イスラエルのガザ攻撃(現在のパレスチナ問題)

ハマスを撲滅するという旗を掲げたイスラエルのガザへの攻撃は続いています。数多くの民間人や子供たちも殺害されてきました。先日の学校への攻撃に対しても、イスラエルはその校舎にいたハマスの連中を狙ったものであったと開き直る有様です。理由はなんであれ、戦争によって多くの人々が傷つき、死んでいく有様は見たくありません。こういうことが継続するとユダヤ人に対する憎しみが増幅されてしまうのではないでしょうか。アメリカでは大学生たちがバイデン政権のイスラエル支援に「ノー」という意思表示をし、その動きは世界中に広がりつつあります。そうなるとイスラエル寄りの社会からはハマスに対する非難も高まります。戦争は一方が負けるまで終わらないものなのでしょう。このような戦争を引き起こしているパレスチナ紛争、パレスチナ問題とはどのようなものなのでしょうか。

パレスチナ問題についてはこのブログの中でも随分前に書いています。それらについては、このブログの中で「パレスチナ問題の復習」という語句で検索すれば4回分が出てきます。それを読んでいただければ幸いです。私たちの世代、つまりは高齢者の場合、パレスチナ紛争についてはある程度の知識は持っているように思います。なぜかというと若い時代に中東戦争があったからです。中東戦争は第一次から第4次と繰り返された戦争でして、特に第4次が1973年のオイルショック(第一次石油危機)を引き起こしたのです。ゆえに、その戦争に至る経緯、歴史がある程度、情報、知識として頭に入っているのです。詳しいことは覚えていないかもしれませんが。では、現在の高校の世界史教科書では、どれくらい記述されているのでしょうか。ちょっと覗いて見ましょう。

山川出版社『詳説 世界史』の298頁をピックアップしてみます。
アラブ地域では、アラビア半島においてかつての王国の再興をみざすイブン=サウードが、イギリスと同盟を結びながら、ワッハーブ派の勢力を率いて頭角を現した。彼は大戦中からアラブ独立運動を指導してきたヒジャーズ王国のフセインを破り、半島の大部分を統一して1932年にサウジ=アラビア王国を建てた。まもなく国内で莫大な石油資源が発見されると、同国の戦略的な重要性は著しく高まった。
大戦の開始とともにイギリスの保護国となっていたエジプトでは、戦後に全国的な反英独立運動がおこり(1919年革命)、1922年にイギリスは条件付きの独立を認めて、立憲君主制のエジプト王国が成立した。しかしイギリスはスエズ運河の支配権など多くの特権を維持したので、エジプト人による抗議が続いた。
またイラクはイギリスの、シリアはフランスの委任統治下に置かれたのち、それぞれ独立を達成していった。しかし、それらの国境線は列強の思惑によって定められたものであり、アラブ地域はいくつもの国境線で分断されることになった。
もっとも大きな矛盾が生じたのはパレスチナである。イギリスは大戦中、1915年のフセイン・マクマホン協定によってアラブ人にオスマン帝国からの独立を約束する一方、17年のバルフォア宣言ではパレスチナへの復帰をめざすユダヤ人のシオニズム運動を支援する姿勢を示し、双方から協力を得ようとした。こうしたあい反する約束に加えて、大戦後にパレスチナはイギリスの委任統治領となったため、アラブ・ユダヤの両民族はそれぞれの権利を主張して対立し、現在まで続く深刻なパレスチナ問題が生まれることになった。

この程度、教科書の1頁にも満たない程度の記述でパレスチナ問題の経緯が述べられています。勿論、他の部分でも関連する事項は書かれているのですが、薄っぺらい内容でしかありません。世界の歴史なので教科書1冊に入れるとしたらこの位が限度なのでしょうね。こうしている間にも、先日はハマスに捉えられていた人質の4人をイスラエルが救出したと報じられました。その救出に伴ってパレスチナ側の200人以上が殺されたとハマス側は発表しています。ハマスの報道がすべて真実であるとは思いませんが、胸が痛みます。イスラエルの国防相がネタニエフの方針に反対して辞任したとのこと。彼の辞任によってイスラエル側の攻撃はますます激しくなるという見方もでています。今日、岸田首相がG7サミットのためにイタリアに出発します。世界を代表する国の首脳が集まっても何も解決できる期待はありません。みんな自分の国が大変なことになっています。いったい世界はどうなっているのでしょう。

イスラエルとパレスチナの戦争

このブログの8月にエジプトの元大統領の言葉を紹介しました。その言葉をアラビア書道作品にして11月に開かれる京都での作品展に出品する予定でした。パレスチナでの戦争がこのように拡大することは、その時は思ってもいませんでした。世界中がイスラエルのガザ攻撃について、人道的な観点から市民を犠牲にしないようにと求めています。でも、イスラエルの攻撃をやめろ、戦争をやめろとは言いません(徐々に停戦すべきだという声がたかまりつつありますね)。戦争はしてもいいけど、市民を犠牲にしてはいけないというのですね。私たち日本人は戦争を放棄した国民です。どんなことがあっても戦争はダメと思うのですが。改めてサダトの言葉をここで紹介させていただきましょう。

「平和は土地よりもはるかに重要です・・・・。
戦争はもう終わりにしましょう。」

サダトがエジプトの大統領だったとき、イスラエルと和平条約を締結しました。その結果、ノーベル賞を受けました。その時にカイロでスピーチした時の一節なのです。

さて、イスラエルのガザへの侵攻がエスカレートしています。病院や学校にまで侵攻しています。病院の地下にハマスの拠点があるので、それを攻撃するというのです。ハマスは病院を盾にしているというのです。昨日のニュースでは地下の画像も出ていましたがイスラエルの元高官はこれらの地下トンネルや施設はかつてイスラエルが造ったものであるという証言もあります。アメリカがかつてイラクを攻撃したときのことを思い出します。イラクは「大量破壊兵器を有している」ことを理由に仕掛けたのでした。例え病院の地下にハマスの拠点があったとしても病院にいる患者や避難民を襲っていいという理由にはならないでしょう。

私はこのブログに書くことを躊躇っていました。パレスチナ問題の本質をきちんと理解していない世界の風潮に何を言っても無駄な気がするからです。いまハマスが人質を徐々に解放し始めました。一方でイスラエルもパレスチナ人を釈放し始めました。イスラエルには多くのパレスチナ人が拘留されていることが世界に明らかになりました。釈放された女性や子供をみて世界はどう感じているのでしょうか。罪状も明らかでなく裁判に掛けられたわけでもなく、行政拘禁という手段で留置されていたのです。ヨルダン川西岸へのイスラエル人の無法な入植も咎められていません。そういうイスラエルを世界が黙っていたことにパレスチナ人が反発するのは当然のことでしょう。冒頭の画像はサダトの言葉をアラビア書道の作品にしてみました。まだまだ拙い作品ですが、戦争は止めて欲しいという気持ちを込めました。