オリエント世界 (1) メソポタミア文明からバビロン第一王朝

中東世界について2回書いたのであるが、アラブやトルコ、イランという前の中東世界があった。中国、インドとともに世界の四大文明であるメソポタミア文明とエジプト文明が中東地域で誕生した。現代世界において、政治・社会面で不安定な地域ではあるが、その昔、この地域は文明の開けた世界の中で最も発展していた地域であった。やがてこの地域はヨーロッパ世界からオリエントと呼ばれるようになる。その時代を大雑把に下図のように描いてみた。

メソポタミア文明を築いた中心はシュメール人であった。ウル、ウルク、ラガシュといった有力な都市が互いに競い合って発展していった。だが、シュメール人がどのような人々だったかは、いまだに謎とされている。

メソポタミアは世界で最も早く文字が発明された場所でもある。彼らの文字は絵文字の起源となり、やがて楔形文字に発展していった。文字は商業、経済、政治、文学といった多くの場面で使用された。メソポタミア周辺で発見された粘土板文書は50万枚にも達すると言われている。粘土板に記された有名な物語が『ギルガメシュ叙事詩』である。神と人間が入り混じった主人公ギルガメシュの物語で粘土板に書かれている。「ノアの方舟」の元と思われる洪水伝説が語られている。矢島文夫さんが訳出したものがちくま学芸文庫から出版されている(900円税別)。

図に記されたアツカド文明は紀元前2330年頃から約1世紀の間、シュメール時代に割り込むように栄えた。アツカド人はアラビア半島にルーツをもつセム系言語(アラビア語もセム系)を話す民族だったとされている。その次がバビロニアである。前2000年頃~前9世紀頃まで、中部イラクのバビロンを中心に栄えた。ハンムラビ王はメソポタミアを統一して帝国を築こうとしたが、多様な民族を統合するために制定したのが「ハンムラビ法典」であった。そのバビロニア王国もヒッタイトの攻撃により滅びた。