世界中からのアクセスありがとうございます。

このブログを始めて1年少々経過しました。中東の歴史やイスラムのことを記そうと思って始めたものです。最初は中東世界の歴史を古いところから始め、7世紀になるとイスラムが現れたので、イスラムのことも交えながらあれこり綴ってきました。オスマン帝国の時代が終わり、第一次大戦後になると、歴史を一通り終えたという感もあり、このころから内容がばらついてきました。イランのネタが多くなったり、自分の思い出話などがでるようになりました。少々、反省をしながら、最近はまたイスラムに関するネタを続けてみたりもしています。過去の内容とダブることも出て来るかもしれませんが、あれころ思うままに書いていこうと思っています。

中東やイスラムについて関心や興味のある人はそれほど多いとは思いません。むしろ少ない方でしょう。でも、その辺りのことは知ってみるとなかなか面白い地域であり、文化であり、日本との関りも意外と深いものがあります。これからもご愛読よろしくお願いいたします。

今回のタイトルを「世界中からのアクセスありがとうございます」としたのは、決して多くはないアクセス量ではありますが、アクセスしていただいた国が多岐にわたっていることに感謝したいのです。2019年には日本、アメリカ合衆国、フランス、アイルランド、中国、チリ、トルコ、米領サモア、インドネシア、カナダ、欧州連合、オーストラリア、ベトナム、オランダ、シンガポール、大韓民国、ミャンマー、マカオ特別行政区、マレーシア、フィリピン、ハンガリー、スウェーデン、イギリス、インドと日本以外で23カ国からアクセスがありました。欧州連合とは別にフランスやオランダもあるのはどういうことかはわかりませんが、そのように表示されています。そして2020年はまだ2ヵ月少々しか経過していませんが、今年になって新たに増えた国はドイツ、エジプト、香港特別行政区、スペイン、ニュージーランド、フィンランド、台湾、デンマーク、イスラエルの9カ国です。日本人の方なのか、日本語のわかるその国の方なのかは分かりませんが、嬉しいことです。そういうこともあり、外国人のかたのために、ブログの上部に英語に自動翻訳のボタンを付けてみました。いざ試してみると、自動翻訳にうまく訳してもらうには、元の日本語を訳しやすいように書かねばならないということが分かりました。難しいものです。

いまコロナウィルスが拡がっています。そのために南山会(中東・イスラム学習会)の2月、3月の例会は中止にしました。コロナは世界中に広がりつつあります。これ以上広がらずに収束に向かうように祈ってやみません。これからも、よろしくお願いいたします。

革命防衛隊について

今年初めにイランのソレイマニ司令官がアメリカによって殺害されたことで、世界中に緊張感が拡がった。直後にウクライナ機がイランのミサイル攻撃で墜落した事件も起きた。ミサイル攻撃は誤射であったことをイラン政府が認めたことにより、状況はちょっと違った方向に転換していった。イラン国内で政府を批判する動きが現れたのであった。それに対して、トランプが応援姿勢を示したが、イラン政府はソレイマニ殺害直後の米軍基地攻撃以後には攻撃的な態度にはでず、沈静化に努めたようにみえる。今回は、殺害されたソレイマニ司令官が所属したコッズ部隊とは、その上部組織である革命防衛隊を取りあげる。

ご存知のように、イランの現政権は1979年に革命によって成立した政権である。それまではパーラヴィー国王による立憲君主制の国家であった。新政権は「イラン・イスラム共和国」という名の共和国となった。イスラムと銘打っているように、イスラム法のもとで統治される(ベラヤテ・ファギーフ)国家となった。新政権の最高指導者はホメイニであった。上の図は国軍の位置づけを表したのである。国王の下に国軍があり、軍は国王に忠誠を誓っていたわけである。国王が国外に逃れ、革命が成立したあとに軍の幹部は粛清の対象となったが、軍が消滅したわけではない。軍は当然新政権の管理下に置かれた。しかしながら、為政者の心理として軍が謀反を起こすことを考えないわけではない、常に注視するのは自然である。

ホメイニは国軍とは別に「革命防衛隊」という新組織を創設したのであった。簡単な位置づけは、イラン国軍(アーテッシュ)はイランの独立と領土保全に責任をもち、革命防衛隊は革命とその成果を守る責任があるという(つまり、早い話が自分たちのイスラム政権を死守するための軍隊ということだ)。

イラン・イラク戦争(1980年9月~88年8月)は革命防衛隊の重要な任務となり、規模が拡大していった。 1981年5万人、1983年15万人、1985年25万人・・・35万人とも言われた。最近の情報では概ね次のように言われている。

革命防衛隊 国軍
陸軍 100,000 350,000
海軍 5,000 18,000
空軍 20,000 52,000
小計 125,000 420,000

数の上からみると国軍に較べて革命防衛隊は1/3程度でしかない。しかしながら、例えばミサイルのような最先端とはいえずとも、先端の兵器を装備しているのは革命防衛隊である。戦争時に戦える軍隊は革命防衛隊のほうなのである。そして、何よりも大きな特徴は、革命防衛隊には特殊作戦部隊(通称コッズ部隊)と民兵組織であるバスィージ(バシジ)があるということである。

先般、殺害されたソレイマニーはコッズ部隊の司令官であった。コッズ部隊はハメネイ最高指導者に直属する部隊で、革命防衛隊の中で最も精鋭の部隊である。周辺国(レバノンやイラクなど)でも活躍していると見られている。かつての大統領、アハマドネジャドもコッズ部隊に属していた。彼が大統領のときの「イスラエルを地図から抹消する」という発言はコッズ部隊の過激さを表しているといえよう。はっきりとは分からないが15,000人程度のようである。

次いでバスィージは1979年11月に創設された民兵組織であったが、次第に革命防衛隊の補助組織となっていった。バスィージはイラクとの戦争時に地雷原への人海戦術に使われた。バスィージを構成していたのは地方出身で革命に影響を受けた宗教心豊かな少年たちだった。イラク戦争の間に、バスィージの数は300万人超になったとも言われている。反政府運動などのデモが発生したりすることもたまにはある。このようなときに政府が頼りにするのは革命防衛隊であった。また。バスィージはイスラム社会の価値観からはみだすような言動を取り締まった。正規のバスィージは90,000人程度。予備軍が300,000人とも。また有事になると、もっと増やせるという。

次に注目すべきは「革命防衛隊は単なる軍隊ではない」ということである。北朝鮮や中国、パキスタンなどと軍事的な協力関係の下で武器や兵器の軍事産業を手掛けているのである。革命防衛隊の傘下には様々な企業体が置かれている。Khatam al-Anbiaはそのなかでも、もっとも大きな企業体であろう。イラク戦争後の復興のために造られた土木・建設会社である。革命防衛隊はアメリカからはテロ組織と名指しされているが、Khatam al-Anbiaも制裁の対象である。イランの重要な石油産業においても革命防衛隊参加の企業が活躍しているのはいうまでもない。軍産複合体的な発展をしているのが、イラン・イスラム革命防衛隊である。

 

イラン革命から40年

上の画像は2月9日のイランの新聞 (Iran daily)です。1979年2月8日の革命から41年となります。新聞はハメネイ最高指導者が「イランは敵の脅威を終わらせるために、強くならなければならない」と演説したとあります。参考までに英文を紹介すると次の通りです。We must become strong so that there will not be a war, become strong so that the enemy’s threats will end. アメリカと名指しはしていませんが、敵の脅威を終わらせるために強くならなくてはならない。戦争にならないように強くならなければならないということです。先だって、アメリカがコッズ部隊のソレイマニ司令官を殺害した際には、トランプ大統領が、戦争にならないように彼を殺害したと述べていました。お互いに戦争は欲していないというものの、戦争を回避するために何をしてもいいのではなく、話し合いをして平和裏に解決してもらいたいものです。第二次大戦の際の日本への原爆投下についても米国は「戦争を終わらせるためだった」と正当化しようとしたことが思い出されます。そして、今日12日の新聞は次の画像のように全国で記念集会が開かれたことを紹介しています。

イランには昔から沢山の新聞があります。1979年の革命以前に私が見ていたのは保守的な Keyhanというペルシャ語紙とその英文版 Keyhan internationalでした。また英文紙の Tehran Journalも時々読みました。最近ネットから覗くのは、もっぱら上に紹介している Iran daily 紙です。英語だから読みやすいので、日々のできごとを知ることができます。今日はTehran Times も見てみました。こちらの写真は次のものです。国民の団結を叫んで旗を広げている風景のようです。いずれいせよ、日本にいても世界中の新聞が読める時代なのですね。

先月のソレイマニ司令官殺害の直後にウクライナ機がイランのミサイルによって撃墜された事件がありました。これは間違って撃墜してしまったのですが、この時に民衆から反政府的な行動が起きました。「アメリカに死を!」という決まり文句の「アメリカ」の部分を「最高指導者」として叫んでいたと報じられました。沈静化されたようですが、長い間続くアメリカとの関係による経済制裁に苦しむ人々からは、今回の撃墜時間だけでなく、複雑な思いが膨らんでいるようです。

革命から41年となりまして、40歳以下の人々は革命後のイランしか知らない状態になっています。50歳の人でも当時10歳位なら、あまり覚えていないでしょう。先週インスタグラムの友達とライブ電話で話しましたが、お父さんは62歳だと言っていました。革命時は二十歳ぐらいだったのでしょう。この人たちは、今のイランをどのように思っているのか気になるところです。でも、政治的な話は日本のように自由にはできないのが世界の多くのところです。相手に迷惑のかかることの無いように話さないように心がけています。

トランプ大統領がとんでもない「中東和平案」を発表

28日、イスラエルのネタニヤフ首相とトランプ米大統領がホワイトハウスで共同会見し、イスラエルとパレスチナの中東和平案を発表した。両首脳が発表した和平案はと当然のことながら、イスラエル寄りの内容であることは、内容を見るまでもなく想像の付くところである。我が中日新聞が和平案を分かりやすくまとめてくれているので、それを利用して紹介させていただこう。

ポイント 今回の内容 これまでの米政権方針
2国家共存 「現実的な2国家共存案」としてイスラエル占領政策追認 イスラエルと共存可能なパレスチナ独立主権国家の実現
ユダヤ人入植地 既存入植地はイスラエル主権

和平交渉の4年間は新規入植凍結

2001年3月以降の入植地は解体、入植活動は凍結

2000年以降の占領地からイスラエル軍の順次撤退

エルサレムの帰属 エルサレムは不可分のイスラエルの首都

パレスチナ国家の首都は東エルサレム

まずパレスチナ国家を樹立、エルサレム帰属は当事者間で協議
パレスチナ難民(500万人以上)の帰還 イスラエルへの帰還権認めず

帰還の選択肢は ①パレスチナ国家 ②現在の居住国 ③第三国移住

帰還権は認めるが、期間は将来のパレスチナ独立国家へ

要旨は以上の通りである。エルサレムをイスラエルの首都とするなど、これまで国際的に未解決であったものを独断で自由自在にかき回しているとしか言えない。イスラエルの入植地についても国際法違反とされて、撤退すべきものが、合法的なことになるという理不尽そのものである。中日新聞社説は「中東和平に値しない」と一刀両断である。

もしかすると、中東に関心が薄い人々はトランプの発表した案を「和平のためにいいんじゃない?」こ「これをたたき台にして話し合えばいいんじゃない?」とか思うかもしれない。しかし、この内容は、これまでのプロセスを無視した、理不尽な内容であることを理解してもらいたい。そのために中日新聞は上の表に「これまでの米政権方針」を入れているのである。エルサレムに米国大使館を移した件でも、アメリカ議会はずーと以前にそのことを決議していたが、歴代の大統領がそれを実行することに署名してこなかったのである。それは世界一の大国であるアメリカの大統領としての良識であった。

パレスチナのアッバス議長が猛反発したのは当然である。ただ、嘆かわしいのはアラブの一部の国である。イスラエル建国じのあのアラブの憎悪や反感はどこへ行ったのであろうか。すでに親米的なアラブ諸国はイスラエルと対峙しようとする姿勢は失せている。お互いが争わなくなることは良いことではある。しかしながら、筋を通すべきところは、筋を通してもらいたい。

それでは、アメリカ、イスラエルに対立しているイランの反応はどうだろうか。今朝のIran daily紙の一面が冒頭の画像である。記事は以下の通り。

Iranian Foreign Minister Mohammad Javad Zarif has lashed out at the US’s so-called peace plan for the Israeli-Palestinian conflict, saying the initiative is a “nightmare” both for the region and the world.
Zarif said in a tweet on Tuesday that the US President Donald Trump’s “so-called ‘Vision for Peace’ is simply the dream project of a bankruptcy-ridden real estate developer.”

The Iranian foreign minister added that the plan was a “nightmare for the region and the world and, hopefully, a wake-up call for all the Muslims who have been barking up the wrong tree”, Presstv Reported.

イランのモハマド・ジャバド・ザリフ外相は、イスラエルとパレスチナの紛争に対する米国のいわゆる平和計画を非難し、イニシアチブは地域と世界の両方にとって「悪夢」であると述べた。
ザリフは火曜日のツイートで、米国大統領ドナルド・トランプの「いわゆる「平和のためのビジョン」は、単に破産した不動産開発者の夢のプロジェクトである」と述べた。

イランの外務大臣は、この計画は「地域と世界にとって悪夢であり、できれば間違った木を植えているすべてのイスラム教徒の目覚めの呼びかけ」であると付け加えた。(自動翻訳)

キーワード:中東和平、トランプ大統領、ネタニヤフ首相、エルサレム、イスラエル、パレスチナ、

沖縄でイラン映画の上映(2月8日)

今朝、イランの新聞 Iran daily on lineを見ていたら、イラン映画を沖縄でやるという記事がありました。
Okinawa to screen Iranian film ‘Douch’ with Japanese dub
Iranian feature, ‘Douch,’ directed by Amir-Mashhadi Abbas, will go on the silver screen at a special program for children on Okinawa Island in Japan on February 8. そして、その76分の映画のストーリーは10歳の少年が古い自転車を買い替えるためにお金を求めるために、文字の読み書きを教えるコンテストにでるような話だそうな。the 76-minute film narrates the story of a 10-year-old boy, Gholamreza, who is looking for money to replace his old bicycle. During his pursuit, he comes upon a contest that promises enough money for a new bicycle if he can manage to teach an illiterate person in the village how to read and write. Gholamreza decides to take part in the contest, and his pupil is a grouchy 90-year-old woman with really poor eyesight and hearing, who does not want to learn anything. 彼の生徒になったのは視力も聴力も衰え、学ぶ意欲もない90歳のお婆さん。という面白そうな話だ。

The film had previously taken part in the 59th Zlin International Festival for Children and Youth in the Czech Republic and the 10th DYTIATKO International Children’s Media Festival in Ukraine. この映画はウクライナとチェコの映画祭にも参加したとのことだ。

沖縄で上映されるというので、ネットを調べたら出てきました。沖縄までは行けないが、興味ある人はどうぞ行ってみてきてください。

イラン映画は結構評判がいいことをご存知でしょうか。日本でも有名なのはアッバス・キアロスタミ監督でしょうね。『友だちのうちはどこ?』『オリーブの林をぬけて』『桜桃の味』『風が吹くまま』などが有名です。マジッド・マジディ監督の『運動靴と赤い金魚』『少女の髪どめ』なども日本で上映されました。アスガー・ファルハディ監督の『別離』も見ました。特に恋愛ものや体制批判的なものはあまりおおっぴらには表現できない環境の中で、以下に表現するかというのが見どころのようだとか。ウイキペディアで「イランの映画」のページを見ると日本で上映された映画が沢山あることを知ります。気が付くと見るようにしていますが、気が付かないことの方が多く残念です。

キーワード:イラン映画、アバッス・キアロスタミ、マジッド・マジディ、『友だちのうちはどこ?』、『オリーブの林をぬけて』、『桜桃の味』、、『風が吹くまま』、『運動靴と赤い金魚』、『少女の髪どめ』、アスガー・ファルハディ監督、『別離』

イラン革命防衛隊司令官ソレイマニ殺害される。

もう世界中でトップニュースになりましたが、イラン革命防衛隊の司令官がイラクで米軍によって殺害された。トランプ大統領が殺害計画を承認し、命令したとのことで、アメリカ本国の政治機構の内部でも驚いている人々も多いようだ。

これは「ちょっとまずいよな」という感想です。先般、米人が殺害されたことがあり、それに対する米国の姿勢が国内のタカ派から弱腰だと批判されていたり、様々な背景があるわけだが、それはそれとして、もっと適切な方策があったはずである。

殺害の理由を「ソレイマニが新たな米側への攻撃を計画していたため」としているが、そういう理由なら説得力はない。戦争になるまえに殺害したのだという。日本に原子爆弾を落としたのも、戦争を終わらせるために決定したという理屈に通じるものがある。これまでにも、フセイン大統領政権を崩壊させた時にも、結局は見つからなかった大量破壊兵器を持っていることが理由であった。結局はでっちあげであった。

問題はこれからどうなるかだ。イランが報復すると言っている以上、何かするであろう。周辺国のヒズボラを初めとしたシーア派組織も行動を起こすだろう。それに対してトランプは「そうなれば52カ所を攻撃する」と言い、その52というのは、かつてのイランのアメリカ大使館人質事件の人質の数であるそうだ。どういう発想の展開なのだろうか笑ってしまいそうだ。

イランが何処かを攻撃する。おそらくイラン周辺の米軍基地や米関連施設、親米国家の施設あたりであろう。そうなると米軍もまた報復するであろう。でも両者はある程度自制をしながら展開させることを余儀なくさせられる。両者とも大戦争を望んでいるわけではない。私が一番心配なのは、このドサクサに乗じてイスラエルが攻撃されたり、逆にイスラエルがイランを攻撃することである。そういうことにならないように祈る。アメリカはイスラエルを監視下に置いておかなけらばならないだろう。

中東に سلام 平和がくるのはいつのことになるのやら?

キーワード:イラン、アメリカ、革命防衛隊、ソレイマニ、ソレイマニ殺害、イスラエル、

ゴーンさん日本から逃亡する!

新年おめでとうございます。年末の31日にはゴーンさんが日本から逃亡するというビッグニュースが入ってきましたね。レバノンに入国したようなので、レバノンの新聞を見てみました。大きく扱われていました。内容はともかく、ゴーンさんの名前のスペルはどう書かれているかご存知でしょうか(新聞のタイトルの文字をご覧ください)。Ghosnです。日本ではなぜかゴーンなんですが、世界ではGhosnなんです。彼はレバノンで生まれ育ったのでしたでしょうか?だから本名というか元来の名前はアラブなんですね。Ghosnはアラビア語では غصن このように書きます。意味は「(木の)枝」です。私個人的にはニッサン再建に多大な貢献をした彼に対するニッサンのやり方は疑問に思っています。また、本人が無罪を主張したい案件でありながら、一年経っても裁判の開始にならない日本の裁判制度にも疑問を抱いています。それはともかくとして、今年は良い年でありますように。

キーワード:غصن 、Ghosn, ゴーン、ニッサン、レバノン、

イランのロウハニ大統領訪日・安倍総理と会談

今回はロウハニ大統領来日に関する中日新聞のマンガと記事を紹介します。そのあとにイランの新聞もプラスしました。

アメリカとイランの間で板ばさみになった日本政府は自衛隊の派遣を「調査活動」としてペルシャ湾内には入らずに、有志連合とは別に湾外で「調査活動」という苦肉の策で対応する。このような名目が通用するのであれば、「調査活動」と名付ければどこにでも行けることになってしまう。

一方、12月21日のイランの新聞「Iran Daily」はロウハニ大統領の訪日、安倍総理との会談を以下のように報じた。

Rouhani in Tokyo urges Japan to help rein in US 東京でロウハニ大統領は日本にアメリカの手綱を握るように促す

President Hassan Rouhani on Friday called on Japan to help confront the United States’ bid to wreck the multinational deal on Iran’s nuclear program, as he met Japanese Prime Minister Abe Shinzo in Tokyo.

“I hope Japan and other countries will make efforts to help keep the nuclear agreement in place,” said Rouhani, who became the first Iranian head of state to visit Japan for two decades.

The Iranian president inspected a guard of honor along with Abe at the latter’s central Tokyo office before summit talks.

He slammed the “irrational” withdrawal of the United States from the 2015 nuclear deal.

“The nuclear agreement, needless to say, is a very important agreement for Iran. That is all the more reason for me to criticize strongly the United States’ unilateral and irrational departure,” Rouhani said through a translator.

“The withdrawal was a blow to peace and security, and in fact did not benefit either the United States or any of the other parties to the deal,” the Iranian president said. “The withdrawal proved that sanctions have no destiny except a lose-lose situation for all.”

Known formally as the Joint Comprehensive Plan of Action (JCPOA), the nuclear deal was agreed between Britain, China, France, Russia, and the United States, plus Germany.

The JCPOA has been at risk of falling apart since US President Donald Trump unilaterally withdrew from it in May last year and reimposed economic sanctions.

Twelve months from the US pullout, Iran began reducing its commitments to the deal, in an effort to win concessions from those still party to the accord.

Its latest step back came last month, when engineers began feeding uranium hexafluoride gas into mothballed enrichment centrifuges at the underground Fordo plant south of Tehran.

Rouhani branded US sanctions as “economic terrorism” and “countries fight terrorism must counter this act by the US”.

The European parties to the deal have been pushing for talks between Iran and the US to salvage the nuclear deal.

Rouhani said Iran “has done and will do its utmost to reserve the JCPOA” and in return expects other parties live up to their commitments.

He also said Iran was ready for talks and welcomes any effort to maintain the deal as well as global peace and stability.

“Naturally, we do not refrain from any negotiation or agreement in the context of our interests,” he said.

 

 

キーワード:イラン大統領、ロウハニ大統領

 

シバの女王のイエメンとは

先月、サウジアラビアの石油基地が何者かにドローンによって攻撃された事件が起きた。サウジと米国はイランの仕業であると主張し、その後イギリスやフランスもイランによる犯行であると断定した。一方でイエメンのアンサール・アッラーは事件後に犯行声明を発してもいるのである。アラブの春が吹き荒れた約10年前の時にチュニジア、リビア、エジプトなどの独裁政権が次々と崩壊し、シリアやイエメンにも波及したのであるが、シリアはご存知の通りアサド政権が依然として存在している。イエメンの場合,反政府運動では何とか持ち堪えたのであったが、その後にサレハ大統領が退陣したのであった。その後も内政は安定せず、現在もそうである。そこにサウジの介入などがあり、今回のサウジの石油基地攻撃に繋がっている。今回はこのイエメンという国について整理してみる。

上の図は左が草思社発行『地図で読む世界情勢』から、右はウィキペディアから拝借したものである。現在のイエメン共和国は通称北イエメンと南イエメンが1990年に統合されて成立した国である。

北の正式名はイエメン・アラブ共和国(1967年にイギリスから独立した国)
南の正式名はイエメン人民民主共和国(1967年から1990年に存在)
南イエメンはイエメン社会党の一党独裁体制によるアラブ世界初の社会主義国で、中東やインド洋におけるソビエト連邦の足場だったが、冷戦終結で経済的に行き詰まり、1990年5月22日に北イエメンと統合して現在のイエメン共和国となった。1994年に南イエメンの再分離独立を求めるイエメン内戦が起きたが鎮圧された。

自由国民社発行の『国際情勢ベイシックシリーズ・中東』57頁のイスラムの諸派の図(上)によるとシーア派の中にザイド派というのがある。ザイド派のイマームが897年にイエメンを拠点としたことに始まり、その子孫のラシード家からでたイマームがこの地域を統治してきた。一応、オスマン帝国領ではあったが、トルコから遠く離れていたので、自治が与えられている状態であった。
19世紀、スエズ運河の建設が始まると、イギリスはマンデブ海峡の安全確保のために、港町アデンを占領、さらに南イエメンを保護領化した。北イエメンはオスマン領として残り、ここにイエメンの南北分断の歴史が始まった。1839年であった。

北イエメン 南イエメン
191810月30日、当時のイマーム(アル・ムワッタキル・ヤヒヤ・ムハンマド・ハミードゥッディーン)がオスマン帝国からの独立を宣してイエメン・ムタワッキリ王国(北イエメン)を成立させた。 南イエメン民族解放戦線が反英独立闘争を指揮。

その結果「イエメン人民民主共和国」を建国し、独立(1967年)。マルクス・レーニン主義に基づく社会主義国家を掲げた。

1958年、エジプトのナセルが汎アラブ主義を掲げてアラブ連合共和国を結成。北イエメンも参加。南から英を追い出そうとする。  
1961年、シリアの独立によりアラブ連合共和国が崩壊したため連合から脱退。  
1962年、エジプトの支援を受けた一派がクーデターを起こして王制打破。イエメン・アラブ共和国が成立。  
国王と王政の支持者たちはサウジに亡命。新エジプト派が握る実権を取り戻すべく戦いを始める。 1986年、実権争いから内戦状態に陥り、一万人の餓死者と6万人の亡命者をだす。財政が破綻。
1970年、第三次中東戦争が勃発し、エジプトはイエメンのことに手が回らないために、イエメンから手を引いた。  
1990年、南北イエメン統合。

北の方が人口、経済共に大きい。財政破綻したのは南である。そもそもの本家は北であるため、北が南を併合する形で統合がなされた。その後も、北の政治主導に反発する南の分離独立を唱えたりする者も・・・・

このようにイエメンという国は南北分断の時代を経て統一されたのである。しかしながら統一後も北が主導権をもつ体制に不満を抱く南の人々がおり、統一後も安定した国家運営にはならなかった。そしてアラブの春の運動が中東全域に広がったとき、イエメンではサーリフによる長期独裁政権が続いていた。結果的に新大統領としてハーディ大統領の政権が生まれたのであったが、サーリフ元大統領の勢力が温存されており、アンサール・アッラーが結びついてハーディー政権を脅かした。サーリフ元大統領は2017年末に殺害されているが、イエメンではアンサール・アッラーと政府が戦っている状態である。

アンサール・アッラーは通称フーシー派と呼ばれており、アンサール・アッラーとは神の支援者というような意味である。シーア派ザイド派であるという。そういう観点からシーア派であるイランとの関係が取りざたされることになる。実際にイランとの関係があるのかもしれない。イランは今ドローン技術での先進国でもある。サウジの石油基地攻撃がイランでなくてフーシー派の仕業であったとしたときにイランの関与があったかもしれない。しかしながら、私が強調したいのは、イランが関与する理由がシーア派同士であるという短絡的な理由付けは間違っているということである。ザイド派はシーア派から分離していった派である。イランの12イマーム派とは後継者問題で分かれていき、シーア派同士と言っても考え方は異なっている。

一方、サウジアラビアとイエメンの関係はどうであろうか。私たちが子供の頃のアラビア半島の地図はイエメンとサウジの国境は定まっていなかった。サウジとしては紅海からインド洋にでる出口にあるイエメンを自分の影響下に置きたいというのは当然の理屈であろう。ペルシア湾側の出口ホルムズ海峡をイランに、紅海側をイエメンに抑えられることはサウジの安全保障面にとっては喜ばしいことではない。サウジがイエメンにサウジ寄りの政権を置くことが重要となる。サウジとイランの派遣争いである。ただそれをイランがシーア派同士なのでイエメンに関与するというのは正しくない。

タイトルに「シバの女王」を入れていたことを忘れていた。シバの女王がその昔、莫大な財宝をもってソロモン王に会いに行った有名な話がある。その女王はイエメン辺りにいた女王だったという伝説があるのである。つまりイエメンはその昔、非常に豊かな地域であったということである。シバの女王が持参した財宝とはおそらく乳香などであったのであろう。イエメンでは今でも近くの島で乳香が採れるという。またモカコーヒーという品種のモカはイエメンで採れたコーヒーであった。えっ、コーヒーの栽培ができるの?という疑問は愚問である。イエメンには標高の高いところもあり、樹々もある。その昔、世界で最初に造られたダムがイエメンである。マーリブダムといって、灌漑に使われたそうである。イエメンの豊かさをもって、この周辺は「幸福のアラビア」と呼ばれたそうである。うろ覚えに昔聞いた話を綴ったので若干の間違いがあるかもしれません。その場合はお許し下さい。

キーワード:イエメン、北イエメン、南イエメン、シーア派、ザイド派、12イマーム派、アラブの春、イラン、サウジアラビア、シバの女王、モカコーヒー、マーリブダム、幸福のアラビア、ソロモン王

 

レバノンの英字新聞が一面を黒塗りで発行!

中日新聞が報じていましたが、レバノンの英字新聞「Daily Star」が8日発行の第一面を黒塗りで発行した。「黒塗り」という見出しで私は即「外国でも、日本の情報公開の際に、まずいことには黒塗りをするという卑劣な手段があるんだ」と思ったのですが、これは違いました。講義の意味だったのです。記事によると「宗派対立で停滞する政治や、財政危機などに警鐘を鳴らす狙いであったということです。画像のように、一面は国名だけ。他の面も、例えば「25%の失業率」「一千億ドルに迫る公的債務」「150万人以上の難民」「道端にあふれるごみ」などの見出しだけであったという。編集者は政治家だけではなく、国民にショックを与える必要を感じたそうである。

昨年五月に総選挙が行われたあとも、今年一月になってやっとのことで挙国一致内閣が発足したというものの、6月末には国務相の側近二人が銃撃で死亡するなど不安定な状況が続いている。新聞は宗教対立が背景にあるとしているが、レバノンの場合は宗教対立だけではなく、ヒズボラの存在やシリアとの関係などの政治的な諸問題もあって複雑な問題を抱えている国である。私が子供のころのベイルートは中東のパリなどと呼ばれたハイカラな都市であった。