アララト山

今回は珍しく自然の風景です。アルメニア側からみた写真で、出所はフリー画像のサイト、Pixabay の写真を利用させていただいた。アララト山である。標高5,137mでトルコの東部に位置している。アルメニア川から写した写真なので、前景にある建物は修道院である。アルメニア正教会の修道院なのであろう。アララト山と呼ばれるが、実際には2つの峰があり「大アララト山」「小アララト山」と呼ばれている。5,137mは主峰、つまり大アララト山の標高である。小アララト山の標高は 3,896m である。二つ並んだ景色が次の画像である。

アララト山の周辺は古くからアルメニア人たちが居住しており、オスマン帝国時代の末期までそうであった。帝国末期の時代に強制移住により、アルメニア人が居なくなったが、その当時に大量虐殺が行われたともいわれている。それはともかくとして、アルメニアにとってアララト山はシンボルとして生き続けているのである。次の画像はアルメニア共和国の国章である。

小さくて見えにくいかもしれないが、真ん中に描かれていいるのがアララト山である。三色旗の国旗の中にこの国章が描かれた旗も見かけることがあった。

アララト山を話題にするなら、ノアの箱舟を忘れてはなるまい。このブログでもノアの箱舟伝説の記事を書いたことがあるが、旧約聖書の大洪水の舞台である。箱舟の残骸というか化石のようなものが山中から発見されたなどというニュースか噂のようなものが流れたこともある。

私自身はこの目でアララト山を見たことはない。でも、冬の12月にイスタンブールからテヘランへの飛行機に乗った時に窓から見下ろした一帯が高峻な山々で真っ白に雪で覆われていた。アララト山もそこにあったかもしれない。目を凝らして探したが見つけられなかった覚えがある。

日本の最高峰よりも、さらに1500mほども高い聖なる山である。ひとつの自然界の山が人間の歴史を見続けて、何かを私たちに語り掛けているようである。

アルメニアとアゼルバイジャンの紛争(その後)

ナゴルノカラバフ地域を巡るこの旅の紛争もどうやら停戦に到ったようである。10日、アルメニアのパシニャン首相、アゼルバイジャンのアリエフ大統領、それに仲介したロシアのプーチン大統領の三人が共同声明に署名して、停戦に合意した。決着の結果はアルメニアがこれまで実効支配していたナゴルノカラバフの一部を失った。但し、旧自治州の帰属については触れられておらず根本的な解決には至っていない。それは先送りされたということである。

過去にも1994年に欧州安保協力機構とロシアの仲介で両者が停戦合意したこともあったが、アルメニアが旧自治州の実効支配を認める内容であったため、アゼルバイジャン側には不満であった。今回の停戦合意により、両者の衝突は停止することになるが、根本的な解決を先送りしている以上、この先に再び紛争が再燃しないという保証はない。米大統領選、その後の開票にまつわる混乱に乗じて、この地域に対するロシアの影響力が強まったという印象である。

アルメニアとアゼルバイジャンの紛争

アルメニアとアゼルバイジャンとの間で衝突が起きている。この地域は中東ではなく、コーカサス地方になるのであろうが、中東と密接に関係ある地域なので、取り上げてみることにする。

この両国間の紛争は今に始まったことではない。歴史的な流れからみると、ロシア帝国とオスマン帝国が崩壊し、その後、アルメニアとアゼルバイジャンが独立した時から、ナゴルノカラバフの帰属問題が発生したのである。アゼルバイジャン国内の領域であるナゴルノカラバフ地域に住む大半の人々がアルメニア人であった。第一次世界大戦後両国はソビエト社会主義共和国連邦下に置かれることとなった。そして、ナゴルノカラバフはソビエト社会主義共和国憲法において、アゼルバイジャン内の自治州としての地位を与えられたが、事態が収束することはなかった。Global News View (大阪大学を拠点とするメディア研究機関のHP参照)。

このように、アゼルバイジャン領内において、多くのアルメニア人が居住するナゴルノカラバフ地域がアゼルバイジャンからの離脱志向があり、そこにアルメニアが肩入れしたというのが紛争の始まりということである。私が若いころには「アゼルバイジャンの中にアルメニアの飛び地がある」という風に理解していたものだった。

この図でわかるように、アゼルバイジャンは産油国であるので、ジョージアからトルコ経由で各国に輸出している。両国はパイプラインの通過料を得ることができる。アルメニアはロシアやイランと発電・電力供給で親密な関係にある。イランは電力の代わりに天然ガスをパイプラインで供給している。イラン北部にはアゼルバイジャン系住民がいるので、イランは常に彼らの独立運動に目を光らせている。宗教的にイランとアゼルバイジャンはシーア派とスンニ派の違いはあるがイスラム同士ではある。アルメニア人はキリスト教徒(アルメニア正教)であるが、イランとの関係は良好である。一方、武器調達においては、アゼルバイジャンはイスラエルから大量の武器を購入している。最近続いているイスラエルとアラブのアラブ首長国連邦やバーレーンとの国交樹立などが、イラン封じ込め戦略と言われるように、イランにとってはイスラエルとアゼルバイジャンの関係強化も気になるところである。また、産油国のアゼルバイジャンには米国の石油関係会社も進出しているから、米国もこの地域での衝突には重大な関心を寄せざるをえない。

日本からは遠いコーカサスのあまり馴染みのない国同士の紛争であり、関心も薄く注目の度合いも薄いかもしれない。しかしながら、上述したように、両国間だけではなく、両国に繋がりのある周辺国(トルコ、イラン、イスラエル、シリヤ、レバノン等)ならびに米国やロシアも干渉することになると中東を巻き込んだ国際紛争になるわけである。そうなると石油を中東に依存する我が国としても傍観はできないであろう。

(地図は中日新聞10月1日、10月9日より拝借)