社交的ではないなどのイメージを持っている方が多いのではないでしょうか(私の偏見ならごめんなさい)。でも私の知っているイランのイスラム女性に関して言えば決してそうではありません。大学への進学者の女性の比率も50%を超えたというニュースをもう10年以上前に聞いたこともあります(今はどうか、後で調べてみます)。この動画を撮影した2011年の時にイラン国内の航空券を買うためにケルマンシャー市のイランエアに行ったとき窓口には男性も女性もいましたが、私は躊躇することなく女性の窓口に行きました。その彼女はイスラハンやシーラーズ、ラシトなどに行くチケットの空席をテキパキと調べて、スケジュールを組んでくれました。隣の窓口の男性はお客を前にしていても、新しい客が入ってくると、大きな声で挨拶の言葉を交わし(それは良いことかもしれませんが)、それだけでなく世間話を始めたのでした。その窓口のお客はその間放っておかれているわけです。銀行の窓口などはあまり女性を見かけなかったのですが、一番後ろの列の方は女性がいて、全体を監督しているような雰囲気でした。ケルマンシャーでは町で出会ったイラン人が家に招待してくれたのですが、子供や奥さんも我々(3人)の前にきて、一緒に楽しいひと時を与えてくれました。

もっと昔のことを話せば、1970年代のことになりますが、当時の女性は日本というか西洋の女性となんら変わらぬ人たちでした。王政の政策でもありましたが、チャドールは被らない。被ったとしても綺麗な花柄のものでおしゃれに着こなしたりしたものです。ツイッギーのようにミニスカートも流行りました。車を運転して通勤するので、何度か便乗させてもらったこともあります。それらは1979年の革命前のことですから、それ以後一変したわけですが、彼女たちの女性としての本質は世界中同じなのではないでしょうか。勿論、私の会社の同僚の女性(当時お互いに20代でした)は私の知っている日本の女性と変わりはありませんでしたが、敬虔なイスラム教徒で、日に5回のお祈りもしていました。ラマザンの月には断食をしていました。でも、普段は何ら日本人と同じ女性、普通に一緒にレストランなどに行っていました。

前置きが長くなりましたが、想い出の動画を次にアップしておきましょう。シーラーズの町でバザールを回った時のことです。バザールから出たところにちょっとした庭があり、ドリンクや軽食が取れるところがありました。庭の周りは個別の桟敷席のようになっており、その一つで女性たちがワイワイ大声でお喋りしているグループがあったのです。日本から一緒に行った二人の日本人が現地の人との触れ合うためにもと思い、声を掛けました。その時の様子の一部を同行者が撮影したものです。「大阪のおばちゃん」と同じように思いませんか?(結局動画のファイルが大きいので直接ここに載せられなかったので、ユーチューブにリンクしてご覧いただきます。

イマームザーデとは:Imamzadeh, امامزاده

今日で8月も終わり明日からは9月というのに日本列島は猛暑が続いています。中東に、イスラム圏に目を向けると今はイスラム暦のムハッラム月です。しかも昨日は10日だったようです。ウィキペディアによると、ムハッラム月の10日目は「ヤウム・アル=アーシューラー(「10番目の日」の意)」ないし単に「アーシューラー」と呼ばれ、断食贖罪の日とされているが、この日はイマーム・フセインの殉教日でもあることから、とくにシーア派の信徒の間で熱心に宗教行事が行われている。このフサインの死を追悼する殉教祭をさして「ムハッラム」と言う場合もある。」と書かれています。つまり、スンナ派にしろシーア派にせよ重要な時期にあたるわけです。暑い時期にイランのアシュラの日には男たちが鎖で背中を打つ、あるいは胸を手の拳で叩きながら町を行進するわけですから、大変な苦行でしょう。

そんなことを考えながら、昔自分が写したパソコンの中の写真や動画を見ていました。そこで10年ほど前にイランのシーラーズを訪れた時に立ち寄ったイマームザーデの動画を見つけました。シーラーズにはもっと有名なイマームザーデがあるのですが、そこに祀られている人の甥っ子のイマームザーデです。それでも沢山の人が来ており、グループの人たちは記念写真を撮り、おしゃべりに夢中でした。若いカップルが座り込んでデートの最中というのもいました。壁は鏡のモザイクで覆われているので照明が反射して眩いほどきらびやかでした。もっと昔に訪れた時は静かで厳粛な雰囲気だったように思いますが、この時はそうではありませんでした。イマームザーデはモスクではありません。また、シーア派独特のものです。百科事典には次のように出ています。

「イスラム教シーア派のイマーム (教主) の子孫,および主としてイランに残る彼らをまつった寺院をいい,現在では後者の意味で用いられる。イマームザーデの称号はイマームの息子や孫にだけではなく,神聖さや高潔さにおいて卓越する者,殉教をとげた者にも付される。7世紀末から,アッバース朝カリフ,マームーンが第8代イマーム・レザー Riḍāを後継者に迎えた9世紀初めにかけてイマームの子孫たちがイランに多数移住した。イマーム・レザーの死後彼らは分散し,イラン全土に多くのイマームザーデやその子孫の墓,あるいは彼らの墓と信じられているものが見出される。これらの墓やその上に建てられた寺院が人々の崇敬の対象となり,巡礼の中心地となった。その規模はワクフを有するものから,巡礼者の捧げるものだけで維持されるものまで大小さまざまであるが,イランの民間の宗教生活に果した役割はきわめて大きい。出典 ブリタニカ国際大百科事典」

ここにかかれているように、イランの民間宗教生活に果たす役割云々とありますが、私の知る限りでは、日本人が行う「願をかける」というようなこともするらしいのです。地方の田舎にいっても何を祀っているのか分からないようなイマームザーデもあります。それは村の鎮守様のようなものに感じました。

シーラーズのイマームザーデの動画をユーチューブにアップしてみましたので、このページの冒頭にリンクを張りました。よろしかったらご覧ください。3分丁度の動画です。「いいね」を入れてもらえば嬉しいです。

ペルシャ語講座22:アルファベット الفبا

この講座も20回を超えました。勝手気ままに続けてきました。そして、殆ど説明もしないままにペルシャ文字も使用するようになってしまっています。今日は文字の基本について取り上げておきましょう。

表題のところに الفبا と書いているのは「アレフバー」と読みますが、ペルシャ語の一番最初の2文字のことです。英語でいうならばABです。Aにそうとうするのが「アレフ」で「 ا 」という文字です。Bに相当するのが「ベ」で「 ب 」という文字です。それはともかくとして、ペルシャ語のアルファベットは32文字です。文字はアラビア語の文字=アラビア文字から28文字を借用しています。アラビア語にはないけれどもペルシャ語にはある文字を4つプラスしています。ではNHKのアラビア語講座に掲載されていた、アリフバー早見表を見てください。

一つの文字について、独立形、頭字形、中字形、尾字形の4つが示されています。独立形とは単独で使われる場合の形です。頭字形は単語の一番前に使われる場合の形です。同様に単語の中で前後に他の文字がある場合の形です。尾字形とは単語の末尾に使われる場合の形です。そして、それぞれの文字は他の文字とつながる場合の約束事があります。

例えば、最初の文字アレフ(アラビア語ではアリフ)は前の文字からは繋がりますが、後ろの文字にはつながりません。実際に単語を使って説明してみましょう。「本」は「ケターブ」です。アレフバーでいうと、k t a b です。ペルシャ語で書くと、ک  ت  ا  ب  の4文字です。k は頭字形を使います。t は中字形になりますね。a も中字形ですが、アレフは後ろの文字にはつなげないという約束がありますので、アレフの後ろの文字はアレフにくっつけて書くことはできません。最後の b は前のアレフとは途切れています。そして、この単語だけでは b で終了しますので、独立形が採られます。そうしてできるのが کتاب  となるのです。ややこしいようですが、これは使えばすぐに慣れます。

アレフのように後ろに繋がらない文字にはد  ذ  ر  ژ ز  و  があります

先ほどペルシャ語ではアラビア語にない4つの文字がプラスされていると言いました。その文字は「 pe  پ  」「che چ 」  「 je  ژ  」 「  gaf  گ 」です。cheが作られているので日本語の チャ チ チュ などの音もきちんと書くことができます。アラビア語ではチャやチの音がないので千葉さんなどの表記は難しいはずです?

表の中のアルファベットの読み方はアラビア語の読み方になっています。ペルシャ語では少し違います。アレフ、ベ、ペ、テ、セ be pe te se  というようにe の音で読んでいますが、どんな読み方でもいいでしょう。但し、細かいことをいうとアラビア語の発音はペルシャ語とは微妙に違うようです。今日はこれにて。
خدا حافظ khoda- hafez  さようなら

UAEがイスラエルと国交を樹立

昨日 (Aug.14,2020) の中日新聞の記事画像です。イスラエルとUAEが国交を結ぶことを発表したのです。既にエジプトとヨルダンが国交を結んでいるので、アラブ諸国では三カ国目になります。これにより、イスラエルはパレスチナ自治区の併合をこれ以上進めないことを確認したとありますが、私はどこまで守られるかは疑問に思います。よく見ると「一時的に」という条件が入っているようです。

このあと、中東地域の反応をサウジアラビアとヨルダン、イランの新聞で少しみてみました。それはそれとして、私見を述べてみると、既にアラブ諸国はイスラエルと対峙して戦うことはあり得ない状態になっているということです。4度にわたる中東戦争当時と今ではアラブのイスラエルに対する敵対心は完全に骨抜きになっているのです。戦っても勝てる相手ではないでしょう。今回の両国の合意はトランプ大統領の仲介によるものです。この協定はトランプ大統領の思惑で実現したものです。ユダヤ人がイスラエルを建国して以来、パレスチナ問題が発生しユダヤ人対パレスチナ人という対立がイスラエル対アラブ諸国という対立の構造になっていました。イスラエルは国際法違反といわれながらもパレスチナのエリアに侵略してきました。長年の紛争が解決されることもなく現在に至り、アラブ諸国のパレスチナ問題に対する考え方が変化してきました。サウジアラビアの王子は訪米した際に「パレスチナ問題は重要ではない」というような発言もしています。一方で、イランでは1979年に革命により王政が崩壊しました。湾岸のアラブ諸国は殆どが王政です。イランからの革命の輸出を恐れました。それ以来イランと対立するようになっています。イランはシーア派、アラブ側はスンニ派が主流なので両者の対立があるというのは短絡的な発想です。イスラムの宗派の違いはこの場合の根本的な原因ではありません。今、トランプがこのような仲介をするということは、パレスチナ問題で対立していたイスラエルの敵であるアラブ諸国に対して、彼らの敵をイスラエルではなくてイランに変えようとしているのです。イランに対してアメリカが敵対していることは明白な事実ですね。

今回の合意に続いて、おそらくサウジアラビアもイスラエルと合意する可能性が大でしょう。他の国も追従してくるでしょう。そのようにアメリカは働きかけるでしょう。そしてイランを封じ込めようとするのです。トランプの思惑は近づいた大統領選挙です。苦戦が予想されています。是非ともユダヤ系の有権者の支持を得るがために彼は必至なのです。今回の合意を平和への一歩だと歓迎するメディアもあるようですが、本質を見極めることができていないと思います。それでは現地新聞に目を向けてみましょう。

当事国のリーダー、それに仲介役の米大統領の3者の顔写真を並べて、締結した共同声明の全文を掲載しています。興味ある方は読んでみてください。日本の新聞でも和訳で明日頃には掲載されるかと思います。

US President Donald J. Trump, Prime Minister Benjamin Netanyahu of Israel, and His Highness Sheikh Mohamed bin Zayed Al-Nahyan, Crown Prince of Abu Dhabi and Deputy Supreme Commander of the UAE Armed Forces, spoke Thursday and agreed to the full normalization of relations between Israel and the UAE.

This historic diplomatic breakthrough will advance peace in the Middle East region and is a testament to the bold diplomacy and vision of the three leaders and the courage of the UAE and Israel to chart a new path that will unlock the great potential in the region. All three countries face many common challenges and will mutually benefit from today’s historic achievement.

Delegations from Israel and the UAE will meet in the coming weeks to sign bilateral agreements regarding investment, tourism, direct flights, security, telecommunications, technology, energy, healthcare, culture, the environment, the establishment of reciprocal embassies, and other areas of mutual benefit. Opening direct ties between two of the Middle East’s most dynamic societies and advanced economies will transform the region by spurring economic growth, enhancing technological innovation, and forging closer people-to-people relations.

As a result of this diplomatic breakthrough and at the request of President Trump with the support of the UAE, Israel will suspend declaring sovereignty over areas outlined in the President’s Vision for Peace and focus its efforts now on expanding ties with other countries in the Arab and Muslim world. The US Israel and the UAE are confident that additional diplomatic breakthroughs with other nations are possible, and will work together to achieve this goal.

The UAE and Israel will immediately expand and accelerate cooperation regarding the treatment of and the development of a vaccine for the coronavirus. Working together, these efforts will help save Muslim, Jewish, and Christian lives throughout the region.

This normalisation of relations and peaceful diplomacy will bring together two of America’s most reliable and capable regional partners. Israel and the UAE will join with the US to launch a Strategic Agenda for the Middle East to expand diplomatic, trade, and security cooperation. Along with the US, Israel and the UAE share a similar outlook regarding the threats and opportunities in the region, as well as a shared commitment to promoting stability through diplomatic engagement, increased economic integration, and closer security coordination. Today’s agreement will lead to better lives for the peoples of the UAE, Israel, and the region.

The United States and Israel recall with gratitude the appearance of the UAE at the White House reception held on January 28, 2020, at which President Trump presented his Vision for Peace, and express their appreciation for UAE’s related supportive statements. The parties will continue their efforts in this regard to achieve a just, comprehensive and enduring resolution to the Israeli-Palestinian conflict. As set forth in the Vision for Peace, all Muslims who come in peace may visit and pray at the Al-Aqsa Mosque, and Jerusalem’s other holy sites should remain open for peaceful worshippers of all faiths.

Prime Minister Netanyahu and Crown Prince Sheikh Mohamed bin Zayed Al-Nahyan express their deep appreciation to President Trump for his dedication to peace in the region and to the pragmatic and unique approach he has taken to achieve it.

そして、パレスチナのアッバス議長が、協定にdismay つまり、がっかりだと表明しています。

そして、既に国交を樹立しているヨルダンのヨルダンタイムズは次の画面でした。

そしてイスラエルと最も対立しているイランはUAEは地域の安定を考えなければならないと当然反発しています。

ペルシャ語講座21:基本的な動詞

今回は基本的な動詞をまとめて紹介しておきましょう。文法の基本を覚えればあとは単語を覚えて行けばいいわけですが、というものの「単語は自分で辞書を引けばすぐに分かりますよ」というのも不親切なので、使用頻度の高いと思うような動詞を一覧にしておきましょう。ここで重要なことは動詞の原形(基本形)に対する語幹(語根、不定詞などという参考書もあります)です。語幹を知らなければ動詞の現在形を作れないからです。(講座6の現在形の作り方を参照してください。)

日語 英語 原形 発音 語幹 発音
行く go رفتن raftan رو rav, rou
来る come آمدن ア(o)ーマダン آ アー(o)
与える give دادن dadan ده dah
書く write نوشتن neveshtan نویس nevis
払う pay پرداختن pardakhtan پرداز pardaz
料理する cock پختن pokhtan پز paz
見る see دیدن didan بین bin
食べる eat خوردن khordan خور khor
飲む drink نوشیدن nushidan نوش nush
読む read خواندن khandan خوان khan
眠る sleep خوابیدن khabidan خواب khab
売る sell فروختن frukhtan فروش furush
持ってくる bring آوردن avardan آور avar
持っていく بردن bordan بر bar
get گرفتن gereftan گیر gir
聞く hear شنیدن shenidan شنو shenav
理解する understand فهمیدن fafmidan فهم fahm
洗う wash شستن shostan شو shu-
する do کردن kyardan کن kyar

思いついた基本的な単語をリストアップしてみました。動詞の数は勿論まだほかにもありますが、この程度でもかなり使えるのではないでしょうか。それと次にもしかしたら最も重要で使用頻度が高いかも知れない動詞を紹介します。それは「する」という動詞です。英語の「do」に相当する動詞です。上の表の一番最後の行で太字にしている動詞です。

「する」という意味で使うのは勿論です。が、名詞につなげると、その名詞を動詞化することになります。例えば「仕事」は「カール کار 」です。カールとキャルダンで「働く」です。「考え・思い」は「فکر 」です。キャルダンを付けて、fekr kyardan で「考える・思う」となります。他にも「開く」は「バーズ・キャルダン」となります。「忘れる」は「ファラームウシュ・キャルダン」、「お願いする」は「khahesh kyardan」・・・・となります。このようにキャルダンを付けて複合動詞を作ることができるのです。キャルダンの他にも、上の表の中では「ダーダン」でも同じようなことができます。ダーダンは与えるといういみですから、「勉強という意味のダルス」とつながって「ダルス ダーダン」は「教える」になります。勿論「教える」というそのままの動詞もありますが、このような使いかたも知っておけば、役に立つものです。他にもありますが、「ヤヴァーシュ、ヤヴァーシュ(ゆっくり、ゆっくり)」やっていきましょう。

閑話休題:日本・猛暑の夏

例年より遅く梅雨明けした日本は猛暑の夏を迎えています。最高気温が35度以上の日が続いており、今日8月10日は37度位が予想されています。私自身も連日クーラーの中で過ごす時間が多くなっています。コロナで外出は控えいるので、クーラーのきいた涼しい部屋にこもりっきりというのは身体にあまり良いとは思えません。

今回は、「この程度の暑さは大したことではない」と私の頭を洗脳するために、中東地域の都市の気温をチェックしてみました。データの出典は日本気象協会 https://tenki.jp/world/ を利用させて頂きました。8月10日の日本時間で午前5時発表となっています。

都市 最高 最低 平均
湿度%
サウジアラビア リヤド 42 27 12
トルコ イスタンブール 33 22 58
UAE ドバイ 44 31 62
レバノン ベイルート 28 23 71
バーレーン バーレーン 37 34 48
イラン テヘラン 38 21 18
シーラーズ 44 20 47
イスファハン 41 17 34

やはり、暑いですね。暑いどころか熱いような気がします。最高が40℃を超えるのが殆どです。日本でも40℃を超えることはありますが、それほど多くはありません。そして、最低気温が結構涼しいくらいの温度だということです。20℃台の下の方、イスファハンではなんと17℃となっています。一番暑くて不快そうなのはバーレーンでしょうか最高は37℃ですが、最低が34℃なのです。34度以下にならないのは私ならちょっと・・・ですが、そこで住んでいる人は適応するのでしょうね。

日本でよく言われるのは、気温がそう高くなくても、「湿度が高いからいやだね」ということです。それに比べると中東地域は相対的に湿度は低いです。でも、ペルシャ湾岸などは湿度も高いところがありますが、この統計ではドバイが62%、バーレーンが48%という程度です。

私が住んでいたことのあるテヘランをみると、最高37℃、最低21℃です。湿度は18%。この統計は発表のあった日の記録ですから、年間の最高気温ではありません。明日は40℃を超すかもしれません。実際私もテヘランで40℃超は何度も経験しました。朝は少し涼しいけど午後にはすごく暑い。でも木陰や影に行くと涼しさを感じました。それは湿度が低いからです。この統計では18%ですから、カラカラ状態ですね。あの頃は若かったので、午前の仕事を終えて、午後というか夕方4時半からの仕事再開の間にホテルのプールにいって軽食をとり泳いだりしたものでした。プールから外にでると、空気が乾燥しているので一気に乾きます。そして気化熱の影響で身体が冷えるのです。注射を打つ時に腕をアルコールで消毒すると冷っとするようなものです。湿度が低く乾燥しているということです。他には、日本人ですからよく集まっては麻雀をすることがありました。その麻雀牌なのですが、使っているうちにヒビが出てくるのです。さすがに割れることはありませんが、牌にヒビ傷が入るようになると、それが目印になって相手の牌が読めるようになったりしたものです。また、尺八が趣味な人が、尺八が乾燥して割れたということも聞きました。気温の話から、ついつい昔のことを思い出してしまいました。

結論です。中東に較べると日本の夏はまだ生易しいということです。これでこの夏も乗り切れそう!乗り切りましょう!

コーランについて(5):第2章・・・雌牛③

第2章にはもうひとつ興味深い「利息」のことがあります。今ではイスラム社会では利子・利息は禁止されていることが広く知られるようになっています。それをクリアしたイスラム銀行が存在することや、イスラム法に抵触しない金融取引が存在するようになっています。さて、コーランではどう書かれているのでしょうか。

第275節「利息を喰らう人々は、(復活の日)すっと立ち上がることもできず、せいぜいシャイターン(サタン)の一撃をくらって倒された者のような(情けない)立ち上がり方しかしないであろう。それというのも、この人々は「なあに商売も結局は利息を取るようなもの」という考えで(やっている)。アッラーは商売はお許しになった。だが利息取りは禁じ給うた。神様からお小言を頂戴しておとなしくそんなこと(利子を取ること)をやめるなら、まあ、それまでに儲けた分だけは見のがしてもやろうし、ともかくアッラーが悪くはなさるまい。だがまた逆戻りなどするようなら、それこそ地獄の劫火の住人となって、永遠に出してはいただけまいぞ。」
第276節「アッラーは(最後の審判の日には)利息の儲けをあとかたもなく消して、施し物には沢山利子をつけて返してくださる。アッラーは誰であろうと罪業深い無信仰者はお好みにならぬ。」
第277節「(だが)立派な信仰をもち、善行をなし、礼拝をきちんと守り、喜捨を出す人たち、そういう人たちの御褒美は神様が引き受けてくださり、もう何も怖ろしい目にも悲しい目にも逢うことはない。」
第278節「これ、信者の者、アッラーを畏れかしこめよ。まだとどこおっている利息は帳消しにせよ。汝らが本当の信者であるならば。」
第279節「だがもし汝らがそれがいやだと言うのなら、よいか、アッラーとその使徒(ムハンマド)から宣戦を受けるものと心得よ。しかし(そのあとでも)もし悔い改めるなら、元金だけは残してやる。つまり自分でも不当なことをしなければ、ひとからも不当なことはされないのじゃ。」
ながながと引用したが、利息を取ることを相当強く禁じている雰囲気が伝わってくるようではありませんか。そして、ここでも、悔い改めれば元金だけは戻してやろうぞとあるように、非常に現実的な対応策を提示しているのである。商取引の規則のような感じさえしてきます。

このあと「貸借」についても記述もでてきます。簡潔にいうと、貸借関係はアッラーの教えの通り、きちんと契約書を作っておくようにとか、債務を負うべき者が白痴や精神衰弱者である場合は後見役をつけたり、男二人が証人として立ち会うこと、もし男二人がいなければ男一人に女二人を証人にすることなど、事細かく現実的な内容が記されているのです。直接関係があるかどうかはわかりませんが、私が1971年にイランに赴任した時のことですが、会議をしたときは直後に会議で決まったことが書類に作成されて参加者が署名していました。そうした書類をとじたファイルが会社の書棚にズラッと並んでいたことを思い出しました。会議録だけでなく、何事も文書化して後日トラブルのないようにしていました。これはイスラムだけではなく、契約社会の外国では当たり前のことなのかもしれません。これにて第2章は終わりにいたしましょう。

冒頭の画像の出典は前回と同じです。羊皮紙に書かれたコーランの一頁です。9-10世紀のもので、書体はクーヒー体です。

コーランについて(4):第2章・・・雌牛②

前回の「第2章雌牛」の続きです。正直な話、私自身はコーランを丁寧に読んだことはありません。必要に応じて、所々を拾い読みしたというのが現実です。でも、最初に手にしたのが以前にも紹介しましたが、岩波文庫の井筒俊彦先生訳でして、大学生の時でした。だから、もう50年も前のことですから、その間、ずっと私の傍には置いてあったことになります。でも、丁寧に端から端まで読んだわけではありません。ブログを書くようになり、いまコーランについて書くのを機会に、勉強しながら読んでいるのが真実であります。コーランの専門家などではありません。その辺はご了承ください。一緒に勉強していきましょう。

さて、本題に入りますが、この章には色々なことが書かれています。特に一般の人でも知っているようなイスラムのこと、例えば前回述べた「メッカの方向に向かってお祈りすること」「豚肉を食べないこと」「断食のこと」などです。今回もそのようなこと(と言っても私が興味ある事柄になるでしょうが)、をいくつか紹介いたしましょう。今回も井筒訳を拝借します。

第195節「アッラーの道に(宗教のために)惜しみなく財を使え。だがわれとわが身を破滅に投げ込んではならぬ。善いことをせい。アッラーは善行をなす人々を愛し給う。」
第196節「メッカ巡礼と聖所詣での務めをアッラーの御ために立派に果せ。しかし妨害されてそれができない場合には、何か手ごろな捧げものを(出せばよい)。その捧げ物が生贄を捧げる場所に到達するまでは頭を剃ってはいかんぞ。しかし病気とか、または何か頭に傷をうけて(どうしても頭を剃らねばならぬ)人は、その償いとして断食するか、自由喜捨をするか、さもなければ生贄(少なくとも羊一頭)を出すがよい。・・・・・」
宗教のためには金を使うことを奨励していることが面白い。また、巡礼についてであるが、できない場合は捧げものを、しかし、それについても頭を剃ることはあわてるなとか、でも、それも都合によっては無理なら、こうしたらいいというようなことが述べられているわけです。イスラムではこのように「~ができないときは、~しろ」ということが随所にあるように思うのです。断食の場合もそうです。「病気の時は仕方がない。旅行の時も断食は辛くてしんどいからやらなくていい。でも、後日改めて断食しろ。それが出来なければ施しを与えなさい」という風にです。つまり、非常に現実的な規則を定めているのです。精神論だけでなく、現実的な規則なのです。私はそれが「人間臭い」と感じるのです。

次のくだりは神へのお願いのことらしい。
第198節~202節「汝らが神様にお恵みをおねだりするのは罪ではない。・・・中略・・・人によっては、「神様私どもに現世で(沢山よいものを)お与え下さい」などとお願いする者があるが、そのような者は来世で何の分け前にも与れまいぞ。また人によると「神様、私どもに現世でもよいものを、来世でもよいものをお与え下さい。私どもを(地獄)の劫火の罰から護り給え」という者もある。このような者どもには自分で稼いだだけのものが与えられよう。まことにアッラーは勘定早くおわします。」
ここの部分もユーモラスではないでしょうか。「お前たちのなかにはいろんなことをお願いしてくるやつがいるんだよ」と苦笑いしているアッラーが目に浮かびます。そこでお気づきでしょうか。イスラムは今生きている現世の利益を求めるのではないということです。ムスリム(イスラム教徒がもとめるのは来世利益なのです。死後の世界で地獄に落ちて劫火の苦しみを受けることから逃れるために生前に善行を積むことを奨励しているのです。

第214節「一体汝ら、過ぎた昔の人々が経験したような(苦しい試み)に遭わずに(楽々と)天国に入れるとでも思っておるのか。。(昔の人たちは)みんな不幸や災禍に見舞われ、地揺れに襲われ、しまいには使徒も信者たちも一緒になって「ああ、いつアッラーのお助けがいただけるのか」と嘆いたほどではなかったか。いや、なに、アッラーのお助けは実はすぐそこまできておるのだが。」
第215節「どんなことに金を使ったらよかろうかとみんながお前(ムハンマド)に訊いてくることであろう。答えてやるがよい、善行につかう金なら、両親と親類縁者、孤児と貧民と路の子(旅行者)のため。お前たちがする善行については、アッラーは何から何までご存知だぞと。」
第219節「酒と賭矢(賭け事の一つ)についてみんながお前に質問してくることであろう。答えよ、これら二つは大変な罪悪ではあるが、また人間に利益になる点もある。だが、罪の方が得になるところより大きい、と。・・・・・」
楽々と天国に行けるものではないのだと、言っている。イスラムは現世よりも来世のほうが長いので来世で天国で幸せに暮らすことを夢見ているのです。そのためにも地獄の劫火に遭わないことを求めるのです。地獄の劫火にあったらそれはそれは苦しいこと限りない世界のようです。すでにもう死んでいるのだから、劫火にあってどんな苦しい目にあっても死ぬことはない。極限の苦しみが永遠に続くことにある恐ろしい地獄の世界らしいのです。
ここでもお金の使い方がでてきました。使い道の一つとして両親、親類縁者、孤児、旅行者への支出が挙げられています。血縁よりもイスラム同胞を重んじるイメージがあるので両親、親類縁者はちょっと意外ですが、孤児を大事にするというのはあちこちで述べられていることです。酒と賭け事については 益<害 ということで説明されています。

第256節~257節「宗教には無理強いということが禁物。既にして正しい道と迷妄とははっきりと区別された。さればターグート(イスラム以前のアラビアで信仰されていた邪神のたぐい)に背いてアッラーの信仰に入る人は、絶対にもげることのない把手を掴んだようなもの。アッラーは全てを聞き、あらゆることを知り給う。アッラーこそは信仰ある人の保護者。彼らを暗闇から連れだして光明へと導き給う。だが、信仰なき者どもは、ターグートたちがその保護者、その手引きで光明から連れ出され、暗闇の中に落ちて行く。やがて地獄の劫火の住人となり、永遠にそこに住みつくことだろうぞ。」
無理強いして入信させるのは禁物であると言っている。だから入信しなくてもいいではなく、イスラムを信仰しなければ地獄へ落ちて大変なことになるぞと言っているのである。そして、光明という言葉がでてきたが、イスラムではイスラム以前の時代をジャーヒリヤといって日本では無明時代、つまり光のない時代と訳されています。イスラムではイスラムが誕生して人々は光ある世界の下で暮らせるようになったと言っているのです。私からみるとイスラム以前にも例えばササン朝ペルシャなどでは洗練された文化のもとで豊かな世界が発展していたと言いたいのですが。

この章はもう少しありますが、とりあえず今日はここまでにしておきます。続きを書くか、また別の章へ移るのか、それは神のみぞ知ると言っておきましょう(笑)。ところで冒頭の画像はオスマン朝時代の17世紀にムスタファ・イブン・ムハンマドという書家のコーランの写本です。『Palace and Mosque, Islamic art from the Victoria and Albert museum』から拝借させていただいたものです。それから、ここに書いた事柄がすべてではありません。例えば酒なら酒についての記述は他にも沢山あります。同様に賭け事についても、断食や巡礼についても複数の章で書かれているので、ここのものがすべてではないことには御留意ください。