ペルシア語講座36:ペルシアの諺

今回は久しぶりにペルシア語講座にしましょう。久しぶりと言いましたが約半年ぶりになります。今、ゴールデン・ウィークの最中です。。コロナに対する規制が大幅に緩和される今年のGWはどこも賑わいそうですね。私はGW明けにアラビア書道名古屋教室のメンバーで作品展を開催するので、そこに出品する作品に取り組んでいますので、何処にも行きません。その作品作りの過程で皆さん「何を書こうか」ということになります。アラビア書道なのでアラビア語が当たり前です。コーランの中の一節を取り上げる人が多いでしょう。次に多いのはアラブの諺でしょうか。私の作品は前にここで紹介しました「アラブの水を飲んだ者は、再びそこに戻る」というアラブの諺です。今日の記事はそこからの発想でペルシアの諺としたわけです。

さて、ペルシア語の諺にはいりましょう。日本語にある諺と同じ意味のものを比較してみましょうか。
❶ 隣の花は赤い:ペルシア語では「隣の鶏はガチョウです」。隣の鶏の方が大きく見えるのでガチョウとしたのでしょうね。
مرغ همسایه غاز است
読み方は morgh-e hamsaayeh ghaaz ast モルグは鶏、ハムサーエはお隣さん、隣の鶏ということでモルグにエザフェがついてモルゲとなります。あとはガーズがダチョウで、アストは英語のイズ、つまりbe 動詞ですね。

❷ 時は金なり:ペルシア語も全く同じです。
وقت طلا است  Vaght talau ast  ヴァクト タロウ アスト
ヴァクト(時)は タロウ(金・きん) アスト(です)

❸ 一人では何もできない。団結は力なり:
یک دست صدا ندارد   yek dast sedaa nadaarad
イエク ダスト セダー ナダーラド
ひとつ  手   音   持たない = 片手では音が出ない
ということで、一人では無力だという意味になります。ペルシアだけでなく中東で広く使われる表現です。

まだまだありますが、今回はここまでにしておきましょう。好評だったらまた取り上げることにしましょう。

アラビア文字の面白さ

先日、左肩を痛めたけど少し良くなったのでアラビア書道の稽古も始めたとか、ブログも再開するよと言ったのでした。でも、中々痛みが無くなりません。そこで改めて別の評判の良い整形外科病院を訪れたのです。これまでの医院と同様にレントゲンを撮ったのですが、「腱が切れているようだよ。MRIで精密検査したほうがいいよ」ということでした。その検査までは少々日にちが空くのですが明後日なのです。そんなわけでこのブログも書けていませんが、今日は晴天で暖かいので、あまり腕に負荷のかからないことを書こうと奮起しました。そこで決めたテーマはアラビア文字のことです。
アラビア語には興味がない読者も多いと思います。私自身も
参考書は持っていますが、「アラビア語は難しいので手が出ない」状態です。が、アラビア文字には興味がありますし、好きです。アラビア語に興味ない人も今回はアラビア文字についてちょっと関心を持って見てください。

上にアップしたのはNHKラジオのアラビア語講座のテキストの「アルファベット早見表」です。アラビア語は28文字です。でも表を見て下さい。28文字が全然異なる形ではなく、ある文字の一つに点が一つ、あるいは二つ、三つついている文字がありますね。それらを一つとして数えたら、17個の形になります。覚えるのは簡単そうですね。今言っているのは独立系の文字のことです。これらの文字が単語の頭にきた時、文字と文字との間にきた時、語尾にきた時で形が変わったりするのが少しややこしいかもしれませんが、実際に書いて見ると、合理的になっているわけです。また後ろの文字に繋いで書かれない文字があったりもします。話を点のことに戻しましょう。

ب 英文字の b に相当します。
ت 英文字の t に相当します。
ث 英文字の th に相当します。th の日本人が苦手な発音ですね。
点の数で違う文字になります。点の数が非常に重要ということです。別の文字も見ましょうか。

ج 英文字の j に相当します。
ح 
英文字の h に相当します。
خ 
英文字の kh に相当します。
このように点の数で文字が変わるということがお分かりですね。次にアラビア語以外でもアラビア文字を使っている国(言語)があります。昔はトルコやインドネシアもそうでした。現在ではウルドゥー語やペルシア語がそうです。そこで面白いことが発生するのです。例えばアラビア語には P という音=文字がありません。でもペルシア語には P はペルシア語のPですから必須ですよね。そこで پ という文字が使われています。アラビア語では点を3つ付けた th がありましたが、それは上についていました。ペルシア語では下に点を3つ付けてPとしているのです。同様にアラビア語にはチ chi という音=文字がありません。日本人の千葉さんの名前を書くことができません。ペルシア語にはその音があるので文字が必要です。トルコ語でも必要でした。そこでできたのが چ です。上述したグループに点3つの文字が追加されて利用されているのです。そのような文字は5つあるのです。
まだまだ話したいのですが、少し腕がつかれました。今日はこの辺で終わりとしましょう。アラビア文字、如何でしたか?面白いと思われたら「いいね」ボタンを押していただければ嬉しく思います。

 

ペルシア語講座35:役に立つ表現「あなたが居なくて寂しかった」

久しぶりの「ペルシア語講座」です。最近は使う機会が全くありません。一番最近では10月にアラビア書道作品展の会場にいたイラン人と少し喋っただけです。その前となるといつだったかは思い出せません。フェイスブックやインスタグラムやメールなどで使うことはありますが、対面での会話は中々機会がありません。忘れないように、このコーナーを続けるようにしましょう。さて、今日の表現は次の一文です。
جای شما خالی بود
意味は、タイトルに書いているように「あなたが居なくて寂しかった」です。例えば、私が旅行に行ってきました。その後であった人との会話です、「旅行楽しかった?」と聞かれます。「うん、楽しかったよ」と答えた後に「あなたが居なくて寂しかった」と続けるような場合の表現です。文字通りの意味は「あなたの場所が空っぽだった」となります。そして「あなたが居なくて寂しかった」という文字通りの意味よりもう少し感情が入っており「あなたが居たならもっと楽しかったのに」という程度のニュアンスを持っていると思うのです。私の好きな表現だし、相手から言われた場合も嬉しくなります。「今度は一緒に行きたいね」と会話が弾みます。単語と発音を覚えましょう。

جای   ja-e  ジャーエ と読みます。جا   ジャーの次にエザフェの ی が付いています。ジャーは「場所」という意味で、エ が付くので、その後ろの単語の「場所」となります。
後ろの単語は  شما shoma  ショマー です。「あなた」といういみです。従って、ジャーエ ショマー で「あなたの場所」という意味になります。これが主語になりますね。
次の単語は  خالی khali  kハーリーです。ハのまえにkを付けたのは、日本語のハではなく、喉の奥をこするように出すハにして下さい。「空っぽ」「カラ」「空間」の意味です。これが補語ですね。
そして最後が  بود bud  ブッド です。ブッドは英語のbe動詞の過去形三人称です。英語ならwasになります。これが述語ですか。これで全部の意味がわかりました。「あなたの場所が空っぽでした」
ジャーエ ショマー kハーリー ブッド
Ja-e shoma- khali- bud

この表現は「寂しい」と思ったのは私です。しかし、私が主語になるのではなく、主語はあなたの場所でしたね。ペルシア語にはこのように私に代わって他の語句を主語にする表現が多くあります。今回の上の会話の中で「旅行は楽しかった?」という会話がありました。Did you enjoy? と表現するのではなく「旅行はあなたを楽しくした?」というような言い方です。ほかでは「私は忘れちゃった」というような場合は勿論私を主語にする表現はありますが「私の記憶(覚え)が行っちゃった(飛んじゃった)」というような表現をするのです。これについては次回にお話ししましょう。いずれにせよ、ペルシア語は表現豊かな美しい言葉です。

世界中のテレビを見ることができる現代!

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というサイトにアクセスすると世界中のテレビを見ることができることを御存知ですか。サイトのアドレスは https://wwitv.com/portal.htm です。世界中の言語をネイティブの音声で聞くことができるのです。英仏独西語のような主要言語を聞くことは今では難しくありませんし、それ以外の言葉もこのようなしいサイトを知れば、いつでも聞き放題なのです。

なぜ、このようなことを言うかというと、私が学生時代の頃はネイティブの外国語を聞くことは中々難しかったのです。高校生の時に大阪外大のペルシア語を受験すると決めたのですが、入学するとイラン人の先生が日本語出来ないので英語で授業をすることを知ったのです。外大生は英語ができて当たり前というのです。英語のヒアリングができないといけないということで、親に頼んでソニーのテープレコーダーを買ってもらいました。ラジオ英会話を録音して聞いたものでした。テープレコーダーに英語を録音しようとしても、ラジオ英会話程度しかなかったのです。入学してからはペルシア語を学習したわけですが、生のペルシア語はイラン人の先生(女性の方でカーゼンプールさん)からしか聞くことができなかったのです。冒頭の様なテレビをインターネットで見なくても、数多くの教材があって、それにはCDが付いているので、ネイティブのペルシア語を聞くには全然不自由がない時代になったですね。

でもこのようなサイトでテレビをみると、生きた言葉に触れることができます。ニュースからは緊張感、緊迫感が伝わります。このサイトの一面ではウクライナのサイトが一番見られていることがわかります。冒頭の画像はウクライナのライブ放送ですが、次の画像のようなライブカメラの映像なども視聴できます。この画像はスクリーンショットなので静止画像ですが、実際には真ん中の画像では時々ピカッと光るのです。ロシア軍の攻撃によるものだと思います。

こんな放送をみることをお勧めしているのではありません。中東のような比較的普段接することのできない地域の言語や文化を学習している人は是非とも、このようなサイトを利用することをお勧めしたいということです。例えばイランの局を見たいと検索すると以下のように沢山の局が出て来るのです。ニュース、あるいはフィルム(映画)のように選択をして利用することができるでしょう。

当然、英語学習に利用することもできます。USAで検索すると80ほどの局が出てきます。次の画像は米国ABCのものです。

上の画像は雑誌「PRESIDENT」の最新号の表紙です。この雑誌では時々、英語の特集をしています。ビジネスマン対象の雑誌ですが、語学に堪能になりたい人が多いという証でしょう。最大の方法はいつも聞いているということしかないでしょう。ある程度、上達したら時間が経過しても、出て来るものだとかいう人もいます。子供の頃に自転車に乗れるようになれば、老いてから久々でも乗れるもんだというのです。自転車は身体で覚えるからそうかも知れませんが、語学はやはり長い間使わないとどんどん語学脳は退化していくと私は思います。その程度しか身に(脳に)ついてなかったということかもしれませんが。

ペルシア語通訳の想い出:大臣の通訳から犯罪者の通訳まで

春爛漫の季節になりましたね。桜は満開です。上の写真は家のすぐそばの公園の桜です。遠くに行かなくてもこんな奇麗な桜が見ることができることは嬉しいことです。2枚目は我が家の庭のアーモンドの木の花です。桜より10日ほど早く満開になって、花の期間も桜よりは長いのがアーモンドの良いところです。花は桜に似ています。そのアーモンドに写っている小鳥はシジュウカラのの雌です。軒下に掛けておいた巣箱にせっせと苔を運び入れているのです。ここ2~3日は巣作りの仕上げとして犬の白い毛を集めて運び込んでいます。もうすぐ産卵、そして可愛いヒナが現れることでしょう。

このブログに中東・イスラム関係以外のことを書いたことはありませんが、この春の陽気につられて、たまには日常のことに触れることがあってもいいかなと思いました。これからも季節に合わせて、私生活の記事も書いていくかも知れません。その方が人間らしくて良いような気がします。

さて、今日から4月です。この年になると新年度だと言っても何も変わることはありません。孫たちの新学期や入学の季節程度です。一昨日、ある筋からペルシア語の通訳についての問い合わせがありました。今回はお断りしたのですが、ペルシア語の通訳という想い出について今日は書かせていただきましょう。

私のペルシア語は外国語大学の4年間が基礎になっています。企業に就職し、海外要員(といっても勿論ペルシア語の現場イランですが)育成のために2年間の期間がありました。イランの砂漠を緑にするという水資源開発計画に関わる会社だったのです。技術中心の会社です。ですから、私自身も名古屋大学の工学部の授業を受けに行かされたりしました。例えば土木計画学、土木施工学、建設機械学、などなどです。本職はコーディネーターですから、技術は関係ないのですが、やはり少しぐらい技術者たちのやっていることを知っておくようにとの会社の方針ですが。イランで革命が起こる前の8年ほど駐在していましたので、その間にペルシア語は鍛えられました。そこで通訳の想い出です。

このブログの中にも「幻のイラン新幹線」という記事を書いていますが、このプロジェクトのために日本の当時の国鉄の錚々たるメンバーがイラン入りして現地調査をしました。私はずっと同行してフォローしました。調査そのものが楽しいものでした。専用の特別車両を使って在来線を何日もかけて辿ったのです。食事はシェフが乗り込んでいてダイニング車両で食べるのです。途中の町ではライオンズクラブのメンバーがランチ会に招待してくれたりするわけです。すべて私が通訳しなければなりません。会議室の車両ではイラン国鉄の技術者と日本の技術者とのやり取りがあり、ずっと通訳しました。フィージビリティスタディが終わり、マスタープランが作成されて、分厚い報告書が完成しました。日本から当時の国鉄副技師長が報告書を持参して、深夜のメフラバード飛行場に着きました。そして、その日の午後に運輸大臣にプレゼンテーションする計画でした。私は当然、大使館の方が通訳すると思っていたのですが、副技師長が私にやってくれて言われたのです。調査中、ずっと一緒にやって来たので彼は私を信頼してくれていたのです。嬉しかったですが、大変な通訳でした。今から考えると、よくできたもんだと思うのです。この会議はその後もありました。

とにかく日本から誰かが来ると、駆り出されることが多かったです。有名な作家、有名な写真家、芸能人、有名な考古学者、ODAのメンバーなどなどは通訳というより、同行して案内してあげるというようなことでした。

さて、日本に帰ってからですが、日本では殆どペルシア語の需要はありませんでした。いまでも余りないでしょう。でも何処で調べて来るのでしょうか。弁護士さんから電話がかかりまして、留置所のイラン人との通訳を頼まれるようになったのです。昼間は会社勤務があるので、その後の7時ごろの夜でした。かなりの回数出かけました。一度引き受けると、ほかの弁護士さんからも依頼がありました。余談ですが容疑者の言うことを信じて、それを証明しようとして一生懸命事実関係を調べる弁護士さんがいました。また別のケースでは、事実関係はどうでもいいから、罪を認めなさいと、容疑者にいう弁護士もいました。彼が言うには、早く罪を認めた方が、結局は自分のためには一番良いんだということでしが。この弁護士さんは腕利きのように思ったものです。色々勉強させてもらいました。その後、裁判での通訳も依頼されたのですが、昼間の勤務を口実にお断りして、日本語の達者なイラン人を紹介して、その方が引き受けてくれました。でもそのうちに、自分の国の人の裁判には関わりたくない。悲しくなるということで、辞めることにしました。

長々と書いてしまいましたが、そんなことがあったのだと振り返ってみました。今私の実力は非常に落ちています。語彙もどんどん忘れているでしょう。ただ、今はペルシア語の詩を読むのが楽しみです。詩は少し難しいですが、理解して、それをアラビア書道(ペルシア書道)の作品にするのがライフワークになっています。私の作品はこのブログに何度か紹介している通りです。そういえば春分の日はイランのノウルーズ(新年)でした。今が一番美しい季節です。そして、元旦から13日目の日はsizdah bedarといってお弁当を持って外に出かけるピクニックデーなのです。そのような場所を通りかかると、ベファルマイ、ベファルマイと言って無理やりごちそうしようとするのです。メフマンドゥースト=おもてなしの国なのです。