パレスチナ難民:75万人から640万人に

イスラエルとハマスの戦いは依然として続いています。イスラエルの軍事力をもってすれば、イスラエルが圧倒的に有利なことは当然です。その下で多くの子供たちが犠牲になっています。
今回はパレスチナ難民の人数を取り上げようと思います。そのためにはイスラエルの建国から話しを始めなければなりません。

イスラエルがパレスチナの地で建国宣言したのが1948年5月14日であった。アラブ側(レバノン、シリア、ヨルダン、エジプト、イラク)は即戦闘態勢に入り第一次中東戦争が始まった。この戦争はイスラエルが勝利し、パレスチナ全土の75%を支配下においた。イスラエルの支配下に陥った土地のアラブ人たち75万人がヨルダン川西岸、ガザあるいは周辺のレバノン、シリア、ヨルダンなどに流出し難民となっていった。この周辺地域に逃れた人が、劣悪な環境のもとで難民として生きてきたのである。子孫が増えていった。私がまだ現役の大学教員であったころ、その当時の難民の数がどうなったかと調べて本に書いたのが次の表である。当時2005年時点の数であるが、1948年に75万人であったものが425万人になっていたのである。

それでは現在の数はどうなっているのであろうか。
2021年時点のUNRWA統計によるとパレスチナ難民の分布はつぎのとおりである。

なんと約640万人となっているのである。難民キャンプで生まれ、難民生活から抜け出せない人々がこんなに沢山いるのだ。いま世界中で紛争が多発し、難民が生まれている。初期の対処方法を間違えば難民の数が増え続けることになるという現実がここにはある。戦争は一時的なものではない。戦争が終わっても、戦争の後遺症はその人の人生を狂わせてしまうのである。

イスラエルのガザ攻撃(現在のパレスチナ問題)

ハマスを撲滅するという旗を掲げたイスラエルのガザへの攻撃は続いています。数多くの民間人や子供たちも殺害されてきました。先日の学校への攻撃に対しても、イスラエルはその校舎にいたハマスの連中を狙ったものであったと開き直る有様です。理由はなんであれ、戦争によって多くの人々が傷つき、死んでいく有様は見たくありません。こういうことが継続するとユダヤ人に対する憎しみが増幅されてしまうのではないでしょうか。アメリカでは大学生たちがバイデン政権のイスラエル支援に「ノー」という意思表示をし、その動きは世界中に広がりつつあります。そうなるとイスラエル寄りの社会からはハマスに対する非難も高まります。戦争は一方が負けるまで終わらないものなのでしょう。このような戦争を引き起こしているパレスチナ紛争、パレスチナ問題とはどのようなものなのでしょうか。

パレスチナ問題についてはこのブログの中でも随分前に書いています。それらについては、このブログの中で「パレスチナ問題の復習」という語句で検索すれば4回分が出てきます。それを読んでいただければ幸いです。私たちの世代、つまりは高齢者の場合、パレスチナ紛争についてはある程度の知識は持っているように思います。なぜかというと若い時代に中東戦争があったからです。中東戦争は第一次から第4次と繰り返された戦争でして、特に第4次が1973年のオイルショック(第一次石油危機)を引き起こしたのです。ゆえに、その戦争に至る経緯、歴史がある程度、情報、知識として頭に入っているのです。詳しいことは覚えていないかもしれませんが。では、現在の高校の世界史教科書では、どれくらい記述されているのでしょうか。ちょっと覗いて見ましょう。

山川出版社『詳説 世界史』の298頁をピックアップしてみます。
アラブ地域では、アラビア半島においてかつての王国の再興をみざすイブン=サウードが、イギリスと同盟を結びながら、ワッハーブ派の勢力を率いて頭角を現した。彼は大戦中からアラブ独立運動を指導してきたヒジャーズ王国のフセインを破り、半島の大部分を統一して1932年にサウジ=アラビア王国を建てた。まもなく国内で莫大な石油資源が発見されると、同国の戦略的な重要性は著しく高まった。
大戦の開始とともにイギリスの保護国となっていたエジプトでは、戦後に全国的な反英独立運動がおこり(1919年革命)、1922年にイギリスは条件付きの独立を認めて、立憲君主制のエジプト王国が成立した。しかしイギリスはスエズ運河の支配権など多くの特権を維持したので、エジプト人による抗議が続いた。
またイラクはイギリスの、シリアはフランスの委任統治下に置かれたのち、それぞれ独立を達成していった。しかし、それらの国境線は列強の思惑によって定められたものであり、アラブ地域はいくつもの国境線で分断されることになった。
もっとも大きな矛盾が生じたのはパレスチナである。イギリスは大戦中、1915年のフセイン・マクマホン協定によってアラブ人にオスマン帝国からの独立を約束する一方、17年のバルフォア宣言ではパレスチナへの復帰をめざすユダヤ人のシオニズム運動を支援する姿勢を示し、双方から協力を得ようとした。こうしたあい反する約束に加えて、大戦後にパレスチナはイギリスの委任統治領となったため、アラブ・ユダヤの両民族はそれぞれの権利を主張して対立し、現在まで続く深刻なパレスチナ問題が生まれることになった。

この程度、教科書の1頁にも満たない程度の記述でパレスチナ問題の経緯が述べられています。勿論、他の部分でも関連する事項は書かれているのですが、薄っぺらい内容でしかありません。世界の歴史なので教科書1冊に入れるとしたらこの位が限度なのでしょうね。こうしている間にも、先日はハマスに捉えられていた人質の4人をイスラエルが救出したと報じられました。その救出に伴ってパレスチナ側の200人以上が殺されたとハマス側は発表しています。ハマスの報道がすべて真実であるとは思いませんが、胸が痛みます。イスラエルの国防相がネタニエフの方針に反対して辞任したとのこと。彼の辞任によってイスラエル側の攻撃はますます激しくなるという見方もでています。今日、岸田首相がG7サミットのためにイタリアに出発します。世界を代表する国の首脳が集まっても何も解決できる期待はありません。みんな自分の国が大変なことになっています。いったい世界はどうなっているのでしょう。

イスラエルとパレスチナの戦争

このブログの8月にエジプトの元大統領の言葉を紹介しました。その言葉をアラビア書道作品にして11月に開かれる京都での作品展に出品する予定でした。パレスチナでの戦争がこのように拡大することは、その時は思ってもいませんでした。世界中がイスラエルのガザ攻撃について、人道的な観点から市民を犠牲にしないようにと求めています。でも、イスラエルの攻撃をやめろ、戦争をやめろとは言いません(徐々に停戦すべきだという声がたかまりつつありますね)。戦争はしてもいいけど、市民を犠牲にしてはいけないというのですね。私たち日本人は戦争を放棄した国民です。どんなことがあっても戦争はダメと思うのですが。改めてサダトの言葉をここで紹介させていただきましょう。

「平和は土地よりもはるかに重要です・・・・。
戦争はもう終わりにしましょう。」

サダトがエジプトの大統領だったとき、イスラエルと和平条約を締結しました。その結果、ノーベル賞を受けました。その時にカイロでスピーチした時の一節なのです。

さて、イスラエルのガザへの侵攻がエスカレートしています。病院や学校にまで侵攻しています。病院の地下にハマスの拠点があるので、それを攻撃するというのです。ハマスは病院を盾にしているというのです。昨日のニュースでは地下の画像も出ていましたがイスラエルの元高官はこれらの地下トンネルや施設はかつてイスラエルが造ったものであるという証言もあります。アメリカがかつてイラクを攻撃したときのことを思い出します。イラクは「大量破壊兵器を有している」ことを理由に仕掛けたのでした。例え病院の地下にハマスの拠点があったとしても病院にいる患者や避難民を襲っていいという理由にはならないでしょう。

私はこのブログに書くことを躊躇っていました。パレスチナ問題の本質をきちんと理解していない世界の風潮に何を言っても無駄な気がするからです。いまハマスが人質を徐々に解放し始めました。一方でイスラエルもパレスチナ人を釈放し始めました。イスラエルには多くのパレスチナ人が拘留されていることが世界に明らかになりました。釈放された女性や子供をみて世界はどう感じているのでしょうか。罪状も明らかでなく裁判に掛けられたわけでもなく、行政拘禁という手段で留置されていたのです。ヨルダン川西岸へのイスラエル人の無法な入植も咎められていません。そういうイスラエルを世界が黙っていたことにパレスチナ人が反発するのは当然のことでしょう。冒頭の画像はサダトの言葉をアラビア書道の作品にしてみました。まだまだ拙い作品ですが、戦争は止めて欲しいという気持ちを込めました。

イスラエル軍、ガザ空爆:2022年8月6日共同通信発

昨日、ガザ地区に関する記事を書きましたが、今現在のガザのニュースが入ってきています。日本のテレビでは何も報道していません。BSのNHKではカタールのアルジャジーラの局がこのことを報じていました。インターネットで共同通信社のサイトから紹介しましょう。2022/8/6 09:45 (JST)の発信です。

【カイロ共同】イスラエル軍は5日、パレスチナ自治区ガザで、過激派「イスラム聖戦」を標的に攻撃を実施したと発表した。ガザ保健当局によると、空爆により5歳の女児を含む10人が死亡、75人が負傷した。イスラム聖戦は司令官が死亡したと明らかにし、反撃すると表明。ガザからイスラエルに多数のロケット弾が発射された。イスラエル軍は対空防衛システム「アイアンドーム」で撃墜するなどし、イスラエル側の人的被害は伝えられていない。大規模な戦闘に発展することが懸念される。イスラエル軍が1日、占領するヨルダン川西岸北部ジェニンでイスラム聖戦幹部を拘束し、緊張が高まっていた。
日本の新聞では記事になっていないが、世界中で緊張が高まっている毎日です。

パレスチナ問題の復習❸:ユダヤ人のガザからの撤退(2005年8月)

ウィキペディアから拝借

ユダヤ人のガザからの撤退(2005年8月)
前回の記述のとおり、1967年の第三次中東戦争で勝利したイスラエルはヨルダン川西岸とガザ地区を占領した。イスラエルは占領した地区をイスラエル領とするための既成事実化を進めようとして、1970年にガザに最初の入植地を積極的に建設し国民を入植させた。2005年時点で、ガザの25%を占める地区にある21の入植地に約8千人が居住するようになっていた。ガザの残り75%には130万から140万人のパレスチナ人が劣悪な環境で住んでいた。両者間ではつねに戦いが止むことなく、イスラエル政府はこの8千人の国民を保護するために多額の費用を支払っていたのである。2005年8月15日、イスラエルはガザ地区の入植者に撤退を命じ、入植地の撤去作業を始めた。入植地ではユダヤ教の教会であるシナゴーグに篭っている入植者をイスラエル軍兵士らが引きずり出して連行する様子がテレビニュースで報道された。焼身自殺をはかった女性がいたことも新聞は報道した。入植者たちはこぞって、かつては入植政策を推し進めながら、ガザ撤退を命じたシャロン首相を批判した。撤退後の入植跡地は更地に整備してパレスチナ側に引き渡されることになっていた。
このガザ撤退に至る推移を当時の日本経済新聞の記事で箇条書きにすると次の通りである。
2003年
12月 シャロン・イスラエル首相が一部入植地の撤収方針を表明

2004年
2月 首相、ガザ全入植地の撤収を表明

月 与党リクードの投票で計画否決
   イスラエル軍がガザ南部侵攻、60人以上死亡
9~10月 イスラエル軍がガザ北部侵攻、80人以上死亡
10月 イスラエル国会で計画を承認
11月 アラファト・パレスチナ自治政府議長死去
2005年
1月 自治政府議長にアッバス就任
2月 イスラエル・パレスチナ首脳会談、相互停戦を宣言
5月 計画実行を7月から8月に延期
8月15日 ガザ入植者に撤収命令
8月17日 強制撤去開始へ
12月 シャロン首相倒れるが大事に至らず退院する
この撤去がイスラエル側でもすんなりと決まったものでないことがわかるであろう。占領地の入植者はヨルダン川西岸にも20余万人おり、そちらの入植者の数が圧倒的に多い。パレスチナ側はガザの次はヨルダン川西岸の撤去も当然と要求する。イスラエル側は和平へのひとつの道筋としながらも、ガザの撤去で譲歩してヨルダン川西岸の入植地を維持したいという思惑も抱いていたのであろう。ユダヤ人居住区の周りには防護壁が次々と建設されていた。パレスチナ人にとってもガザにはさしたる産業があるわけでなく、商業都市として機能するには治安の回復と安定が不可欠である。イスラム原理主義組織ハマスは武装解除に応じずに和平への道は見えていなかった。

 

経済協力推進を確認 イスラエルとUAE

昨日のテレビニュースではイスラエルの首相がアブダビを訪問し、UAEの事実上の指導者ムハンマド皇太子と会談したことが伝えられました。両国の国交樹立から1年余が経ち、ベネット首相の訪問が実現したのです。

13日、アブダビで、イスラエルのベネット首相(左)を迎えるアラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国のムハンマド皇太子=イスラエル政府提供(AFP時事)
13日、アブダビで、イスラエルのベネット首相(左)を迎えるアラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国のムハンマド皇太子(AFP時事)

このニュースをこのブログで取り上げる意味はどこにあるでしょうか。私は、今後の中東情勢が非常に不透明になりつつあると思うのです。単純に言えば、この先の状況が分からないということです。

アラブの国であるUAEとユダヤ国家が友好関係を築き、平和な中東社会が実現するならば歓迎すべきことと言えるでしょう。でも両者の思惑はまた別のものがあるようです。メディアも注目するのはイランとの関係です。両国が協力する分野は多々あるでしょうが、政治的な面では対イラン政策です。イスラエルはUAE以外のアラブ諸国とも関係を改善しつつあります。それらは結局はイラン包囲網を築くということなのです。イランはアラブではありません。イランとアラブ諸国の関係はサウジアラビアのように険悪なところもあれば、オマーンのように関係が良好な国もあります。が、全体としてみれば関係は良くありません。イエメンの内戦ではイランとサウジアラビアの代理戦争の体をなしているわけです。イスラエルのアラブ接近の動きはトランプ大統領時代のアメリカの仲介によるものです。つまり、アメリカの対イラン政策の一環であるわけです。

話を広げましょう。いまサウジアラビアがレバノンからの輸入をストップさせています。レバノンは政治も経済も混乱状態にあります。政治への国民の信頼は崩壊しています。経済はサウジへの輸出が頼みの綱的な面もあったのですが、それがサウジの輸入規制によって、ますます混乱しているのです。レバノン国内の宗教分布は非常に多岐にわたっています。そこで現在の政治の運営はキリスト教徒、イスラムシーア派、イスラムスンニー派と3者から選出された三頭政治になっていたのです。もうおわかりでしょう。シーア派はイランの影響、とくにヒズボラの影響をうけています。スンニー派はサウジアラビアの影響をうけているわけです。そして、レバノンはフランスの植民地でありましたから、宗主国であるフランス(キリスト教)がいまだに影響力を有しています。日産のゴーンさんを思い出しますね。
今回のサウジの輸入禁止の原因はシーア派から出ている政治家の発言に対して、サウジ側が激怒した結果と言われているのです。

イランを巡って、今後さらに中東情勢が複雑化する予感がするのです。イランには中国やロシアが接近します。そしてこれまで通りシリアに影響力を及ぼします。逆にアメリカとイスラエルはアラブを仲間に入れようとしているわけです。そこにインドも加えようとの動きもあるようで、日本・アメリカ・オーストラリア・インドのクアッドに習い、これを中東のクアッドと呼ぼうとしているようです。ますます目が離せなくなる今後の中東情勢です。

在イスラエルの米大使館

 

日本時間の21日午前にハマスとイスラエルの間で停戦合意に至った。この間にパレスチナ側では多くの子供たちも犠牲になっている。国連安保理事国の足並みが乱れて、停戦への道筋がつけられなかったが、エジプトの仲介ということで停戦に至った。
衝突の発端は例のごとくエルサレムでの両者の扱いによるものであるが、今回、このように一気に激しい戦闘になったことは、双方のリーダーの自己本位的な思惑によるところが大きい。特にイスラエルではネタにエフが求心力を失っており、それを挽回する意味でも非常に強硬な手段に出たのである。

両者の衝突のことはさておいて、停戦協定のあと、米国務長官であるブリンケンが25日にイスラエルを初訪問した。彼がネタニエフと会談したあと、パレスチナ自治区でアッバス議長とも会談し、その後、エジプト、ヨルダンを訪問したはずである。

トランプ前大統領がイスラエルの米大使館をテルアビブからエルサレムに移転させたことは2018年のことであった。実は米合衆国議会では1999年5月31日までにエルサレムへ移転するように1995年10月23日にエルサレム大使館法(Jerusalem Embassy Act)が成立していたのであった。しかしながら、クリントン、ブッシュ、オバマ大統領はそれを執行しなかったという経緯がある。それは1967年の第三次中東戦争でイスラエルが獲得した土地を、アメリカが公認することになるとの恐れであった。それをトランプが執行したのであった。当時、アラブ諸国は勿論、世界各国が非難したものであったが、移転は実行された。

トランプからバイデン大統領に代わっても、米国大使館の位置は元には戻らない。議会で決めたことをトランプは執行しただけであるから、戻しようがない。戻すなら再び議会での議決が必要となるのだろうが、現在の米の政治家がそんなことをするわけがない。トランプが脱退を指示したパリ協定や、そのほかの国際協定への復帰はあっても、エルサレムの米大使館の位置はもう戻らないのである。冒頭の図は旧市街と米大使館の位置を示す地図である。ウィキペディアには次のように書かれている。「この場所はエルサレム旧市街のダマスカス門(Damascus Gate)から公道60号線で約5km南へ行った所のそばで、一部は1946~67年停戦ライン(1946-67 Armistice line)に跨っていて、一部は西岸地区に、一部は無人地帯にある。国連の人は、国際法上は占領地区にあるのでどちら側もそこを使うことはできない、ともいっている。」

 

バーレーンもイスラエルと国交樹立

アラブ首長国連邦がイスラエルと国交を正常化させたという記事を書いたのが8月15日でしたから、およそ1ヵ月後の昨日、バーレーンとイスラエルが国交を正常化させると合意しました。予想通りの展開になっていることですので、驚きはしません。

トランプ大統領はこのような合意を仲介することによって、中東和平の進展を推し進める功労者として自己アピールしているわけです。それが大統領再選へむけて大いに後押しをしてくれると信じて、精力的に運動してきたわけです。それと同時にやはりイランの孤立化、イラン包囲網を築こうとしているわけです。

バーレーンという国は人口が150万人位の小さな国です。バーレーンの影響力はそう大きくはありませんが、アラブ首長国に続いてのことですから、今後もサウジアラビアなどが続くと予想されます。すでにイスラエル機はサウジ上空を飛ぶことが暗黙の了解になっているとも報じられています。時間の問題でしょう。

問題は一連の流れが中東和平にどう影響するかということです。日本ではほとんど真剣な議論が公になっていません。パレスチナ問題の解決・和平につながるならば文句はありませんが、逆に解決から遠ざかるようなことになる可能性も大きいのです。和平への仲介をするならばパレスチナ自治政府を抜きにしてはスムーズに運ぶ筈がないことは自明です。トランプの考えていることは、中東和平ではなくて、自分の大統領選なのです。