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7月も月末になり猛暑が続いています。オリンピックが始まって連日日本のメダルが増えているのは明るいニュースです。この明るいニュースがコロナを吹っ飛ばしてくれることを期待したのですが、そうはいかないようですね。昨日27日の感染者が急増しました。東京は2800人ほど、そのほか埼玉や大阪も増えました。一昨日は青森で震度4,今朝は東北地方に台風8号が上陸と色々なことが起きている日本列島です。
こんな時には神に祈り、救いを求めたい気がしないわけではありません。それはそれとして、私は静かに過ごすことにしています。さて、前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。前回、前々回は「第5章食卓」でした。この2回で終わりにしようと思ったのですが、この章には食べ物以外のことも沢山述べられていましたね。でも、タイトルが食卓となっている理由を最後に紹介しておきたいと思います。
112節:さて、その弟子たちが言うことには、「マルヤムの子イーサー様、貴方の主は私たちに天から食卓を下すことがおできになるでしょうか」と。彼は「アッラーを懼れまつれ、もし、お前たち本当の信者であるならば」と答える。
113節:彼らが言うに、「私たち実際に(そういう有難い食卓から)食べて見たら、気持ちもすっかり落ちついて、貴方の仰しゃったことが本当だったということもわかって、立派な証人になることができようと思いまして」と。
人々の「神は我らに食を恵み与えてくれるのでしょうか」という問いに、イーサーは「お前たちが本当の信者なら、神は与えてくれよう」と答えたわけですね。それに対して人々は「実際に与えて見てくれたら、それが本当だという証人になりまっせ!」というやり取りの部分があるわけです。この部分から「食卓」という章の名前になったということです。イーサーとはイエスキリストのこと、マリヤムは聖母マリアであることはお分かりですね。イエスもイスラムでは預言者の一人なのです。