想い出の中東・イスラム世界:パーラヴィー国王の切手

前回はロシアとウクライナの戦争にこじつけて、無理やり中東の金貨に結びつけたのでした。金貨に描かれていたのはイランのパーラヴィー国王でした。今回は、パーラヴィー国王つながりで、世界最大級の切手を紹介いたしましょう。1979年の革命までの1970年代は彼の全盛期でした。この切手の大きさにもそれが伺われるのではないでしょうか。子供時代に切手収集に夢中になっていた私が買ったのは言うまでもありません。沢山買いました。そして、日本の色々な人に書いた手紙に貼り付けました。当時の通信手段は手紙だったのです。

会社の事務的な通信はテレックスでした。電話回線を通じて文章を印字するタイプライターのような機器がありました。国際電話(国際通信)料が時間で加算されるので、事前に原稿をタイプしてテープに穴をあけて(さん孔というのかな)、電話回線が通じたらそれを一気に流すというものでした。緊急の場合は国際電話ですね。プライベートな場合の通信となると、国際電話はやはり高くつくので、もっぱら手紙になるわけです。今のようにメールがあれば随分違ったでしょうね。また、孫の様子を日本の祖父母たちに見せることは今ではラインやスカイプで世界中どこでも簡単ですが、70年代はそんなものはありません。我々は8mmフィルムで撮影して、フィルムを送ったのでした。親たちはそのフィルムを現像して映写機で映して見たわけです。今考えると隔世の感がしますが、その当時は最先端だったのです。

この国王の切手は1枚だけ記念にとってあります。これを貼って家族に送った手紙もとってあります。次の画像がそうです。封筒の幅いっぱいに貼った切手の大きさがお判りでしょう。私も若かったころの思い出の一枚です。

中東世界とは (2)

前回、数多くの少数民族がいると書いた。例えば、イランにはルール、バルチ、トルクメン、クルド、バクチヤーリなどがいる。アラブ人やトルコ人もアルメニア人もいる。でも中心をなすのはイラン人=ペルシア人=アーリア人であって、イランと言えばペルシア文化が基調の国である。

同様にトルコもそうである。中東問題のひとつでもあるクルド問題のクルド人達は少数民族ではない。しかしながら、東ローマ帝国を滅ぼして築いたオスマン帝国の主役はトルコ人であり、そこに築いたのはトルコ文化である。このような意味合いで、私は上の図を描いたのである。中東にはアラブとペルシアとトルコの3つの文化があることを認識してもらいたい。

強調したいのは「中東には数多くの民族、そして彼らの文化があるので一つではない。しかし、中東の文化には3つの中心的な文化がある」ということである。多くの人々はイラク人とイラン人は同じ中東の隣の国で同じような民族・文化であると思っているのではないだろうか。イラクはアラブであり、イランはそうではない。特にイラン人は同一視されることを嫌悪する。それは西洋人が我々をみて「チャイニーズ?」「コーリアン?」と言われたときの感情以上のものがある。シルクロードを通じて中国や日本に洗練された文化を伝えたササン朝ペルシアは初期のイスラム帝国=アラブに滅ぼされたのだった。

 

2019年1月ブログ開始です。

中東・イスラム世界について名古屋から発信いたします。サイトの整備しながら進めてまいります。記事の掲載は最初は歴史から入っていきますが、合間合間に時事的な記事や、想いでの体験話などを取り混ぜていこうと思います。遅々たるものかもしれませんが、お付き合いの程を宜しくお願いいたします。