2024年アラビア書道作品展(川崎会場)

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長い間ご無沙汰しておりました。猛暑の夏に嫌気がさして休んでおりました。またイスラエルはガザだけでなくレバノンのヒズボラとの争いも激化した嫌な日々が続いていましたし、今も続いています。そんな中、今年のアラビア書道作品展は例年どおり開催されました。私の作品を冒頭にアップいたしました。今回はペルシアの詩人ハーフェズの詩の中でも特に有名な詩の冒頭の部分2行を書きました。その詩の全文を小さな文字で入れて背景としました。もう一つの背景は左右に男女の姿を入れました。詩の意味が分かれば二人の男女の意味も分かるというものです。

冒頭2行の意味は次の通りです。
「かのシーラーズの美女がわが心を受け入れるなら、その黒いほくろに私は捧げよう、サマルカンドもブハーラーも」
美しいシーラーズの美女への思いを詠ったものです。彼女が私の思いを受け入れてくれれば、当時栄えたサマルカンドやブハーラーの町をも捧げようという大げさな語り掛けです。これらの町は今はウズベキスタンの古都であります。かつてウズベキスタンの大統領がイランを訪れた時に歓迎会場でのスピーチで「イランの女性がいくら美しい女性であっても我が国の町を取り上げないでもらいたい」とユーモラスに語りました。会場は大いに盛り上がったのでした。イラン人なら誰でもこの詩を諳んじているのです。この2行をもじって替え歌を作ることもありました。この詩の雰囲気を味わえるようにバックグランド音楽と朗読を入れて見ました。次の動画をご覧頂ければ幸いです。30秒ほどです。

 

ハーフェズ(その2)

前回に引き続きハーフェズ(2)とした。上の画像は手元にあるDVDの一頁である。頁の右側に一つの詩が、左側には絵が示される。これは3頁であるが、前回の最後に私が好きな一つだと紹介した「シーラーズの乙女が・・・・サマルカンド・・」の一篇である。絵の下の右側の▶を押すと、音楽にのせて朗読が始まるのである。好きな個所を聞けるように、絵の上部には検索枠がある。こうして、ハーフェズを愛する人は彼の詩を堪能することができるのだ。

ハーフェズはシーラーズを愛する詩や美女に恋する詩のほかに酒についても多く詠っている。その一つを紹介しよう。

酌人(サーキー)よ、起きて私に酒杯を与えよ
日々の悲しみに土をかけよ
酒杯をわが掌(て)に置け、体から
この青色の幣衣を脱ぎすてるように
賢者には(名声を求めぬことが)不評であろうとも
われらは名誉や名声を欲しない
酒をくれ、高慢の風をいつまで吹かすのか
悪い結果に終わる欲望には土をかけよ
わが嘆きの胸のため息の煙は
未熟な無常者たちを焼きつくした
恋に狂うわが心の秘密を守る友を
私は貴賤のうちにだれも見出せない
恋人といればわが心は楽しいが
彼女は一挙にわが心から安らぎを奪った
白銀(しろがね)の体をしたかの糸杉(恋人)を見た者はだれも
園の糸杉には決して見向きもしない
ハーフェズよ、日夜苦難に耐えよ
ついにはいつか望みが達せられよう
*青色の幣衣=神秘主義者の幣衣


この画像は私が昔シーラーズで写したものである。ハーフェズ廟である。周りが花いっぱいの公園になっているところで、始終人が訪れる場所である。インターネットで「ハーフェズ廟」と検索すれば美しい写真を沢山みることができる。特に夜の風景が美しいと思う。この墓石に刻まれているのが次の詩である。

私は天国の鳥、この世の罠から抜け出そう
そなたへの愛に誓って、私を自分の奴隷と呼んでくれるなら
私は時間と空間の支配から抜け出そう
神よ、私が埃のように消え去る前に
お導きの雲から慈雨を降らせ給え
わが墓の傍に酒を持ち楽師を連れて坐れ
そなたの芳香(かおり)で私は墓から踊りながら起き上がろう
麗しい歩みの恋人よ、立って姿を見せよ
私は踊りながら生命とこの世に別れを告げよう
老いたりとも一夜私をしっかり抱いてくれ
翌朝私は若返ってそなたの傍から起き上がろう
死ぬ日、そなたに会う一瞬(いっとき)の猶予をくれ
ハーフェズのように、私は生命とこの世を捧げよう

ハーフェズの作品はガザルという抒情詩が多いのだが、ちょっとペルシャの詩の形について説明しておこう。オマル・ハイヤームのルバイヤートは有名であるが、このルバイヤートというのは四行詩という意味である。1行と2行が対になっており、これで1バイトという。同様に3行と4行が対で1つのバイトを成している。2つのバイトの形、4つの短い行で4行詩なのであるが、バイトという概念からは2バイトの形式と言える。ハーフェズの詩で有名なガザルはこのバイトが5~15くらいからなるもので、行数でいうと10から30ということになる。かといって、ハーフェズが4行詩を書かないわけではない。次の画像は昔私がイスファハンの書店を覗いた時に買い求めたものである。サイズはA3ほど。イランの人たちはこのようなポスター的なものも部屋に飾っているのである。私にとって、これはアラビア書道(ペルシャ書道)のお手本なのである。

 

 

ハーフェズ(その1):ペルシャの詩人

昨年の10月に「ペルシャの詩人たち」というテーマをアップしたことがあった。そこではハーフェズやサアディ、そしてオマル・ハイヤームなどの名前を挙げて紹介した。しかし、その時には彼らの作品を紹介したわけではなく、作品紹介はまたの機会にすると約束していた。そこで今日は、ペルシャの詩人たちの中からハーフェズをテーマとする。ハーフェズ( حاقط )の詩集はغزلهای حاقظ ghazalha-ye-Hafez 、つまり「ハーフェズ抒情詩集」として出版されているように、彼の作品は抒情詩である。同じシーラーズ出身の詩人サアディが実践道徳詩詩を扱うのとは対照的な存在である。ハーフェズは本名をシャムス・ウッディーン・ムハンマドといい、詩人としての号を「ハーフェズ」と称した。ハーフェズとは「コーランの暗記者」を意味する言葉である。余談になるが、2008年日本で公開された「ハーフェズ・ペルシャの詩」というイラン映画をご覧になった方は、主人公がコーランを暗記してハーフェズという称号を得るという筋書きを覚えておいでのことだろう。この映画のヒロインが日本の女優、麻生久美子さんであったことでも話題となった映画であった。また、この映画をみたイラン人が「出演者に日本人がいたらしいが、だれだったのかなあ?」と話していたというのである。つまり、イランの中には色々な人種がいて、日本人のような顔つきの人も珍しくないということを物語っているのだろう。今はどうか知らないが、1970年代のテヘランでは肩に絨毯をかけて売り歩いている人たちがいた。顔つきはモンゴル系で我々と似ていた。トルクマンと呼ばれていた人たちだったが、私も同じように思われていたかもしれない。道を歩いていると、時々道を聞かれることもあった。顔つきだけでは自国民かそうでないかの基準にはならないことも知ったのだった。

話を元に戻そう。ハーフェズは1326年頃にシーラーズで生まれた(異説もあるが1300年代であろう)。イランに観光旅行で出かける日本人の多くはイスファハンとペルセポリスの遺跡に行くことがおおいだろう。シーラーズはこのペルセポリスを訪れる際の拠点となる町である。バラの花が香る美しい町として知られている。この町を愛したハーフェズの詩にはシーラーズが賛美されている。「ガザル」の一節をここに掲げよう。

 楽しきかなシーラーズとその比類なき位置(ありか)
 神よ、都を衰退から護らせ給え
 我らがルクナバードを荒らし給うな
 その澄んだ水はヒズルの齢(よわい)を授ける
 ジャファラーバードとムサッラーの間に
 吹くは竜涎香の香りを放つ北の風
 シーラーズに来たりて聖なる霊(天使)の恵を
 優れたる人びとから求めよ
   (平凡社東洋文庫『ハーフェズ』黒柳恒男訳より)
ヒズルの齢とは永遠の命のこと。聖なる霊(天使)とは大天使ガブリエルのこと。

この一節だけでなく、彼の詩にはシーラーズを愛して止まない心情が豊富に表現されている。そして、ハーフェズはこの町から出ることができなかったと次のように詠う。
نمدهند اجازت مرا به سیر سفر
نسیم باد مصلا و رکناباد
   ムサッラーの微風(そよ風)とルクナバードの流れは
   私に物見遊山の旅の許しを与えない

 

ハーフェズの詩の中で最も知られていると思われる、また私も好きな一つは次の詩である。黒柳恒男先生の訳に基づいて紹介する。

かのシーラーズの美女がわが心を受け入れるなら、
その黒いほくろに私は捧げよう、サマルカンドもブハーラーも
酌人(サーキー)よ、残りの酒をくれ、天国でも得られないのは
ルクナバードの川の岸とムサッラーの花園
ああ、都を騒がす陽気で優美な歌姫(ルーリー)たちは
トルコ人が王者の宴(うたげ)を略奪するようにわが心から忍耐を奪った
恋人の美にわれらの不完全な愛は必要でない
麗しい顔に紅(べに)、白粉(おしろい)、黒子や描き眉がどうして要ろうか
ヨセフの日毎に増す美から私は知る
愛はズライハーを貞節の帳から引き出すと
そなたが罵ろうが私は祝福をささげよう
苦い答えは甘く紅の口紅にふさわしい
恋人よ、忠告に耳を傾けよ、生命にもまして
幸福な若者たちが大切にするのは老いた賢者の金言
楽師と酒について語り、運命の秘密を決して探るな
だれもこの謎を知性で解いたり、解く者はいない
ハーフェズよ、そなたは抒情詩(ガザル)を作り、白珠(しろたま)を綴った、さあ楽しく歌え
そなたの詩に大空は昂星(スバル)の首飾りをささげよう

上の画像はペルシャ語と英語訳である。結構長い詩であるが、私が好きなのは初めの部分である。「シーラーズの美しき乙女がもし、私の思いを受け入れてくれるなら、サマルカンドもブハーラーをも与えよう」という心意気。そして、ここでも前の詩と同様に「ルクナバードとムサッラーの美しさは天国にても求められぬ」と詠んでいる。サマルカンドもブハーラーも現在はウズベキスタンの都市である。長い歴史の中で、特にサーマン朝の時代にはイラン・イスラム文化が栄えたところである。かれこれ10年位まえであったろうか。ウズベキスタンの大統領がイランを訪問したことがあった。そして、挨拶というかスピーチがあった。「・・・・親愛なるイランの国を訪問することを大変うれしく思います。イラン国民の皆さんの歓迎に感謝します・・・」とか儀礼スピーチから始まった後に「でも、かつての詩人が詠ったサマルカンドやブハーラーは私たちにとって非常に大切な町です。どうか持って行かないでください・・・」というような話をしたのでした。それを聞いて、聴衆はどっと笑いと歓声をあげたのでした。イラン人の殆どの人がハーフェズの詩を知っているのです。そして、多くの節を暗記していて、諳んじることができるのです。日常会話の端々にでてくることもあるのです。

ハーフェズの詩は美しい。ここまでだけでは語りつくせない。今回は「ハーフェズ(その1)」として、改めて「ハーフェズ(その2)」の機会を持つこととする。