ペルシア語講座37(2):私が使用した「ペルシア語辞書」

前回の続きです。私が初めてイランに行ったのは1971年でした。前回紹介した辞書とキッコーマンの醤油1缶(500cc位)だけを大切に持っていきました。どうせ長期間の駐在になるのだから、何を持って行ってもいずれはなくなるのだから、日本食品などは一切持参しませんでした。衣類も日用品も全て現地調達という意気込みでしたね。話を辞書に戻しましょう。辞書は仕事でも、日常生活でも必要でしたので、より大きな辞書をすぐに買い求めました。滞在中には何冊も買ったものですが、ここで紹介するのは、ぺ⇒英語、英語⇒ぺの最初の2冊です。学生時代に買った辞書の著者と同じもので、語彙数が多いものでした。発行年も私が訪れた時代の1972年と1973年版です。

次の画像は日本に帰国後に購入した日本語とペルシア語の辞書2冊を加えた4冊です。

日本語の2冊はいずれも黒柳先生の著書で、非常に高価なものでしたので、価格を撮影しておきました(笑)。

日本語版を使うとやはり便利ではあります。でもずっと英語版を利用していたので、それにも慣れていました。ペルシア語は英語と同じインドヨーロッパ語族ですので、英語との相性が良いのです。語彙の意味のニュアンスが相通じるものがあるので、慣れれば使い勝手は良くなりました。日本語版は折角発行されているのだから本棚に並べておきたいという気持ちがありました。

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ペルシア語講座37:私が使用した「ペルシア語辞書」

最近このブログの更新が非常に滞っていました。自分が書きたいと思っていたことも殆ど書き尽くしたような気持でもあったせいかも知れません。また既に仕事も辞めてから十数年になり、新しい情報収集、研究成果なども微々たるものになっていることが要因でしょう。要はモチベーションの退化とも言えましょう。そこで、この自分のブログを遡ってみてみました。「あれは書いただろうか?」「イスラムのあれはどういう風に書いたのだったかな?」とか思いながら。でも自分ながら長い間買い続けたなと少し感心したのも正直な気持ちです。統計データを見ると、ペルシア語講座と題した頁が意外に読まれていることが分かりました。また、世界史の重要事項に関係ある記事も読まれていました。奇をてらわないオーソドックスなものが読まれていたようです。そろそろこのブログを閉じようかとも迷っていたのですがもう少し続けて見ることにします。そこで今回のタイトルは冒頭のとおり「私が使用したペルシア語辞書」となりました。

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思えば最初にペルシア語学習を始めたのが大学入学時ですから、ちょうど50年前になります。その頃にはペルシア語から日本語の辞書はありませんでした。その逆も勿論ありませんでした。指導教官から推薦された「ペルシア語⇒英語」と「英語⇒ペルシア語」の辞書を丸善で買いました。と言っても注文してから届くまでかなり時間がかかりました。1ドルが360円時代なので、学生にとってはかなり高価なものでした。この2冊の辞書が大学4年間、そして卒業後2年後にイランに駐在してからも私の必需品でした。今手元に、ぺ⇒英語の辞書は残っていません。ボロボロにってしまいました。英語⇒ぺの辞書はいまも使ってはいませんが残っています。英語からペルシア語を引く頻度がぺ⇒英語に比べて低かったのだと思います。でも画像でご覧のようにかなりボロボロです。でも中身は線引きも少なく、今でも使用には耐えるでしょう。画像を4枚アップします。




1966年テヘランで発行されたHaimの辞書です。2枚目の画像は辞書を開くと背中が剥がれている状態を表しています。こんなになっていても捨てられない愛着のある辞書なのです。辞書については現地に行ってから色々買い求めました。それは後で紹介しますが、辞書とまでは言えませんが単語集的なものも多用しました。授業で使った文法書に準拠した単語集のようなものでした。
大学ではこれを使っていましたね。次の画像がそれです。




1961年ケンブリッジ大学出版の発行です。表紙はかなり色あせて、辛うじてタイトル文字が読める程度に劣化した状態です。中身は沢山の線引きがあり、勉強の跡が残っているようです。何しろ先述の辞書とこれが語彙を調べる唯一の助っ人であったわけですから、我々にとっての命綱のような存在でした。この後入手して座右の辞書になったものについては使いに回すことにいたします。

#ペルシア語  #ペルシア語辞書

閑話休題:夏休みにトルコ旅行にでも行きたいな

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今年も日本の夏は7月から既に猛暑ですね。イスラエルがガザやイランを攻撃し、いままたシリアにまで空爆を行いました。シリアに居るドウルーズ派の人々保護のためという意味不明の理由をつけていました。こんなきな臭い中東地域ですが、中東全体が危険ということではありません。私のアラビア書道の教室ではUAEへの研修ツアーなども企画されていて、参加希望者も沢山です。私は今度、中東に行くならトルコを考えています。これまではイランに行くときにトルコを経由してイスタンブールとその周辺を訪れただけなのです。でも充分に楽しむことはできました。特にミマール・シナンの建てたモスクについては事前学習もしていきました。彼のことはこのブログにも書いていますので、見て頂ければ嬉しく思います。ですから、今度はもっと遠くまで足を伸ばすような旅行がしたいものです。

                        
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イスタンブール周辺しか行ったことがありませんが、その時に行ったのはトプカピ宮殿、アヤソフィア他のモスク、グランドバザール、等々でした。丁度、断食明けの祭日でしたので、どこも人が一杯でしたね。バスや地下鉄も無料でした。最初に泊まった行き当たりばったりの宿は10ドルの木賃宿で2泊の予定でしたが、止まって見ると黴臭くて気分が悪くなるので、翌日別の宿に移ったりしたことが懐かしいです。

イラン、イスラエル戦争その後

前回の投稿から約1週間が経過し、7月になりました。トランプが米軍にイラン攻撃を命令し、核施設を攻撃しました。地下深くに築かれた核施設を破壊することもできるという超大型爆弾を投下したというのです。爆弾を60mの地下に打ち込むと、爆弾はそこで爆発するということで、トランプはイランの核施設をほぼ全滅に近い状態に破壊したと成果を誇りました。大規模な攻撃を受けたイランはカタールにある米軍基地を米側に通告したあとでミサイルを撃ち込んだと発表。トランプもイランの通告のおかげで被害は軽微に済んだと謝意を述べていました。一応、イランの名目も立ったような形でお互いが幕引きを図ろうとしたようです。

トランプ自らがイラン攻撃に参加し、その後で自らが戦争を終わらせた立役者だというシナリオでイランとイスラエルに停戦をするように圧力をかけたわけです。戦争を止めて、核開発を断念しなければ再度攻撃もあることをほのめかしながら、イランとアメリカが協議するという計画らしいです。独りよがりも甚だしいことですね。広告

イランの核施設の状況はどうなのか明白ではありません。米は成功したと主張する一方でイランは被害は大したことがなかったと主張します。ウラニウムは事前に安全な場所に移したといっているのです。イランの言うことが例えそうであったとしても、大きな被害を受けた、と言っておけば良いのにと私は思うのですが。アメリカとイスラエルはイランの核が怖いのですから、核開発が今後も続く可能性があるなら、再度攻撃することになるでしょう。私は昔書いた本の中で「イランは寝業師である」と書きました。かつてロシアがイラン領に侵略したときの交渉で一部の石油利権を与える条件で、ロシアの撤退を成功させたことがあります。ロシアの撤退後にその協定を議会が批准しなかったために石油利権は与えなかったのです。トランプには騙し合いも通用しないかも知れませんが、まともに相手にするのもどうかと思いませんか。

いずれにせよ、イスラエルが仕掛けた攻撃が終わったようですが、安心はできません。イスラエルはガザの攻撃を再び始めています。多くの血が流されています。イスラエルから攻撃を受けたイラン人の叫びをSNSで読みました。「イスラエル人は人の血を栄養源としている!」というのです。戦争は被害者である一般の人々の心も憎しみに満ち溢れさせてしまいます。

ここまでの文章は7月1日に書いたものです。その後、アメリカ=トランプ側もイランの核施設のダメージが期待通りのものではないと疑い始めたようですね。今後のイランとの協議で言うことを聞かない場合は更なる攻撃をするとの意向のようです。協議がいつ始まるかも全く不明な状況です。とにかくトランプの言うこと、やることはいい加減ということです。今はまたガザに矛先を向け、一方で日本他への関税アップの通達を送るなど大忙しのようです。7月8日記

 

米軍がイラン核施設を空爆

昨日の11時ごろでした。NHKワールドのサイトからタブレットに速報のお知らせが届きました。急いで開けてみると上の画像が現れました。トランプが米軍がイランの核施設を攻撃したとの演説が流れました。テレビをつけるとNHKニュースもこのことを伝えていました。オーマイゴッド!と私は叫びました。先にイスラエルがイランを攻撃し、イランも報復攻撃を繰り返していたさなか、アメリカは2週間以内に攻撃するかどうか思案中ということだったわけですが、たった2日後に空爆が実施されたのでした。

翌日、つまり今日の中日新聞朝刊第一面です。勿論大きく取り上げています。詳しくは皆さん既にニュースでご承知のことですね。イランの核施設3カ所を攻撃したとのことです。アメリカは3カ所を完全に破壊したと言っています。イランは降伏して核開発を放棄しなければならないと主張しています。

これ以後は私の私見です。私はイランが核兵器や核爆弾を持つことは止めて欲しいと思います。が、それはイランだけでなく世界中の国にとっても同じ思いです。既に核を保有している国々も持ってはいけないということです。広島、長崎の被爆体験を有する日本、日本人は特にそう考えるべきだと思っています。欧米諸国はイスラエルがイランを攻撃を仕掛けたことに対して、イランに核を保有させないためにイスラエルの立場を理解できると表明し、イランに核協議に復帰するように勧めていました。核協議に参加したり、離脱したり、再び参加しているのは米国ではないでしょうか。協議が行き詰まれば力でねじ伏せようと空爆するのがアメリカのやり方、イスラエルと一体の今回の行動に怒りを覚えるのです。イランが核開発を進めるのを認めるという気持ちは私にはありません。現政権に対するイランの多くの国民が不満を持っていることも知っています。民主的な国家に生まれ変わるべきだとも少なからず思っています。でも、今回のように戦争を起こして、多くの市民を殺したり、生活を破壊するようなやり方は駄目でしょう。イスラエルが同時にやっているガザでの虐殺は5万人を超えました。前にハマスの攻撃でイスラエル人が殺されたことの報復というのが大義名分かもしれませんが、度の超えたやり口でしょう。
6月23日記

 

飯山陽著『イスラム教再考』を読書中

久しぶりにイスラムの本を読んでいます。著者は飯山陽さん。メディアで見かけることもあるのでご存知の方もいるでしょう。彼女の著書は以前に『イスラム2.0』(2019年)を読んだことがあります。その時のことはこのブログの2020年7月31日に書いています。非常に優れた若手の研究者だなと感心した覚えがあります。そして今回の『イスラム教再考』になったわけです。2021年の発行なので既に6年が経過しているのですが、私はこの本の存在を知りませんでした。
今回のブログのタイトルが「読書中」となっているように、まだ読み終えてはいません。なかなか前に進まないのです。この本の内容もよく勉強しているなあと前回同様に関心すること大です。そのことは巻末の参考文献の多いことでも感じました。まだ最後まで読み終えていないので、内容について批評できる状態ではありません。

なぜ先へ先へと読み進めないかという理由があるのです。著者は非常に勉強しており、参考文献の多さからもわかるように、他の研究者の研究内容や言動に対しても熟知しているようです。その結果、イスラム研究者の考え方を批判する部分がこれまでのところ多いと感じるのです。これまで私自身が彼らの考えに賛同した部分もあったりするので、立ち止まってしまうのです。良いか悪いの問題ではなくて、そういう考え方もあるということに慣れていない部分があるのでしょう。新書版の小さな本です。でも内容は重くて大きいです。ゆっくり読むので、読み終えて何か言いたいことが出てくればまた書かせてもらいましょう。それではまた!

 

ガザの停戦その後

前回、記事を書いたのは2月6日でした。その直後にイスラエルのネタニヤフ首相がトランプ米大統領を訪ねて会談しました。そして、その後の記者会見の場でトランプが突然「パレスチナの住民を他所に移す。そして、破壊されたガザの町をアメリカが再開発して素晴らしい都市を建設する」というようなことを発言したのでした。これには世界中が驚き、ブーイングが広がりました。ネタニヤフも驚いたようでした。あれから一カ月が経過しましたが、その話も話題にはならなくなりました。イスラエルとハマスの停戦合意の次のステップに入ることも滞っているようです。トランプはウクライナの停戦合意のほうで手が一杯ではありましょう。
そんな中で冒頭の画像は中日新聞の記事です。イスラエルのアンフェアなやり口を批判しています。イスラエルというよりネタニヤフのやり方なのでしょう。批判する気にもなりません。そんなことではいけないと思いながらも、何もできない、何もしない身としては何も言えません。新聞記事を広める位がせいぜいです。

ガザの停戦その後

ガザの停戦が実現したのですが、その後、イスラエルがヨルダン川西岸地区で小規模ながらも戦いを続け、パレスチナ人が殺害されていましたが、今は静かになったようです。そんな今、私はこの本を取り寄せて読んでいます。

『異形のユダヤ人国家の正体を暴く』と題したもので、ユダヤ人の歴史家が書いたものです。異形と表現するように、今のイスラエル国家はユダヤ人国家本来の姿ではないと、イスラエルの暴挙を入植植民地主義と非難しています。ナチスによるホロコーストの大虐殺の被害者であったユダヤ人達がいまイスラエルという国で大虐殺と言えるガザへの侵略を行っている現実に私は憤っていますが、多くのユダヤ人もまた怒りを覚えているということが分かりました。タイムリーにも中日新聞はこの著者のインタビュー記事を掲載しました。ガザ攻撃はユダヤ教の教えに反していると述べています。

次の記事は中日新聞の書籍紹介の中の一つです。これまたユダヤ人がパレスチナの現実を伝えるものです。ユダヤ人達がイスラエルの行為に対して批判的であることがわかります。次に読んでみたいと思います。

他にも次のような本も出版されています。ちょっと高いので図書館にあればいいですが。皆さんもどうかガザに平和が来ることを祈りながら現実を知るために読んでいただければ嬉しく思います。

ガザの停戦

1月19日から6週間の停戦が合意に達した後も、イスラエルの攻撃は続いていたが、19日になり3時間ほどの遅れがあったが、人質3人が解放されて、停戦協定が発効となった。今回の停戦はあくまでも第一段階であり、60日間の一時的な停戦協定である。その後に第2段階、第3段階のステップが協議されることになっており、今後の展開はどうなるか全く分からない。といいうものの、一時的にせよ6週間というある程度まとまった期間で停戦が実現したことは良かったと言えよう。

ただ、イスラエルのネタニヤフはハマスを壊滅させるまでは戦い続けると主張している。また彼と連立政権を構成している2つの極右派は停戦に反対しているし、実際、1つのグループは連立から脱退した。連立政権は辛うじて維持できている状態である。また、ネタニヤフはハマス壊滅だけではなく、ガザからパレスチナ人を一掃するのが本音だとの説もあり、この先の展開は全く予断を許さない。中東ではレバノンのヒズボラがイスラエルにより弱体化し、その影響もあってシリアのサダト政権も崩壊した。トルコもイランも今のところ鎮静をたもっているようである。ガザの今後の進展に合わせて中東諸国がどのように動きだすか、眼を離せない。

 

今年も終わり近くになりました。

ご無沙汰しております。
11月末から約一カ月間、風邪が治らず苦しんでいました。鼻水と痰が酷く、熱はないのですが、食欲がありませんでした。そのうち、治ったかなと思ったら、急に熱が出て1日で治まったのですが、その後は咳に悩まされました。夜寝てから咳が止まらなくて眠れない夜が続きました。クリスマス前にやっと回復しましたが、もう少し本調子ではありません。インフルエンザでもなく、若い人に流行っているマイコプラズマ肺炎でもないし、原因は分かりませんでした。老化による免疫低下で何事も長引くようです。

この間、シリアでのアサド政権崩壊が最大の出来事でした。アサドがシリアを脱出し、新しい政権が発足するのですが、どうなるかは混沌としています。トルコやアメリカが新政権を取り込もうと動きます。アメリカは、これまで敵対していた連中をテロ組織のラベルを解除したようです。イスラエルのガザの件も変わりなく、先が分かりません。

年末です。しばらくは嫌なことは忘れて、新年を迎える準備をしましょう。私も、1月から元気に書き始めるようにいたします。それでは良いお年をお迎えください。