中東と石油(3):中東での石油発見(イラン)

いよいよ中東での石油発見である。中東における最初の石油発見はイランの地であった。その当時のイランはカージャール朝ペルシャであった。1901年、オーストラリアの実業家がカージャール朝政府に石油の利権を申請し、北部地方を除く全イランにおける60年間にわたる石油探査、発掘の権利を手に入れた。彼は1901年から1905年の間に20万3千のイギリスポンド相当を石油開発調査のために費やしたところで、資金的に行き詰り、調査活動を停止せざるを得ない状況に陥った。1906年にイギリスのビルマ石油とスコットランド人の投資家ロード・ストラスコナが石油シンジケートを組織して、彼を援助することとなった。その後の3年間に17万7千ポンドが投資された。しかし、この投資も使い果たしてしまうことになるが、最後の土壇場でついに石油を発見したというドラマチックな出来事であった。場所はイラン南部のペルシャ湾から約2千キロ離れたマスジェデ・スレイマン、1908年のことだった。この男とはウィリアム・ダーシーである。イランではこの利権を「ダーシー利権」と呼ぶ。これが中東における最初の石油発見であり、その翌年に資本金200万ポンドの「アングロ・ペルシャ石油会社」が設立されたのである。ペルシャで発見された石油は英国資本の会社の所有されることになったのだ。1926年には2万5千人以上のイラン人が石油産業で雇用された。第一次世界大戦が始まり、資本金が400万ポンドに増資された。その増資分の200万ポンドはイギリス政府が引き受けた。こうしてイギリス政府がこの会社の支配権を握り、イランの石油は英国海軍の燃料に利用され、重要な戦略物資となっていった。

イランの石油事業は英国の支配下に置かれた。それを国有化したのが、1951年である。そこまでの道のりをここで語りたいのであるが、まずはイランに続いてイラクやサウジアラビアなどでの石油発見の流れを続けたい。         (続く)