無事、退院しました。

肩の手術で入院してましたが、無事退院することができました。手術部位の痛みはあり、元のように腕が上がるまでは、まだまだ時間がかかるので、ブログを書くのはもう少し先になりますが、報告しておきます。この間に、このサイトに不正なトラフィックがあったので、広告の掲載が差し止められました。入院中のことで、自分のせいでもないのですが、抗弁することもできない一方的な措置は納得がいきませんが、いまはそんなことは気にせずに養生したいと思います。

発見:ペルシア書道のテキスト

前回の投稿が5月22日でした。アラビア書道の作品展が⒕日に終わったことを書いたのでした。あれから20日くらいが経過したわけですね。実はその間、色々忙しくしてブログを書く余裕がありませんでした。ずっと以前に書いたかもしれませんが、山歩きの途中で滑って尻もちをついた時に左肩を痛めたのでした。半年近く経過したのですが、結局は腱板断裂ということでした。痛みは少なくなったのですが、切れた腱板のままでは腕が上がらないということです。左腕というものの、右腕の作業にも左腕の支えが必要だということが身に染みて分かりました。結局、今月下旬に手術することに決めました。その手術が全身麻酔によるものなので、この間に色々な検査をしていました。血糖値が高いから下げないと手術ができないとか、心臓の検査、肺機能の検査、血液検査で様々な値をチェックなどなど、眼や歯のチェックもありました。10年前にも全身麻酔の手術を受けましたが、その時とは全然違って、あらゆるリスクを軽減するために事前準備が必要だったのです。ということで、もう少しの間、ブログを書くことが少なくなると思いますが、手術が終わって回復すればまた続けますので、お忘れないようにお願いいたします。

そんな中ですが、冒頭の画像の本をアマゾンで手に入れました。日本語版であることが驚きでした。ペルシア書道をやる日本人は稀だと思うのです。しかも千円程度とは。内容は目新しいものではありません。練習帳という名ですので、ここに書き込んで練習するわけです。書道ですので、鉛筆ではなくて太い細い線がでるフェルトペンで書くことをイメージしているようです。私たちは竹のペン(竹筆)で書くので、直接この頁に書くのはちょっと無理です。敢えてこれを使うなら、ツルツルの紙にコピーをして、そこに書くのが良いかも知れません。私はとにかく文字を数多く書くことが練習になると思うので、フェルトペンで書いて見ようと思っています。今年の全国規模の作品展が10月にありますので、今から何を書こうかなと考えています。11月には京都でも開催されます。同じ作品は出せませんので2点作成するか、どちらかの会場にするかになります。手術のことも気になるのですが、次の作品を考えるのも楽しい気分転換にもってこいです。それではまた。

おっと忘れました。画像の面に書かれている文章は「ペンは剣よりも強し」という意味です。

アラビア書道名古屋教室作品展開催中!

前回、お知らせした名古屋教室のアラビア書道作品展が9日から始まりました。連日多くの来場者に嬉しく思っています。初日には中日新聞が取材にきてくれて、10日の朝刊に記事がでました。私の写真入りで書いてくださいました(恐縮)。お陰さまで来場者が増えました。記事を紹介いたします。

昨日はコロナ禍以来開いていなかった「中東・イスラム研究会」通称「南山会」のメンバーも来てくれましたし、日曜日に来るよという連絡などもあり、嬉しい限りです。会場の様子などは後日写真を整理して紹介することにします。なにしろ、会期中は終日詰めていますので時間がありません。

ペルシア語講座36:ペルシアの諺

今回は久しぶりにペルシア語講座にしましょう。久しぶりと言いましたが約半年ぶりになります。今、ゴールデン・ウィークの最中です。。コロナに対する規制が大幅に緩和される今年のGWはどこも賑わいそうですね。私はGW明けにアラビア書道名古屋教室のメンバーで作品展を開催するので、そこに出品する作品に取り組んでいますので、何処にも行きません。その作品作りの過程で皆さん「何を書こうか」ということになります。アラビア書道なのでアラビア語が当たり前です。コーランの中の一節を取り上げる人が多いでしょう。次に多いのはアラブの諺でしょうか。私の作品は前にここで紹介しました「アラブの水を飲んだ者は、再びそこに戻る」というアラブの諺です。今日の記事はそこからの発想でペルシアの諺としたわけです。

さて、ペルシア語の諺にはいりましょう。日本語にある諺と同じ意味のものを比較してみましょうか。
❶ 隣の花は赤い:ペルシア語では「隣の鶏はガチョウです」。隣の鶏の方が大きく見えるのでガチョウとしたのでしょうね。
مرغ همسایه غاز است
読み方は morgh-e hamsaayeh ghaaz ast モルグは鶏、ハムサーエはお隣さん、隣の鶏ということでモルグにエザフェがついてモルゲとなります。あとはガーズがダチョウで、アストは英語のイズ、つまりbe 動詞ですね。

❷ 時は金なり:ペルシア語も全く同じです。
وقت طلا است  Vaght talau ast  ヴァクト タロウ アスト
ヴァクト(時)は タロウ(金・きん) アスト(です)

❸ 一人では何もできない。団結は力なり:
یک دست صدا ندارد   yek dast sedaa nadaarad
イエク ダスト セダー ナダーラド
ひとつ  手   音   持たない = 片手では音が出ない
ということで、一人では無力だという意味になります。ペルシアだけでなく中東で広く使われる表現です。

まだまだありますが、今回はここまでにしておきましょう。好評だったらまた取り上げることにしましょう。

断食明けとイエメン

前回の投稿は断食月の最中であったので、断食のことを書きました。そして、断食明けは盛大なお祝いの日だと書きました。今回のラマダン明けは21日ということでした。そこでタイトルに挙げたイエメンでは85人の死亡者がでるような惨事が起こったことが報道されました。イランとサウジアラビアが国交正常化に向けて歩き出した一環の流れの中でイエメンの内戦も終結に向けて動きが進んでいる中での今回の事件というか事故だったので、私はとっさに和平への動きに反発する騒動かと思ったのでした。が、そうではなかったようです。事故のあらすじは以下のようでした。

ラマダン明けのお祝いのために富裕層が一人当たり5千イエメン・リアル(約1070円)を配っていたとのこと。そこに大勢の人が殺到して建物の入り口周辺で転倒して事故になったそうである。世界で最も貧しい国の一つに挙げられるイエメンでは5千リアルというのはかなりの金額なのであろう。少なくとも死者が85人、320人以上が負傷したとのことである。ラマダン明けのお祝いがこのようなことになったのは残念である。報道ではこの配布イベントを主催した実業家3名をフーシー派が逮捕したとのことである。ここが現在のイエメンの状況なのである。本来ならイエメンの正式な政府の支配の下での警察が逮捕するのであろうが、そうではなくてフーシーが事実上の支配者であることを示している。今後、イランとサウジの和解により、イエメンでのこの状況が変わろうとしている筈であるが、そうなるであろうか・・・・注目すべきことである。

 

今、イスラム社会では断食月(ラマダン)の最中です

イスラム社会には1ヵ月に亘る断食の月があることは有名ですから、皆さんもご存知ですよね。今が丁度、その時に当たります。今年のラマダンは3月22日の夕方に始まりました。終わるのは4月21日金曜日の夕方になります。夕方というのはイスラムでは1日の始まり=終わりだからです。その間、ムスリム(イスラム教徒)は日の出前から日没までの間、飲食を断つわけです。名古屋でいうと日の出は5時半頃で、日没は6時半頃でしょうか。そうするとほぼ13時間の間飲食を断つわけです。これが夏の季節だと日の出はもっと早く、日没ももっと遅くなるわけですから、例えば4時から19時とすれば、15時間となるわけです。逆に真冬であれば、7時から17時とすれば10時間ですね。真夏と真冬では5時間位の差が出てしまいます。このように断食の月は毎年時期が違うのです。それはイスラム暦が太陰暦だからです。月は満ち欠けがあります。新月から次の新月までの間がイスラムのひと月になります。ほぼ30日間です。イスラム暦の1年は30日の月が6回、29日の月が6回で合計354日となります(閏年の時は355日)。つまり私たちの太陽暦の365日より11日少ないわけですから。毎年我々の暦でいえば前に来るわけです。来年のラマダンは今年よりも11日早く始まります。そういう理由で断食月の季節が常に一定ではないのです。

私はムスリムではありませんので断食をしたことはありません。しかし、イランに滞在中にその時期を何度も体験しました。そのころは王様の時代でしたから、脱イスラム的な方向に向いていたので、断食をやらない人もいましたし、敬虔な信者はきちんとしていました。レストランの入り口は締まっているように布や紙で覆っていても中では営業していることもありました。イラン革命後の時代には旅行中に昼食にありつけず、夕方まで空腹を我慢したこともありました。断食はやはり大変なことです。断食後に最初に摂る食事をイフタールと言いますが、最初はデーツを食べると言います。いきなり胃に沢山放り込むのではなく、胃に優しい食べ方を勧めているようです。日本でもデーツは健康に良いということでスーパーなどにも並ぶようになりました。私の近くのスーパーには「王様のデーツ」が売っています。ここに写真をアップしようと思いましたが、みんな食べてしまって残っていませんでした(残念)。東京にあるモスク(東京ジャーミ)の売店にも箱入のデーツが売っていたのでお土産に買ったことを思い出しました。

トルコのイスタンブールに立ち寄ったとき、ちょうど断食明けの日でした。人々が町に繰り出して、どこも満員で混雑状態でした。地下鉄とバスに乗ったのですが、無料でした。私の友達は断食の終りの方になると心が神経が研ぎ澄まされるような感じになると言ってました。普段当たり前のように摂っている食事がありがたいものであるとも。

ところでタイトルに断食のことをラマダンとカタカナで書きました。でもイランではラマザンと言っていたのです。ですから私はいつもラマザン、あるいはラマザーンと言っているのですが、大部分のイスラム社会ではラマダンなんですね。つまりアラビア語ではラマダンだということでした。アラビア語もペルシア語も  رمضان このように書きます。つまり文字は同じです。5文字でなっている単語なのですが、真ん中の文字 ض この文字の音訳がアラビア語では d であり、ペルシア語では z なのです。ですからイランではラマザンとなっていることが分かりました。そろそろお腹が空いてきたので食事の準備をすることにしましょう。ムスリムならあと30分ほどは食事ができないのですが。

 

 

 

想い出の中東イスラム世界:Sizdah Be-dar (سیزده‌بدر) 祝日 سیزده‌بدر

今日は3月31日です。そろそろイランではFarvardin月の13日になるでしょうか。3月21日の春分の日がイラン暦の元旦でしたから、4月の2日頃が13日になるでしょう。この日はタイトルに書いたように、シーズダアベダルという祝日になります。イスラムの行事ではありません。ペルシアの伝統的な祭事です。春が近づいた春分の日を年の初めの元旦とし、更に2週間ほど経つと草木の芽が一斉に吹きだします。このときイランの人々はお昼の食事を抱えて外に飛び出すのです。英語ではピクニックデイと訳されていたりします。この日でなくともイランの人々は外で食事をするのが大好きです。次の写真はある年の9月に通りがかった公園で写した風景です。家族そろって昼食をしている所でした。

普段でもこのように食事を広げて、楽しくひと時を過ごす姿があちこちで見られるのです。私たちが傍を通ると「ベファルマイ!(どうぞ)」と言って誘ってくれるのです。「メルシー(ありがとう)」と言って通り抜けようとすると「タアロフナコン(えんりょしないで)」と更にしつこく誘ってくれるのです。彼らはすごく社交的で開放的な人々でした。彼らは「自分たちはメフマンドゥーストなんだ」と言います。メフマンは客人のことで、ドゥーストは好きという意味。つまりお客好きの民だというわけです。そうです日本でいう「おもてなし」好きということです。

話を戻しましょう。イランの現体制は厳格なイスラムによって統治されています。イスラムにおいての祝祭日は当然イスラムに関する日に限られています。例えばラマダン明けの日というように。でも、イランは厳格なイスラム体制ですが、アケメネス朝ペルシアのようなイスラム以前の誇り高き歴史があります。その当時の宗教はゾロアスター教が有名です。先ほどの春分の日の元旦やここで紹介しているシーズダアベダルの風習はゾロアスター教に由来するものです。従って、イスラム暦の新年とは異なるノウルーズというお正月をお祝いする風習があるのです。お正月の飾りにも頭文字がSの付くハフト・シン(七つのS)を飾ったりします。ついでに言うならば「お年玉」も子供たちが楽しみにするものです。イランでは「エイディ」というのですが、日本と同じような風習です。

いま日本中が桜の花に酔いしれています。今年はコロナ以前のように花見をすることができるようになったところが増えましたね。コロナが治まって、イランの核合意が好転して制裁が緩和されたりすれば、是非ともイランを訪れたいと思います。そのためにも、ペルシア語を忘れないように勉強をしておきたいなと思うのです。

サウジアラビアとイランの国交正常化合意のその後

前回、中国の仲介によりイランとサウジアラビアが国交正常化への合意をしたことを取り上げた。私の考えはどこの国が仲介しようと和解⇒和平⇒平和になるなら歓迎であると述べた。しかしながら、イエメンの問題など難しい問題が残っているとも述べた。早速ではあるが、イエメン問題についても和解へのステップが始まったようだ。私の読みが狂ったとしても、いい方向への流れであるから歓迎である。明らかになった合意のポイントを中日新聞が共同通信によるものとして伝えている。
5項目が示されているが、イエメンに関するもの以外は大したことではない。イランの核合意の立て直しはアメリカ次第である。サウジが米に働きかけたとしても、中国の仲介によることが米の機嫌を損なっている以上、簡単ではない。イランの反政府メディア支援を停止するという項目は訳が分からない。サウジが支援していたと認めているのだろうか。もはやイランの反政府運動は若者たちの間で根強く広まっており、サウジの影響を受けているものではない。やはりこの合意で注目すべき動きはイエメンの問題であろう。具体的に終結を目指す動きがでるならば、これが一番大きな成果であろう。

 

サウジアラビアとイランの国交正常化への動き


この画像は2016年にイランとサウジアラビアが国交を断絶した当時のものである。サウジアラビアや周辺の湾岸諸国、つまり王政の国々が1979年のイラン革命の後、自国への革命の伝播を恐れ、何かとイランと対立していたのであった。評論家は中東における覇権争いであるとか、シーア派とスンニー派の対立であると論じてきた。現代ではイエメンの内戦を取り上げて、反政府派のフーシーをイランが、政府をサウジが支援し合い、事実上はイランとサウジの戦いであるとも言われている。いずれにせよ、両国の対立は根深いものがある。

今回、中国の仲介で両国が国交を正常化に戻すことに合意した。既にお互いの大使館を開くことも具体的に進んでいる。昨日はイラン側が大統領に対してサウジから招待状が届いたと発表した。サウジは公には認めていない。外相同士の会談も準備中であると報道されている。両国の接近は世界中で概ね歓迎されている。しかしながら、この和解への道が中国による仲介であることから、「中国の思惑はどこにあるのか?」と、論説するメディアもある。でもそれはどうでもいいことではないだろうか。脱化石燃料と叫ばれるようになったのは最近のことで、過去の長い間、中東は世界のエネルギーの重要な供給者であった(いまもそうではあるが、化石燃料に対する重要性は減少している)。本来なら、中東のエネルギーに依存する比率の高かった日本が中東の安定のために、中東の紛争を解決すべく積極的に動くべきだった。パレスチナ問題がその最も代表的なものであるが、フセインのイラク、シリア問題、イラン・サウジの対立などの解決にもっと関わるべきであった。何もしないできた日本が、また西側の大国も今更中国による仲介に文句を言う資格はないだろう。中東が平和になるなら誰が仲介してもいい。イラン・サウジ関係がが正常化してもそれは中東の一部の問題解決にしかならないのは分かっている。また、それすら実際にどこまで進展するかはまだまだ未知である。

話は飛ぶが、いま習近平がロシアを訪問している。ロシアとウクライナの戦争終結のために提案するとかも言っているみたいである。それに対してまた「中国の思惑は?」と世界中が言う。私は中国がどういう思惑であろうと、この戦争は一日でも早く終わらすべきだと思っている。中国がロシアに武器を提供することを西側が批判するなら、西側もウクライナに武器を供与しないで欲しい。武器製造企業は莫大な利益を挙げているのだ。彼らは戦争は終わらせたくないのである。今日、岸田総理がウクライナを電撃訪問したと昼のニュースで報じられていた。どうせ行くならロシアに行って、「戦争を止めろ」と説得してもらいたい。北朝鮮に拉致された人々を取り戻すためには、北朝鮮に行って、「彼らを返せ」と連れて帰ってもらいたい。