2025年アラビア書道京都作品展が終わりました

作品展が終わり、自分の作品が戻ってきました。前触れが何回かありましたが、今日、出品した作品をここで披露いたします。オマル・ハイヤームの詩の中から選んだものであり、その詩のないようについては既にお知らせしています。しかしながら、最終的に作品にしたのは四行詩の中の3と4行にしました。2行だけでも意味が成り立つのでそうしました。次の通りです。

インスタグラムにはペルシアのサントゥールのバックミュージックを付けているのですが。残念ながらここではできませんでした。どうぞご鑑賞下さい。

 

オマル・ハイヤームについて

前回、アラビア書道の京都作品展のために、ペルシアの詩人オマル・ハイヤームの詩を書いているとお知らせしました。作品展は9月30日からですので、それまでにオマル・ハイヤームについて紹介しておきましょう。彼の代表作は『ルバイヤート』ですが、それは「四行詩」という詩の形式を意味しています。数多くの詩人が四行詩を作っていますが、彼のルバイヤートがあまりにも有名になったので『ルバイヤート』といえばオマル・ハイヤームの詩集を意味するようになったのです。勿論、他の詩人の四行詩もルバーヤートに違いないのですが。彼の詩はイギリスの詩人のEdward FitzGeraldの英語への翻訳で有名になり、現在でも彼の英語への訳詩が最も有名で愛されています。日本でも彼の英語訳から日本語に訳されたものもあり、元のペルシア語から訳されたものもあります。もっとも有名なのは小川亮作によるものでしょう。訳者小川亮作は岩波版の解説で、ペルシアのレオナルド・ダ・ヴィンチと評しています。ただ、彼が詩人としての名声を得たのは世界中で訳本が読まれるようになって以後のことなのです。それまでの彼は詩人としてではなく、科学者として有名な人物だったのです。それでは冒頭の画像の翻訳者黒柳恒男先生の解説文を抜粋して彼を紹介することにしましょう。

中世のペルシア語文化圏に輩出した幾多の優れたペルシア詩人の中で世界的に最も有名なのはオマル・ハイヤームとその作品ルバイヤート(四行詩集)である。彼は1048年にイラン東北部のニシャプールに生まれ、同地で1131年に没した。郷里で教育を終えた彼は中央アジアの都市サマルカンドに赴き、大法官アブー・ターヒルの保護の下で代数学に関する論文を執筆し、その後に推挙されてカラハン朝のシャムスル・ムルク・ナスル王(在位1068~80)の側近となった。
1074年にセルジューク朝のマリク・シャー(在位1072~92)がカラハン朝のナスル王と和を結んだが、これを契機に彼はマリク・シャーに使えるようになった。当時26歳であった。13世紀のアラブの台歴史家イブヌル・アスィールの『完史』の記述によると、ハイヤームはマリク・シャーの命により一流の天文学者らと協力してイスファハンに天文台を建設し新たの暦制定のために天文表の作製に従事した。この時に作られた暦は王の名にちなんでマリキー歴(あるいはジャラーリー歴)と命名された。ハイヤームは偉大な天文学者・数学者としてイスラム世界に広く知られるようになった。

つまり彼は科学者、数学者、天文学者として有名な人物であったのです。

 

アラビア書道作品展「京都会場」9月末開催

暑い毎日が続いています。今日30日と明日31日の東海地方の予想気温は一部の地域、例えば多治見や豊田では40度に達しそうと報道されています。我が家でも冷房をしていない2階に上がると36度位になっており、猛烈な暑さになっています。そんな猛暑の日々ですが、私は京都会場の作品作成に励んでいます。なかなか思うようにできなくて苦労しています。

今回もまたオマル・ハイヤームの四行詩(ルバイヤート)から選んだ詩を題材にしています。まだ完成していないので、作品をここで紹介することはできませんので、昨年の川崎会場に出品したものを参考まで冒頭にアップしておきました。今年の分は詩の内容だけお知らせしておきましょう。ペルシア語を学習している人のためにペルシア語の原文も挙げておきましょう。

あまり難しい内容ではありません。いつもながらの酒を愛する詩であります。黒柳恒男先生の訳も付けておきましょう。
たかが四行なのですが、いざ書道となると線の長さや角度などが決められている形になりません。私が選んでいるナスターリークという書体は細い線を美しく書けないといけません。文字だけでは勝負にならないので、いつも文字周りのスペースに絵を入れたり、押し花を入れたりして工夫しています。もうあまり時間がありません。暑さに負けず頑張っています。

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2024年アラビア書道作品展(川崎会場)

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長い間ご無沙汰しておりました。猛暑の夏に嫌気がさして休んでおりました。またイスラエルはガザだけでなくレバノンのヒズボラとの争いも激化した嫌な日々が続いていましたし、今も続いています。そんな中、今年のアラビア書道作品展は例年どおり開催されました。私の作品を冒頭にアップいたしました。今回はペルシアの詩人ハーフェズの詩の中でも特に有名な詩の冒頭の部分2行を書きました。その詩の全文を小さな文字で入れて背景としました。もう一つの背景は左右に男女の姿を入れました。詩の意味が分かれば二人の男女の意味も分かるというものです。

冒頭2行の意味は次の通りです。
「かのシーラーズの美女がわが心を受け入れるなら、その黒いほくろに私は捧げよう、サマルカンドもブハーラーも」
美しいシーラーズの美女への思いを詠ったものです。彼女が私の思いを受け入れてくれれば、当時栄えたサマルカンドやブハーラーの町をも捧げようという大げさな語り掛けです。これらの町は今はウズベキスタンの古都であります。かつてウズベキスタンの大統領がイランを訪れた時に歓迎会場でのスピーチで「イランの女性がいくら美しい女性であっても我が国の町を取り上げないでもらいたい」とユーモラスに語りました。会場は大いに盛り上がったのでした。イラン人なら誰でもこの詩を諳んじているのです。この2行をもじって替え歌を作ることもありました。この詩の雰囲気を味わえるようにバックグランド音楽と朗読を入れて見ました。次の動画をご覧頂ければ幸いです。30秒ほどです。

 

発見:ペルシア書道のテキスト

前回の投稿が5月22日でした。アラビア書道の作品展が⒕日に終わったことを書いたのでした。あれから20日くらいが経過したわけですね。実はその間、色々忙しくしてブログを書く余裕がありませんでした。ずっと以前に書いたかもしれませんが、山歩きの途中で滑って尻もちをついた時に左肩を痛めたのでした。半年近く経過したのですが、結局は腱板断裂ということでした。痛みは少なくなったのですが、切れた腱板のままでは腕が上がらないということです。左腕というものの、右腕の作業にも左腕の支えが必要だということが身に染みて分かりました。結局、今月下旬に手術することに決めました。その手術が全身麻酔によるものなので、この間に色々な検査をしていました。血糖値が高いから下げないと手術ができないとか、心臓の検査、肺機能の検査、血液検査で様々な値をチェックなどなど、眼や歯のチェックもありました。10年前にも全身麻酔の手術を受けましたが、その時とは全然違って、あらゆるリスクを軽減するために事前準備が必要だったのです。ということで、もう少しの間、ブログを書くことが少なくなると思いますが、手術が終わって回復すればまた続けますので、お忘れないようにお願いいたします。

そんな中ですが、冒頭の画像の本をアマゾンで手に入れました。日本語版であることが驚きでした。ペルシア書道をやる日本人は稀だと思うのです。しかも千円程度とは。内容は目新しいものではありません。練習帳という名ですので、ここに書き込んで練習するわけです。書道ですので、鉛筆ではなくて太い細い線がでるフェルトペンで書くことをイメージしているようです。私たちは竹のペン(竹筆)で書くので、直接この頁に書くのはちょっと無理です。敢えてこれを使うなら、ツルツルの紙にコピーをして、そこに書くのが良いかも知れません。私はとにかく文字を数多く書くことが練習になると思うので、フェルトペンで書いて見ようと思っています。今年の全国規模の作品展が10月にありますので、今から何を書こうかなと考えています。11月には京都でも開催されます。同じ作品は出せませんので2点作成するか、どちらかの会場にするかになります。手術のことも気になるのですが、次の作品を考えるのも楽しい気分転換にもってこいです。それではまた。

おっと忘れました。画像の面に書かれている文章は「ペンは剣よりも強し」という意味です。

アラビア書道名古屋教室作品展開催中!

前回、お知らせした名古屋教室のアラビア書道作品展が9日から始まりました。連日多くの来場者に嬉しく思っています。初日には中日新聞が取材にきてくれて、10日の朝刊に記事がでました。私の写真入りで書いてくださいました(恐縮)。お陰さまで来場者が増えました。記事を紹介いたします。

昨日はコロナ禍以来開いていなかった「中東・イスラム研究会」通称「南山会」のメンバーも来てくれましたし、日曜日に来るよという連絡などもあり、嬉しい限りです。会場の様子などは後日写真を整理して紹介することにします。なにしろ、会期中は終日詰めていますので時間がありません。

アラビア文字の面白さ

先日、左肩を痛めたけど少し良くなったのでアラビア書道の稽古も始めたとか、ブログも再開するよと言ったのでした。でも、中々痛みが無くなりません。そこで改めて別の評判の良い整形外科病院を訪れたのです。これまでの医院と同様にレントゲンを撮ったのですが、「腱が切れているようだよ。MRIで精密検査したほうがいいよ」ということでした。その検査までは少々日にちが空くのですが明後日なのです。そんなわけでこのブログも書けていませんが、今日は晴天で暖かいので、あまり腕に負荷のかからないことを書こうと奮起しました。そこで決めたテーマはアラビア文字のことです。
アラビア語には興味がない読者も多いと思います。私自身も
参考書は持っていますが、「アラビア語は難しいので手が出ない」状態です。が、アラビア文字には興味がありますし、好きです。アラビア語に興味ない人も今回はアラビア文字についてちょっと関心を持って見てください。

上にアップしたのはNHKラジオのアラビア語講座のテキストの「アルファベット早見表」です。アラビア語は28文字です。でも表を見て下さい。28文字が全然異なる形ではなく、ある文字の一つに点が一つ、あるいは二つ、三つついている文字がありますね。それらを一つとして数えたら、17個の形になります。覚えるのは簡単そうですね。今言っているのは独立系の文字のことです。これらの文字が単語の頭にきた時、文字と文字との間にきた時、語尾にきた時で形が変わったりするのが少しややこしいかもしれませんが、実際に書いて見ると、合理的になっているわけです。また後ろの文字に繋いで書かれない文字があったりもします。話を点のことに戻しましょう。

ب 英文字の b に相当します。
ت 英文字の t に相当します。
ث 英文字の th に相当します。th の日本人が苦手な発音ですね。
点の数で違う文字になります。点の数が非常に重要ということです。別の文字も見ましょうか。

ج 英文字の j に相当します。
ح 
英文字の h に相当します。
خ 
英文字の kh に相当します。
このように点の数で文字が変わるということがお分かりですね。次にアラビア語以外でもアラビア文字を使っている国(言語)があります。昔はトルコやインドネシアもそうでした。現在ではウルドゥー語やペルシア語がそうです。そこで面白いことが発生するのです。例えばアラビア語には P という音=文字がありません。でもペルシア語には P はペルシア語のPですから必須ですよね。そこで پ という文字が使われています。アラビア語では点を3つ付けた th がありましたが、それは上についていました。ペルシア語では下に点を3つ付けてPとしているのです。同様にアラビア語にはチ chi という音=文字がありません。日本人の千葉さんの名前を書くことができません。ペルシア語にはその音があるので文字が必要です。トルコ語でも必要でした。そこでできたのが چ です。上述したグループに点3つの文字が追加されて利用されているのです。そのような文字は5つあるのです。
まだまだ話したいのですが、少し腕がつかれました。今日はこの辺で終わりとしましょう。アラビア文字、如何でしたか?面白いと思われたら「いいね」ボタンを押していただければ嬉しく思います。

 

ブログ再開:ナイルの水を飲んだ者は、再び、そこ(ナイル)に戻る

肩の捻挫で暫くブログも休んでいましたが、2週間たってもまだ痛みます。でも少しは痛みが軽減したので少しづつ動かすようにしています。そこでアラビア書道の稽古をボチボチ始めました。書くのは右手を使うわけですが、左手で用紙を押さえる必要があります。押さえないと紙が動いてしまうので書けません。押さえる位なら左手でできると思ったのですが、机の高さに左手を乗せると当初は痛かったのですが、今日は何とかできるようになりました。そこで、今後稽古するのは次のお手本にしました。

しばらくの間、ペルシア書体(ナスタアリーク書体)でペルシア語の四行詩を稽古してきましたが、四行詩を書くとなると文字数が多いので、個々の文字は小さく、細くなります。そこで今回は大きな太い文字で書ける短い文にしたのです。用紙のサイズはA3です。偶々本田先生が書かれたお手本を頂いたので、これにしました。これを稽古して、上手く書けたら5月に名古屋で開く名古屋教室の作品展に出そうと思います。でも太くて大きい文字、それはそれなりに難しいものです。大きいと墨が足らなくてカスレてしまったりします。それはそれとして、何と書いてあるのでしょうね。

アラビア語の有名な諺というか言葉です。「ナイルの水を飲んだ者は、再びそこ(=ナイル)に戻る」という意味です。インターネットで調べるとこの言葉の意味を解説したものがいくつか出ています。言葉の意味通りにエジプトに再び縁があって再訪した体験談などが語られています。同じような諺は日本ではすぐには思いつきません。でも、一度訪れてまた行きたいなと思う所は沢山ありますね。私はイランのイスファハンの町です。何度も行ったことがあるのですが、また行きたいと思う美しい町です。

アラビア書道作品展終了:今年の出品作品です

作品制作のためにこのブログも長らく書けずにいましたが、昨日16日に作品展は終了しました。今年の出品作品は次のものです。

今年もオマル・ハイヤームのルバイヤート(四行詩)の中の一つです。ペルシア語の詩です。意味は作品の中に訳を入れていますが、小さくて読みにくいかもしれませんね。次に記しておきましょう。

美酒無くば、生きていられぬこの身体
酒無くば、身の重さにも耐えられぬ
酌人(サーキー)が 「もう一杯」 と囁くその瞬間、
私は奴隷だ、断れぬ。

挿絵と押し花(アケビの蔓)の装飾は妻の協力によるものです。今回の作品展は例年以上に数も多く、素晴らしい作品揃いでした。この書体での作品出品は3回目で、まだまだ初心者レベルですが、少しはそれらしくなってきた気がします。

10月の作品展の準備しています

この画像が作品のお手本です。前回、本田先生の新しい作品集を紹介しましたが、その本田先生に書いていただいたお手本です。現在、毎日、練習しているところです。オマル・ハイヤームの四行詩の一つです。読み方と意味は次の通りです。私の訳です。

من بی می ناب زیستن نتوانم
Man bi mey-e naab zistan natvaanam
美酒無くば、生きていられぬこの身体

بی باده کشید بار تن نتوانم
Bi baadeh keshiid baar-e tan natvaanam
酒無くば、身の重さにも耐えられぬ

من بنده آن دمم که ساقی گوید
Man bandeh-ye aan damam keh saaghi gooyad
یک جام دگر بگیر و من نتوانم
Yek jaam-e degar begir-o man natvaanam
酌人(サーキー)が「もう一杯」と囁く瞬間
私は奴隷!いうがまま

私の作品は9月末にできるはずですので、その後、ここで紹介いたします。今年の会場も川崎市の川崎駅のすぐ近くです。後日、改めて紹介いたします。