久しぶりの投稿です。9月になっても暑い日が続いていましたね。6,7日と超大型の台風10号が九州の西を通過して被害がでました。遠く離れた愛知県でも非常に強い風、そして時々ゲリラ豪雨のように降る大雨に怖い思いをしました。今日8日の午前中は少し過ごしやすいかなと感じていますが、湿度が高いのでクーラーを点けるのは時間の問題でしょう。
さて今日は、冒頭にタイトルを示しましたが「イスラムのおばちゃん達」の動画を紹介いたします。「想い出の中東・イスラム世界」のシリーズです。私が2011年の9月にイランに行った時の様子です。
日本人の多くの人々は、イスラムの女性について、どちらかというと開放的ではなくて閉鎖的、派手ではなくて地味系、社交的ではないなどのイメージを持っている方が多いのではないでしょうか(私の偏見ならごめんなさい)。でも私の知っているイランのイスラム女性に関して言えば決してそうではありません。大学への進学者の女性の比率も50%を超えたというニュースをもう10年以上前に聞いたこともあります(今はどうか、後で調べてみます)。この動画を撮影した2011年の時にイラン国内の航空券を買うためにケルマンシャー市のイランエアに行ったとき窓口には男性も女性もいましたが、私は躊躇することなく女性の窓口に行きました。その彼女はイスラハンやシーラーズ、ラシトなどに行くチケットの空席をテキパキと調べて、スケジュールを組んでくれました。隣の窓口の男性はお客を前にしていても、新しい客が入ってくると、大きな声で挨拶の言葉を交わし(それは良いことかもしれませんが)、それだけでなく世間話を始めたのでした。その窓口のお客はその間放っておかれているわけです。銀行の窓口などはあまり女性を見かけなかったのですが、一番後ろの列の方は女性がいて、全体を監督しているような雰囲気でした。ケルマンシャーでは町で出会ったイラン人が家に招待してくれたのですが、子供や奥さんも我々(3人)の前にきて、一緒に楽しいひと時を与えてくれました。
もっと昔のことを話せば、1970年代のことになりますが、当時の女性は日本というか西洋の女性となんら変わらぬ人たちでした。王政の政策でもありましたが、チャドールは被らない。被ったとしても綺麗な花柄のものでおしゃれに着こなしたりしたものです。ツイッギーのようにミニスカートも流行りました。車を運転して通勤するので、何度か便乗させてもらったこともあります。それらは1979年の革命前のことですから、それ以後一変したわけですが、彼女たちの女性としての本質は世界中同じなのではないでしょうか。勿論、私の会社の同僚の女性(当時お互いに20代でした)は私の知っている日本の女性と変わりはありませんでしたが、敬虔なイスラム教徒で、日に5回のお祈りもしていました。ラマザンの月には断食をしていました。でも、普段は何ら日本人と同じ女性、普通に一緒にレストランなどに行っていました。
前置きが長くなりましたが、想い出の動画を次にアップしておきましょう。シーラーズの町でバザールを回った時のことです。バザールから出たところにちょっとした庭があり、ドリンクや軽食が取れるところがありました。庭の周りは個別の桟敷席のようになっており、その一つで女性たちがワイワイ大声でお喋りしているグループがあったのです。日本から一緒に行った二人の日本人が現地の人との触れ合うためにもと思い、声を掛けました。その時の様子の一部を同行者が撮影したものです。「大阪のおばちゃん」と同じように思いませんか?(結局動画のファイルが大きいので直接ここに載せられなかったので、ユーチューブにリンクしてご覧いただきます。