東京五輪閉幕:中東諸国のメダル数

2021年8月8日、TOKYO2020・東京五輪が閉幕しました。コロナ禍の下で開催賛否両論の中での開催でした。野球では台湾が参加を見合わせました。個人ではコロナ陽性のために出場できなかったアスリートもいれば、自ら参加を辞退したアスリートもいました。開催の裏には様々な背景があるわけですが、ともかく終了しました。そこで、このサイトでは中東諸国のメダル数をチェックしました。今朝のメディアから作成してみました。金メダルの数を優先して順位づけしています。まずは1位から10位までをあげて、その下に中東諸国を並べています。結局、メダルを大量に獲得しているのは先進国です。ここに挙げた中東諸国9か国のメダル数は38個です。アメリカは1国で中東全体の3倍ほどの獲得です。1位から6位、それに10位のイタリアが中東全体より多く獲得しており、7から9位のオランダ、フランス、ドイツは中東合計数とほぼ同じ数でした。

順位
1位 米国 39 41 33 113
2位 中国 38 32 18 88
3位 日本 27 14 17 58
4位 英国 22 21 22 65
5位 ROC 20 28 23 71
6位 豪州 17 7 22 46
7位 オランダ 10 12 14 36
8位 フランス 10 12 11 33
9位 ドイツ 10 11 16 37
10位 イタリア 10 10 20 40
27位 イラン 3 2 2 7
35位 トルコ 2 2 9 13
39位 イスラエル 2 0 2 4
41位 カタール 2 0 1 3
54位 エジプト 1 1 4 6
74位 ヨルダン 0 1 1 2
77位 バーレーン 0 1 0 1
77位 サウジアラビア 0 1 0 1
86位 シリア 0 0 1 1

長年の努力が実を結び、快挙を成し遂げたアスリートもいれば、そうでなかった者もいます。色々なドラマがありました。今回は10代の若い人たちが大活躍でした。本来のオリンピック精神からかけ離れてしまった今のオリンピックを私は否定的に見ていますが、そこに参加するアスリートたちの活躍には応援をし、感動もしました。でも、最終的にオリンピックから見えてきたことの一つは国別メダル数の偏りです。それは世界の格差でしかありません。

コーランについて(10):第104章・・・中傷者

最近のネット社会では誹謗中傷が酷い状態であるらしい。まもなく閉会となる東京オリンピックに出場したアスリートたちに対するものも非常に多いようである。コーランを見ると第104章に「中傷者」という章があるので、それを見ることにしよう。

ええ呪われよ、よるとさわると他人の陰口
宝を山と貯めこんで、暇さえあれば銭勘定

これだけあればもう不老不死と思ってか。
いやいや、つぶし釜(なんでも粉々につぶしてしまうもの。地獄を指す)に叩き込まれる身のさだめ。
が、さて、つぶし釜とはそもなんぞやとなんで知る。
ぼうぼうと焚きつけられた神の火で、
忽ち心(投げこまれる罪人の心臓)を舐めつくし、
頭の上から蓋をして、
蜿々長蛇の柱とはなる(はてしなく続く柱の列のように火焔が燃え立つのである)。

後半は少し分かりにくいかもしれないが、要は人を中傷するような輩は地獄に落ちるんだということ。金をため込んで銭勘定ばかりするような輩は、貯め込んだ財産が不老不死を与えてくれると思っているのかもしれないが、そんな輩も地獄へ落ちるということだ。そして、地獄というのは、前回にも出て来たが、劫火の責めを受ける処である。最後の審判で地獄行となった者は火で焼かれるが、彼らは既に死を経験しており、地下のあの世から、喇叭の音によって復活した者どもである。一度死んでいるので、再び死ぬことはない者どもである。つまり、酷い劫火に焼かれても、死ぬことはなく、永遠に火の攻めを受けるのである。もう殺してくれと泣き叫んでも、死なずに、一生苦しみ続けるのである。一生というのは可笑しいな!

とにかく、イスラムの地獄での苦しみはコーランのあちこちで述べられている。その部分だけを抜き書きして整理するだけで学位論文が書けるかもしれない。世界中の人々が、他人を誹謗中傷したりすると地獄に落ちることを心に留めておいてもらいたいものである。

コーランについて(9):第99章・・・地震

コーランの章は全部で114章である。そして、その順番は長い章が前にあり、短い章が後ろにあるそうだ。だから、最後の方の章は非常に短い記述となっている。短いと我々にとっても読みやすいし、分かりやすい気がする。そこで今回紹介するのは第99章の「地震」である。全8節の構成である。この程度なら全文を紹介できる。いつものように井筒俊彦訳である。

① 大地がぐらぐら大揺れに揺れ、
② 大地がその荷を全部吐き出し(地下の死者が一人のこらず発き出される)。
③ 「やれ、どうしたことか」と人が言う、
④ その日こそ、(大地)が一部始終を語り出でよう(天地終末の意味を大地が語るであろう)、
⑤ 神様のお告げそのままに。
⑥ その日こそ、人間は続々と群れなして現われ(地中から復活して出て来る)、己が所業(現世で自分がどんなことをしていたか)を目のあたり見せられる。
⑦ ただ一粒の重みでも善をした者はそれを見る(それを見る、とは自分のしたその善事を改めて見せられ、それに応じた褒美を戴くこと)。
⑧ ただ一粒の重みでも悪をした者はそれを見る。

この章は最後の審判のことを述べているのである。つまり、最後の審判の時に大地がぐらぐら揺れる地震が起きて、大地から死者が復活して、最後の審判を受けるのだぞということだ。
最後の審判では生前に善をなしたものは褒美を受けて、楽園に行けるのであるが、悪をなしたものには地獄に落とされる罰が下るということである。その罰についてはコーランの色々な章で陳べられている。過酷な火攻めに苦し悶える地獄で永遠に住むために蘇るのである。

復活から最後の審判に至る筋道は「第39章群れなす人々」の中で次のように述べられている。
嚠喨と喇叭が鳴り渡れば(復活の瞬間の描写)、天にあるものも地にあるものも、愕然として気を失う。アッラーの特別の思召しによる者以外は誰も彼も。次いでもう一度吹き鳴らされると、みな起き上がってあたりを見廻す。
大地は主の御光に皎々と照り輝き、帳簿(一切の人間の運命を記入した天の帳簿)が持ち出され、すべての預言者、あらゆる証人が入場して来て、公正な裁きが始まる。誰も不当な扱いを受けることはない。誰もが自分のしただけの報いをきちんと頂戴する。誰が何をして来たか。(アッラー)が一番よく御存知。

ここまで具体的に述べられていると、映像が浮かぶ感じである。この喇叭をふくのは天使の一人イスラーフィールである。復活した人間は生前の所業が記録された帳簿と証人によって裁かれる。誰も言い逃れはできない。それゆえ、生前の行為は重要になるわけである。

オリンピック開催中:バレーボール「イラン―日本」戦

東京オリンピックが始まって、既に1/2程が経過しました。日本は柔道での結果が素晴らしく、金メダルが続出して勢いがつきました。卓球混合ダブルスの金メダルでも日本中が盛り上がりましたね。一方で、コロナ禍の下で「それどころではない!」という医療従事者や感染した人々も沢山いるのが現状です。7月末から東京の感染者が3千人超が続いています。4千人超の日もありました。私自身はコロナに関係なくオリンピック反対なので、一部の競技を静かにテレビ観戦しています。
そんな中、8月1日の男子バレーボールの予選を見ました。日本ーイランの試合でした。どちらもこの試合に勝てば決勝リーグに進出できるということで熱戦が繰り広げられました。このブログは中東寄りのサイトですので、どちらも応援しました。テレビに映るイランの選手の映像を写してインスタグラムにアップしました。ここにも紹介しましょう。

インスタグラムではイランの人々から「いいね」を頂きました。この時点では1-1という状態でした。その後1-2とイランがリードし、そのあと日本が踏ん張って2-2となりました。最終5セットに突入し、そこでも接戦の結果、日本が勝ったのでした。イランチームはアジアで一番強いチームだそうでしたが、開催国の利もあったのでしょうか。決勝リーグでの日本の勝利は厳しいのでしょうが、頑張ってほしいものです。

書籍紹介:Cambridge History of Iran

このブログが「イスラム・中東世界への招待」と題しているように、私は高校生時代から中東地域に興味・関心を抱いていた。きっかけは世界史で習った世界の四大文明のうちメソポタミア文明とエジプト文明の二つが中東地域にあったこと。そしてアケメネス朝ペルシャの都・ペルセポリスの写真が世界史の教科書の冒頭に載っていたことなどだった。また、日本には石油がないので海外から輸入しなければならない。中東にはその石油が豊富にあるのだった。日本は中東の国々と良好な関係を保っていく必要があると思っていた。当時はイスラムがどうのこうのという雑音は殆どなかったように思う。それだけまだ外国との関係が一般市民の間では薄かったと思う。

前置きが長くなったが今日の本題は書籍紹介である。冒頭にその本の画像をアップした。これでは厚さが分からないから次の画像をアップした。
かなり分厚い本である。8冊である。1巻から順に紹介すると:
1. The Land of Iran
2. The Median and Achaemenian Periods
3-1. The Seleu
cid, Parthian and Sasanian Periods
3-2. The Seleucid, Parthian and Sasanian Periods
4. From The Arab Invasion to the Seljuqs
5. The Seljuq and Mongol Periods
6. The Timurid and Safavid Periods
7. From Nadir Shah to the Islamic Republic である。日本語にすると:
1.イランの国土
2.メディア王国とアケメネス朝期
3.セレウコス朝、パルティア、ササン朝時代であるが、この3巻は2冊である。
4.アラブの侵入からセルジューク朝時代
5.セルジュ―ク朝からモンゴル襲来の時代
6.ティムールの時代からサファヴィー朝の時代
7.ナーデル・シャーの時代からイスラム共和国の時代  である。

普通イランの歴史というとアケメネス朝からのものが多いが、ここではその前身のメディア時代から詳述されている。アケメネス朝を創設したキュロス大王の前の時代はメディアがペルシャを支配していたのである。
イランというとペルシャである。ペルシャ帝国というと先ずアケメネス朝、そして我々日本に馴染みの深いササン朝であり、イランの歴史の中でもっとも繁栄したサファヴィー朝を想うのであるが、それ以外に数多くの王朝が歴史をつないだわけである。言い換えれば侵略されたわけである。

7世紀にアラビア半島でイスラムが生まれ、それが周辺世界へと拡大していった。ササン朝ペルシャはイスラムによって崩壊し、ペルシャはイスラム化していった。されど、イスラム化された社会の中で、ササン朝の文明までを築いてきたペルシャ人たちはイスラムの支配下の中でもその存在価値を発揮して生き残ってきた。アラブの侵略だけでなく、モンゴルの襲来によっても大々的な破壊が行われた。四方を海に囲まれた日本の歴史とは異なる血生臭い歴史である。老後のためにゆっくり読もうと思って買いそろえていた全8巻である。そろそろ読み始めることにしよう。

この歴史書はアマゾンで買うことができる。一冊3万円程する非常に高価なものである。私が買ったのはずっと前のことだからそれほどはしなかったが決して安いものではなかった。ボケ防止のためにも、宝の持ち腐れにならないように活用することにしよう。

コーランについて(8):第5章・・・食卓③

Pixabayからの画像

7月も月末になり猛暑が続いています。オリンピックが始まって連日日本のメダルが増えているのは明るいニュースです。この明るいニュースがコロナを吹っ飛ばしてくれることを期待したのですが、そうはいかないようですね。昨日27日の感染者が急増しました。東京は2800人ほど、そのほか埼玉や大阪も増えました。一昨日は青森で震度4,今朝は東北地方に台風8号が上陸と色々なことが起きている日本列島です。

こんな時には神に祈り、救いを求めたい気がしないわけではありません。それはそれとして、私は静かに過ごすことにしています。さて、前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。前回、前々回は「第5章食卓」でした。この2回で終わりにしようと思ったのですが、この章には食べ物以外のことも沢山述べられていましたね。でも、タイトルが食卓となっている理由を最後に紹介しておきたいと思います。

112節:さて、その弟子たちが言うことには、「マルヤムの子イーサー様、貴方の主は私たちに天から食卓を下すことがおできになるでしょうか」と。彼は「アッラーを懼れまつれ、もし、お前たち本当の信者であるならば」と答える。
113節:彼らが言うに、「私たち実際に(そういう有難い食卓から)食べて見たら、気持ちもすっかり落ちついて、貴方の仰しゃったことが本当だったということもわかって、立派な証人になることができようと思いまして」と。

人々の「神は我らに食を恵み与えてくれるのでしょうか」という問いに、イーサーは「お前たちが本当の信者なら、神は与えてくれよう」と答えたわけですね。それに対して人々は「実際に与えて見てくれたら、それが本当だという証人になりまっせ!」というやり取りの部分があるわけです。この部分から「食卓」という章の名前になったということです。イーサーとはイエスキリストのこと、マリヤムは聖母マリアであることはお分かりですね。イエスもイスラムでは預言者の一人なのです。

コーランについて(7):第5章・・・食卓②

第5章:食卓の章の続きです。
食卓という章の名前ですが、色々なことが書かれています。次のように礼拝の時の所作についてもここで述べられています。

これ汝ら、信徒の者、礼拝のために立ち上がる場合は、まず顔を洗い、次に両手を肘まで洗え。それから頭を擦り、両足の踝のところまで擦れ(これは斎めの象徴的動作で心身の清浄を来す)。
けがれの状態にあるときは、それを特に浄めなくてはならぬ。だが、病気の時、または旅路にある時、あるいはまた汝らのうち誰でも隠れ場(便所のこと)から出て来たとか妻に触れて来たとかした場合、もし水が見つからなかったら、きれいな砂を取って、それで顔と手を擦ればよろしい。アッラーは汝らをことさらいじめようとし給うわけではない。ただ汝らを浄め、そして汝らに充分の恵みを授けて、なろうことなら汝らが(神に)感謝の気持ちを抱くようにしてやりたいと思っておられるだけのこと。

礼拝の作法はイスラム関連本を見ると図で示されていることが多い。日本の神社でのお参りの作法は、「二礼二拍手一礼」
1.一度姿勢を正し、深いお辞儀を2回行う
2.胸の高さで、右手を少し引いて(ずらして)手を合わせる。 肩幅程度に両手を開き、2回打つ
3.手をきちんと合わせ、心を込めて祈る
4.深いお辞儀をする
などと説明書きがあるが、イスラムに比べると全然簡単である。
ただ、イスラムで感心するのは、できないときの対応を示していることである。前回の食物の取り方の場合も、どうしてもできない場合は許されるとあった。ここでも身を浄める水がなければ砂で擦ればいいのだと示している。他の場合でも断食ができなかった場合の穴埋めの方法なども事細かく示されている。次はユダヤ教徒やキリスト教徒に関する部分を取り上げよう。

かつてアッラーはイスラエルの子らと契約を結ばれたことがある。その時我ら(ここで人称が急にかわる。アッラーの自称)彼らの間から十二人の首長(十二支族の首長)を興し、アッラーが仰せられるには、「わしは汝らとともにあるぞよ。汝らもし礼拝を怠らず、定めの喜捨をこころよく出し、わしの遣わす使徒たちを信じてこれを助け、アッラーに立派な貸しつけをする(善行をすること。善行はアッラーに対する一種の貸しである)ならば、わしの方でも必ず汝らの悪行を赦し、必ず潺々と河川流れる楽園に入れてつかわそうぞ。だが、万一汝らのうち誰か、これほどまでにして戴いておきながらなお信仰にそむくなら、まことにそれこそ正しい道から遠く迷うというもの。
さればこそ彼らが契約に違反した時、我らはこれに呪詛をあびせ、その心を頑なにした。それで彼らは(聖典)の言葉を曲げて解釈し(ユダヤ人は聖書の文句を自分に都合がいいような意味に曲解しているという)たりしているうちに、ついには教えて戴いたものの一部をすっかり忘れてしまった。お前(ムハンマド)にしても、今後いつまでも彼らの裏切りに遭うことであろう。勿論ごく少数の例外はあるが。だが、赦してやれ、勘弁しておいてやれ。よいことをすれば必ずアッラーに愛していただけよう。

前回述べたように、ここに紹介している日本語訳は岩波文庫の井筒俊彦氏による訳文である。日本語訳で出版されているものも複数あり、それぞれが立派なものである。またネット上でも日本語訳を見ることができる。「イスラムのホームページ」http://islamjp.com/ と題するサイトでは上の部分を以下のように訳している。

5-12.アッラーは、以前にイスラエルの子孫と約束を結ばれ、われはかれらの中から12人の首長を立てた。そしてアッラーは仰せられた。「本当にわれはあなたがたと一緒にいるのである。もしあなたがたが礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなし、われの使徒たちを信じて援助し、アッラーによい貸付をするならば、われは、必ずあなたがたの凡ての罪業を消滅し、川が下を流れる楽園にきっと入らせよう。今後あなたがたの中、これ(約束)を信じない者は、正しい道から迷い去る。
5-13.しかしかれらはこの約束を破ったので、われは見限って、かれらの心を頑なにした。かれらは(啓典の中の)字句の位置を変え、与えられた訓戒の一部分を忘れてしまった。それでかれらの中の少数の者以外は、いつも契約を破棄し、裏切りに出るであろう。だがかれらを許して見逃しなさい。」本当にアッラーは善い行いをする者を御好みになられる。

こうして並べて比べてみると、後者の方が頭にスーと入ってくるように思う。口語調のせいであろうか。そうなるとついでに作品社発行・中田孝監修の『日亜対訳クルアーン』の訳も気になってくる。以下に紹介しておこう。

アッラーはかつてイスラーイールの子孫からの確約を取り給い、われらは彼らのうちから十二人の首長(*語源的には広大さや傑出を意味する語で、保証人、信頼ある長、責任ある庇護者等の意味があるといわれる)を遣わした。そしてアッラーは仰せられた。「まこといわれはおまえたちと共にある。もしも、おまえたちが礼拝を遵守し浄財を払い、わが使徒たちを信じて彼らに助力し、アッラーに良い債券を貸付たならば、われはおまえたちからおまえたちの悪事を帳消しにし、おまえたちを下に河川が流れる楽園に必ずや入れよう。そしておまえたちのうち、その後に信仰を拒んだものは中庸の道から迷ったのである。」
だが、彼らの確約の破棄ゆえにわれらは彼らを呪い、彼らの心を頑なにした。彼らは言葉をその場所から捻じ曲げ、彼らに訓戒されたものの一部を忘れた(*「律法の書」を改竄し、その一部を破棄し、あるいは解釈を捻じ曲げた)。それでおまえは彼らのうちわずかな者を除き、彼らの裏切り(*あるいは「彼らのなかの裏切り者たち)を目にし続けるのである。それゆえ彼らを免じ、見逃せ(*これは9章29節、あるいは8章58節によって破棄された。破棄されなかったとの説もある)。まことに、アッラーは善をなす者を愛し給う。

こちらは注釈が頁の下に記されているが、ここでは( )内に記しておいた。十二人の首長という部分の意味がこの訳本ではきちんと説明があり、理解できた。また最後の注釈の部分で、破棄されたとかそうではないという風な記述がある。他の二つの訳ではどちらも免ずるあるいは赦すなどとなっているので、破棄されていないのが一般的なのであろうと理解できたりする。やはり、複数の訳を読むとより良く理解できるようである。

 

 

 

 

 

コーランについて(6):第5章・・・食卓

ちょっとアカデミックでない記事が続いたので、少し硬いお話しにして軌道を修正しよう。こんな時にはやはりイスラムに戻ろう。そこで今回はコーラン第5章食卓である。食卓という名前ではあるが、食に関する事項だけが纏められている訳ではない。先ずは冒頭の記述から。岩波文庫・井筒俊彦訳「コーラン」の訳文を利用させて頂く。

これ、汝ら、信仰の物よ、一度取りきめた契約はすべて必ず果たすよう。
家畜の獣類は食べてもよろしい。但しこれから読み上げるものは除く。また聖地巡礼の禁忌状態にあって(メッカ巡礼に赴く信者は一種のタブー状態にある)狩猟をしてならぬことは言うまでもない。アッラーは御心のままに掟を作り給う。(中略)狩猟は、禁忌状態が解けてからにせよ。また、神聖な礼拝堂(メッカのカーバを指す)に行くところを邪魔されたからとて、(禁忌状態があけた後でも)相手憎さのあまり不当な暴力をふるってはならぬ。互いに仲良く助け合って義しいことを行い、信仰を深めて行くようにせよ。互いに助け合って罪を犯したり悪事をはたらいたりしてはならぬ。アッラーを懼れかしこみまつれ。まことにアッラーの罰ひとたび下れば恐ろしい。

汝らが食べてはならぬものは、死骸の肉、血、豚肉、それからアッラーならぬ(邪神)に捧げられたもの、絞殺された動物、打ち殺された動物、墜落死した動物、角で突き殺された動物、また他の猛獣の啖ったものーーー(この種のものでも)汝らが自ら手を下して最後の止めをさしたもの(まだ、生命があるうちに間に合って、自分で正式に殺したもの)はよろしいーーーそれに偶像神石壇で屠られたもの。それからまた賭矢を使って(肉を)分配することも許されぬ(人々が集まってする賭。矢をくじの代わりに使って運をきめ、賭けた駱駝の肉を取る)。これはまことに罪深い行いである。・・・中略・・・

許されている(食物)な何と何かと訊ねてきたら、答えるがよい、「お前たちに許されているのは、全てまともな食物。次に、お前たちアッラーが教え給うた通りに自分で訓練して馴らした動物(犬や鷹などを指す)がお前たちのために捉えて来る獲物は食べてよろしい。必ずアッラーの御名を唱えてから食べるように。アッラーを懼れまつれ。まことにアッラーは勘定がお早くましますぞ」と。今日、まともな食物は全部汝らに許された。また聖典を戴いた人たち(ユダヤ教徒とキリスト教徒)の食物は汝らにも許されており、汝らの食物も彼らに許されておる。

食べていいものダメなものについて述べられている。豚肉を食べてはいけないというのは、ここに述べられているのである。また食べてはいけない食物だけではなく、殺され方にも条件があるのだ。但し、中略した部分の中には、飢饉のときや、他人から無理強いされた場合にはこの限りではないとある。肉の分配方法にも賭けをすることは許されないとあるように、イスラムでは賭け事に当たるものは全てダメなのである。競馬のようなギャンブル、宝くじのようなものもそうである。けれども、国によってはそういう者が認められている国もあるのだろう。

また(嫁取りについても同様で)、回教信者の操正しい女も、汝らが(『コーラン』の啓示を受ける)以前に聖典を戴いた人たち(ユダヤ人とキリスト教徒)の中の操正しい女も(全く同資格で汝らの妻にしてよろしい)。(その場合も)払うべきものは相手に支払うことは勿論、正規の手続きを踏んで結婚すべきであって、放埓な関係を結んだり、情人でもつくるつもりではいけない。とにかく信仰をないがしろにするような人間は、(現世で)何を為ようとその甲斐はなく、あの世でも敗者の数に入るのみ。

イスラム教徒の食物はキリスト教徒もユダヤ教徒も同じように許されており、その逆もまた許されているとのこと。相手にしてみれば、勝手にしろと言いたいかもしれない。さらに、食物について述べた後で嫁取りについても食物と同じように許されるとあるのも少々滑稽ではないか?この章は長くてまだまだ続く。が、今日はここまでにしておこう。

トルコ料理

以前に、イラン料理を紹介したことがある。中東にも色々な国があるのだから、イラン料理だけ紹介したのでは片手落ちだろう。そこで今回のトルコ料理となった。

これまた随分前のことであるが、このブログの中で中東の文化圏を3つに分けたことがある。その時に示したのが次の図であった。
中東に数多くの国があるが、大きく分けるとアラブ、トルコ、ペルシャとなる(イスラエルは別として)。それぞれの国にそれぞれの特徴ある料理があるかもしれないが、この3つの区分で紹介してみよう。そうすると次はアラブ料理ということになるのかも知れない。

さて、トルコ料理である。いつからそうなったのか?誰がそう決めたのか?は知らないが、トルコ料理は世界三大料理の一つであるという。フランス料理と中華料理とトルコ料理だそうな。他の二つは日本でも馴染みがあるが、それらに比べるとトルコ料理は馴染みの薄い料理であることは間違いないだろう。でも、トルコ料理レストランは近年増えているように思う。少し大きな都市ならば、見つけようとすれば見つかるのではないだろうか。ちなみに私の住んでいる愛知県では大小色々10件以上検索される。

肝心の料理であるが非常に沢山あるし、私がここで詳しく紹介するよりも、ウェブには数多くのサイトで紹介されているのをご覧いただいたほうがいいだろう。ちなみに、   https://4travel.jp/magazine/gourmet/00183 のトラベルマガジンのサイトは写真付きで料理の説明が詳しくされている。料理の名前だけをここに引用させていただこう。ドネル・ケバブ。シシ・ケバブ。イスケンデル・ケバブ。キョフテ。バルック・エクメーイ。ミディエ・ドルマ。メルジメッキ・チョルバス。チョバン・サラタス。フムス。 ピラウ。ピデ。マントゥ。ドンドゥルマ(アイスクリーム)。さらにデザートのスイーツも紹介されているのである。他のサイトではサルマもおいしそうに紹介されている。ケバブは一般的にケバーブとかキャバーブと呼ばれる肉を焼いたものである。有名なドネル・ケバブは肉の塊をクルクル回転させて、焼きあがった外周りを削って供するもので、街角でのファストフードのようにパンに挟んだりすることもできる。ドルマは野菜でご飯とひき肉などを詰めたもので大きなピーマンが一般的かな。ピラウはピラフ。ピデはパンというかピザの類。サルマはブドウの葉やスイスチャード(ふだん草)などの葉で豆やコメなどを包んだもの。マントウは餃子のようなもの。
こう見てくると種類が豊富、世界中の料理に似たものもあり、一度や二度、レストランに行っただけでは、トルコ料理を食べたとは言えないような感じである。つまり、私はトルコレストランに行った事があるが、食べたことのない料理がまだまだあるということだ。

最後に写真を2枚載せておこう。もう20年位前に学生一人を連れてイスタンブールに行った時の写真である。貧乏旅行である。町中にある小さな店先にトルコ料理が並んでいた。それを二人で食べた時の写真である。現地の人々が気軽に食べる庶民的な食堂というか、屋台に近いものである。店の外のテーブルでの愉しいひと時であった。私にはこのような旅のほうが似合うような気がする。


ダマバンド山 5,671m

今回も山の紹介である。ダマバンド山 5,671m である。


イラン北部、首都テヘランの北東方70キロメートルにあり、アルボルズ山脈中にそびえる。同国の最高峰で標高5671メートル。アルカリ岩系の粗面岩、粗面安山岩からなる成層火山で、噴火記録はないが、山頂火口付近には噴気孔が多く、東~南側山麓(さんろく)には温泉がある。頂部は万年雪を頂く。1836年イギリス人W・トムソンが初登頂した。ゾロアスター教の霊地として知られ、南麓にある同名の集落(人口約5000)は著名な避暑地、行楽地である。(日本大百科全書より引用)

イランの首都テヘランは標高 1200m ほどに位置している。そして、町から北の方角には高い山が連なっている。冬は真っ白な雪に覆われていて、夏には溶ける。それが、大都市テヘランへの供給水となる。その連山がアルボルズ山脈の一部なのだ。テヘランから 66km 離れた北東方向にあるのが、ダマバンド山である。直接テヘランからは見えないが、テヘランからカスピ海方面へ抜けるいくつかのルートのうち、東ルートつまりチャールース方面へ抜けるルートを取るとダマバンド山の姿を見ることができる。飛行機を利用する場合は勿論見ることができる。標高であるが5,671m と記されているが、5611m や5610mというのもあるから、どれが正確化は分からないが、5600mほどの高さであることは間違いない。

イランに在住する日本人の間では、イラン富士と呼ばれている。冒頭の画像が示す通り、富士山のように形の美しい神々しい山である。
日本の旅行会社「西遊旅行」のウェブをみると、ダマバンド山へのツアーの企画も掲載されている。勿論、高山病対策などを要する山なので簡単なものではないだろうが、興味ある人はこのサイトを覗いて見るといいだろう。