アフガニスタンのタリバンについて

アフガニスタンでタリバンが政権を奪取したために、イスラムについて尋ねられることが少し多くなりました。イスラムに対する関心が増えることはイスラムを正しく理解されるためにはいいことでしょう。まず、タリバンとは何なのでしょうか。ネットでweblio辞書のサイトには次のように書かれています。
タリバーン【Taliban】
「タリブ(イスラム神学生)」の複数形。「タリバン」「ターリバーン」とも》アフガニスタンのイスラム原理主義者による武装集団。1996年首都カブールを占領して内戦後のアフガニスタンを支配。偶像崇拝を排斥する立場から同国バーミヤンの石仏を破壊した。2001年のアメリカ同時多発テロの指導者ビンラディンをかくまったとして米軍の攻撃を受け、同年11月に政権は崩壊した。2006年ころから再び攻勢を強めている。

「タリバンはイスラム神学生」である。それだけではイスラム世界にはどこにでもあるイスラム神学生と同じでしかありません。タリバンは何が違うのでしょうか。「イスラム原理主義者による武装集団」ともあります。さて、原理主義者とはどういう定義なのでしょうか。原理主義という言葉は英語のfundamentalismを訳したもので、もともとはキリスト教の用語で、聖書の無謬性を主張する思想や運動(キリスト教根本主義)を指す言葉である。イスラム世界では自らが原理主義と名乗るようなことはなかったのです。1979年にはイランで革命により王政が崩壊し、イスラム政権が発足して今に至っています。イスラム法による統治をうたっています。でもそれはイスラム法に則る社会秩序を築くということで、原理主義というものではありません。サウジアラビアも厳格なイスラムの国です。彼らの宗派はワッハーブ派というものです。アラブの多くの国の人々がイスラムを信仰しているわけですが、地域や時代により厳格さが薄らいだところも沢山あります。そういう場合に、イスラムの原点に戻ろうという動きもあったりします。そういう場合は「イスラム回帰」あるいは「イスラム復興」などと表現されます。イスラム教徒自らが「原理主義」と名乗るようなものではないのです。

「偶像崇拝を排斥する立場から同国バーミヤンの石仏を破壊した」ともあります。あたかも偶像崇拝を配する立場の連中がバーミヤンの石仏を破壊したことは、イスラムの立場では当たり前のことであるように記されています。そうでしょうか。イスラム教徒のことをムスリムと言いますが、ムスリムたちは偶像崇拝をすることはいけないことだと教えられ、そのように信じています。それはそれで悪いことではありません。それが信仰というものでしょう。でもムスリムが他の宗教の信仰者たちが崇拝している文化財を破壊してもいいわけではありません。

次に1947年以後のアフガニスタンの歴史を年表形式で紹介します。

  • 1747年、パシュトゥーン人によるドゥッラーニー朝が成立。
  • 1826年、ドゥッラーニー系部族の間で王家が交代し、バーラクザイ朝が成立。
  • 1838年、第一次アフガン戦争(~1842年)
  • 1880年、第二次アフガン戦争(~1880年)に敗れ、イギリスの保護国となる。
  • 1919年、アマーヌッラー・ハーン国王が対英戦争(第三次アフガン戦争)に勝利し、独立を達成。
  • 1973年ムハンマド・ダーウードが無血クーデターを起こして国王を追放。共和制を宣言して大統領に就任。
  • 1978年、軍事クーデターが発生(四月革命)。大統領一族が処刑される。人民民主党政権成立。革命評議会発足。
  • 1979年ソ連軍によるアフガン侵攻開始。親ソ連派のクーデターによってアミン革命評議会議長を殺害し、バーブラーク・カールマル(元)副議長が実権を握る。社会主義政権樹立。

アフガニスタン内戦

1979年12月 ソ連がアフガニスタンへ軍事侵攻

1978年に成立した共産主義政権を支援するためであったが、反政府組織がソ連と戦い内戦状態となる。1989年のソ連軍の完全撤退まで10年間続いた。

代表的な反政府組織:

ラッバーニ率いるタジク人主体の                                   イスラム協会

ドスタム率いるウズベク人主体の                                  イスラム民族運動

ヘクマティヤール率いるバシュトゥーン人主体の          イスラム党

ハザラ人主体のシーア派勢力                                        イスラム統一党

これらの勢力はソ連と戦ったわけであるが、ソ連撤退後に戦い合うことになる。1992年平和協定

1994年 平和協定が破棄され、大規模な軍事衝突へ。ここで台頭したのがイスラム原理主義者のターリバーンである。(パキスタンから支援をうけて勢力拡大。1996年9月に首都カーブルを制圧「アフガニスタン・イスラム共和国」を樹立。

長くなったがアフガニスタンにソ連軍が侵攻したのが1979年、その後、内紛が続いたのであるが、ソ連に対抗するために米国は様々な集団にテコ入れをして、米国の都合のいいように育て上げていったのです。タリバンもその一つであり、1989年のソ連軍撤退後にタリバンは急成長していった。細かいことをいう必要はありません。要はタリバンというイスラム集団を都合のいいように政治的集団として育て、利用していった結果が今のタリバンなわけです。タリバンがまっとうなイスラム精神を保持した(あえて言えば)原理主義集団などという輩ではないのです。

イスラムの美②:陶器

前回の「イスラムの美①:タイル」の評判が良かったので、タイルに続いて陶器を紹介することにしました。前回同様にヴィクトリア・アンド・アルバート美術館の所蔵品の紹介です。

白地藍黒彩文字文壺。エジプトまたはシリア。14世紀。高さ37センチ。

青釉黒彩透彫鳥首水差。イラン、カーシャーン。12世紀末~13世紀初期。高さ29センチ。

白地色絵人物文鉢。イランおそらくカーシャーン。12世紀末期~13世紀初期。直径20.7センチ。

白釉雄牛像。シリア。12世紀。高さ22.2センチ。

白地藍黒彩草花文壺。イラン。17世紀。高さ52.5センチ。

白地藍黒彩獣文壺。イラン。17世紀。高さ29.8センチ

左:白地藍黒彩三美人図鉢。イランおそらくカーシャーン。13世紀初期。直径29.7センチ。
右:ラスター彩騎馬人物図皿。イラン。1208年。直径35.2センチ。

グルガーン出土陶器類各種。全品が13世紀初期のカーシャーン産フリットウェア器物の埋蔵品の一部。このような上質の陶器を扱った行商人の手持ち商品と推定される。

白地藍彩アラベスク文台付鉢。トルコおそらくイズニク。15~16世紀。高さ23.5センチ。

白地多彩草花文台付鉢。トルコおそらくイズニク。16世紀中期。高さ26.5センチ。

白地多彩花文モスク・ランプ形壺。トルコおそらくイズニク。1557年頃。

白地多彩花文墓標。トルコおそらくイズニク。16世紀。高さ42.2センチ。

白釉青彩赤ラスター彩蓋付壺。イタリア、グッピオ。1510年頃。

左:白地藍黒彩草花文鉢。イランおそらくカーシャーン。13世紀初期。直径24.4センチ。
右:白地藍彩葡萄文皿。トルコおそらくイズニク。16世紀初期。直径39.1センチ。

円卓天板。9枚の別個のタイルから成り、それぞれイランの国民叙事詩『王書』に啓発された場面を描いたものである。中央図下部の銘文は、当品がロバート・マードック・スミス少将の注文によりアリー・ムハンマド・カシュガル・イスファハニーが、西暦1887年に相当するヒジュラ歴1304年に制作したものであることが記されている。直径136センチ。

12世紀以後の各地で作られたものであるが、中には日本の陶器と見間違うようなものもありますね。イスラム世界のものであるのに、人物像が描かれているものもあることに、オヤッと思われた方がいるかもしれません。でもそれらは、イランの作品です。イランはご承知のようにシーア派の国であります。イランでは第4代カリフ・アリーの肖像を飾ることがあるように、人物像を描くことを厳格に禁止しているわけではないようです。ペルシャの絵皿には独特の顔の人物像が描かれているものです。

 

イスラムの美 ①:タイル

2021年も早や9月になりましたね。コロナは一向に静まる気配がありません。本来ならば行楽の秋、芸術の秋ということで何処も賑わいを増す季節になるのでしょうが、今年はそうもいかないようです。せめて、ここではイスラムの美を楽しむことにしましょう。今回はタイルです。イスラム世界を旅するとモスクの美しさに強烈な印象を覚えるのではないでしょうか。勿論絢爛豪華なモスクばかりではありませんが、豪華でないモスクでもそれなりの美しさを感じるような気がします。

モスクを美しいと感じるとき、それは色彩からかもしれません。あるいは花や唐草をあしらった模様、いわゆるアラベスク模様かもしれません。私たちのアラビア書道の仲間には、モスクを見た時の文字の美しさに魅せられてアラビア書道を始めたという方が大勢おられます。色彩であれ、模様であれ、文字であれ、それらはモスクの外壁を覆っているタイルの美しさなのです。今回はヴィクトリア・アンド・アルバート美術館発行の「Palace and Mosque – Islamic art from the Victoria and Albert Museum 」の中のタイルを紹介させていただきます。つまり、これらはこの美術館に所蔵されているものです。

メッカ・カーバ神殿図解のタイルである。トルコ、おそらくイズニクでの17世紀の作であろう。縦が61センチ。

押型ラスター彩青釉文字唐草文小型ミフラーブ。イランおそらくカーシャーン、14世紀初期。高さ62センチ。

ラスター彩草花文十字・星形タイル。イランおそらくカーシャーン。1261ー62年の年代銘記。

ラスター彩釉文字文方形タイル。イランおそらくカーシャーン。1307ー08年頃。高さ35.8センチ。

白地多彩花文組タイル。トルコおそらくイズニク。17世紀。高さ188.6センチ。

白地多彩野宴図組タイル。イラン、エスファハーン。17世紀。幅221.5センチ。

白地多彩文字タイル。トルコ。1727年。主調となるのは書道文字装飾で、神の名、預言者ムハンマド、さらにアブー・バクル、ウマル、ウスマーン及びアリーの最初の歴代カリフ4名の名が様式化されてあしらわれている。この組み合わせはシーア派がアブー・バクル、ウマル、ウスマーンの正統性を拒絶していることから、スンナ派イスラムへの帰依を表す。高さ29センチ。

押型ラスター彩青釉タイル。バフラーム・グール図。イラン、タフト・イ・スレイマーン。13世紀末。高さ31.5センチ。

白地多彩チンターマニ(変形宝珠)文タイル貼暖炉。トルコおそらくイスタンブル。1731年。高さ365センチ。

それぞれの画像には詳しい説明もあるのですが、ここではこれらのタイルの美しさを楽しんでいただければと思います。

コーランについて(10):第104章・・・中傷者

最近のネット社会では誹謗中傷が酷い状態であるらしい。まもなく閉会となる東京オリンピックに出場したアスリートたちに対するものも非常に多いようである。コーランを見ると第104章に「中傷者」という章があるので、それを見ることにしよう。

ええ呪われよ、よるとさわると他人の陰口
宝を山と貯めこんで、暇さえあれば銭勘定

これだけあればもう不老不死と思ってか。
いやいや、つぶし釜(なんでも粉々につぶしてしまうもの。地獄を指す)に叩き込まれる身のさだめ。
が、さて、つぶし釜とはそもなんぞやとなんで知る。
ぼうぼうと焚きつけられた神の火で、
忽ち心(投げこまれる罪人の心臓)を舐めつくし、
頭の上から蓋をして、
蜿々長蛇の柱とはなる(はてしなく続く柱の列のように火焔が燃え立つのである)。

後半は少し分かりにくいかもしれないが、要は人を中傷するような輩は地獄に落ちるんだということ。金をため込んで銭勘定ばかりするような輩は、貯め込んだ財産が不老不死を与えてくれると思っているのかもしれないが、そんな輩も地獄へ落ちるということだ。そして、地獄というのは、前回にも出て来たが、劫火の責めを受ける処である。最後の審判で地獄行となった者は火で焼かれるが、彼らは既に死を経験しており、地下のあの世から、喇叭の音によって復活した者どもである。一度死んでいるので、再び死ぬことはない者どもである。つまり、酷い劫火に焼かれても、死ぬことはなく、永遠に火の攻めを受けるのである。もう殺してくれと泣き叫んでも、死なずに、一生苦しみ続けるのである。一生というのは可笑しいな!

とにかく、イスラムの地獄での苦しみはコーランのあちこちで述べられている。その部分だけを抜き書きして整理するだけで学位論文が書けるかもしれない。世界中の人々が、他人を誹謗中傷したりすると地獄に落ちることを心に留めておいてもらいたいものである。

コーランについて(9):第99章・・・地震

コーランの章は全部で114章である。そして、その順番は長い章が前にあり、短い章が後ろにあるそうだ。だから、最後の方の章は非常に短い記述となっている。短いと我々にとっても読みやすいし、分かりやすい気がする。そこで今回紹介するのは第99章の「地震」である。全8節の構成である。この程度なら全文を紹介できる。いつものように井筒俊彦訳である。

① 大地がぐらぐら大揺れに揺れ、
② 大地がその荷を全部吐き出し(地下の死者が一人のこらず発き出される)。
③ 「やれ、どうしたことか」と人が言う、
④ その日こそ、(大地)が一部始終を語り出でよう(天地終末の意味を大地が語るであろう)、
⑤ 神様のお告げそのままに。
⑥ その日こそ、人間は続々と群れなして現われ(地中から復活して出て来る)、己が所業(現世で自分がどんなことをしていたか)を目のあたり見せられる。
⑦ ただ一粒の重みでも善をした者はそれを見る(それを見る、とは自分のしたその善事を改めて見せられ、それに応じた褒美を戴くこと)。
⑧ ただ一粒の重みでも悪をした者はそれを見る。

この章は最後の審判のことを述べているのである。つまり、最後の審判の時に大地がぐらぐら揺れる地震が起きて、大地から死者が復活して、最後の審判を受けるのだぞということだ。
最後の審判では生前に善をなしたものは褒美を受けて、楽園に行けるのであるが、悪をなしたものには地獄に落とされる罰が下るということである。その罰についてはコーランの色々な章で陳べられている。過酷な火攻めに苦し悶える地獄で永遠に住むために蘇るのである。

復活から最後の審判に至る筋道は「第39章群れなす人々」の中で次のように述べられている。
嚠喨と喇叭が鳴り渡れば(復活の瞬間の描写)、天にあるものも地にあるものも、愕然として気を失う。アッラーの特別の思召しによる者以外は誰も彼も。次いでもう一度吹き鳴らされると、みな起き上がってあたりを見廻す。
大地は主の御光に皎々と照り輝き、帳簿(一切の人間の運命を記入した天の帳簿)が持ち出され、すべての預言者、あらゆる証人が入場して来て、公正な裁きが始まる。誰も不当な扱いを受けることはない。誰もが自分のしただけの報いをきちんと頂戴する。誰が何をして来たか。(アッラー)が一番よく御存知。

ここまで具体的に述べられていると、映像が浮かぶ感じである。この喇叭をふくのは天使の一人イスラーフィールである。復活した人間は生前の所業が記録された帳簿と証人によって裁かれる。誰も言い逃れはできない。それゆえ、生前の行為は重要になるわけである。

コーランについて(8):第5章・・・食卓③

Pixabayからの画像

7月も月末になり猛暑が続いています。オリンピックが始まって連日日本のメダルが増えているのは明るいニュースです。この明るいニュースがコロナを吹っ飛ばしてくれることを期待したのですが、そうはいかないようですね。昨日27日の感染者が急増しました。東京は2800人ほど、そのほか埼玉や大阪も増えました。一昨日は青森で震度4,今朝は東北地方に台風8号が上陸と色々なことが起きている日本列島です。

こんな時には神に祈り、救いを求めたい気がしないわけではありません。それはそれとして、私は静かに過ごすことにしています。さて、前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。前回、前々回は「第5章食卓」でした。この2回で終わりにしようと思ったのですが、この章には食べ物以外のことも沢山述べられていましたね。でも、タイトルが食卓となっている理由を最後に紹介しておきたいと思います。

112節:さて、その弟子たちが言うことには、「マルヤムの子イーサー様、貴方の主は私たちに天から食卓を下すことがおできになるでしょうか」と。彼は「アッラーを懼れまつれ、もし、お前たち本当の信者であるならば」と答える。
113節:彼らが言うに、「私たち実際に(そういう有難い食卓から)食べて見たら、気持ちもすっかり落ちついて、貴方の仰しゃったことが本当だったということもわかって、立派な証人になることができようと思いまして」と。

人々の「神は我らに食を恵み与えてくれるのでしょうか」という問いに、イーサーは「お前たちが本当の信者なら、神は与えてくれよう」と答えたわけですね。それに対して人々は「実際に与えて見てくれたら、それが本当だという証人になりまっせ!」というやり取りの部分があるわけです。この部分から「食卓」という章の名前になったということです。イーサーとはイエスキリストのこと、マリヤムは聖母マリアであることはお分かりですね。イエスもイスラムでは預言者の一人なのです。

コーランについて(7):第5章・・・食卓②

第5章:食卓の章の続きです。
食卓という章の名前ですが、色々なことが書かれています。次のように礼拝の時の所作についてもここで述べられています。

これ汝ら、信徒の者、礼拝のために立ち上がる場合は、まず顔を洗い、次に両手を肘まで洗え。それから頭を擦り、両足の踝のところまで擦れ(これは斎めの象徴的動作で心身の清浄を来す)。
けがれの状態にあるときは、それを特に浄めなくてはならぬ。だが、病気の時、または旅路にある時、あるいはまた汝らのうち誰でも隠れ場(便所のこと)から出て来たとか妻に触れて来たとかした場合、もし水が見つからなかったら、きれいな砂を取って、それで顔と手を擦ればよろしい。アッラーは汝らをことさらいじめようとし給うわけではない。ただ汝らを浄め、そして汝らに充分の恵みを授けて、なろうことなら汝らが(神に)感謝の気持ちを抱くようにしてやりたいと思っておられるだけのこと。

礼拝の作法はイスラム関連本を見ると図で示されていることが多い。日本の神社でのお参りの作法は、「二礼二拍手一礼」
1.一度姿勢を正し、深いお辞儀を2回行う
2.胸の高さで、右手を少し引いて(ずらして)手を合わせる。 肩幅程度に両手を開き、2回打つ
3.手をきちんと合わせ、心を込めて祈る
4.深いお辞儀をする
などと説明書きがあるが、イスラムに比べると全然簡単である。
ただ、イスラムで感心するのは、できないときの対応を示していることである。前回の食物の取り方の場合も、どうしてもできない場合は許されるとあった。ここでも身を浄める水がなければ砂で擦ればいいのだと示している。他の場合でも断食ができなかった場合の穴埋めの方法なども事細かく示されている。次はユダヤ教徒やキリスト教徒に関する部分を取り上げよう。

かつてアッラーはイスラエルの子らと契約を結ばれたことがある。その時我ら(ここで人称が急にかわる。アッラーの自称)彼らの間から十二人の首長(十二支族の首長)を興し、アッラーが仰せられるには、「わしは汝らとともにあるぞよ。汝らもし礼拝を怠らず、定めの喜捨をこころよく出し、わしの遣わす使徒たちを信じてこれを助け、アッラーに立派な貸しつけをする(善行をすること。善行はアッラーに対する一種の貸しである)ならば、わしの方でも必ず汝らの悪行を赦し、必ず潺々と河川流れる楽園に入れてつかわそうぞ。だが、万一汝らのうち誰か、これほどまでにして戴いておきながらなお信仰にそむくなら、まことにそれこそ正しい道から遠く迷うというもの。
さればこそ彼らが契約に違反した時、我らはこれに呪詛をあびせ、その心を頑なにした。それで彼らは(聖典)の言葉を曲げて解釈し(ユダヤ人は聖書の文句を自分に都合がいいような意味に曲解しているという)たりしているうちに、ついには教えて戴いたものの一部をすっかり忘れてしまった。お前(ムハンマド)にしても、今後いつまでも彼らの裏切りに遭うことであろう。勿論ごく少数の例外はあるが。だが、赦してやれ、勘弁しておいてやれ。よいことをすれば必ずアッラーに愛していただけよう。

前回述べたように、ここに紹介している日本語訳は岩波文庫の井筒俊彦氏による訳文である。日本語訳で出版されているものも複数あり、それぞれが立派なものである。またネット上でも日本語訳を見ることができる。「イスラムのホームページ」http://islamjp.com/ と題するサイトでは上の部分を以下のように訳している。

5-12.アッラーは、以前にイスラエルの子孫と約束を結ばれ、われはかれらの中から12人の首長を立てた。そしてアッラーは仰せられた。「本当にわれはあなたがたと一緒にいるのである。もしあなたがたが礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなし、われの使徒たちを信じて援助し、アッラーによい貸付をするならば、われは、必ずあなたがたの凡ての罪業を消滅し、川が下を流れる楽園にきっと入らせよう。今後あなたがたの中、これ(約束)を信じない者は、正しい道から迷い去る。
5-13.しかしかれらはこの約束を破ったので、われは見限って、かれらの心を頑なにした。かれらは(啓典の中の)字句の位置を変え、与えられた訓戒の一部分を忘れてしまった。それでかれらの中の少数の者以外は、いつも契約を破棄し、裏切りに出るであろう。だがかれらを許して見逃しなさい。」本当にアッラーは善い行いをする者を御好みになられる。

こうして並べて比べてみると、後者の方が頭にスーと入ってくるように思う。口語調のせいであろうか。そうなるとついでに作品社発行・中田孝監修の『日亜対訳クルアーン』の訳も気になってくる。以下に紹介しておこう。

アッラーはかつてイスラーイールの子孫からの確約を取り給い、われらは彼らのうちから十二人の首長(*語源的には広大さや傑出を意味する語で、保証人、信頼ある長、責任ある庇護者等の意味があるといわれる)を遣わした。そしてアッラーは仰せられた。「まこといわれはおまえたちと共にある。もしも、おまえたちが礼拝を遵守し浄財を払い、わが使徒たちを信じて彼らに助力し、アッラーに良い債券を貸付たならば、われはおまえたちからおまえたちの悪事を帳消しにし、おまえたちを下に河川が流れる楽園に必ずや入れよう。そしておまえたちのうち、その後に信仰を拒んだものは中庸の道から迷ったのである。」
だが、彼らの確約の破棄ゆえにわれらは彼らを呪い、彼らの心を頑なにした。彼らは言葉をその場所から捻じ曲げ、彼らに訓戒されたものの一部を忘れた(*「律法の書」を改竄し、その一部を破棄し、あるいは解釈を捻じ曲げた)。それでおまえは彼らのうちわずかな者を除き、彼らの裏切り(*あるいは「彼らのなかの裏切り者たち)を目にし続けるのである。それゆえ彼らを免じ、見逃せ(*これは9章29節、あるいは8章58節によって破棄された。破棄されなかったとの説もある)。まことに、アッラーは善をなす者を愛し給う。

こちらは注釈が頁の下に記されているが、ここでは( )内に記しておいた。十二人の首長という部分の意味がこの訳本ではきちんと説明があり、理解できた。また最後の注釈の部分で、破棄されたとかそうではないという風な記述がある。他の二つの訳ではどちらも免ずるあるいは赦すなどとなっているので、破棄されていないのが一般的なのであろうと理解できたりする。やはり、複数の訳を読むとより良く理解できるようである。

 

 

 

 

 

コーランについて(6):第5章・・・食卓

ちょっとアカデミックでない記事が続いたので、少し硬いお話しにして軌道を修正しよう。こんな時にはやはりイスラムに戻ろう。そこで今回はコーラン第5章食卓である。食卓という名前ではあるが、食に関する事項だけが纏められている訳ではない。先ずは冒頭の記述から。岩波文庫・井筒俊彦訳「コーラン」の訳文を利用させて頂く。

これ、汝ら、信仰の物よ、一度取りきめた契約はすべて必ず果たすよう。
家畜の獣類は食べてもよろしい。但しこれから読み上げるものは除く。また聖地巡礼の禁忌状態にあって(メッカ巡礼に赴く信者は一種のタブー状態にある)狩猟をしてならぬことは言うまでもない。アッラーは御心のままに掟を作り給う。(中略)狩猟は、禁忌状態が解けてからにせよ。また、神聖な礼拝堂(メッカのカーバを指す)に行くところを邪魔されたからとて、(禁忌状態があけた後でも)相手憎さのあまり不当な暴力をふるってはならぬ。互いに仲良く助け合って義しいことを行い、信仰を深めて行くようにせよ。互いに助け合って罪を犯したり悪事をはたらいたりしてはならぬ。アッラーを懼れかしこみまつれ。まことにアッラーの罰ひとたび下れば恐ろしい。

汝らが食べてはならぬものは、死骸の肉、血、豚肉、それからアッラーならぬ(邪神)に捧げられたもの、絞殺された動物、打ち殺された動物、墜落死した動物、角で突き殺された動物、また他の猛獣の啖ったものーーー(この種のものでも)汝らが自ら手を下して最後の止めをさしたもの(まだ、生命があるうちに間に合って、自分で正式に殺したもの)はよろしいーーーそれに偶像神石壇で屠られたもの。それからまた賭矢を使って(肉を)分配することも許されぬ(人々が集まってする賭。矢をくじの代わりに使って運をきめ、賭けた駱駝の肉を取る)。これはまことに罪深い行いである。・・・中略・・・

許されている(食物)な何と何かと訊ねてきたら、答えるがよい、「お前たちに許されているのは、全てまともな食物。次に、お前たちアッラーが教え給うた通りに自分で訓練して馴らした動物(犬や鷹などを指す)がお前たちのために捉えて来る獲物は食べてよろしい。必ずアッラーの御名を唱えてから食べるように。アッラーを懼れまつれ。まことにアッラーは勘定がお早くましますぞ」と。今日、まともな食物は全部汝らに許された。また聖典を戴いた人たち(ユダヤ教徒とキリスト教徒)の食物は汝らにも許されており、汝らの食物も彼らに許されておる。

食べていいものダメなものについて述べられている。豚肉を食べてはいけないというのは、ここに述べられているのである。また食べてはいけない食物だけではなく、殺され方にも条件があるのだ。但し、中略した部分の中には、飢饉のときや、他人から無理強いされた場合にはこの限りではないとある。肉の分配方法にも賭けをすることは許されないとあるように、イスラムでは賭け事に当たるものは全てダメなのである。競馬のようなギャンブル、宝くじのようなものもそうである。けれども、国によってはそういう者が認められている国もあるのだろう。

また(嫁取りについても同様で)、回教信者の操正しい女も、汝らが(『コーラン』の啓示を受ける)以前に聖典を戴いた人たち(ユダヤ人とキリスト教徒)の中の操正しい女も(全く同資格で汝らの妻にしてよろしい)。(その場合も)払うべきものは相手に支払うことは勿論、正規の手続きを踏んで結婚すべきであって、放埓な関係を結んだり、情人でもつくるつもりではいけない。とにかく信仰をないがしろにするような人間は、(現世で)何を為ようとその甲斐はなく、あの世でも敗者の数に入るのみ。

イスラム教徒の食物はキリスト教徒もユダヤ教徒も同じように許されており、その逆もまた許されているとのこと。相手にしてみれば、勝手にしろと言いたいかもしれない。さらに、食物について述べた後で嫁取りについても食物と同じように許されるとあるのも少々滑稽ではないか?この章は長くてまだまだ続く。が、今日はここまでにしておこう。

イスラムを知る:4つの法源

イスラム社会はイスラム法によって統治されている。今回はイスラム社会の法の体系について簡単に記してみよう。

イスラム世界で最も重要なのは啓典、つまりコーランであることは誰でも知っているだろう。コーランはイスラム法の体系の中で最も重要な第一の法源である。コーランは神の啓示を集大成したものである。神がムハンマドに与えた啓示が示されている。イスラム社会での決め事は全てコーランに則ればいいわけであるが、必ずしもコーランで全てが解決するわけではない。そこで次に拠り所となるのがスンナである。

スンナとは範例、慣習の意味である。ムハンマドの言葉と行為によって示されたものである。具体的にはそれらを集大成した伝承(ハディース)によって保存されているのである。ムハンマドが生前に示した種々の問題に対する解釈であったり、彼が処理した前例などである。ムハンマドの言行録であるといってもいい。ハディースは日本語にも訳されているので私も読んでみたが、分厚い文庫本6冊にぎっしりと書かれているものである。極端にいうと「ムハンマドが・・・・について尋ねられたときに、ムハンマドはこのように答えたと、誰誰が言った、ということを誰誰の友人の誰誰が誰かに伝えて、それを聞いた誰誰が誰誰に文にして記録していた」とかのようなものもあり、スパッと問題を解決するようなものではない部分が印象的であった。が、様々な面での疑問に対して答えらしきものが示されているのである。これが二つ目の法源である。

3つ目の法源はイジュマーである。これはムハンマドの死後、権威ある法学者による総合意見、個々の学者の研究結果がイスラム社会の中で受け入れられた「神の真意」と見なされて法源となったものである。権威ある法学者による法学的な見解とでもいうべきものだろう。

最後の4つ目の法源はキャースである。「類推」「理性による類推」などと訳されることが多い。コーランとスンナから三段論法的に規定を導きだした結果によるものである。

我々に異教徒にはよくわからない部分が多いが、当事者達にとってはコーランをどう解釈するかは大きな問題である。人の運命をも左右してしまう法の解釈だからである。近代的な現代になっても、イスラム法を維持し続けることは難しいことであると思う。例えばイスラム銀行が利子を取ってはいけないというイスラム法に逆らわずに銀行業務を続けるためには、イスラム法に抵触しない法解釈が通用するような論理が必要である。また時間があれば、イスラム金融などの法解釈にも触れることにしよう。

 

 

 

 

イスラムを知る:イスラムにも数珠があります。

日本人の多くは一応仏教徒という人が多いでしょう。普段の生活が仏教徒として行動していなくとも、葬儀などは仏式で執り行う人が多いと思います。神式やキリスト教、そのほかでもあるのは勿論です。仏教の場合、数珠というものがあります。我が家にもいくつか有りまして、先日の法事の時も使用いたしました。この数珠がイスラムでも使われているということをご存じでしょうか。そうなんです。イスラム教徒も数珠を使っているのです。

私が初めてイランに行ったのが20代でしたが、その時のオフィスにいた50代のアジュダニさんというスタッフがいつも数珠を手にしていたものです。それでイスラムの数珠を知ったのでした。イランではタスビーと呼んでいました。アルファベットでは tasbih ペルシャ語では تسبیح となります。アラビア語ではどうでしょうか。

平凡社の『新イスラム事典』では次のように説明しています。
アラビア語でスブハあるいはタスビーフという。イスラム世界では遅くとも9世紀半ばころまでにインド方面の仏教徒から借用し、一般化したといわれる。礼拝時、ジクルの際、葬儀の際、神を賛美する定句を繰り返し唱えるために用いられる。玉は木材、骨、角、貴石等のいずれかでつくられ、数は100(アッラーフという名とともにその99の美名の合計数)または33が普通で、33または11個目ごとに異形の玉を、結び目にドーム形大玉を配置し、勘定の便に供している。また占いや魔除けにもなり、敬虔な者は平常、手から離すことがない。(堀内勝)
(注)ジクルとはイスラムにおいて,神の名を唱え,思念を神に集中する宗教的行為。

ということで、数珠の本家はやはり仏教ということらしい。でも、仏教の数珠自体が遡れば、諸説あるものの、古代インドのバラモン教で用いられていた道具が元となっているそうです。
99の美名という部分がひかかりますね。実はアッラーというのは神という意味の言葉です。神を表す言葉は99いやそれ以上沢山あるわけです。その気高き神の名を沢山唱えることを意味するわけです。「アッラーよ、わたしはあなたの美しい名前すべてをもってあなたに祈ります」と。

確かに前述のアジュダニさんはいつも数珠を手から離さずにもっていました。イランのことを何も知らない私に非常に親切にしてくれました。敬虔な信者であったのでしょうね。懐かしいです。今回、数珠は私が所有していないので画像はありません。インターネットで「イスラムの数珠」と検索すれば出てくるので、そちらでご覧ください。アマゾンや楽天市場では販売もされているので、画像も豊富に見ることができますよ。