前(2020/12/25)に投稿した小川亮作訳のルバイヤートの冒頭で小川訳とサーデク・ヘダーヤト編集のものが同じように八つのパートに分けられていることに気づいたと記した。そのあと、関連資料を読んでいると、それは当然のことであった。つまり、小川亮作氏はサーデク・ヘダーヤトが編集したルバイヤートを訳したということであった。小川氏が訳した元の版を調べておけばこのような初歩的なミスはなかったはずで、お恥ずかしい。
私の勝手な思い込みで、小川良作さんはかなり昔の人であり、ヘダーヤトは私たちと同世代の作家と思っていたのだ。というのは、私が1970年代にテヘランに住んでいたころ、会社の寮のようなフラットに居たり、ペンションに移ったり、はたまたフランス人夫人の家に下宿したことがあったのだが、そのフランス人がヘダーヤトと知り合いだったと話したことがあったのである。私が25-26歳ころである。ヘダーヤトの名前は知っていたが、フランスで自殺したことぐらいしか知らなかった。彼の作品も読んだことがなかった。だからそんなに前の時代の人だとは思ってもいなかったのである。この際、きちんと調べとこうと思う。
サーデク・ヘダーヤト (Sadeq Hedayat) صادق هدایت :
彼は1903年生まれとあるから、明治36年生まれということになる。私の父親が明治37年生まれであったから、父親とほぼ同じ齢ということだから、それほど昔の人ではない(笑)。では、小川亮作氏はどうであろうか。
小川亮作:
1910年生まれ。つまり明治43年生まれである。私の母が明治44年生まれであったから、私の母とほぼ同じ齢である。ロシア語を勉強して外交官になり、ペルシャに赴任した。テヘランに3年間滞在したあと1935年(昭和10年)に帰国した。滞在中にルバイヤートに魅せられて翻訳することとなったのである。岩波文庫の出版が1949年(昭和24年)である。1910年生まれであるから39歳での出版となる。私が生まれたのが昭和22年であるから、既に翻訳はされていたことになる。また、ヘダーヤト版のルバイヤートをペルシャにおいて愛読していたことも、納得がいくのである。
二人の関連が分かったところで、ついでと言ってはなんであるが、ヘダーヤトの作品を少し紹介してみたい。
まず日本語で読める作品を挙げるなら、やはり彼の代表作の一つである『盲目の梟』であろう。調べてみると1983/1/1発行で、白水社から「白水社世界の文学」として出版されていることがわかった。訳者は 中村公則である。絶版になっておりアマゾンの古書では1万円とか21,558円とかで出品されている。愛知県図書館には所蔵されていることがわかった。ということで簡単にはお目にかかることのできないのが実情である。私は英語版とペルシャ語版を持っている。次の画像はその表紙である。
アマゾンでは新刊は手に入らないが購入者のレビューが載っているので参考になるだろう。また、アマゾンで入手できる翻訳本は『が生埋め―ある狂人の手記より 』があるが、よく見るとこれも一時的に品切れとなっている。入手できるのは『サーデグ・ヘダーヤト短編集』2007年慧文社 発行がある。定価3000円(税別)。内容は「20世紀イランを代表する大作家サーデグ・ヘダーヤトが、第二次大戦前後の激動のイランにあって、時代の波に翻弄されつつ、ときにリアルに、ときには表現主義的に、ときには風刺的に、またときには内省的、哲学的に時代の諸相を描いた珠玉の選訳十篇。」と書かれており、作家の紹介は「1903年テヘラン生まれ。国費留学生としてベルギー、フランスへ留学。1930年に短篇集『生埋め』を上梓し、本格的に作家としてデビュー。1936年からの滞印中に執筆した前衛的小説『盲目の梟』は、のちにアンドレ・ブルトンらも賞賛するところとなる。ペルシア語による斬新な小説執筆に旺盛な創作力を示す一方で、イラン固有のフォークロアなどにも強い興味を示し民俗誌的傑作を多く残したほか、欧州の文学作品のペルシア語への翻訳にも優れた業績を残した。1951年4月逗留先のパリで自らの手で命を絶ち逝去」と書かれている。この短編集は私も読んだが、読んだ後「良かった」というような感情は湧かないのが殆どだ。人それぞれに受け止め方が異なるものだろうから、それ以上私情を述べるのは止めておこう。
もっと彼のことを知ろうとするなら、ウィキペディアでも詳しく知ることができる。また彼の作品について知りたければアマゾンUSA やBook Depository で彼の名前で検索すれば数多くの書籍がでてくるので参考にされたい。Book Depository での購入は世界中どこでも送料無料なので大変ありがたいのだ。