中東のコロナ感染状況3

長く続いたコロナ騒動も日本では今秋から落ち着いてきました。一方で、アフリカからオミクロン株が世界中に広がり始めています。日本の水際での阻止が有効であれば良いのですが、少しずつ入り始めていますね。このブログでは今年と昨年の5月に中東地域でのコロナ感染状況を伝えました。その時の表を以下に再掲しておきました。

2021/5/19
Country Infected Death Country Infected Death
Turkey 5,139,485 45,186 Bahrain 202,556 752
Iran 2,779,415 77,532 Oman 207,109 2,219
S.Arabia 435,027 7,188 Iraq 1,146,948 16,029
Qatar 213,855 536 Lebanon 536,554 7,641
UAE 548,681 1,637 Jordan 726,432 9,295
Kuwait 292,490 1,696 Yemen 6,586 1,297
Egypt 246,909 14,388 Japan 694,041 11,674

 

2020/5/19
Country Infected Death Country Infected Death
Turkey 150,593 4,171 Bahrain 7,184 12
Iran 122,492 7,057 Oman 5,379 25
S.Arabia 57,354 320 Iraq 3,554 127
Qatar 33,969 15 Lebanon 931 26
UAE 24,190 224 Jordan 629 9
Kuwait 15,691 118 Yemen 130 20
Egypt 12,764 645 Japan 16,305 749

そこで、2021年の12月の状況を見ておきましょう。

2021/12/19
Country Infected Death Country Infected Death
Turkey 9,138,535 80,053 Bahrain 278,309 1,397
Iran 6,167,650 130,992 Oman 304,783 4,113
S.Arabia 550,622 8,860 Iraq 2,090,026 24,042
Qatar 246,188 614 Lebanon 697,774 8,912
UAE 743,586 2,151 Jordan 1,031,549 12,151
Kuwait 413,972 2,466 Yemen 10,092 1,974
Egypt 373,509 21,277 Japan 1,728,701 18,375

いずこも増えています。トルコは500万人台から900万人へ。イランは300万人弱から600万人超になっています。イエメンでは1万人ちょっとの感染者数ですが、死者数は約2千人。つまり感染者の約20%が死亡しているわけです。医療が行き届いていないことを物語っているのでしょう。

いま先進国ではワクチン接種の3回目が始まっています。中東地域では2回のワクチン接種もままならないところが多くあります。私のインスタグラムの友人の話ですが、イランでは国産のワクチンが開発されていますが、ワクチンの信頼性を疑う人も多く接種しない人も多いそうです。日本からはモデルナのワクチンを贈ったということで、その友人は感謝していました。日本だけでなく、世界中がコロナの脅威から脱出できる日が早く来るように祈りたいものです。

出所:中日新聞

 

経済協力推進を確認 イスラエルとUAE

昨日のテレビニュースではイスラエルの首相がアブダビを訪問し、UAEの事実上の指導者ムハンマド皇太子と会談したことが伝えられました。両国の国交樹立から1年余が経ち、ベネット首相の訪問が実現したのです。

13日、アブダビで、イスラエルのベネット首相(左)を迎えるアラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国のムハンマド皇太子=イスラエル政府提供(AFP時事)
13日、アブダビで、イスラエルのベネット首相(左)を迎えるアラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国のムハンマド皇太子(AFP時事)

このニュースをこのブログで取り上げる意味はどこにあるでしょうか。私は、今後の中東情勢が非常に不透明になりつつあると思うのです。単純に言えば、この先の状況が分からないということです。

アラブの国であるUAEとユダヤ国家が友好関係を築き、平和な中東社会が実現するならば歓迎すべきことと言えるでしょう。でも両者の思惑はまた別のものがあるようです。メディアも注目するのはイランとの関係です。両国が協力する分野は多々あるでしょうが、政治的な面では対イラン政策です。イスラエルはUAE以外のアラブ諸国とも関係を改善しつつあります。それらは結局はイラン包囲網を築くということなのです。イランはアラブではありません。イランとアラブ諸国の関係はサウジアラビアのように険悪なところもあれば、オマーンのように関係が良好な国もあります。が、全体としてみれば関係は良くありません。イエメンの内戦ではイランとサウジアラビアの代理戦争の体をなしているわけです。イスラエルのアラブ接近の動きはトランプ大統領時代のアメリカの仲介によるものです。つまり、アメリカの対イラン政策の一環であるわけです。

話を広げましょう。いまサウジアラビアがレバノンからの輸入をストップさせています。レバノンは政治も経済も混乱状態にあります。政治への国民の信頼は崩壊しています。経済はサウジへの輸出が頼みの綱的な面もあったのですが、それがサウジの輸入規制によって、ますます混乱しているのです。レバノン国内の宗教分布は非常に多岐にわたっています。そこで現在の政治の運営はキリスト教徒、イスラムシーア派、イスラムスンニー派と3者から選出された三頭政治になっていたのです。もうおわかりでしょう。シーア派はイランの影響、とくにヒズボラの影響をうけています。スンニー派はサウジアラビアの影響をうけているわけです。そして、レバノンはフランスの植民地でありましたから、宗主国であるフランス(キリスト教)がいまだに影響力を有しています。日産のゴーンさんを思い出しますね。
今回のサウジの輸入禁止の原因はシーア派から出ている政治家の発言に対して、サウジ側が激怒した結果と言われているのです。

イランを巡って、今後さらに中東情勢が複雑化する予感がするのです。イランには中国やロシアが接近します。そしてこれまで通りシリアに影響力を及ぼします。逆にアメリカとイスラエルはアラブを仲間に入れようとしているわけです。そこにインドも加えようとの動きもあるようで、日本・アメリカ・オーストラリア・インドのクアッドに習い、これを中東のクアッドと呼ぼうとしているようです。ますます目が離せなくなる今後の中東情勢です。

コーランについて(12):第21章ーーー預言者たち(続き)

前回に続いて第21章です。今回登場する預言者は誰でしょうか。読み進めて行きましょう。

(70)~(75 ) 彼らは彼に悪だくみをしたが、逆に我らが彼らに大損させてやった。そして彼とルート(ロト)を救い出して、万民のために祝福の地ときめたところへ(連れて行って)やったのであった。我らは彼にイスハーク(イサク)を授け、なお、特別のおくりものとしてヤアクーブ(ヤコブ)をも授けた。そして三人とも義しい人間に仕立ててやった。さらに彼らをして、我らの命を奉じて(人々を)導く首領となした上、善行にはげみ、礼拝の務めを果たし、こころよく喜捨を出すことをお告げによって彼らに命じた。彼らもまたよく我らに仕えた。ルートには我ら叡智(預言者としての素質)と知識(預言者に必要な超越的知識)とを授けた。破廉恥な行いにふけっていたあの邑(ソドムを指す)から救い出してやりもした。まことに、あれは罪深い、邪悪な民であった。だが、彼(ロト)だけは、我らが慈悲の中に入れてやった。何しろ本当に義しい人間であったから。

ロトやイサクもヤコブも皆アッラーが創ったのだと。ロトは破廉恥な行為にふけっていたのを救ってやったと言っている。そして、ノアについては「ノアの方舟」と時のことを以下のように述べている。

(76) またヌーフ(ノア)も(同じこと)。これはさらに前のはなしになるが、あれが大声あげて(我ら)を喚んだ時のこと。我らは早速これに応じて、あれと、その一家を大災害から救ってやった。我らの神兆を嘘呼ばわりする者どもにたいして、彼の見方をしてやった。いや、それにしても、あれはまことに邪悪な民であった。だから、一思いに全部溺らせてしまった。

次にはソロモンとダビデにも叡智と知識を与えてやったと述べている。

(78)~ (79) それからダーウード(ダビデ)とスライマーン(ソロモン)も。ある畑に他人の羊が入りこんで来て、夜中に草を喰ってしまった事件を二人が裁いたことがあった(古註によると、その時ダビデはその羊群は畑の持主のものになると判決した。ソロモンは当時11歳だったが、この判決は少し酷に過ぎるとして、羊はその持主に返し、そのかわり、畑の損害の償として、畑がもと通りの状態になるまで乳と毛と仔羊とを畑の持主がもらうこと、という判決を下したと伝えられる。この説話は『聖書』にはない)。彼らの判決には、いつも我ら(アッラー)が立ち会っていた。
だいいち、スライマーンにああいうこと(賢明な判決のしかた)をわからせてやったのも我らであった。だが、どちらにも(ダビデにもソロモンにも)叡智と知識を授けておいた。また、特にダビデにあっては、我ら山々をも頤使してこれに(神の)賛美の歌をうたわせた。それから鳥たちも。これみな我らのしわざであった。・・・・

続いては、アイユーブ(ヨブ)、それからイスマーイールとイドリース、ズー・ル・キフルやザカリーヤ他の者のことに言及している。そして最後の締めくくりは次である。

(108)~(112) 言うがよい、「わしは、ただ、汝らの神は唯一なる神とだけお告げを戴いておる。さ、これでお前たちは帰依したてまつるか」と。それで、もし彼らがうしろ向いて知らぬ顔するなら、こう言ってやるがよい、「わしは、ともかくお前たちみんなに、わけへだてなく神託を伝えたぞ。お前たちに約束されていること(天地の終末と最後の審判)がすぐそこに迫っているか、それともまだずっと先か、そんなことわしは知らぬ。いずれにしてもアッラーは、大声で言われる言葉でも、お前たちがそっと胸にかくしていることでもよく御存知。(本当のことは)わしは知らないが、もしかしたらこれ(無信仰なのに、こうしてなかなか罰を喰わされないでいること)も何かお前たちへの試練で、要するにごく当座だけの楽しみなのかもしれないぞ。」彼(ムハンマドを指す)はこう言った「主よ、真実をもって裁き給え。我らの主はお情け深い御神。お前たち(邪宗教)の言う(悪口)にたいして、ひたすらそのお助けをお願いすべき(唯一の)御神」と。

コーランの文言を読んで、ここに打ち込んでいるわけであるが、そうすると次のように思うことがある。アッラーつまり神がムハンマドに言わしめている部分などは、逆に言えばムハンマドが信仰深くない人々(あるいは異教徒)に対して説得力を強めるために利用しているようにも思えるのである。・・・・・いずれにしても、昔若いときには全然読み続けられなかったコーランを少しは根気よく読むことができるようになったようだ。やはり歳のせいということかもしれない。

コーランについて(11):第21章ーーー預言者たち

久しぶりにコーランです。この章を取り上げた理由は特にありません。コーランを取り出して、パッと開いたところが、この章だったのです。いつものように訳文は岩波文庫・井筒先生のものです。

上の画像はコーランのこの章の冒頭の部分です。昔イランで買ったものです。コーランはご存知のようにアラビア語で書かれています。画像を見ると、コーランの文章の下に小さな文字が書かれているのが見えますね。これはアラビア語のコーランの意味をペルシャ語で書いているのです。イランの言葉はペルシャ語ですので、アラビア語のコーランは読めても意味が分からない人も大勢います。従って、こうしてペルシャ語で意味を併記しているのです。イスラム教徒にとってコーランはアラビア語で唱えるのが鉄則です。イラン人もみんなアラビア語で唱えているのは言うまでもありません。

さて、今回の第21章が預言者たちと題されるのは何故でしょう。この章では、ムーサー(モーセ)、ハールーン、イブラーヒーム、ルート、イスハーク、ヤアクーブ、ヌーフ(ノア)、ダーウード、スライマーン、アイユーブ・・・・・そのほかの預言者たちについて言及されていることから、この名が付いたようです。先ずはイブラーヒームについて言及している辺りを紹介しましょう。

(1) ~(3) 人々がうかうかよそ見しているうちに、総決算の時は刻々と近づいてきた。いくら次々に新しいお諭が下されても、みんなは遊び半分に聞き流すばかり。一向に気がはいらぬ。しかも、不義の徒輩、こちらに聞かせぬつもりのひそひそ話で、「なんだ、これは君たちとおなじただの人間ではないか。立派に目が見えておりながら、君たち、妖術にやられる法はあるまい」などと言っている。

冒頭でいきなり信心深くない人間のことを取り上げて、次のように嘆いている。

(4)~(6) 「神様は天と地のどこで言われていることでもすっかり御存知。まことに早耳で、何から何まで御存知におわします。」と彼(ムハンマド)が言えば、さらに彼らは言い返す。「なあに、愚にもつかない夢ごたまぜ。」「どうせあの男のでっち上げ。」「あの男は詩人だ(当時は、詩人は妖霊に憑りつかれた人と考えられていた)。」「昔の使徒のように、一つお徴(おしるし=奇蹟)でもやって見せたらいいに。」今までも、我ら(アッラー)が滅ぼした邑(まち)はどれもこれも信仰しなかったもの。それでもあくまで信仰しないつもりか。

しばらく後になると、次のように壮大な神の力を力説する。

(31)~(34)  信仰なき者どもには分からないのか、天と地はもと一枚つづきの縫い合わせであったのを、我らがほどいて二つに分けた上、水であらゆる生きものを作りだしてやったということが。これでも信仰しないのか。また我らは大地の揺れをとめるために山塊をどっかと据え、そこに峡谷を縦横にはしらせ道となした。これもみな、なんとかして人々を正道に導こうとてしたこと(天地自然の不思議をみて信仰にはいるようにとしたこと)。さらにまた、我らは大空をもって、がっしりとまった(落ちてこないようにしっかりとめられた)屋根となした。それでも、彼らは、こういう神兆に平気で顔をそむけるのか。彼(アッラー)こそは、夜と昼と太陽と月とを創造し給うたお方。みな大空の中を泳いでいる。

(52)~(59 ) その昔、我らはイブラーヒーム(アブラハム)に正しい行きかたを授けた。あの男のことは我らもはじめからよく知っていた。あれが父親とその一族に向って「そうやって貴方がたが崇めたてまつっているその彫像は、一体なんです」と言った時のこと。「わしらの御先祖様がたの崇めておられたものじゃ」と一同が答える。「それでは、みなさん確かに道を踏み違えておられたのですよ、御先祖様たちも、貴方がた御自身も」と言う。「これ、お前、本気でそんなこと言っているのか。それとも悪ふざけしているのか。」「とんでもない。みなさんの本当の主は、天と地を統べ給うお方、それを初めてお創りになったお方なのです。私はそれの証人の一人です。誓って申します。みなさんが私に背を向けてあちらへ行ってしまったあとで、必ず私があの偶像(でく)どもに一泡ふかせて見せましょう。」とそう言って、彼は(邪神の彫像をことごとく)ばらばらに叩きこわしてしまった。但し、たった一つ、大物だけ残しておいた。これは(あとで)みながこのもののところへやって来るように(わざと)そうしておいたのであった。

アブラハムが人々に偶像崇拝を咎めて、それらを壊したのであった。だけど、一つだけ残したのには理由がある。後日、みんながそこに集まってけしからんと騒ぐだろう。その折に再び説諭するというシナリオのようである。

(63) ~(69 ) 「これ、イブラーヒーム、お前か、我々の神様がたにこんなまねをしたのは」と一同が尋ねた。「いえいえ、ほら、この大物のしわざです。あの連中(こわされた神々を指す)にきいてごらんなさい、もし彼らに口がきけるものなら」と彼が言う。そこせ一同、額を集めて協議となり、「悪いのはこちら側だった(物も言えない偶像を神とあがめたりした我々の方が間違っていた)と言う。(しかし反省したのもつかの間)、たちまちひっくりかえって。「この方々(神々を指す)に口がきけないことはお前(アブラハム)初めから知っていたくせに。」「さ、そこです」と彼が言う。「それでは、みなさん、アッラーをよそにして、毒にも薬にもならないようなものを神と崇めていらっしゃるんですね。いやはy、なんとなさけないことか、アッラーをよそにして、あのようなものを崇めるとは。みなさん、わからないのですか。」「あれ(アブラハム)を火炙りにしてしまえ。どうせやるなら、君たち(俺たち)の神々がたにお味方申せ」とみなが叫んだ。そこで我ら(アッラー)は「これ、火よ、冷たくなれ。イブラーヒームに危害を加えるな」と命じたのであった。

信仰深きない人々を相手にアッラーの凄さをPRするかのように我とイブラーヒームの働きかけがまるでコントを見ているように映像が浮かびます。イスラムで偶像崇拝を禁じ、それを破壊した初期の状態が動画をみているように目に浮かんでくるようです。中々興味深い内容でした。この後、ほかの預言者にも言及するわけですが、今日のところはここまでにしておきましょう。

 

 

草間彌生のテルアビブ展が開催されています。

エルサレムポスト-イスラエルニュース
Yayoi Kusama’s Tel Aviv exhibition takes viewers back to childhood
11月18日のエルサレム・ポスト紙は上のようなタイトルの記事を載せました。訳すと草間彌生のテルアビブ展は、来館者を子供時代に戻します」なります。

記事の一部を自動翻訳で紹介します。
パンデミック以来、観光業は完全に停止し、日出ずる国への入国は依然として困難です。テルアビブ美術館の館長であるタニア・コーエン・ウッツィエリは、次のように述べています。
草間は、絵画、コラージュ、彫刻、ビデオ、パフォーマンス、インスタレーション、ファッション、文学、音楽など、数多くのメディアと協力し、現在の展覧会のために特別に作成された2つの新しいモニュメントも作成しました。
そして、確かに、美術館に足を踏み入れたとき、私は期待を感じることができました。いつもの夜ではありませんでした。草間彌生は、私たちの時代で最もクリエイティブで重要なアーティストの1人です。

草間さんの写真や「かぼちゃの精霊」という作品の画像も掲載されているのですが、著作権の侵害になるといけないのでここには上げられません。インターネットで検索すれば「新聞名」「草間彌生」「テルアビブ美術館」程度で簡単に見つけることができると思います。
高齢にもかかわらず日本の作家が外国でも注目されていることは誇らしく思いますね。

 

世界史学習:パルティアとササン朝ペルシア

1.パルティア

 

作業1: A=ローマ帝国 B=パルティア王国 C=クシャーナ朝
作業2: 絹の道(シルクロード)

2.ササン朝ペルシア

問題の答: トラヤヌス帝⇒a パルティア王国 ホスロー一世⇒b 東ローマ帝国

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イラン民族が築いたペルシア帝国といえば、アケメネス朝、ササン朝、サファヴィー朝の3つが帝国という名称をもって有名であるが、今回取り上げたパルティア王国もイラン民族の築いた王国であった。「世界史の窓」ではパルティア王国を以下のように説明している。

遊牧イラン人の建国
紀元前3世紀の中頃から紀元後3世紀初めまでの約5百年にわたり、イラン高原を支配した、イラン系民族の国家。アルサケス朝とも言い、パルティア帝国ともいう場合もある。パルティアはイラン西北部ホラーサーン地方の一部で、カスピ海南岸の地方。前3世紀にバクトリア王国に追われた中央アジアの遊牧イラン人パルニ族がこの地に定住、ヘレニズム国家の一つセレウコス朝シリアの支配を受けていた。
前247年ごろ、パルティアはセレウコス朝から独立をはたし、さらに前238年、族長アルサケスが即位してアルサケス朝を開いた。都はいくつかを移動した後、イラン北部のヘカトンピュロスとされた。セレウコス朝滅亡後、イラン高原からメソポタミアに進出し、クテシフォンに遷都。紀元後1~2世紀には、西のローマ帝国、北のバクトリア、東のクシャーナ朝と争いながら、東西交易路を抑え、繁栄した。しかし、特にローマとの抗争は国力を消耗させ、226年に農耕イラン人のササン朝ペルシアに滅ぼされる。

パルティアを滅ぼしたササン朝もイラン民族であるが、ササン朝は農耕民族であり、パルティアは遊牧民であった。それにしても、パルティアは500年程も続いた割には、注目度が低いように思われる。中国では「安息」という名で呼ばれた。

 

 

2021年アラビア書道作品展(京都会場)

10月の川崎会場に続いて、京都会場にて11月16日から21日の期間で開催されます。会場は「京都市国際交流会館」京都市左京区粟田口鳥居町2番地の1。京都市地下鉄東西線蹴上駅下車徒歩6分です。

川崎会場では主に東日本の人たちが出品しましたが、今回は関西から西の人々の作品が主です。私の場合は名古屋ですので、今年は川崎会場に出品しました。京都会場には出品を予定していませんでしたが、急遽、作品を作って出すことになりました。まだまだ満足のできるものではありませんが、年々少しずつ良くなっているとは思います。以前は、自分で見て「ここが上手く書けた」とか思ったものですが、今は「ここが駄目!」「ここをもう少しこう書かなければ!」と欠点が分かるようになりました。つまり、あるべき理想の形が分かってきたように思います。思っても、書けないというのが現実で、それが次への意欲になるのです。今回の作品をここで紹介します。

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世界史学習:古代オリエント

世界史学習の今回は古代オリエントです。

作業1の答:肥沃な三日月地帯
作業2の A=小アジア B=メソポタミア C=パレスチナ
作業3の答:ハットゥシャ(ボアズキョイ)

都市名 A=メンフィス B=アマルナ(アケトアテン) C=テーベ
問題の答:ヒクソス

ABの都市名:A=エルサレム B=バビロン
事件の名称:バビロン捕囚

A=アケメネス朝ペルシア B=ギリシアの勢力圏 C=フェニキアの勢力圏

いかがでしたか?
少しあやふやな点があったかもしれませんね。それではまた次回に。

 

オリエント世界の風土

前回の世界史学習の答を記入しておきましたので、確認してください。ネタ本となっているタペストリーの該当部分をちょっと取り上げておきましょう。

四角い枠の中の文字が小さいので、以下に書いておきましょう。
「エジプトはナイルの賜物」
ヘロドトスはエジプトの豊かさを、定期的に氾濫を繰り返して沃土をもたらすナイル川のめぐみとしてこうよんだ。

「塩害に悩む」
この地域では早くから灌漑農業が行われ、穀物の収量も増えた。一方で、灌漑用水に含まれる塩基物によって、土壌中の塩分も増加していった。そのため流域は最古の農業地帯でありながら、徐々に農業は衰退していったと考えられる。また水量が豊かで、ときに大洪水を引き起こした。

「肥沃な三日月地帯」
9000年前、人類が最初に農耕を始めた地域の一つ。平原と高原の境にあたる、森林の多様な植物と開墾しやすい平原が出会う地。

「ギルガメッシュ叙事詩」
古代メソポタミアの英雄でウルクの王とされているギルガメッシュの伝説的叙事詩。「旧約聖書」の「ノアの箱舟」の原型だとされる洪水説話が記載されている。

「ベヒストゥーン碑文」
ラガシュ周辺の「王の道」に面した岩壁に刻まれた碑文。ダレイオス1世の業績が彫られている。

「遊牧民の地」
アラブとは遊牧民を意味し、アラビアとは彼らが住んでいる地、すなわち砂漠を意味する。半島中央には246万㎢(日本の約6.5倍)の砂漠がある。

最後の項目の中の「アラブ」についての説明の部分は少し違和感があります。アラブとはアラビア語を母語とする人々の集団と言った方がいいでしょう。

更にユーフラテス川について次のような図と説明があります。

こちらは、このままでも読めますね。
先日紹介したナツメヤシ(デーツ)がメソポタミア原産であり、年二回の収穫ができ、食料として以外の用途にも幅広く利用されてきたことが紹介されています。
さらに、メソポタミア文明を支えたのは粘土とアシであると説明しています。
粘土と葦というのが興味深いです。私はアシがペンに使われたことはよく知っていました。一見ひ弱いと思う葦が船材、建築材に使われたのですね。葦のペンのことですが、実は私はそれを沢山持っているのです。

アラビア書道を始めた時に、買い求めたのです。アラブでは葦ペンを使って文字を書いていたのですから、アラビア書道も葦ペンを使うわけです。しかしながら、葦ペンは弱いです。葦にも色々あるでしょうから、固めのものを使うでしょう。でも、日本なら竹があるので、いま私たちは竹を利用しています。中東の人たちも今は竹を手に入れることができるので竹を利用することが多いと思います。話がアラビア書道のペンにまで及びました。それではまた。

 

世界史学習:オリエント世界 / 地中海世界

さて、このブログも始めてから随分経過しました。気の向くままに少々まとまりもなく続いてきた感があります。今日からはしばらく原点に帰って、世界史の復習をしていこうと思います。帝国書院発行の『世界史図説・タペストリー』の付録白地図作成帳の中から中東・イスラムに関連する部分を利用させていただきます。

オリジナルのサイズでは小さくて見えにくいので以下に拡大してみました。
番号の部分の名称を表に書き込む形になっています。答えは後日記入しますので、確認してみてください。

二日ほど経ちましたので答を記入しました。
簡単でしたね。しいて言えば、ティグリス川とユーフラテス川がどちらかなという点かもしれません。そんなときは、上がティグリス、下がユーフラテスと覚えれば忘れません。

❶ ドナウ川 ❷ イタリア半島 ❸ 地中海
❹ エーゲ海 ❺ 黒海 ❻ アナトリア高原
❼ ナイル川 ❽ 紅海 ❾ アラビア半島
❿ ティグリス川 ⓫ ユーフラテス川 ⓬ イラン高原