昨日(前回)、ヒンドゥークシュで採れるものとはいったい何でしょうか、という所で終わったのでしたね。でも、後から気が付きました。タイトルが「アフガニスタンとラピスラズリ」となっていました。答えはラピスラズリということでした。ということで今回も更に適宜抜粋し編集しながら引用を続けます。
ツタンカーメンは、今から3300年余り前の紀元前14世紀頃、古代エジプト王、ファラオとして短い生涯を送った。彼の墓が1922年に見つかり、そこの埋葬品の「黄金のマスク」の目の部分に、ラピスラズリがはめ込まれていたのである。その周辺で見つかった140個ほどのスカラベという昆虫の彫り物は全てラピスラズリであったという。エジプトでラピスラズリが使われていたということは当時も発見された当時も重要視されるような特別なことではなかったという。だが、それらのラピスラズリはアフガンのヒンドゥークシュで採掘されて運ばれたものであるという点が、このブログでは重要な点なのである。
一方、日本との関係はどうなるのだろうか。六世紀に日本に伝えられた仏教では、宇宙には東西南北に四つの「仏の世界」、いわゆる「仏国土」が存在するとの考えから東に薬師如来、西に阿弥陀如来、南に釈迦如来、北に弥勒菩薩が存在するとした。その中の一つ薬師如来は東方浄土を治めるだけでなく、現世で苦しむ人々を助ける力を持つとされ、これが「薬師」という名前の由来である。この薬師如来の正式な名前は「薬師瑠璃光如来」というのである。瑠璃というのはラピスラズリの日本語訳である。なぜ瑠璃という言葉が薬師如来につけられたのだろうか。かの著者は3つの説明しているが、その三つ目の説明とは「仏教徒が瑠璃の粉末を薬や顔料として珍重していた点である。実際、瑠璃に含まれる成分が精神の安定をはかるとして、中世ヨーロッパでも使用されてきた。薬師如来は、まさに医師であり、薬剤師であり、心の闇を取り払うカウンセラーでもあった。・・・・・インドへの旅を成し遂げて多くの仏典を持ち帰った玄奘三蔵が翻訳した経典に「薬師瑠璃光如来本願功徳教」があった。・・・アフガンに誕生した瑠璃は、経典の名前だけでなく、いくつかの経文の一節にも使われ、六世紀以後次々と日本に渡ってきた。これまで仏教の伝来といえば、インド、中国、日本の関係だけが注目されてきた。その中にアフガンを加える人は少数である。しかし、薬師如来像を眺める時、私たちは瑠璃の光が放ち続けて来た「アフガンの存在」を忘れてはならないだろう。
ということで、アフガニスタンはかつては西のエジプトへ、あるいは東の日本に影響を与えた一拠点であったということである。ラピスラズリという貴重な石(貴石)、日本では七宝に一つに数えられる貴い石として珍重に取り扱われたラピスラズリがアフガンからの到来物であったのである。瑠璃の美しい青さ、サファイアだと思われていたものが実はラピスラズリであったという話なども聞く。私はバードウォッチャーであるが、美しい鳥にも瑠璃が付いているものが多い。例えばオオルリ、ルリビタキ、ルリカケス等々である。冒頭の写真は私が写したルリビタキである。今日はこの辺で終わりにしましょう。