小川亮作訳『ルバイヤート』1~15「解き得ぬ謎」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』のまえがきと第1章「解き得ぬ謎」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

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まえがき

ここに訳出した『ルバイヤート』(四行詩)は、十九世紀のイギリス詩人フィツジェラルド Edward FitzGerald の名訳によって、欧米はもちろん、広く全世界にその名を知られるにいたった十一-十二世紀のペルシアの科学者、哲学者また詩人、オマル・ハイヤーム 〔Omar Khayya_m(’Umar Khaiya_m)〕の作品である。
フィツジェラルドが、一八五九年にその翻訳を自費出版で初版わずかに二五〇部だけ印刷した時には、若干《じゃっかん》を友人に分けて、残りはこれを印刷した本屋に一冊五シリングで売らせたのであったが、当時はいっこうに人気がなく、いくら値を下げても買手がつかないので、ついには一冊一ペニイの安値で古本屋の見切り本の箱の中にならべられる運命となった。出版してから三年ばかり後のこと、ラファエル前派の詩人ロゼッテイの二人の友人が、散歩の途次偶然、埃《ほこり》に埋もれたこの珍しい本を発見して、彼にその話をした。ロゼッテイは同志の詩人スウィンバーンと一緒に件《くだん》の店に出かけて行って、ちょっとその本を覗《のぞ》いただけで直ちにその価値を認め、おのおの数冊ずつ買って帰った。翌日彼らは友人に贈るためになお数冊買うつもりでまたその店へ行ったが、店の者は前には一冊一ペニイだったのを今度は二ペンスだと言った。ロゼッテイは怒りと諧謔《かいぎゃく》をまぜた抗議口調でその男に食ってかかったが、結局二倍の値段で少しばかり買って立ち去った。それから一、二週間後には残りの『ルバイヤート』の値段は一躍一ギニイにも跳《は》ね上ったという。
このように数奇な運命をたどったフィツジェラルドの翻訳は、ラファエル前派の詩人たちの推称によってようやく識者の注目をひくにいたり、初版後九年を経た一八六八年に第二版、それから四年後の七二年に第三版、また七九年には最後の第四版が出版され、フィツジェラルドの死後『ルバイヤート』はますます広く読まれるにいたった。ことに十九世紀末から今世紀の初めにかけてオマル・ハイヤーム熱は一種の流行となって英米を風靡《ふうび》し、その余波は大陸諸国にも及んだ。ロンドンやアメリカには『オマル・ハイヤーム・クラブ』が設立され、またパリでは彼の名が、酒場の看板にまで用いられるほどであった。フィツジェラルドの翻訳はいろいろの体裁で翻刻され、各国語に訳された。さらにまたフィツジェラルドのこの奔放《ほんぽう》な韻文訳以外にも、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリイ語等への直接ペルシア語からの韻文や散文の訳が数多く試みられた。わが国でも、明治四十一年(一九〇八年)にはじめて蒲原有明《かんばらありあけ》がフィツジェラルドの訳書中から六首を選んで重訳紹介して以来、今日までに多くの翻訳書が出た。今ではもうフィツジェラルドの名訳はそれ自身英文学のクラシックに列せられている。オマル・ハイヤームの名はこうして世界的なものとなった。
詩聖ゲーテはその有名な『西東詩集』の中で、人も知るごとく、ペルシア語の原文さえも引用して、古きイランの詩人たちを推称した。彼は言った――「ペルシア人は五世紀間の数多い詩人の中で、特筆に値いする詩人としてわずかに七人の名しか挙げないと言われている。しかし彼らが斥《しりぞ》ける残余の詩人の中にさえも、私などよりは遙《はる》かに傑《すぐ》れた人々がたくさんいるのにちがいない」と。自負心の強いこの詩人にしてこの言《げん》をなした、もって傾倒のほどが知られよう。だが彼の挙げた七人の詩人の中にはわがオマル・ハイヤームの名は含まれていない。ゲーテはオマルをも『ルバイヤート』をも知らなかったものと見える。ハイヤームの詩人としての名は昔も今もペルシアではすこぶる高い。だから田舎《いなか》の農夫でもその詩の一首や二首は知っている。現代イラン人の書いた文学史にはオマルの名は八大詩人の中に数え上げられている。それにもかかわらず、彼の詩に盛られた思想が、狂信的なイスラム教(回教)と相容《あいい》れないばかりか、これを冒涜《ぼうとく》する性質さえ持っていたために、ペルシアにおけるイスラム教勢力が衰えた最近代にいたるまでは、文学史上でハイヤームの詩人的才能を讃《たた》えた例はなかったもので、したがってヨーロッパのペルシア学者も、フィツジェラルドや彼にオマルを推称した友人の東洋学者以前には、あまり『ルバイヤート』に注意を払わなかった。そういうわけで、一八三二年に死んだゲーテとしてはフィツジェラルドの翻訳(一八五九年出版)に接する機会はもちろんなかったし、またそれ以前のドイツ語訳によってハイヤームを知るという機会もなかった。彼はまさに「私などよりは遙かに傑れた人々がたくさんいるのにちがいない」と予期したとおり、最も傑れた詩人の一人を逸したわけである。
自ら挙げた七人のペルシア詩人中の一人で、十四世紀に生きていたハーフェズのペシミズム溢れる抒情詩から、ゲーテは多大の影響を受けたと言われている。もしも彼にしてハーフェズの創作上の先師であったオマル・ハイヤームを知っていたならば、この東方に深く憧《あこが》れた詩人の『西東詩集』には、さらに色濃いオマル的な懐疑の色調が加えられたかも知れない。

本書に収めた一四三首はペルシア語の原典から直接訳したもので、テクストにはオマルの原作として定評のあるものだけを厳選し、また最近のイランにおける新しい配列の仕方に従って、「解き得ぬ謎《なぞ》」、「生きのなやみ」、「太初《はじめ》のさだめ」、「万物流転《ばんぶつるてん》」、「無常の車」、「ままよ、どうあろうと」、「むなしさよ」、「一瞬《ひととき》をいかせ」の八部に分類した。もちろんハイヤームが最初の写本を友人に示した当時にはこのような配列順序にはよらなかったであろう。しかも彼自身の配列方法は今では不明であるし、普通の写本のようにイロハ順で漫然と並べるよりも、内容の類似点を捉《とら》えたこの配列の方が遙かに合理的だと考える。各四行詩に附した番号はこの分類にはかかわりなく、全体に通ずる通し番号である。オマルのものかどうかなお多少疑いの余地あるものは冒頭の番号を( )で包んだ。他はすべて彼の作として異論がない。

はじめ、フィツジェラルドの英訳をテクストとした森亮《もりりょう》氏の傑《すぐ》れた訳業に啓発されて、全部|有明《ありあけ》調の文語体で翻訳したが(解説二、「ルバイヤートについて」の項参照)、その後|佐藤春夫《さとうはるお》氏のすすめにより口語体に改めた。同氏の御親切に対して深謝するものである。なお挿絵は小林孔《こばやしこう》氏に負うところ大である。
昭和二十二年八月二十日
松戸にて   訳者

目次

まえがき
解き得ぬ謎《なぞ》1-15
生きのなやみ  16-25
太初《はじめ》のさだめ  26-34
万物流転《ばんぶつるてん》35-56
無常の車 57-73
ままよ、どうあろうと 74-100
むなしさよ 101-107
一瞬《ひととき》をいかせ 108-143

解き得ぬ謎《なぞ》


  1

チューリップのおもて、糸杉のあで姿よ、
わが面影のいかばかり麗《うるわ》しかろうと、
なんのためにこうしてわれを久遠の絵師は
土のうてなになんか飾ったものだろう?

もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来《きた》り住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!

自分が来て宇宙になんの益があったか?
また行けばとて格別変化があったか?
いったい何のためにこうして来り去るのか、
この耳に説きあかしてくれた人があったか?

魂よ、謎《なぞ》を解くことはお前には出来ない。
さかしい知者*の立場になることは出来ない。
せめては酒と盃《さかずき》でこの世に楽土をひらこう。
あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない。

生きてこの世の理を知りつくした魂なら、
死してあの世の謎も解けたであろうか。
今おのが身にいて何もわからないお前に、
あした身をはなれて何がわかろうか?

(6)

いつまで水の上に瓦《かわら》を積んで*おれようや!
仏教徒や拝火教徒の説にはもう飽《あ》きはてた。
またの世に地獄があるなどと言うのは誰か?
誰か地獄から帰って来たとでも言うのか?

創世の神秘は君もわれも知らない。
その謎は君やわれには解けない。
何を言い合おうと幕の外のこと、
その幕がおりたらわれらは形もない。

この万象《ばんしょう》の海ほど不思議なものはない、
誰ひとりそのみなもとをつきとめた人はない。
あてずっぽうにめいめい勝手なことは言ったが、
真相を明らかにすることは誰にも出来ない。

このたかどのを宿とするかの天体の群
こそは博士らの心になやみのたね
だが、心して見ればそれほどの天体でさえ
揺られてはしきりに頭を振る身の上。

10

われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられよう――
われらはどこから来てどこへ行くやら?

11

造物主が万物の形をつくり出したそのとき、
なぜとじこめたのであろう、滅亡と不足の中に?
せっかく美しい形をこわすのがわからない、
もしまた美しくなかったらそれは誰の罪?

12

苦心して学徳をつみかさねた人たちは
「世の燈明*」と仰がれて光りかがやきながら、
闇《やみ》の夜にぼそぼそお伽《とぎ》ばなしをしたばかりで、
夜も明けやらぬに早《は》や燃えつきてしまった。

(13)

この道を歩んで行った人たちは、ねえ酒姫《サーキイ》*、
もうあの誇らしい地のふところに臥《ふ》したよ。
酒をのんで、おれの言うことをききたまえ――
あの人たちの言ったことはただの風だよ。

(14)

愚かしい者ども知恵《ちえ》の結晶をもとめては
大空のめぐる中でくさぐさの論を立てた。
だが、ついに宇宙の謎には達せず、
しばしたわごとしてやがてねむりこけた!

15

綺羅星《きらぼし》の空高くいる牛――金牛星、
地の底にはまた大地を担《にな》う牛*もいるし、
さあ、理性の目を開き二頭の牛の
上下にいる驢馬《ろば》の一群を見るがよい。

小川亮作訳『ルバイヤート』16~25「生きのなやみ」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第2章「生きのなやみ」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

生きのなやみ

16
今日こそわが青春はめぐって来た!
酒をのもうよ、それがこの身の幸だ。
たとえ苦くても、君、とがめるな。
苦いのが道理、それが自分の命だ。

17
思いどおりになったなら来はしなかった。
思いどおりになるものなら誰(た)が行くものか?
この荒家(あばらや)に来ず、行かず、住まずだったら、
ああ、それこそどんなによかったろうか!

18
来ては行くだけでなんの甲斐(かい)があろう?
この玉の緒の切れ目はいったいどこであろう?
罪もなく輪廻(りんね)の環(わ)の中につながれ、
身を燃やして灰(はい)となる煙はどこであろう?

19
ああ、空(むな)しくも齢(よわい)をかさねたものよ、
いまに大空の利(と)鎌(かま)が首を掻(か)くよ。
いたましや、助けてくれ、この命を、
のぞみ一つかなわずに消えてしまうよ!

20
よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀(えよう)をつくしたとて、
所詮(しょせん)は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。

21
歓楽もやがて思い出と消えようもの、
古き好(よしみ)をつなぐに足るのは生(き)の酒のみだよ。
酒の器にかけた手をしっかりと離すまい、
お前が消えたって盃(さかずき)だけは残るよ!

22
ああ、全く、休み場所でもあったらいいに、
この長旅に終点があったらいいに。
千万年をへたときに土の中から
草のように芽をふくのぞみがあったらいいに!

23
二つ戸口のこの宿にいることの効果(しるし)は
心の痛みと命へのあきらめのみだ。
生の息吹(いぶき)を知らない者が羨(うらや)ましい。
母から生まれなかった者こそ幸福だ!

24
地を固め天のめぐりをはじめたお前は
なんという痛恨を哀れな胸にあたえたのか?
紅玉の唇(くちびる)や蘭麝(らんじゃ)の黒髪(くろかみ)をどれだけ
地の底の小筥(こばこ)に入れたのか?

25
神のように宇宙が自由に出来たらよかったろうに、
そうしたらこんな宇宙は砕きすてたろうに。
何でも心のままになる自由な宇宙を
別に新しくつくり出したろうに。

 

アルメニアとアゼルバイジャンの紛争(その後)

ナゴルノカラバフ地域を巡るこの旅の紛争もどうやら停戦に到ったようである。10日、アルメニアのパシニャン首相、アゼルバイジャンのアリエフ大統領、それに仲介したロシアのプーチン大統領の三人が共同声明に署名して、停戦に合意した。決着の結果はアルメニアがこれまで実効支配していたナゴルノカラバフの一部を失った。但し、旧自治州の帰属については触れられておらず根本的な解決には至っていない。それは先送りされたということである。

過去にも1994年に欧州安保協力機構とロシアの仲介で両者が停戦合意したこともあったが、アルメニアが旧自治州の実効支配を認める内容であったため、アゼルバイジャン側には不満であった。今回の停戦合意により、両者の衝突は停止することになるが、根本的な解決を先送りしている以上、この先に再び紛争が再燃しないという保証はない。米大統領選、その後の開票にまつわる混乱に乗じて、この地域に対するロシアの影響力が強まったという印象である。

コーランについて(6):第4章・・・女性

 

久しぶりにコーラン第4章について書いてみる。この章のタイトルは「女性」である。イスラム社会では女性が男性とは対等に扱われていないと批判的な発言をする人たちが少なくないことを知っている。それらの批判的な声に同感したり、反論する気持ちを私は全然持っていない。なぜなら、私はイスラム教徒としてイスラム社会で生活した者ではないし、イスラム社会や人々と触れ合った経験はあるというものの、ごくわずかな期間でしかない。これまで、このブログの中ではイランの女性は有能でテキパキと仕事をこなしていることを紹介したことがある。また、シーラーズの底抜けに明るいオバチャンたちとのやり取りを動画で紹介したこともある。現地で接した彼女達との関係は日本でのそれとあまり変わりはしなかった。でも、私たち異国の異教徒と接点を持った女性たちというのはごく一部の人なのかもしれない。一般的に家庭外で他の男性とは一線を画すのが普通なのかも知れない。そんなことはともかくとして、コーランでは女性について、どのようなことが書かれているのかというのが今回の内容である。

コーランには「孤児たちを大切にしてやれ」ということがあちらこちらに書かれている。この章の初めの方にも(4-2)「孤児(みなしご)にはその財産を渡してやれよ。よいものを(自分でせしめて)その代わりに悪いものをやったりしてはいけない。彼らの財産を自分の財産と一緒にして使ってはいけない。そのようなことをすれば大罪を犯すことになる。」(4-3) 「もし汝ら(自分だけでは)孤児に公正にしてやれそうもないと思ったら、誰か気に入った女をめとるがよい、二人なり、三人なり、四人なり。だがもし(妻が多くては)公平にできないようならば一人だけにしておくか、さもなくばお前たちの右手が所有しているもの(女奴隷を指す)だけで我慢しておけ。その方が片手落ちになる心配が少なくてすむ。」
女を複数娶ってもいいとあるが、それは孤児たちを公正に扱うことが自分だけでは難しいならばという条件がついている。そして複数の女を娶っても、その扱いは公平でなければならぬのであって、それができないなら一人にせよと言っているのである。むやみやたらに妻を4人持ってもいいということではないのである。イスラム=一夫多妻OKというのは間違いである。

(4-4) 「妻たちには贈与財(結婚契約の成立時に夫から妻に贈る財産)をこころよく払ってやれよ。だが、女の方で汝らに特に好意を示して、その一部を返してくれた場合には、遠慮なく喜んで頂戴するがよい。」
結婚前に金銭の授受があることがわかる。そして、女が返してくれるなら喜んで受け取ってもいいとある。コーランの記述はいつもながら、非常に現実的で人間臭い内容に思わず微笑んでしまうのである。

(4-7) 「両親、および親戚の遺産の一部は男子に。女にもまた両親、および親戚の遺産の一部を。少額のこともあろう、多額のこともあろう、がともかく所定の割当分を。(4-8) もしその分配の席に縁つづきの者や孤児や貧民が居合わせたなら、そういう人たちにも何分かの志を出してやり、やさしい言葉の一つもかけてやること。」(4-12) 「汝らの子供に関してアッラーはこうお命じになっておられる。男の子には女の子の二人分を。もし女が二人以上ある場合は、(彼女らは)遺産の三分の二を貰う。女の子が一人きりの場合は、彼女のもらい分は全体の半分。それから両親の方は(被相続人に)男の子がある場合は、どちらも遺産の六分の一ずつ。子供がいなくて、両親が相続人である場合には、母親に三分の一。彼に(子供はいないが)兄弟があれば、母親は、彼が(他の誰かのために)遺言しておいた分とそれから負債とを引き去った残額の六分の一を貰う。・・・・・・(4-13) また妻の遺したものについては、彼女らに子供がない場合は汝ら(夫)はその半分。もし子供があれば、彼女たちが特に遺言しておいた分と負債とを差し引いた残りの四分の一を汝らが取る。(4-14) また汝ら(夫の側)の遺産については、もし子供がない場合は、妻たちがその四分の一を貰う。だが、もし子供があれば、遺産から汝らが特に遺言しておいた分と負債を差し引いた残りの八分の一を彼女らが貰う。(4-15) 男でも女でもこれを正当に相続する者がなくて(つまり子供も両親もなくて)ただ兄か弟または姉か妹が一人いるような場合には、そのいずれも六分の一を貰う。しかしそれ以上の人数であれば、本人が特に遺言しておいた分と負債とを差し引いた残額の三分の一を皆で均等に分配する。(4-16) 決して害を被らせるようなことがあってはならぬぞ。これがアッラーのおきめになった分配法。まことにアッラーは全知にして心ゆたかにおわします。」
女性に関する記述が多いから女性の章と名付けられたというが、この章全体をざっと読んでみても、私にはそれほど多いとは思えなかった。上述した部分は相続に関する記述で、女性に関係ある部分を抜き出してみた。男は女二人分を取るだとか、妻の取り分はどうだとか、女性に対しても何らかの配分があるのである。多い少ないかの問題はあるかもしれないが一応女性の取り分があることが明示されていることは評価できるのではないだろうか。それ以上に相続について、男女の問題とは別に事細かく分配の方法が示されていることに驚いた。ここだけでは細かい点の詳細は良く分からない点があるが、八分の一だとか六分の一という数値の根拠などについても知ってみたい気がするのである。次に紹介する部分は女性蔑視と言われる部分かもしれないので紹介しておこう。

(4-34) 「アッラーはもともと男と(女)とな間には優劣をおつけになったのでし、また(生活に必要な)お金は男が出すのだから、この点で男の方が女の上に立つべきもの。だから貞淑な女は(男にたいして)ひたすら従順に、またアッラーが大切に守って下さる(夫婦間の)秘めごとを他人に知られぬようそっと守ることが肝要(この部分は色々な解釈の可能性がある)。反抗的になりそうな心配のある女はよく諭し、(剃れでも駄目なら)寝床に追いやって(こらしめ、それでも効かない場合は)打擲(ちょうちゃく)を加えるもよい。だが、それで言うことをきくようなら、それ以上のことをしようとしてはならぬ。アッラーはいと高く、いとも偉大におわします。

現代では完全にアウトでしょう(笑)。パワハラ、セクハラの最たるものでしょう。男女間には優劣があるのだとはっきり断言しているのが凄いとおもうのであるが、現実のイスラム社会でも、もうこんな考えは多くのところでは消えているのではないだろうか?私には良く分からないけれども。結構、かかあ天下である面を見聞きしたのであるが。ともかくコーランの中にこのような記述があるのは事実なのだ。いつものようにこのブログの日本語は岩波文庫の井筒先生の訳を利用させていただいている。この部分を他の訳文でみると「男たちは女たちの上に立つ管理人である」となっている(中田孝訳)。今BSNHKで放映している朝ドラの前に昔の「澪つくし」が再放送されている(沢口靖子主演)が、貞淑な女性が模範的であるような時代の中で進歩的、活発な女性が現れ始める世の中を描いているようだ(昔は見ていなかったので、新鮮な目で見ている)。イスラム世界も時代とともに変化していくことは必至であろう。

この章には女性に関することだけ書かれているのではなく、ユダヤ人のこととか他のことも数多く書かれていることを付記して終わろう。

 

アルメニアとアゼルバイジャンの紛争

アルメニアとアゼルバイジャンとの間で衝突が起きている。この地域は中東ではなく、コーカサス地方になるのであろうが、中東と密接に関係ある地域なので、取り上げてみることにする。

この両国間の紛争は今に始まったことではない。歴史的な流れからみると、ロシア帝国とオスマン帝国が崩壊し、その後、アルメニアとアゼルバイジャンが独立した時から、ナゴルノカラバフの帰属問題が発生したのである。アゼルバイジャン国内の領域であるナゴルノカラバフ地域に住む大半の人々がアルメニア人であった。第一次世界大戦後両国はソビエト社会主義共和国連邦下に置かれることとなった。そして、ナゴルノカラバフはソビエト社会主義共和国憲法において、アゼルバイジャン内の自治州としての地位を与えられたが、事態が収束することはなかった。Global News View (大阪大学を拠点とするメディア研究機関のHP参照)。

このように、アゼルバイジャン領内において、多くのアルメニア人が居住するナゴルノカラバフ地域がアゼルバイジャンからの離脱志向があり、そこにアルメニアが肩入れしたというのが紛争の始まりということである。私が若いころには「アゼルバイジャンの中にアルメニアの飛び地がある」という風に理解していたものだった。

この図でわかるように、アゼルバイジャンは産油国であるので、ジョージアからトルコ経由で各国に輸出している。両国はパイプラインの通過料を得ることができる。アルメニアはロシアやイランと発電・電力供給で親密な関係にある。イランは電力の代わりに天然ガスをパイプラインで供給している。イラン北部にはアゼルバイジャン系住民がいるので、イランは常に彼らの独立運動に目を光らせている。宗教的にイランとアゼルバイジャンはシーア派とスンニ派の違いはあるがイスラム同士ではある。アルメニア人はキリスト教徒(アルメニア正教)であるが、イランとの関係は良好である。一方、武器調達においては、アゼルバイジャンはイスラエルから大量の武器を購入している。最近続いているイスラエルとアラブのアラブ首長国連邦やバーレーンとの国交樹立などが、イラン封じ込め戦略と言われるように、イランにとってはイスラエルとアゼルバイジャンの関係強化も気になるところである。また、産油国のアゼルバイジャンには米国の石油関係会社も進出しているから、米国もこの地域での衝突には重大な関心を寄せざるをえない。

日本からは遠いコーカサスのあまり馴染みのない国同士の紛争であり、関心も薄く注目の度合いも薄いかもしれない。しかしながら、上述したように、両国間だけではなく、両国に繋がりのある周辺国(トルコ、イラン、イスラエル、シリヤ、レバノン等)ならびに米国やロシアも干渉することになると中東を巻き込んだ国際紛争になるわけである。そうなると石油を中東に依存する我が国としても傍観はできないであろう。

(地図は中日新聞10月1日、10月9日より拝借)

アラビア文字(ペルシャ文字)の入力

こんにちは。久しぶりの投稿になります。はや10月も末になり、めっきり涼しくなりました。今回はアラビア文字(ペルシャ文字)に対する質問がありましたので、お答えいたします。
私はこのブログの入力はパソコンで行っています。ですからキーボードから入力するのです。英文字や日本語は普通に入力できますね。ペルシャ語を入力する場合にもペルシャ語フォントを追加すればいいだけです。windowsでは世界中の言語に対応してフォントが用意されています。例えば次のように。

私はペルシャ語フォントを入れているわけです。ペルシャ語はアラビア語にはない文字がいくつかあるので、ペルシャ語を入れておけばアラビア語にも基本的に対応はできるのです。付加する記号文字などでできないものもありますが。
フォントを入れたからと言ってすぐに入力はできません。一つ一つの文字の配列が分からないと打てません。キーボードは英文字なのですから。それで必要なのが、つぎのキーボード表です。
これを見ながら入力すればOKです。でも今では配列が頭の中に入っているので、殆ど見なくて入力できるようになりました。ただシフトキーの方は見ないわけにはいきません。

パソコンからの入力は以上の通りです。皆さんも、他の言語での入力が必要な場合には是非ともトライして見て下さい。今のパソコンは世界中の言語に対応していることがわかるでしょう。

でも、今、私たちの生活はパソコンよりもスマホ中心になってきています。スマホにおける多言語対応はどうなっているのでしょうか。Gboard (Google キーボード)が助けてくれます。Gboardのアプリを入れると世界中の言語に対応できるのです。ペルシャ語の場合は次のようなキーボードが現れます。
ラインやインスタグラムの場合はスマホでのやり取りが中心になります。だからこのキーボードが役にたちます。先ほどのパソコンのキーボードとは違って、ペルシャ文字そのものが表示されるわけですから、簡単に入力できてしまいます。Gboardを知るまではこんなことができるとは思いもしませんでした。ITの世界ではとっくに多言語対応ができているということです。

もっと付け加えるなら、ペルシャ語にしても音声で入れれば、それが文字化されるアプリもあるのです。ペルシャ語であるくらいですから、世界中の言語の対応があるでしょう。便利な世の中です。それを使いこなす以前に、どんな便利なものがあるということを知らないことが多いです。

それでは今日もいい日でありますように。

アラビア書道作品

しばらくご無沙汰しておりました。前々回にアラビア書道展の作品を作成中とお話ししました。13日~18日までの開催が終わって、作品が戻ってまいりました。不本意な出来ではありますが、披露することにいたします。どこが不本意か?というと、第一は長く伸ばしている部分のラインが思うように書けていないということです。もっとスムーズな弧を描くようなラインを出したいのですが不細工になりました。他にも文字の一つ一つが不満足ではありますが、今の私の実力というものでしょう。でも最初の1単語 خیام は何度も失敗したのですが、何とかいい風に書けたと思います。最初の文字ですから、ここで失敗してはまた新しい用紙に書くということを繰り返したのでした。左の絵の方は昔買ったペルシャの絵を基にしてアレンジしてみました。詩の内容に相応しい絵にしたつもりです。作品展は終わりましたが、もう少し書き続けて、いいのができたら、差し替えて飾ろうと思います。今日は簡単に作品紹介としておきます。

オンライン学習会の開催(検討・準備中)

こんにちは。めっきり秋らしくなりました。
私が教えている大学での後期講義も始まりました。リモート講義ですが、やってみると対面授業と同じようにできるものですね。ただ、準備は大変ですが、次第にスムーズにできるようになりそうです。

このブログで紹介している「学習会」が長らく開催されておりません。少し気になるところですが、オンライン開催を検討してみようかと思いました。ただ、それなりの準備が倍増以上になりますので、ある程度の視聴者がいたらという前提が伴います。参加料を取るつもりはありません。ということで、オンライン学習会が開かれたら、参加してみるという方を把握させていただきたいのです。世界中どこでも視聴可能です。パスワードをかけたユーチューブの配信にしようと考えています。参加希望という方がいましたら、メールでお知らせください。宛先は tshima21st@live.jp  です。学習会の案内のメルアドとは異なります。「配信希望」とだけ書いてくれればOKです。あるいはブログの右のほうに「購読」というボタンがありますので、それを押して頂いても結構です。「購読」とありますが、課金されるものではありませんからご心配なく(笑)。開催の案内、受講要領、パスワードなどは開催が決定したらおしらせします。

先述の大学でのリモート講義の準備の負荷がかかっていますので、ブログの更新が少なくなっていますが、それも鋭意努力中であります。

 

ペルシャの詩(オマル・ハイヤーム)の一節

10月13日~18日に川崎市の会場でアラビア書道の作品展が開催されます。私も毎年出品していますので、今作品作りに励んでいるところです。今回もペルシャの詩人オマル・ハイヤームのルバイヤート(四行詩)の中の一つを選びました。上の画像の右側の部分を書こうと練習しています。

この画像も同じ詩ですが、書体が異なるので全然感じが違います。ペルシャ文字の上の英語はフィッツジェラルドの英訳です。本来ならこの部分に私の作品がアップされるべきなのですが、それは完成後にいたします。ご期待下さい(笑)。

さて、今日はこの四行詩の和訳についてです。以下に3人の日本人が訳したものを紹介いたします。その次がフィッツジェラルドの英訳です。そしてその英訳から和訳にしたものが竹友藻風のその次の和訳になります。フィッツジェラルドの英訳はかなり意訳されており、原文の直訳からは程遠いのですが、詩の気持ちを伝えているそうです(私には良く分かりません)。それを竹友は和訳しているので、前の三人の日本語訳とは全然異なる内容になっています。比べて見て下さい。そして、その次はペルシャ語をペルシャ人(イラン人)が英語に直訳したものです。外国人がルバイヤートを勉強するための参考書に記されているものです。そして、それらの訳を踏まえて最後に私の訳を一番最後に披露しています。存分に味わってください。ペルシャの詩は音読することによってさらに詩の美しさが伝わるのですが、それは私の作品を紹介するときにいたしましょう。

ルバイヤート翻訳

小川亮作訳 (140)
さあ、ハイヤームよ、酒に酔って、
チューリップのような美女によろこべ。
世の終局は虚無に帰する。
よろこべ、ない筈のものがあると思って。

岡田恵美子訳(99)
ハイヤームよ、酒に酔うなら、楽しむがよい。
チューリップの美女と共にいるなら、楽しむがよい。
この世の終わりはついには無だ。
自分は無だと思って、いま在るこの生を楽しむがよい。

黒柳恒男訳 (116)
ハイヤームよ、酒に酔うならよろこべ
月の美女と坐れるならよろこべ
世の終わりは無にすぎないが
無を有と思ってよろこべ

Edward Fitzgeralde英訳
And if the Wine you drink, the Lip you press,
End in what All begins and ends in‐Yes;
Imagine then you are what heretofore
You were ‐hereafter you shall not be less.

竹友藻風訳 Fitzgeraldの英訳からの和訳
また若しや、飲む盞(さかずき)と壓(お)す唇の
一切の終始のもの果つとも―さなり、
さらば汝(なれ)、これまでにありしものぞと
思え、―――なほこれより後もかはらずと。

Kuros Amouzgar 英訳(直訳)
Oh Khayyamm if you are drunk from drinking wine, be happy,
If you are in the company of a beautiful sweetheart, be happy,
Since the end of life is annihilation,
Imagine that you do not exist, but since you do, then be happy (enjoy).

私の訳
ハイヤーム!酒に酔ったら、楽しむがよい。
月のような美女と共にしたなら、楽しむがよい。
この世の終わりは無なのだから、おまえ(の存在)も無。
されどこの世に在るのなら、今を楽しむがよい。

ユダヤ人とは?

「アラブ人とは?」の中で、アラブとユダヤはセム系民族同士であるので言語学的には近いということでした。旧約聖書をみてもアラブとユダヤのルーツであるとされているイシュマエルとイサクは異母兄弟でした。それはそれとして、ユダヤ人とはどういう人たちなのでしょうか。ユダヤ民族とかユダヤ人という人種があるのでしょうか。

佐藤千景著『ユダヤ世界を読む』(創成社新書、2006年)の第一章の冒頭には次のような記載がある。
イスラエル外務省がウェブサイト上で紹介しているユダヤ民族の歴史は、「約4000年前の族長アブラハムとその子イサク、孫のヤコブによってその幕が開かれた」という記述から始まっている。この記述は、旧約聖書の創世記第12章から始まる族長時代に相当する部分であるが、現代においてこうした聖書の物語を、史実としての「歴史」としてとらえる人は少ないであろう。
他方で近年、死海近くにあるクムランの洞窟から発掘された死海文書や、後に述べるマサダの遺跡のように、考古学上の様々な発見によって聖書時代の出来事が徐々に裏付けられつつあることも事実である。とはいえ、過去の旧約聖書に関する多くの研究が示しているように、特に族長時代からダビデ・ソロモン王国成立頃までの記述は、イスラエルの民族に関する政治的、神学的な立場を説明するためにさまざまな部族や集団の民間伝承を紀元前一千年紀頃に再編集したものであるとされている。・・・・中略・・・・
イスラエルの帰還法によれば、ユダヤ人とはユダヤ人の母親から生まれた者、またはユダヤ教に改宗した者と定義されている。この定義に従うならば、ユダヤ人とは先祖の地を受け継いだ者たちだけではなく、特定の宗教信徒を示す名称であるということになる。彼らが別名「啓典の民」または「書の民」と呼ばれているのは、こうした理由による。事実、非ユダヤ人であっても、身体的な特徴を問わず、改宗によってユダヤ民族の一員として認められる場合がある。もちろん、ユダヤ教への改宗は決して簡単なものではない。しかしそれは、来日したスポーツ選手が帰化したにもかかわらず、いわゆる一般的な「日本人」としての集団に加えられることはないという、我が国での民族に対する感覚とは大きく異なるものといえよう。

ここに記載されているように、まずはユダヤ教に改宗した者はユダヤ人なのである。私・日本人がユダヤ教に改宗したとしたらユダヤ人となるということらしい。勿論、ユダヤ教に改宗することは簡単にはできないらしい。それにしても、ユダヤ人というのはユダヤ民族とかユダヤ人種というものではないということは間違いないというわけだ。

もう一つの、ユダヤ人の母親から生まれた者がユダヤ人であるという定義はどうだろう。「あっ、そうか。お母さんがユダヤ人であれば子供はユダヤ人ということだね。」分かりやすいですね。でも実際はそう簡単ではないらしい。ユダヤ人の母とは誰なのか、つまり、母親がユダヤ人であることはどうやってわかるのかという問題が残るというのである。なんかややこしいのであるが、ユダヤ人というのは皆ユダヤ教徒ではあるのでしょうね。

ユダヤ人と言うと外見の特徴がある。ヒゲや帽子などですぐに分かるが、それはそういう格好をすればユダヤ人ということであり、イスラム教徒がベールを着たりするのと同じことで、身体的な特徴ではない。和服の着物をきたのが日本人であるというようなものだろう。

結論としてはユダヤ人という人種や民族はいないということ。ユダヤの民が離散して世界中に散らばって存在しているうちに多様なユダヤ人になっていったというような感じなのでしょうか。