多くの日本人がトルコ旅行をしているでしょう。そして、イスタンブールでモスク見学、バザールで買い物、少し遠出してカッパドキアやトロイの遺跡、コンヤで旋回舞踊を見たりとか。親日的な人々、美味しいトルコ料理(世界三大料理だとか)も人気のある理由でしょうか。オスマン軍楽隊が演奏するジェッディン・デデン(Ceddin Deden)は東洋的な響きもあり、私たちの心を鼓舞してくれるメロディーではないでしょうか。このように盛りだくさんの観光を楽しんできた方は沢山いることでしょう。そこで質問です。「皆さんはミマール・シナンのことを知っていますか?」
シナン(?~1588年)は土木工事のようなことを生業とする父親のもと、キリスト教徒の家庭に生まれた男です。オスマン帝国の仕組みの紹介の中に、デヴシルメという制度を紹介しましたが、シナンは正にそのデヴシルメで徴用されたのでした。そして、これまた紹介済みの図にあったように、イェニチェリ(スルタンの近衛兵)になるのです。とんとんと出世して軍団の長にまで昇格します。軍人として勤めあげたわけですが、この間にバルカン半島や様々な土地を訪れ、建築物や構造物に触れることから、そのようなものに対する興味・関心が強くなり、自らも勉強したわけです。軍の現場でも実際に土木・建築的な仕事をこなすようになったそうです。こまごまとしたことは、この程度にしておきましょう。
1539年にシナンは宰相から住宅を建設する役所の長官に任命されたのです。そして、・・・・で、晩年にはモスクの建築を手がけたのです。そう、今回皆さんに伝えたいのは、トルコを観光すると素晴らしいモスクを沢山見ることができます。シナンが造り上げたモスクも見ているのです。
オスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼしましたね。そして、ビザンツ帝国はキリスト教の立派な教会や建築物を造っていました。そこで、ビザンツ帝国がオスマン帝国に敗れた際に、彼らは「オスマンが俺たちに勝ったといっても、お前たちはこのような壮大なモスクや建築物はいつになっても造ることはできないだろう」と言い放ったとか。たしかに、キリスト教の大聖堂として建てられたアヤソフィアは立派です。あの大きなドームの屋根をイスラム教徒には造れはしないさ!といいうのが、敗れた側のセリフだったわけです。
シナンはオスマン帝国の建築家として見事にモスクを造り上げた人なのです。シェフザーデ・ジャーミイ、スレイマニエ・ジャーミイ、セリミーエ・ジャーミイなどが彼が建てた有名なモスクです。でも、もっともっと沢山あるのですよ。インターネットで調べると沢山でてくるので、自分で調べてみてください。
それはそれで、いいのですが、私は冒頭に紹介した夢枕獏さんが書いたこの文庫本を是非とも読んでもらいたいのです。アヤソフィアを見ながら、自分で作るモスクへの夢を実現するために努力する男の姿に引き付けられました。これは事実に基づいた小説なのですが、キリスト教徒の家に生まれた男が、いつかオスマン帝国というイスラム国家のために尽くしたという過程のなかに、葛藤がなかったのかとか、いろいろ考えてしまうのです。
キーワード:トルコ、オスマン帝国、ミマール・シナン、モスク、ビザンツ、アヤソフィア、