中東と石油(2):石油発見の歴史


前回に続いて今回のテーマも石油であるが、石油発見の歴史を辿ってみようと思う。上の画像は石油関連の書籍であるが、私の手元にあったものの一部である。一時、石油関係の論文を書いた時期もあったので、数多くの石油関連書籍を読んだ。この画像のものも古いものとなったのでほとんどは処分したわけである。中でも画像上部中央の『石油の世紀』2巻ものはダニエル・ヤーギン著作の素晴らしいものだった。手元に残しておきたかったが、欲しいという方がいたので譲り渡した。

さて、中東では古くから石油の存在が知られており、利用もされてきた。ゾロアスター教が拝火壇で火をともし続けきたその燃料も石油であったかもしれない。日本では日本書紀に「天智天皇に越の国より燃える水を献上した」という記述があるそうだ。燃える水とは石油のことである。当時は「臭い水」という意味で「くそうず」と呼ばれたなどと読んだことがある。越の国、すなわち新潟県地方では燃える水を献上する様子を再現したお祭りがあるということも聞いたことがある。しかしながら、石油が我々の生活の必需品となり、商業ベースで石油開発が始まったのはそれほど遠い昔のことではない。最初の商業ベースでの開発・発見はアメリカであった。以後、ロシア、インドネシアと続いた。

(1) アメリカ
ジョージ・ベゼルという人物が1853年にペンシルベニア州の地域住民が薬として使われている物質(これがセネカ・オイルと呼ばれる石油であった)のことを知る。彼はこの物質が燃えることを知って、薬以外の用途(例えば光源や燃料など)の利用の可能性を期待して開発をしようとしたが失敗した。
その後、エドウィン・ドレークという人物が開発に乗り出して、石油発見に成功したのである。それからオイル・ラッシュが始まったわけである。湧きだした石油を貯める方法がない。そこでウィスキーの樽がかき集められた。このことは前回のバレルの単位のところで述べたことである。・・・・・石油生産が盛んになっていき・・・・・・石油精製業をしていたロックフェラーが生産事業に進出して、一気に巨大企業に発展させていった。・・・それが、あの有名なスタンダード石油会社である。

(2) ロシア
ロシア帝国では工業化が始まったが、首都ペテルブルグでは日照時間が短いため光源としての石油の需要が高まりつつあった。1862年にアメリカから灯油が届いたという。そして、ロシアでも石油開発がスタートするのである。カスピ海沿岸のバクーでも昔から皮膚病の薬として使われており、初歩の石油産業が現れていた。バクーは19世紀初めにロシアに併合されており、ロシア政府はここで民間(個人)の石油開発を競わせた。そこに参加してきたのが、ノーベル兄弟であった。そう、あのノーベル賞のノーベルである。ダイナマイトを発明したノーベルの息子兄弟のことである。1871年~72年にかけて彼らの油井から石油がでたのであった。かれらは石油開発に成功したあと、その輸送のためにパイプラインを、またカスピ海の湖上輸送のためにタンカーを開発したとも言われている。ここでの開発競争にロスチャイルドが参入してくるというおまけもあるのであるが、とにかくロシアも石油を手に入れたということだけに留めておこう。

(3) オランダ
オランダ統治下の東インド諸島でも数百年前から石油の露出の話が伝わっていた。滲みだした油は、ここでも薬として利用されていたとのことだ。1880年、東スマトラ・タバコ会社が現地人が明るい炎の松明をもっていることから、石油の存在を信じ、石油発見に取り組んだ。そして、1885年にスマトラ島北東部で試掘に成功した。オランダ政府は石油発見の快挙を讃えた。そして、この会社はロイヤルの称号をもつ「ロイヤル・ダッチ社」となった。しかし、開発には莫大な資金が必要であった。当時、貝殻細工の製造販売から財をなしたシェル社がボルネオ島で石油開発を手掛けており、両者が合併して「ロイヤル・ダッチ・シェル社」となったのである。

(4) イギリス
アメリカ、ロシア、オランダと石油を手に入れることができた。次はイギリスである。イギリスが石油を手に入れたのはペルシャであった。これが中東地域での最初の石油発見である。1908年のことである。ここからは、次回にしよう。  (続く)

 

中東と石油(1):原油埋蔵量

今回のテーマは石油である。20世紀は「石油の世紀」とも言われた。石油が燃料としてだけではなく、加工されてありとあらゆるものに製品化されたのである。我々の日常生活にも石油は大きく貢献してきた。温暖化や環境破壊などが問題視されだしたことから、21世紀は「脱石油の時代」になるはずであったが、福島の原発事故などもあり、脱石油へのシナリオは容易ではない。「脱石炭」さへ日本では難しいのが現状である。そんな現状であるが、石油資源について考察してみることにしよう。

(1) 原油確認埋蔵量
石油いうものの大元は原油である。地下から汲み上げる。それが海底の地下深いところから汲み上げることもある。その原油を製油所で精製してガソリン、灯油などが作られる。一方でナフサが作られて、それより数多くの種類の石油化学製品が作られる。その大元である原油の埋蔵量から見ることにしよう。以下の表は2018年末時点の「原油確認埋蔵量」を地域別に示したものである。

10億バレル 可採年数
USA 50.0 2.9% 10.5
Total North America 226.1 13.3% 30.8
Venezuela 303.2 17.9% 393.6
Total S. & Cent. America 330.1 19.5% 125.9
Norway 7.9 0.5% 11.0
United Kingdom 2.3 0.1% 6.3
Total Europe 13.4 0.8% 10.4
Azerbaijan 7.0 0.4% 24.1
Kazakhstan 30.0 1.8% 44.8
Russian Federation 106.2 6.3% 25.8
Total CIS 144.9 8.5% 27.8
Iran 157.2 9.3% 86.5
Iraq 148.8 8.8% 90.2
Kuwait 101.5 6.0% 91.9
Qatar 25.2 1.5% 36.1
Saudi Arabia 266.2 15.7% 61.0
United Arab Emirates 97.8 5.8% 68.1
Total Middle East 807.7 47.6% 70.0
Algeria 12.2 0.7% 21.7
Angola 9.5 0.6% 15.6
Libya 48.4 2.9% 153.3
Nigeria 37.5 2.2% 51.6
Total Africa 126.5 7.5% 42.9
China 25.7 1.5% 18.3
Indonesia 3.2 0.2% 9.2
Total Asia Pacific 48.0 2.8% 16.7
世界全体 1696.6 100% 50.2

出所は石油メジャーのBPの「Statistical review 」である。時には、確認可採埋蔵量ということもある。現時点で地下に埋蔵されていると推定できる量のうち、現時点での採掘技術で採掘可能な埋蔵量である。現代の科学では地球内部に存在する原油量は物理学的に推定できるようである。そして、現在の科学技術で採掘できる量を示しているそうである。数十年前には深海に油断があることが分かっていても採掘する技術がなかったが、今はそれが可能である。その時点で埋蔵量は増えるのである。上表の埋蔵量の単位は「十億バレル」である。バレルとは英語で樽という意味である。1バレルは159リットルである。昔、アメリカのペンシルベニア州で石油が発見されたときに、ウィスキーの樽を利用して輸送したことから、バレルが原油量の単位になったのである。埋蔵量の後ろの列の%は全体に占める比率である。中東地域の比率は 47.6 %となっている。つまり世界全体の埋蔵量の約半分が中東地域に偏在しているということ。そして、最後の列の可採年数は、その埋蔵量を現在の年間生産量で割り算したものである。簡単に言うと、埋蔵量が100億バレルで、年間生産量が10億バレルなら10年で底をついてしまうという単純な目安である。アメリカは約10年となっている。もうずっと10年以上まえから10年程度となっている。新規に油田が発見されることもあるが、それは先に述べたように深海油田などの存在が分かっていても可採でなかった油田が可採になったりするためである。アメリカのシェール石油なども近年に埋蔵量が増えた一因でもある。埋蔵量が多く、可採年数も長いのがやはり中東地域であることも良く分かる表である。              (続く)