コーランについて(6):第4章・・・女性

 

久しぶりにコーラン第4章について書いてみる。この章のタイトルは「女性」である。イスラム社会では女性が男性とは対等に扱われていないと批判的な発言をする人たちが少なくないことを知っている。それらの批判的な声に同感したり、反論する気持ちを私は全然持っていない。なぜなら、私はイスラム教徒としてイスラム社会で生活した者ではないし、イスラム社会や人々と触れ合った経験はあるというものの、ごくわずかな期間でしかない。これまで、このブログの中ではイランの女性は有能でテキパキと仕事をこなしていることを紹介したことがある。また、シーラーズの底抜けに明るいオバチャンたちとのやり取りを動画で紹介したこともある。現地で接した彼女達との関係は日本でのそれとあまり変わりはしなかった。でも、私たち異国の異教徒と接点を持った女性たちというのはごく一部の人なのかもしれない。一般的に家庭外で他の男性とは一線を画すのが普通なのかも知れない。そんなことはともかくとして、コーランでは女性について、どのようなことが書かれているのかというのが今回の内容である。

コーランには「孤児たちを大切にしてやれ」ということがあちらこちらに書かれている。この章の初めの方にも(4-2)「孤児(みなしご)にはその財産を渡してやれよ。よいものを(自分でせしめて)その代わりに悪いものをやったりしてはいけない。彼らの財産を自分の財産と一緒にして使ってはいけない。そのようなことをすれば大罪を犯すことになる。」(4-3) 「もし汝ら(自分だけでは)孤児に公正にしてやれそうもないと思ったら、誰か気に入った女をめとるがよい、二人なり、三人なり、四人なり。だがもし(妻が多くては)公平にできないようならば一人だけにしておくか、さもなくばお前たちの右手が所有しているもの(女奴隷を指す)だけで我慢しておけ。その方が片手落ちになる心配が少なくてすむ。」
女を複数娶ってもいいとあるが、それは孤児たちを公正に扱うことが自分だけでは難しいならばという条件がついている。そして複数の女を娶っても、その扱いは公平でなければならぬのであって、それができないなら一人にせよと言っているのである。むやみやたらに妻を4人持ってもいいということではないのである。イスラム=一夫多妻OKというのは間違いである。

(4-4) 「妻たちには贈与財(結婚契約の成立時に夫から妻に贈る財産)をこころよく払ってやれよ。だが、女の方で汝らに特に好意を示して、その一部を返してくれた場合には、遠慮なく喜んで頂戴するがよい。」
結婚前に金銭の授受があることがわかる。そして、女が返してくれるなら喜んで受け取ってもいいとある。コーランの記述はいつもながら、非常に現実的で人間臭い内容に思わず微笑んでしまうのである。

(4-7) 「両親、および親戚の遺産の一部は男子に。女にもまた両親、および親戚の遺産の一部を。少額のこともあろう、多額のこともあろう、がともかく所定の割当分を。(4-8) もしその分配の席に縁つづきの者や孤児や貧民が居合わせたなら、そういう人たちにも何分かの志を出してやり、やさしい言葉の一つもかけてやること。」(4-12) 「汝らの子供に関してアッラーはこうお命じになっておられる。男の子には女の子の二人分を。もし女が二人以上ある場合は、(彼女らは)遺産の三分の二を貰う。女の子が一人きりの場合は、彼女のもらい分は全体の半分。それから両親の方は(被相続人に)男の子がある場合は、どちらも遺産の六分の一ずつ。子供がいなくて、両親が相続人である場合には、母親に三分の一。彼に(子供はいないが)兄弟があれば、母親は、彼が(他の誰かのために)遺言しておいた分とそれから負債とを引き去った残額の六分の一を貰う。・・・・・・(4-13) また妻の遺したものについては、彼女らに子供がない場合は汝ら(夫)はその半分。もし子供があれば、彼女たちが特に遺言しておいた分と負債とを差し引いた残りの四分の一を汝らが取る。(4-14) また汝ら(夫の側)の遺産については、もし子供がない場合は、妻たちがその四分の一を貰う。だが、もし子供があれば、遺産から汝らが特に遺言しておいた分と負債を差し引いた残りの八分の一を彼女らが貰う。(4-15) 男でも女でもこれを正当に相続する者がなくて(つまり子供も両親もなくて)ただ兄か弟または姉か妹が一人いるような場合には、そのいずれも六分の一を貰う。しかしそれ以上の人数であれば、本人が特に遺言しておいた分と負債とを差し引いた残額の三分の一を皆で均等に分配する。(4-16) 決して害を被らせるようなことがあってはならぬぞ。これがアッラーのおきめになった分配法。まことにアッラーは全知にして心ゆたかにおわします。」
女性に関する記述が多いから女性の章と名付けられたというが、この章全体をざっと読んでみても、私にはそれほど多いとは思えなかった。上述した部分は相続に関する記述で、女性に関係ある部分を抜き出してみた。男は女二人分を取るだとか、妻の取り分はどうだとか、女性に対しても何らかの配分があるのである。多い少ないかの問題はあるかもしれないが一応女性の取り分があることが明示されていることは評価できるのではないだろうか。それ以上に相続について、男女の問題とは別に事細かく分配の方法が示されていることに驚いた。ここだけでは細かい点の詳細は良く分からない点があるが、八分の一だとか六分の一という数値の根拠などについても知ってみたい気がするのである。次に紹介する部分は女性蔑視と言われる部分かもしれないので紹介しておこう。

(4-34) 「アッラーはもともと男と(女)とな間には優劣をおつけになったのでし、また(生活に必要な)お金は男が出すのだから、この点で男の方が女の上に立つべきもの。だから貞淑な女は(男にたいして)ひたすら従順に、またアッラーが大切に守って下さる(夫婦間の)秘めごとを他人に知られぬようそっと守ることが肝要(この部分は色々な解釈の可能性がある)。反抗的になりそうな心配のある女はよく諭し、(剃れでも駄目なら)寝床に追いやって(こらしめ、それでも効かない場合は)打擲(ちょうちゃく)を加えるもよい。だが、それで言うことをきくようなら、それ以上のことをしようとしてはならぬ。アッラーはいと高く、いとも偉大におわします。

現代では完全にアウトでしょう(笑)。パワハラ、セクハラの最たるものでしょう。男女間には優劣があるのだとはっきり断言しているのが凄いとおもうのであるが、現実のイスラム社会でも、もうこんな考えは多くのところでは消えているのではないだろうか?私には良く分からないけれども。結構、かかあ天下である面を見聞きしたのであるが。ともかくコーランの中にこのような記述があるのは事実なのだ。いつものようにこのブログの日本語は岩波文庫の井筒先生の訳を利用させていただいている。この部分を他の訳文でみると「男たちは女たちの上に立つ管理人である」となっている(中田孝訳)。今BSNHKで放映している朝ドラの前に昔の「澪つくし」が再放送されている(沢口靖子主演)が、貞淑な女性が模範的であるような時代の中で進歩的、活発な女性が現れ始める世の中を描いているようだ(昔は見ていなかったので、新鮮な目で見ている)。イスラム世界も時代とともに変化していくことは必至であろう。

この章には女性に関することだけ書かれているのではなく、ユダヤ人のこととか他のことも数多く書かれていることを付記して終わろう。

 

アルメニアとアゼルバイジャンの紛争

アルメニアとアゼルバイジャンとの間で衝突が起きている。この地域は中東ではなく、コーカサス地方になるのであろうが、中東と密接に関係ある地域なので、取り上げてみることにする。

この両国間の紛争は今に始まったことではない。歴史的な流れからみると、ロシア帝国とオスマン帝国が崩壊し、その後、アルメニアとアゼルバイジャンが独立した時から、ナゴルノカラバフの帰属問題が発生したのである。アゼルバイジャン国内の領域であるナゴルノカラバフ地域に住む大半の人々がアルメニア人であった。第一次世界大戦後両国はソビエト社会主義共和国連邦下に置かれることとなった。そして、ナゴルノカラバフはソビエト社会主義共和国憲法において、アゼルバイジャン内の自治州としての地位を与えられたが、事態が収束することはなかった。Global News View (大阪大学を拠点とするメディア研究機関のHP参照)。

このように、アゼルバイジャン領内において、多くのアルメニア人が居住するナゴルノカラバフ地域がアゼルバイジャンからの離脱志向があり、そこにアルメニアが肩入れしたというのが紛争の始まりということである。私が若いころには「アゼルバイジャンの中にアルメニアの飛び地がある」という風に理解していたものだった。

この図でわかるように、アゼルバイジャンは産油国であるので、ジョージアからトルコ経由で各国に輸出している。両国はパイプラインの通過料を得ることができる。アルメニアはロシアやイランと発電・電力供給で親密な関係にある。イランは電力の代わりに天然ガスをパイプラインで供給している。イラン北部にはアゼルバイジャン系住民がいるので、イランは常に彼らの独立運動に目を光らせている。宗教的にイランとアゼルバイジャンはシーア派とスンニ派の違いはあるがイスラム同士ではある。アルメニア人はキリスト教徒(アルメニア正教)であるが、イランとの関係は良好である。一方、武器調達においては、アゼルバイジャンはイスラエルから大量の武器を購入している。最近続いているイスラエルとアラブのアラブ首長国連邦やバーレーンとの国交樹立などが、イラン封じ込め戦略と言われるように、イランにとってはイスラエルとアゼルバイジャンの関係強化も気になるところである。また、産油国のアゼルバイジャンには米国の石油関係会社も進出しているから、米国もこの地域での衝突には重大な関心を寄せざるをえない。

日本からは遠いコーカサスのあまり馴染みのない国同士の紛争であり、関心も薄く注目の度合いも薄いかもしれない。しかしながら、上述したように、両国間だけではなく、両国に繋がりのある周辺国(トルコ、イラン、イスラエル、シリヤ、レバノン等)ならびに米国やロシアも干渉することになると中東を巻き込んだ国際紛争になるわけである。そうなると石油を中東に依存する我が国としても傍観はできないであろう。

(地図は中日新聞10月1日、10月9日より拝借)

アラビア文字(ペルシャ文字)の入力

こんにちは。久しぶりの投稿になります。はや10月も末になり、めっきり涼しくなりました。今回はアラビア文字(ペルシャ文字)に対する質問がありましたので、お答えいたします。
私はこのブログの入力はパソコンで行っています。ですからキーボードから入力するのです。英文字や日本語は普通に入力できますね。ペルシャ語を入力する場合にもペルシャ語フォントを追加すればいいだけです。windowsでは世界中の言語に対応してフォントが用意されています。例えば次のように。

私はペルシャ語フォントを入れているわけです。ペルシャ語はアラビア語にはない文字がいくつかあるので、ペルシャ語を入れておけばアラビア語にも基本的に対応はできるのです。付加する記号文字などでできないものもありますが。
フォントを入れたからと言ってすぐに入力はできません。一つ一つの文字の配列が分からないと打てません。キーボードは英文字なのですから。それで必要なのが、つぎのキーボード表です。
これを見ながら入力すればOKです。でも今では配列が頭の中に入っているので、殆ど見なくて入力できるようになりました。ただシフトキーの方は見ないわけにはいきません。

パソコンからの入力は以上の通りです。皆さんも、他の言語での入力が必要な場合には是非ともトライして見て下さい。今のパソコンは世界中の言語に対応していることがわかるでしょう。

でも、今、私たちの生活はパソコンよりもスマホ中心になってきています。スマホにおける多言語対応はどうなっているのでしょうか。Gboard (Google キーボード)が助けてくれます。Gboardのアプリを入れると世界中の言語に対応できるのです。ペルシャ語の場合は次のようなキーボードが現れます。
ラインやインスタグラムの場合はスマホでのやり取りが中心になります。だからこのキーボードが役にたちます。先ほどのパソコンのキーボードとは違って、ペルシャ文字そのものが表示されるわけですから、簡単に入力できてしまいます。Gboardを知るまではこんなことができるとは思いもしませんでした。ITの世界ではとっくに多言語対応ができているということです。

もっと付け加えるなら、ペルシャ語にしても音声で入れれば、それが文字化されるアプリもあるのです。ペルシャ語であるくらいですから、世界中の言語の対応があるでしょう。便利な世の中です。それを使いこなす以前に、どんな便利なものがあるということを知らないことが多いです。

それでは今日もいい日でありますように。

アラビア書道作品

しばらくご無沙汰しておりました。前々回にアラビア書道展の作品を作成中とお話ししました。13日~18日までの開催が終わって、作品が戻ってまいりました。不本意な出来ではありますが、披露することにいたします。どこが不本意か?というと、第一は長く伸ばしている部分のラインが思うように書けていないということです。もっとスムーズな弧を描くようなラインを出したいのですが不細工になりました。他にも文字の一つ一つが不満足ではありますが、今の私の実力というものでしょう。でも最初の1単語 خیام は何度も失敗したのですが、何とかいい風に書けたと思います。最初の文字ですから、ここで失敗してはまた新しい用紙に書くということを繰り返したのでした。左の絵の方は昔買ったペルシャの絵を基にしてアレンジしてみました。詩の内容に相応しい絵にしたつもりです。作品展は終わりましたが、もう少し書き続けて、いいのができたら、差し替えて飾ろうと思います。今日は簡単に作品紹介としておきます。

オンライン学習会の開催(検討・準備中)

こんにちは。めっきり秋らしくなりました。
私が教えている大学での後期講義も始まりました。リモート講義ですが、やってみると対面授業と同じようにできるものですね。ただ、準備は大変ですが、次第にスムーズにできるようになりそうです。

このブログで紹介している「学習会」が長らく開催されておりません。少し気になるところですが、オンライン開催を検討してみようかと思いました。ただ、それなりの準備が倍増以上になりますので、ある程度の視聴者がいたらという前提が伴います。参加料を取るつもりはありません。ということで、オンライン学習会が開かれたら、参加してみるという方を把握させていただきたいのです。世界中どこでも視聴可能です。パスワードをかけたユーチューブの配信にしようと考えています。参加希望という方がいましたら、メールでお知らせください。宛先は tshima21st@live.jp  です。学習会の案内のメルアドとは異なります。「配信希望」とだけ書いてくれればOKです。あるいはブログの右のほうに「購読」というボタンがありますので、それを押して頂いても結構です。「購読」とありますが、課金されるものではありませんからご心配なく(笑)。開催の案内、受講要領、パスワードなどは開催が決定したらおしらせします。

先述の大学でのリモート講義の準備の負荷がかかっていますので、ブログの更新が少なくなっていますが、それも鋭意努力中であります。

 

ペルシャの詩(オマル・ハイヤーム)の一節

10月13日~18日に川崎市の会場でアラビア書道の作品展が開催されます。私も毎年出品していますので、今作品作りに励んでいるところです。今回もペルシャの詩人オマル・ハイヤームのルバイヤート(四行詩)の中の一つを選びました。上の画像の右側の部分を書こうと練習しています。

この画像も同じ詩ですが、書体が異なるので全然感じが違います。ペルシャ文字の上の英語はフィッツジェラルドの英訳です。本来ならこの部分に私の作品がアップされるべきなのですが、それは完成後にいたします。ご期待下さい(笑)。

さて、今日はこの四行詩の和訳についてです。以下に3人の日本人が訳したものを紹介いたします。その次がフィッツジェラルドの英訳です。そしてその英訳から和訳にしたものが竹友藻風のその次の和訳になります。フィッツジェラルドの英訳はかなり意訳されており、原文の直訳からは程遠いのですが、詩の気持ちを伝えているそうです(私には良く分かりません)。それを竹友は和訳しているので、前の三人の日本語訳とは全然異なる内容になっています。比べて見て下さい。そして、その次はペルシャ語をペルシャ人(イラン人)が英語に直訳したものです。外国人がルバイヤートを勉強するための参考書に記されているものです。そして、それらの訳を踏まえて最後に私の訳を一番最後に披露しています。存分に味わってください。ペルシャの詩は音読することによってさらに詩の美しさが伝わるのですが、それは私の作品を紹介するときにいたしましょう。

ルバイヤート翻訳

小川亮作訳 (140)
さあ、ハイヤームよ、酒に酔って、
チューリップのような美女によろこべ。
世の終局は虚無に帰する。
よろこべ、ない筈のものがあると思って。

岡田恵美子訳(99)
ハイヤームよ、酒に酔うなら、楽しむがよい。
チューリップの美女と共にいるなら、楽しむがよい。
この世の終わりはついには無だ。
自分は無だと思って、いま在るこの生を楽しむがよい。

黒柳恒男訳 (116)
ハイヤームよ、酒に酔うならよろこべ
月の美女と坐れるならよろこべ
世の終わりは無にすぎないが
無を有と思ってよろこべ

Edward Fitzgeralde英訳
And if the Wine you drink, the Lip you press,
End in what All begins and ends in‐Yes;
Imagine then you are what heretofore
You were ‐hereafter you shall not be less.

竹友藻風訳 Fitzgeraldの英訳からの和訳
また若しや、飲む盞(さかずき)と壓(お)す唇の
一切の終始のもの果つとも―さなり、
さらば汝(なれ)、これまでにありしものぞと
思え、―――なほこれより後もかはらずと。

Kuros Amouzgar 英訳(直訳)
Oh Khayyamm if you are drunk from drinking wine, be happy,
If you are in the company of a beautiful sweetheart, be happy,
Since the end of life is annihilation,
Imagine that you do not exist, but since you do, then be happy (enjoy).

私の訳
ハイヤーム!酒に酔ったら、楽しむがよい。
月のような美女と共にしたなら、楽しむがよい。
この世の終わりは無なのだから、おまえ(の存在)も無。
されどこの世に在るのなら、今を楽しむがよい。

ユダヤ人とは?

「アラブ人とは?」の中で、アラブとユダヤはセム系民族同士であるので言語学的には近いということでした。旧約聖書をみてもアラブとユダヤのルーツであるとされているイシュマエルとイサクは異母兄弟でした。それはそれとして、ユダヤ人とはどういう人たちなのでしょうか。ユダヤ民族とかユダヤ人という人種があるのでしょうか。

佐藤千景著『ユダヤ世界を読む』(創成社新書、2006年)の第一章の冒頭には次のような記載がある。
イスラエル外務省がウェブサイト上で紹介しているユダヤ民族の歴史は、「約4000年前の族長アブラハムとその子イサク、孫のヤコブによってその幕が開かれた」という記述から始まっている。この記述は、旧約聖書の創世記第12章から始まる族長時代に相当する部分であるが、現代においてこうした聖書の物語を、史実としての「歴史」としてとらえる人は少ないであろう。
他方で近年、死海近くにあるクムランの洞窟から発掘された死海文書や、後に述べるマサダの遺跡のように、考古学上の様々な発見によって聖書時代の出来事が徐々に裏付けられつつあることも事実である。とはいえ、過去の旧約聖書に関する多くの研究が示しているように、特に族長時代からダビデ・ソロモン王国成立頃までの記述は、イスラエルの民族に関する政治的、神学的な立場を説明するためにさまざまな部族や集団の民間伝承を紀元前一千年紀頃に再編集したものであるとされている。・・・・中略・・・・
イスラエルの帰還法によれば、ユダヤ人とはユダヤ人の母親から生まれた者、またはユダヤ教に改宗した者と定義されている。この定義に従うならば、ユダヤ人とは先祖の地を受け継いだ者たちだけではなく、特定の宗教信徒を示す名称であるということになる。彼らが別名「啓典の民」または「書の民」と呼ばれているのは、こうした理由による。事実、非ユダヤ人であっても、身体的な特徴を問わず、改宗によってユダヤ民族の一員として認められる場合がある。もちろん、ユダヤ教への改宗は決して簡単なものではない。しかしそれは、来日したスポーツ選手が帰化したにもかかわらず、いわゆる一般的な「日本人」としての集団に加えられることはないという、我が国での民族に対する感覚とは大きく異なるものといえよう。

ここに記載されているように、まずはユダヤ教に改宗した者はユダヤ人なのである。私・日本人がユダヤ教に改宗したとしたらユダヤ人となるということらしい。勿論、ユダヤ教に改宗することは簡単にはできないらしい。それにしても、ユダヤ人というのはユダヤ民族とかユダヤ人種というものではないということは間違いないというわけだ。

もう一つの、ユダヤ人の母親から生まれた者がユダヤ人であるという定義はどうだろう。「あっ、そうか。お母さんがユダヤ人であれば子供はユダヤ人ということだね。」分かりやすいですね。でも実際はそう簡単ではないらしい。ユダヤ人の母とは誰なのか、つまり、母親がユダヤ人であることはどうやってわかるのかという問題が残るというのである。なんかややこしいのであるが、ユダヤ人というのは皆ユダヤ教徒ではあるのでしょうね。

ユダヤ人と言うと外見の特徴がある。ヒゲや帽子などですぐに分かるが、それはそういう格好をすればユダヤ人ということであり、イスラム教徒がベールを着たりするのと同じことで、身体的な特徴ではない。和服の着物をきたのが日本人であるというようなものだろう。

結論としてはユダヤ人という人種や民族はいないということ。ユダヤの民が離散して世界中に散らばって存在しているうちに多様なユダヤ人になっていったというような感じなのでしょうか。

アラブ人、アラブ民族とは?(続き):旧約聖書から

「ユダヤ人とは?」を書く前に、「アラブ人、アラブ民族とは?」の続きを書いてみたいと思いました。それは旧約聖書を思い出したからなのです。

私の手元には旧約聖書が2冊あります。一つは妻が中学時代に使ったもの。もう1冊は娘が同じ中学時代に使ったものです。二人は同じキリスト系の学校だったので、聖書は必須だったそうです。私は中東のことを研究する上でイスラムだけではなくて、ユダヤ教やキリスト教、聖書などにも興味があります。そこで二人の聖書を譲ってもらい大事にしながら時々読んでいました。そこでアラブの祖のことが書いてあったことを思い出したのです。

創世記第25章7節~(アブラハムの死と埋葬)
7アブラハムの生涯は百七十五年であった。 8アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。 9息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、 10その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムは妻サラと共に葬られた。

創世記第25章12節~(イシュマエルの子孫)
12サラの女奴隷であったエジプト人ハガルが、アブラハムとの間に産んだ息子イシュマエルの系図は次のとおりである。 13イシュマエルの息子たちの名前は、生まれた順に挙げれば、長男がネバヨト、次はケダル、アドベエル、ミブサム、 14ミシュマ、ドマ、マサ、 15ハダド、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである。 16以上がイシュマエルの息子たちで、村落や宿営地に従って付けられた名前である。彼らはそれぞれの部族の十二人の首長であった。 17イシュマエルの生涯は百三十七年であった。彼は息を引き取り、死んで先祖の列に加えられた。 18イシュマエルの子孫は、エジプトに近いシュルに接したハビラからアシュル方面に向かう道筋に沿って宿営し、互いに敵対しつつ生活していた。

アブラハムと女奴隷であったエジプト人のハガルとの間にできた息子がイシュマエルであった。そして、その子孫たちがエジプトの近くで住むようになったと記されている。このイシュマエルがアラブ人の祖になっているのである。
一方で、アブラハムと妻のサラとの間に生まれたのがイサクである。創世記25章19節からは「アブラハムの息子イサクの系図は次のとおりである。と始まり、イサクの子供たちが生まれる過程を記しています。双子の息子でした。エサウとヤコブです。イサクの一族がユダヤ人の祖となるのです。

アラブ人の祖も、ユダヤ人の祖もアブラハムから生まれた異母兄弟であるということなのです。

私が今回言いたいことは、聖書に書かれていることを物語として読むことは非常に面白いということをお伝えしたかったのです。いかがですか?聖書に興味を湧いてきませんでしょうか?聖書を読んでいると他にも興味深いことがあります。ユダヤ人がバビロン捕囚から解放したペルシャのキュロス大王が、旧約聖書では英雄になっています。当然のことでしょう。このユダヤとペルシャが現代世界ではイスラエルとイランという形で激しく敵対しているのです。キュロス大王のユダヤ人解放は歴史上の事実です。聖書には伝説と事実が入り混じっている点も謎めいて面白い点でしょう。例えばノアの方舟は空想物語なのでしょうか或いは大洪水という歴史的な災害に基づいた事実なのでしょうか?????

バーレーンもイスラエルと国交樹立

アラブ首長国連邦がイスラエルと国交を正常化させたという記事を書いたのが8月15日でしたから、およそ1ヵ月後の昨日、バーレーンとイスラエルが国交を正常化させると合意しました。予想通りの展開になっていることですので、驚きはしません。

トランプ大統領はこのような合意を仲介することによって、中東和平の進展を推し進める功労者として自己アピールしているわけです。それが大統領再選へむけて大いに後押しをしてくれると信じて、精力的に運動してきたわけです。それと同時にやはりイランの孤立化、イラン包囲網を築こうとしているわけです。

バーレーンという国は人口が150万人位の小さな国です。バーレーンの影響力はそう大きくはありませんが、アラブ首長国に続いてのことですから、今後もサウジアラビアなどが続くと予想されます。すでにイスラエル機はサウジ上空を飛ぶことが暗黙の了解になっているとも報じられています。時間の問題でしょう。

問題は一連の流れが中東和平にどう影響するかということです。日本ではほとんど真剣な議論が公になっていません。パレスチナ問題の解決・和平につながるならば文句はありませんが、逆に解決から遠ざかるようなことになる可能性も大きいのです。和平への仲介をするならばパレスチナ自治政府を抜きにしてはスムーズに運ぶ筈がないことは自明です。トランプの考えていることは、中東和平ではなくて、自分の大統領選なのです。

アラブ人、アラブ民族とは?

今回は基本に戻ってみましょう。このブログを書き始めた時、つまり2019年の1月だから約1年半前に書いた第2番めの記事で次の図を示していました。

ブログを始めたばかりで、一回の文字数も短い状況でした。この図を示して「中東世界には大雑把にいうと、3つの民族・文化で成り立っている」ということを述べたのでした。ただそれだけでした。トルコとペルシャとアラブです。そして、それぞれについては何も説明がなされていませんでした。その後も、このブログの中ではアラブやトルコ、ペルシャなどという語句を当たり前のように使ってきました。でも、よく考えてみれば、ちょっと不親切なような気がします。今回は反省の意味を含めて「アラブとは?」を考えてみましょう。

アラブとはどういう意味でしょうか?アラブ民族というのがあるのでしょうか。アラビア半島の例えばサウジアラビアの人と、地中海沿岸のモロッコ人とはアラブ人という同じ民族なのでしょうか?いま、「アラブ人とは」とネットで検索してみると、世界史の窓というサイトでは次のように書かれています。
「アラブ人は、本来はアラビア半島を原住地とするセム系民族でアラビア人ともいう。彼らは広大な砂漠地帯で、遊牧生活を送っていたので、ベドウィンとも言われる。いくつかの部族に分かれ、交易と略奪に従事し、それぞれの部族神を礼拝する多神教を信仰していたが、7世紀に厳格な一神教であるイスラーム教を創始したムハンマドによって統一された。イスラーム教の教団国家は当初、アラブ人が主体となっており、非アラブ人のイスラーム教徒は差別される状態だったため、「アラブ帝国」と言われたが、イスラーム教の拡大に伴い、その周辺の諸民族と融合していくと次第にアラブ人と非アラブ人の差はなくなり、アッバース朝の時からは「イスラーム帝国」となった。こうしてアラブ人の概念そのものも拡張されていった。単にイスラーム教の信者と言うときには「ムスリム」を使う。また、イスラーム教徒の商人はムスリム商人といわれ、帝国の拡大に伴い広く東西で活動するようになり、東では中国にも及んだ。中国では唐代以来イスラーム教徒(広い意味のアラブ人)は「大食(タージ)」といわれた。」ちょっと意味不明のような記述がでています。アラブ人とは別名ベドウィンとも呼ばれる遊牧民だというのです。その前にセム系民族であると言っています。民族的な分類ではセム系という範疇に入るのがアラブ人であると。それは良しとしましょう。そうするとセム系民族とは何ぞや?となりますね。同じく世界史の窓で調べてみましょう。次のように書かれています。
「アフロ=アジア語族のひとつの語派とされ、西アジアに広く活動する語族の一派。セム語族(語派、語系)に入る言語には、アッカド語、バビロニア語、アッシリア語、アラム語、フェニキア語、ヘブライ語、アラビア語がある。なお、アフロ=アジア語に含まれる語派には、他に古代エジプト語派、チャド語派などがある。かつて、セム語族に対して、エジプトや北アフリカの言語をハム語族と言ったが、現在ではこの用語は用いられていない。」と。だんだん分からなくなってきます。つまりセム語系という言語学上の分類があって、その言葉を話す民族をセム系民族というらしいのです。そのセム語系にはアラビア語のほかに色々な言語が挙げられています。アラビア語のあればヘブライ語もあるのです。アラビア語を話すアラブ人もヘブライ語を話すユダヤ人もセム系という同じ民族なのです。

回りくどいことは止めましょう。アラブ人という人種的な区分はなくて言語的な区分でいうセム系民族の一つであるわけです。そして、アラブ人というのはアラビア語を母語とする人々のことなのです。

だから、先ほどのモロッコ人とサウジアラビア人とは同じアラブ人なのかという疑問は、アラビア語を話す人々同士だからどちらもアラブ人で良いわけです。人種的には異なるかもしれませんが、アラブ人ということです。

今日のタイトル「アラブ人とは?」の答えは「アラビア語を母語とする人々」ということです。そうするとトルコ人の定義とか、ペルシャ人の定義も気になりますね。それは次の機会に譲るとして、先ほどのヘブライ語を話すユダヤ人のことが気になります。アラブ人と同じセム系民族であり、ヘブライ語を母語とする人々なのでしょうか。そう簡単ではないようです。外見を見ただけでユダヤ人と分かる場合もあるようなので、ユダヤ人という人種があるのでしょうか。・・・ながくなりそうなので、それは次回にしましょう。