イスラム再学習 ❷ 悪魔などについて

土を型にいれ、あのお方がおれを創ったのだから、
すべての罪咎(とが)はその土からきている。
これ以上良くなれといわれても、おれには無理
おれを壺の土から、このように創ったのだから。

前回は天使であった。神と人間の中間に存在するものには他に悪魔があるので、この際、これらについても採り上げておくことにしよう。
私たちも悪魔を意味するサタンという語句は知っているのではないだろうか。イスラムではシャイターンというから同じ語源であろう。そしてシャイターンの中にイブリースがあり、これは悪魔と訳されている。もう一つイフリートがあって、こちらは小鬼と訳されている。イスラーム辞典によると「神はアダムを土から創り、生命を吹き込んだあとで、天使たちに彼の前にひざまずくよう命じた。しかし火から創られた自分の方が、土から創られた人間より上等であると思っていたイブリースはこの命令に従わず、そのために呪われた存在になる。ただし彼に対する処罰は最後の審判の日まで延期され、それまで彼は多くの人々を迷わせつづける。天国にいたアダムとイヴを迷わせて禁断の木の実をたべさせたのも、イブリースの仕業である。ただし、イブリースと、彼に誘惑され悔い改めなかった者どもは、のちに地獄の劫火で焼かれることとなっている。」中々面白い話である。最後の審判の日がいつ来るかは誰にも分からない。色々なことがその日までお預けになっていることが私には興味深い。ではイフリート(小鬼)とは何であろうか?同じくイスラーム辞典では以下のように説明している。「一般にはずる賢く敵意ある者を指す。より厳密にはジンの中の悪玉をさし、時にはシャイターン(サタン)と同一視されることもある。後世では殺された男、あるいは不慮の災難で死んだ者の幽霊の意味としても用いられる。また暴力を行使する男、つまり強盗などにも用いられたことがある。現在では強力な悪賢いジンの意で用いられるのが一般的である。日常では度をこえたいたずらっ子に対し軽い意味で用いられる場合が多い。」不本意にこの世を去った者かと思えば、強盗なども含まれるといい、いたずらっ子にまで範囲が及ぶというわけの分からない存在に思えてくる。そこでジンという者が登場するわけであるが、それは一体何者であろうか?ジンについて辞典はどう書いているのだろう。

「ジンとは煙の立たぬ焔からできていると言われる存在。土からできた人間、光からできた天使とは別種の存在で、幽鬼、悪霊等と訳されるが、実は善玉と悪玉がいる。目に見えぬ空気、もしくは火のような体をしており、知性を授けられ、さまざまな形態をとり、種々の仕事をすると考えられている。・・・中略・・・ただしジンは人々の想像力を大いにそそり、その結果イスラーム世界の民話の中にさかんに現れているくることになった。『千夜一夜物語』の中でも、ジンがさまざまな姿をとって現れるのは周知のことであろう。」このジンという概念はイスラム以前からあると考えるのが一般的であるようだ。善玉と悪玉があって、ジンは必ずしも悪い面だけではないようだ。そのような存在は、私たちの中にも居るように思う。目に見えない不可思議な動きを周辺に感じたり、魔がさしたりするような感覚に通じるようなものかなと私は勝手に思ったりするのである。この3回の記述のなかで、私が一番頭に刷り込んだのは、イスラムでは「人間は土から創られた存在」であるということだ。ペルシアの詩人オマル・ハイヤームの四行詩にはそのことを詠ったものが沢山あることを思い浮かべた。冒頭の四行詩はそれらのうちの一つである(岡田恵美子訳)。

イスラム再学習 ❷ 天使について

前回の預言者に続いて、今回は天使について採り上げましょう。イスラムにおける天使と言えば、真っ先に「ジブリール(ガブリエル)」を思い起こします。ムハンマドに啓示を伝えたという天使です。イスラムでは神と人間の中間的な存在にサタンやジン、そして天使が存在する。前の二者については別の機会にするとして、では天使にはどのようなものがあるのか?平凡社の新イスラム事典を見ることにしよう。

「精霊」「誠実な霊」ともいわれているムハンマドに啓示を伝え、イスラムを強化したガブリエル、それに匹敵する地位にあるミカエル、終末のラッパを吹くイスラーフィール、またマーリクと呼ばれる地獄の番をする天使、ザバーニーヤと呼ばれる地獄での責め苦をつかさどる天使たち、神の玉座を支え、またその周辺にあって常に神をたたえる天使たち、各人の両側にいてその人の行為を逐一記録する天使、墓場で死者を審問して苦しめるムンカルとナキールの2天使などである。

東京堂出版のイスラーム辞典からも重複しない部分を紹介しておこう。
天使の存在を信ずることは、イスラームの第二の信仰箇条になっている。アッラーは、五つの元素を少しも交えずに光から天使を創った。
「讃えあれアッラー、天地の創造主、天使らを使者に立て給う。その翼は二つ、三つ、また四つ。数を増して創造なさるは御心のまゝ・・・」(クルアーン第35章1節)
天使には、男女の性別はない。彼らはアッラーの命令を行使するために創られており、それを実行するさいにいささかも誤を犯さないとされている。ある天使たちは、アッラーのメッセージを使徒たちに伝達する役割を与えられている。彼らはそれを、いささかの粉飾、改変、省略なしに伝える。・・・・・

神の周辺に居て、神を支えるのが天使ということですね。上の方の画像は随分前のことですが、イランを旅した時にケルマンシャーのターゲボスタンで写したレリーフの写真の一部を拡大したものです。ササン朝時代のレリーフが破壊されずに美しく残っていることで有名なレリーフですが、写真をよく見ると天使が写っていました。
ムハンマドに啓示を伝えたのがジブリール(ガブリエル)と先述しました。キリストの受胎告知をしたのが、このガブリエルです。ガブリエルをアラビア語ではジブリールまたはジャブラーイールというわけです。天使たちもまたキリスト教にでてくるものと同じなのです。

イスラム再学習❶使徒たち(預言者)について(2)

前回の続きです。前回の中で「使徒=預言者」という部分がありました。自分で書いたのですが、その後すこし気になっていました。預言者と使徒とは同じなのかと?調べてみました。時々引用している平凡社『新イスラム事典』と東京堂出版『イスラーム辞典』の二つを開いて見ました。同じような本なのですが、タイトルが片方はイスラムでもう一方はイスラームです。また片方は事典であり、一方は辞典です。先ずは前者の内容の一部を引用しましょう。

コーランによれば、人類は元来一つの共同体であったが、争いによって分裂してしまった。そこで神はおのおのの共同体にその中から選びだした預言者を遣わして、人々の争いを裁決し、正しい道に導くために彼らに啓示して信仰と行為規範を伝えさせた。そのような預言者として、アダムをはじめとして、ノア、アブラハム、イサク、ロト、ヨセフ、モーセ、ダヴィデ、ソロモン、ザカリヤ、ヨハネ、イエスなどの聖書的人物や、アード族、サムード族、ミデヤン族にそれぞれ遣わされたフード、サーリフ、シュアイブなど、28人の名があげられている。イスラムでは、これらの一連の預言者のうち、ムハンマドが最後の預言者であり、しかも最も優れた預言者とされる。したがって彼以後の預言者はいっさい認められない。伝承によれば、預言者の数は12万4000人で、使徒の数が315人ないしは313人。下された啓典の数が104ともいわれ、後にはこれらの数をみぐっていろいろ議論がなされるが、結局、コーランにいうように正確な数は不明ということになる。・・・長々と続くのあるが、そこには預言者の罪の問題、天使や聖者との上下関係などについて述べられている。ここで分かることは預言者の数は12万人以上の多数であるが、使徒は300人余であるということだ。預言者の中の300人程が使徒であるということなのか、別枠なのかはこの記述だけでは分からない。

では後者の辞典ではどうなっているだろうか。
預言者を信ずることは、イスラームの第四の信仰箇条である。預言者とは文字通り、アッラーのメッセージ、言葉を預かり、他の人々に知らせる者の意である。
あるハディース(伝承)によれば、アッラーは地上に12万4千人の預言者を遣わしたとされている。そのうちの313人もしくは315人が使徒で、一民族に一人ずつ送られたといわれる。。使徒は神与の法を授けれた者で、たんなる警告者の役割を果たした預言者と区別される。クルアーンの中に記されている預言者の名はそのうちの27人であるが、とりわけ重要なのは、アーダム、ヌーフ、イブラーハーム、ムーサー、イーサー、ムハンマドの六人である。最初の預言者はアーダムであり、ムハンマドは預言者の封印、つまり最後の預言者であって、彼以降、終末の日まで新たな預言者は登場しないとされている。ムハンマドについては時に預言者、時に使徒と呼ばれている。

前述の疑問は解決しました。使徒というのは預言者の中の一部の人であるということです。また、引用はしていませんが、預言者というのは人間であるとのことです。そう言うとまたまたノアはあるいは誰々は実在したのか?とまたまた疑問も出て来るのですが、預言者についてはこの位にしておきましょう。詳しく知れ竹れば、これらの参考書を図書館ででも読んでみてください。9月になりましたが、依然として暑い日が続いています。皆さま、どうか熱射病などに気を付けて下さい。

イスラム再学習❶使徒たち(預言者)について

ブログを再開したわけですが、これを節目として改めてイスラムについて初心に戻り学習してみたいと思いました。今回はイスラムの「六信五行」の中の「使徒=預言者」にしましょう。アラビア語で預言者はラスール(複数形はルスル)と言います。ペルシア語でもそのままラスールです。「ムハンマドは神の使徒である」という言葉が有名ですが、イスラムにおける使徒(預言者)はムハンマド以外にも沢山います。コーランには25人の預言者の名が登場しています。書き上げるのが大変なので、講談社現代新書『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著87頁の図を引用させていただきます。
聞きなれた名前もありますね。つまりイスラムを興したムハンマド以外の預言者というのは旧約聖書に出て来る人というわけです。ユダヤ教やキリスト教の人がイスラム教の預言者なのです。では、イスラム教の聖典であるコーランでは彼ら預言者がどのように登場しているのでしょうか。

コーラン第6章(家畜の章)
そしてわれわれは彼にイスハークとヤアクーブを授けた。両者をわれわれは導いた。また、ヌーフを以前に導いた。そして、彼の子孫にはダーウード、スライマーン、アイユーブ、ユースフ、ムーサー、ハールーンがいる。そしてこのようにわれわれは善を尽くす者たちに報いる(84節)。また、ザカリーヤ、ヤフヤー、イーサー、イルヤース。みな正しい者たちである(85節)。
コーランの名前(アラビア語の名前)では分かりにくいので日本語の通常表記にすると、以下のように分かり易いかもしれません。
我々(アッラー)は彼(アブラハム)にイサクとヤコブを授け、彼らを導いた。それ以前にはノアも導いている。その子孫には、ダビデ、ソロモン、ヨブ、ヨセフ、モーセ、アロンがいる。我々はこのように正しい行いをなす者たちは報いる。またザカリヤ、ヨハネ、イエス、エリヤがいた。全て正しき人々であった。
このように我々にも馴染みのあるイエスやモーセ、ノア、ダビデ、ソロモン他がコーランに登場することが分かりますね。ノアとは「ノアの方舟」で有名なノアです。ですから、コーランにはノアの方舟の物語も登場するのです。この際、聖書に出てくる人物を系図のようなもので把握しておきましょう。ネットから引用してみます。数多い人物からどのような人がイスラムで「正しい行いの人(笑)」とされているのか分かりますね。
続く

戦争はもう終わりにしましょう!

2022年11月に『アラブのことばと絶景100』の書籍を紹介しました。暇な時にパラパラと絶景の画像を見たり、時にはじっくりと言葉の意味を考えたりしてきました。その中に1970年代のエジプト大統領アンワル・アッ=サーダートの言葉があります。日本ではサダトと表記されている元大統領です。私が時々引用させていただいているインターネットの「世界史の窓」のサイトでは彼のことを詳しく説明していますので詳しいことはそこをご覧いただければいいと思います。
https://www.y-history.net/appendix/wh1703-020.html
ここには、その冒頭の数行を引用しておきます。
1970年代のエジプト大統領。軍人としてナセル政権を継承し、1973年に第4次中東戦争でイスラエル軍を急襲して有利に戦ったが、1977年に突如イスラエルを訪問して和平に転じ、1979年にアメリカの仲介により平和条約を締結した。しかしアラブ強硬派の反発をうけ、1981年に暗殺された。
第4次中東戦争の時の大統領でした。最初は有利だった戦況も最終的に敗れることになった。アラブ側が石油輸出を武器にしたために石油危機(オイルショック)につながった戦争である。以来、原油価格は上昇の一途を辿ってきた。

さて、サダトの言葉である。彼は何と言ったのだろうか。1978年、カイロでのスピーチで語った言葉です。イスラエルとの平和条約を結び、ノーベル賞を受賞しました。しかしながら、イスラエルとの和平合意を良く思わない過激派によって暗殺されました。
「平和は土地よりもはるかに重要です・・・・。
戦争はもう終わりにしましょう。」
明日8月1日は終戦記念日です。ウクライナとロシアの戦争はまだ終わる気配もありません。西側が武器や兵器を支援している間は戦争は終わらないでしょう。そのような支援は本当の支援とは言えないでしょう。どちらかが破滅するまで戦争が続くだけでしょう。日本の政治家が台湾に行って、台湾有事に触れて「戦う意志を表明することが最大の抑止力である。断固戦う意志をもちましょう」とスピーチで檄を飛ばしていました。戦う意志=戦争する意志とは!日本は憲法で戦争を放棄しています。憲法違反のセリフを堂々と発言するという恐ろしいことをしています。

話しを基に戻しましょう。このサダトの言葉の「戦争はもう終わりにしましょう」という言葉が気に入っているのです。世界の多くの人々の思いでしょう。そこで、私はアラビア書道の秋の作品展にこの言葉を書きたいのです。まだ上手に書けるかどうかは分かりません。作品ができたら勿論ここにアップいたします。腕も手術から徐々に回復して使えるようになりつつあります。アラビア書道界の世界の第一人者である本田先生にお願いしてお手本を書いていただきました。今回はそれをここに紹介しておきます。ナスヒ書体とナスタアリーク書体の2書体で3枚書いて下さいました。私は「戦争はもう終わりにしましょう」の部分だけを書こうと思っているのですが、先生はその前の部分も書いて下さいました。ご鑑賞下さい。

 

ブログ再開です。まずは手術の報告から

しばらく休んでいましたが、左手の指が拙いながらも使えるようになりましたので、ブログを再開することにします。6月26日に左肩の腱板断裂のためのリバース型人工関節置き換え手術を受けました。そして7月7日に退院しましたが、その時点では術部の痛みは相当ありました。丁度1カ月経過した今日8月7日現在では痛みは殆どありません。殆どというのはじっとしていれば痛くないということです。左腕を上に挙げようとすると、90度位から上には挙がりません。挙げようとすると痛いので、リハビリをやりつつ徐々に可動域を広げていくことが必要です。股関節や膝関節を人工関節にする手術はよく知られるようになりましたが、肩の人工関節のことはあまり知られていないような気がします。ちょっと紹介してみましょう。

先ほど、リバース型人工関節と述べたのですが、従来の人工関節とは反対の形で人工関節を付けるというものです。その辺りの詳しい説明は省きますが、私の方に入れた人工関節とは次の図のようなものです。腕の骨に穴をあけてステムとライナーをいれます。これが受け皿です。肩甲骨側にグレノスフェアを取り付けるわけです。取り付けた模式図が次の通りです。腱板は切れてしまっているので、三角筋を利用して繋いでいます。その結果、レントゲンでは次のように見えるのです。これら3枚の画像は京都下鴨病院様のウェブサイトの画像を拝借しています。

全身麻酔の手術でしたので、自分では何も分かりませんでしたが術後は大変痛かったです。というわけで徐々に良くなっていく途中です。それにしても暑い日が続きます。40度近い日が続いていますが、中東ドバイの気温を見てみました。 今日は41度。週末は43度位になりそうですね。日本はそれに比べると少しは良いかも。湿度が32%なのは羨ましいですね。

発見:ペルシア書道のテキスト

前回の投稿が5月22日でした。アラビア書道の作品展が⒕日に終わったことを書いたのでした。あれから20日くらいが経過したわけですね。実はその間、色々忙しくしてブログを書く余裕がありませんでした。ずっと以前に書いたかもしれませんが、山歩きの途中で滑って尻もちをついた時に左肩を痛めたのでした。半年近く経過したのですが、結局は腱板断裂ということでした。痛みは少なくなったのですが、切れた腱板のままでは腕が上がらないということです。左腕というものの、右腕の作業にも左腕の支えが必要だということが身に染みて分かりました。結局、今月下旬に手術することに決めました。その手術が全身麻酔によるものなので、この間に色々な検査をしていました。血糖値が高いから下げないと手術ができないとか、心臓の検査、肺機能の検査、血液検査で様々な値をチェックなどなど、眼や歯のチェックもありました。10年前にも全身麻酔の手術を受けましたが、その時とは全然違って、あらゆるリスクを軽減するために事前準備が必要だったのです。ということで、もう少しの間、ブログを書くことが少なくなると思いますが、手術が終わって回復すればまた続けますので、お忘れないようにお願いいたします。

そんな中ですが、冒頭の画像の本をアマゾンで手に入れました。日本語版であることが驚きでした。ペルシア書道をやる日本人は稀だと思うのです。しかも千円程度とは。内容は目新しいものではありません。練習帳という名ですので、ここに書き込んで練習するわけです。書道ですので、鉛筆ではなくて太い細い線がでるフェルトペンで書くことをイメージしているようです。私たちは竹のペン(竹筆)で書くので、直接この頁に書くのはちょっと無理です。敢えてこれを使うなら、ツルツルの紙にコピーをして、そこに書くのが良いかも知れません。私はとにかく文字を数多く書くことが練習になると思うので、フェルトペンで書いて見ようと思っています。今年の全国規模の作品展が10月にありますので、今から何を書こうかなと考えています。11月には京都でも開催されます。同じ作品は出せませんので2点作成するか、どちらかの会場にするかになります。手術のことも気になるのですが、次の作品を考えるのも楽しい気分転換にもってこいです。それではまた。

おっと忘れました。画像の面に書かれている文章は「ペンは剣よりも強し」という意味です。

アラビア書道名古屋教室作品展開催中!

前回、お知らせした名古屋教室のアラビア書道作品展が9日から始まりました。連日多くの来場者に嬉しく思っています。初日には中日新聞が取材にきてくれて、10日の朝刊に記事がでました。私の写真入りで書いてくださいました(恐縮)。お陰さまで来場者が増えました。記事を紹介いたします。

昨日はコロナ禍以来開いていなかった「中東・イスラム研究会」通称「南山会」のメンバーも来てくれましたし、日曜日に来るよという連絡などもあり、嬉しい限りです。会場の様子などは後日写真を整理して紹介することにします。なにしろ、会期中は終日詰めていますので時間がありません。

断食明けとイエメン

前回の投稿は断食月の最中であったので、断食のことを書きました。そして、断食明けは盛大なお祝いの日だと書きました。今回のラマダン明けは21日ということでした。そこでタイトルに挙げたイエメンでは85人の死亡者がでるような惨事が起こったことが報道されました。イランとサウジアラビアが国交正常化に向けて歩き出した一環の流れの中でイエメンの内戦も終結に向けて動きが進んでいる中での今回の事件というか事故だったので、私はとっさに和平への動きに反発する騒動かと思ったのでした。が、そうではなかったようです。事故のあらすじは以下のようでした。

ラマダン明けのお祝いのために富裕層が一人当たり5千イエメン・リアル(約1070円)を配っていたとのこと。そこに大勢の人が殺到して建物の入り口周辺で転倒して事故になったそうである。世界で最も貧しい国の一つに挙げられるイエメンでは5千リアルというのはかなりの金額なのであろう。少なくとも死者が85人、320人以上が負傷したとのことである。ラマダン明けのお祝いがこのようなことになったのは残念である。報道ではこの配布イベントを主催した実業家3名をフーシー派が逮捕したとのことである。ここが現在のイエメンの状況なのである。本来ならイエメンの正式な政府の支配の下での警察が逮捕するのであろうが、そうではなくてフーシーが事実上の支配者であることを示している。今後、イランとサウジの和解により、イエメンでのこの状況が変わろうとしている筈であるが、そうなるであろうか・・・・注目すべきことである。

 

今、イスラム社会では断食月(ラマダン)の最中です

イスラム社会には1ヵ月に亘る断食の月があることは有名ですから、皆さんもご存知ですよね。今が丁度、その時に当たります。今年のラマダンは3月22日の夕方に始まりました。終わるのは4月21日金曜日の夕方になります。夕方というのはイスラムでは1日の始まり=終わりだからです。その間、ムスリム(イスラム教徒)は日の出前から日没までの間、飲食を断つわけです。名古屋でいうと日の出は5時半頃で、日没は6時半頃でしょうか。そうするとほぼ13時間の間飲食を断つわけです。これが夏の季節だと日の出はもっと早く、日没ももっと遅くなるわけですから、例えば4時から19時とすれば、15時間となるわけです。逆に真冬であれば、7時から17時とすれば10時間ですね。真夏と真冬では5時間位の差が出てしまいます。このように断食の月は毎年時期が違うのです。それはイスラム暦が太陰暦だからです。月は満ち欠けがあります。新月から次の新月までの間がイスラムのひと月になります。ほぼ30日間です。イスラム暦の1年は30日の月が6回、29日の月が6回で合計354日となります(閏年の時は355日)。つまり私たちの太陽暦の365日より11日少ないわけですから。毎年我々の暦でいえば前に来るわけです。来年のラマダンは今年よりも11日早く始まります。そういう理由で断食月の季節が常に一定ではないのです。

私はムスリムではありませんので断食をしたことはありません。しかし、イランに滞在中にその時期を何度も体験しました。そのころは王様の時代でしたから、脱イスラム的な方向に向いていたので、断食をやらない人もいましたし、敬虔な信者はきちんとしていました。レストランの入り口は締まっているように布や紙で覆っていても中では営業していることもありました。イラン革命後の時代には旅行中に昼食にありつけず、夕方まで空腹を我慢したこともありました。断食はやはり大変なことです。断食後に最初に摂る食事をイフタールと言いますが、最初はデーツを食べると言います。いきなり胃に沢山放り込むのではなく、胃に優しい食べ方を勧めているようです。日本でもデーツは健康に良いということでスーパーなどにも並ぶようになりました。私の近くのスーパーには「王様のデーツ」が売っています。ここに写真をアップしようと思いましたが、みんな食べてしまって残っていませんでした(残念)。東京にあるモスク(東京ジャーミ)の売店にも箱入のデーツが売っていたのでお土産に買ったことを思い出しました。

トルコのイスタンブールに立ち寄ったとき、ちょうど断食明けの日でした。人々が町に繰り出して、どこも満員で混雑状態でした。地下鉄とバスに乗ったのですが、無料でした。私の友達は断食の終りの方になると心が神経が研ぎ澄まされるような感じになると言ってました。普段当たり前のように摂っている食事がありがたいものであるとも。

ところでタイトルに断食のことをラマダンとカタカナで書きました。でもイランではラマザンと言っていたのです。ですから私はいつもラマザン、あるいはラマザーンと言っているのですが、大部分のイスラム社会ではラマダンなんですね。つまりアラビア語ではラマダンだということでした。アラビア語もペルシア語も  رمضان このように書きます。つまり文字は同じです。5文字でなっている単語なのですが、真ん中の文字 ض この文字の音訳がアラビア語では d であり、ペルシア語では z なのです。ですからイランではラマザンとなっていることが分かりました。そろそろお腹が空いてきたので食事の準備をすることにしましょう。ムスリムならあと30分ほどは食事ができないのですが。