パレスチナ問題の復習❸:ユダヤ人のガザからの撤退(2005年8月)

ウィキペディアから拝借

ユダヤ人のガザからの撤退(2005年8月)
前回の記述のとおり、1967年の第三次中東戦争で勝利したイスラエルはヨルダン川西岸とガザ地区を占領した。イスラエルは占領した地区をイスラエル領とするための既成事実化を進めようとして、1970年にガザに最初の入植地を積極的に建設し国民を入植させた。2005年時点で、ガザの25%を占める地区にある21の入植地に約8千人が居住するようになっていた。ガザの残り75%には130万から140万人のパレスチナ人が劣悪な環境で住んでいた。両者間ではつねに戦いが止むことなく、イスラエル政府はこの8千人の国民を保護するために多額の費用を支払っていたのである。2005年8月15日、イスラエルはガザ地区の入植者に撤退を命じ、入植地の撤去作業を始めた。入植地ではユダヤ教の教会であるシナゴーグに篭っている入植者をイスラエル軍兵士らが引きずり出して連行する様子がテレビニュースで報道された。焼身自殺をはかった女性がいたことも新聞は報道した。入植者たちはこぞって、かつては入植政策を推し進めながら、ガザ撤退を命じたシャロン首相を批判した。撤退後の入植跡地は更地に整備してパレスチナ側に引き渡されることになっていた。
このガザ撤退に至る推移を当時の日本経済新聞の記事で箇条書きにすると次の通りである。
2003年
12月 シャロン・イスラエル首相が一部入植地の撤収方針を表明

2004年
2月 首相、ガザ全入植地の撤収を表明

月 与党リクードの投票で計画否決
   イスラエル軍がガザ南部侵攻、60人以上死亡
9~10月 イスラエル軍がガザ北部侵攻、80人以上死亡
10月 イスラエル国会で計画を承認
11月 アラファト・パレスチナ自治政府議長死去
2005年
1月 自治政府議長にアッバス就任
2月 イスラエル・パレスチナ首脳会談、相互停戦を宣言
5月 計画実行を7月から8月に延期
8月15日 ガザ入植者に撤収命令
8月17日 強制撤去開始へ
12月 シャロン首相倒れるが大事に至らず退院する
この撤去がイスラエル側でもすんなりと決まったものでないことがわかるであろう。占領地の入植者はヨルダン川西岸にも20余万人おり、そちらの入植者の数が圧倒的に多い。パレスチナ側はガザの次はヨルダン川西岸の撤去も当然と要求する。イスラエル側は和平へのひとつの道筋としながらも、ガザの撤去で譲歩してヨルダン川西岸の入植地を維持したいという思惑も抱いていたのであろう。ユダヤ人居住区の周りには防護壁が次々と建設されていた。パレスチナ人にとってもガザにはさしたる産業があるわけでなく、商業都市として機能するには治安の回復と安定が不可欠である。イスラム原理主義組織ハマスは武装解除に応じずに和平への道は見えていなかった。

 

経済協力推進を確認 イスラエルとUAE

昨日のテレビニュースではイスラエルの首相がアブダビを訪問し、UAEの事実上の指導者ムハンマド皇太子と会談したことが伝えられました。両国の国交樹立から1年余が経ち、ベネット首相の訪問が実現したのです。

13日、アブダビで、イスラエルのベネット首相(左)を迎えるアラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国のムハンマド皇太子=イスラエル政府提供(AFP時事)
13日、アブダビで、イスラエルのベネット首相(左)を迎えるアラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国のムハンマド皇太子(AFP時事)

このニュースをこのブログで取り上げる意味はどこにあるでしょうか。私は、今後の中東情勢が非常に不透明になりつつあると思うのです。単純に言えば、この先の状況が分からないということです。

アラブの国であるUAEとユダヤ国家が友好関係を築き、平和な中東社会が実現するならば歓迎すべきことと言えるでしょう。でも両者の思惑はまた別のものがあるようです。メディアも注目するのはイランとの関係です。両国が協力する分野は多々あるでしょうが、政治的な面では対イラン政策です。イスラエルはUAE以外のアラブ諸国とも関係を改善しつつあります。それらは結局はイラン包囲網を築くということなのです。イランはアラブではありません。イランとアラブ諸国の関係はサウジアラビアのように険悪なところもあれば、オマーンのように関係が良好な国もあります。が、全体としてみれば関係は良くありません。イエメンの内戦ではイランとサウジアラビアの代理戦争の体をなしているわけです。イスラエルのアラブ接近の動きはトランプ大統領時代のアメリカの仲介によるものです。つまり、アメリカの対イラン政策の一環であるわけです。

話を広げましょう。いまサウジアラビアがレバノンからの輸入をストップさせています。レバノンは政治も経済も混乱状態にあります。政治への国民の信頼は崩壊しています。経済はサウジへの輸出が頼みの綱的な面もあったのですが、それがサウジの輸入規制によって、ますます混乱しているのです。レバノン国内の宗教分布は非常に多岐にわたっています。そこで現在の政治の運営はキリスト教徒、イスラムシーア派、イスラムスンニー派と3者から選出された三頭政治になっていたのです。もうおわかりでしょう。シーア派はイランの影響、とくにヒズボラの影響をうけています。スンニー派はサウジアラビアの影響をうけているわけです。そして、レバノンはフランスの植民地でありましたから、宗主国であるフランス(キリスト教)がいまだに影響力を有しています。日産のゴーンさんを思い出しますね。
今回のサウジの輸入禁止の原因はシーア派から出ている政治家の発言に対して、サウジ側が激怒した結果と言われているのです。

イランを巡って、今後さらに中東情勢が複雑化する予感がするのです。イランには中国やロシアが接近します。そしてこれまで通りシリアに影響力を及ぼします。逆にアメリカとイスラエルはアラブを仲間に入れようとしているわけです。そこにインドも加えようとの動きもあるようで、日本・アメリカ・オーストラリア・インドのクアッドに習い、これを中東のクアッドと呼ぼうとしているようです。ますます目が離せなくなる今後の中東情勢です。

バーレーンもイスラエルと国交樹立

アラブ首長国連邦がイスラエルと国交を正常化させたという記事を書いたのが8月15日でしたから、およそ1ヵ月後の昨日、バーレーンとイスラエルが国交を正常化させると合意しました。予想通りの展開になっていることですので、驚きはしません。

トランプ大統領はこのような合意を仲介することによって、中東和平の進展を推し進める功労者として自己アピールしているわけです。それが大統領再選へむけて大いに後押しをしてくれると信じて、精力的に運動してきたわけです。それと同時にやはりイランの孤立化、イラン包囲網を築こうとしているわけです。

バーレーンという国は人口が150万人位の小さな国です。バーレーンの影響力はそう大きくはありませんが、アラブ首長国に続いてのことですから、今後もサウジアラビアなどが続くと予想されます。すでにイスラエル機はサウジ上空を飛ぶことが暗黙の了解になっているとも報じられています。時間の問題でしょう。

問題は一連の流れが中東和平にどう影響するかということです。日本ではほとんど真剣な議論が公になっていません。パレスチナ問題の解決・和平につながるならば文句はありませんが、逆に解決から遠ざかるようなことになる可能性も大きいのです。和平への仲介をするならばパレスチナ自治政府を抜きにしてはスムーズに運ぶ筈がないことは自明です。トランプの考えていることは、中東和平ではなくて、自分の大統領選なのです。