イスラムを知る:モスクについて

しばらくの間、イスラムに関する記事がありませんでした。今回はイスラムのモスクについてちょっと詳しく掘り起こしてみることにします。そもそもモスクとは何か?手元にある平凡社発行の『新イスラム事典』には「イスラム教徒の礼拝所、礼拝堂」とあります。勿論、その後に詳しいことが色々書かれているのですが、まずは、これでいいですね。ムスリム(イスラム教徒のことをムスリムと呼びます)がお祈りをする場であるということです。でも、イスラム教徒は1日に5回礼拝することになっているわけですから、そんなに頻繁にモスクに行くことは無理です。ですから、普段はムスリムがいる場所で礼拝をすればいいわけです。例えば、会社で仕事しているときに礼拝の時刻になったなら、会社の片隅でやればいいわけです。畑で仕事している時なら、地面に敷物でも敷いて、そこでやればいいわけです。駅や飛行場などには、モスクの代わりになる礼拝の場所がきちんと設けられています。ムスリムは金曜日が休息日ですから、金曜日にはなるべくモスクへいくことが勧められています。金曜日になると町の中心的なモスクでは正午から集団礼拝が行われます。

モスクは礼拝所ですから、それに伴う必要な場が設けられています。東京堂出版、黒田壽郎編『イスラーム辞典』76頁(下段)には「通常モスクにはミナレット(尖塔)、いくつかの部屋、ミフラーブ(キブラの方角を指示する壁がん)、ミンバル(説教壇)、ダッカ(ムアッズィンによる礼拝の呼びかけをする高台。通常大きなモスクにある)等があり、カーペットが床に敷きつめられている。」とでています。括弧書きで注釈がありますが、それでもムアッズィンは分からないですね。ムアッズィンとは礼拝の時間を告げる呼びかけを行う人のことです。礼拝呼びかけ人とでも訳せばいいでしょう。もう一つキブラという語句も注釈しておきましょう。礼拝は聖地メッカ(サウジアラビア)のカーバ神殿の方角に向かって行うのです。ですから、キブラの方角というのは、メッカの方角という意味です。それでは、今述べられた個々の施設を見ていくことにしましょう。

(1) ミナレット(尖塔):文字通り先の尖った塔のことです。これは礼拝の時間になると先述のムアッズィンが礼拝の呼びかけをするために用いられるわけです。大きなモスクにはありますが、小さなモスクにはありません。『新イスラム事典』では次のような挿絵が載っていますので、拝借させていただきます。

左から角柱型、円柱型、折衷型となっています。最もミナレットらしいのは円柱型のように思いますが、モスクの形などによって相応しい型があるようにも思います。冒頭の画像は私が写したイランのイスファハンのイマーム・モスクの遠望です。尖塔が4本見えていています。次の画像も同じくイスファハンで私が写したものですが、ミナレットは1本だけ見えています。ドーム屋根の向こうにもう1本あったのかもしれません。モスク自体が冒頭のモスクとは異なり、装飾のない素朴なモスクでした。

(2) ミフラーブ:モスクの礼拝室の中で、聖地メッカの方角(キブラ)を示すために造られたアーチ形の壁龕(ヘキガン)のことです。要はメッカの方角を示す印なのですが、その部分が大きなモスクでは立派に設けられているのです。立派とはどういう意味かというと、例えばタイルで美しく飾られているとか、またそのタイルにアラベスク模様が描かれていたりするということです。

(3) ミンバル(説教壇):金曜日の集団礼拝をするような大きなモスクにはミンバルと呼ばれる説教壇があります。金曜礼拝時にしかるべき人がここで説教をしたりするわけです。次に、大和書房発行・山内昌之監修『イスラーム基本練習帳』の図を拝借させていただきますと、左がミフラーブで右がミンバルです。

(4) まとめ:ほかにも何やかやがあると思います。礼拝前に身を浄めるための水場は不可欠のものでしょう。身の浄め方にも作法があるようです。私はムスリムではありませんので、礼拝の作法を詳しくは知りません。が、モスクを訪れた時には絨毯の上に正座して静かな心でミフラーブに向かい手を合わせます。それでいいのだと思います。これまでモスクに入ろうとして断られたことはありません。イランのシーラーズで一度だけ止められたことがありました。宗教的な行事があったようでした。そこで、彼らはスカーフを被っていた同行の女性のために身体全体を隠すチャドールを貸してくれました。それを着れば良いということでした。

日本にもモスクはありますね。神戸と東京の者が大きいモスクと言えるでしょう。特に東京ジャーミーは非常に立派なものです。前回行ったのは3年ぐらい前でした。中の売店でナツメヤシの実のお菓子を買って帰りました。甘くて美味しい、そして安かったです。また、ジャーミーの絵葉書も買い求めました。

中東世界とは (2)

前回、数多くの少数民族がいると書いた。例えば、イランにはルール、バルチ、トルクメン、クルド、バクチヤーリなどがいる。アラブ人やトルコ人もアルメニア人もいる。でも中心をなすのはイラン人=ペルシア人=アーリア人であって、イランと言えばペルシア文化が基調の国である。

同様にトルコもそうである。中東問題のひとつでもあるクルド問題のクルド人達は少数民族ではない。しかしながら、東ローマ帝国を滅ぼして築いたオスマン帝国の主役はトルコ人であり、そこに築いたのはトルコ文化である。このような意味合いで、私は上の図を描いたのである。中東にはアラブとペルシアとトルコの3つの文化があることを認識してもらいたい。

強調したいのは「中東には数多くの民族、そして彼らの文化があるので一つではない。しかし、中東の文化には3つの中心的な文化がある」ということである。多くの人々はイラク人とイラン人は同じ中東の隣の国で同じような民族・文化であると思っているのではないだろうか。イラクはアラブであり、イランはそうではない。特にイラン人は同一視されることを嫌悪する。それは西洋人が我々をみて「チャイニーズ?」「コーリアン?」と言われたときの感情以上のものがある。シルクロードを通じて中国や日本に洗練された文化を伝えたササン朝ペルシアは初期のイスラム帝国=アラブに滅ぼされたのだった。

 

中東世界とは

本ブログのサブ・タイトルは「中東・イスラム世界への招待」である。中東とはどの地域を指すのだろうか。上の地図はヨーロッパの人々が見慣れている世界地図である。我々日本人が見慣れている地図は日本が中心に描かれているが、この地図で日本は東の端に描かれている。つまり「極東」という言葉はこのような地図を利用している人々の世界観から生まれた概念である。ヨーロッパに近い東方が「近東」と呼ばれ、それは東北アフリカの辺りを指すことになり、「中東」とはその東となる。このブログではトルコ、シリア、レバノン、パレスチナ、ヨルダン、イラク、イラン、クウェート、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、オマーン、イェメン、そしてイスラエルの15ヵ国を中東諸国としておこう。

これらの国々を宗教で分類するとイスラム教が主流でない国家はイスラエルだけである。レバノンは元来キリスト教マロン派が中心勢力を占めていた地域であり、複雑な民族と宗教構造からなるイスラムとキリスト勢力の混合国家としておこう。残りの13ヵ国はすべてイスラムの国である(宗派に違いはあるものの)。

民族で分類するならば、イスラエルはユダヤ民族が建設した国家である。この国家建設がパレスチナ問題を引き起こしたのである。トルコ民族の国家がトルコであり、イラン民族(ペルシア人)の国家がイランである。残りの国々の主要構成民族はアラブ民族である。アラブ民族とはアラビア語を母語とする人々を指し、その人々は中東から北アフリカ一帯の広い世界に居住している。アラブはひとつというアラブ民族主義の質は時代とともに変遷してきた。トルコの公用語はトルコ語であり、イランの公用語はペルシア語である。というもののトルコやイランにはクルド語を話すクルド民族やキリスト教徒のアルメニア人も居住しているし、もっと数多くの少数民族も存在しているので、この国はこれこれであるとステレオスコープ的に決めつけることはできない。

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2019年1月ブログ開始です。

中東・イスラム世界について名古屋から発信いたします。サイトの整備しながら進めてまいります。記事の掲載は最初は歴史から入っていきますが、合間合間に時事的な記事や、想いでの体験話などを取り混ぜていこうと思います。遅々たるものかもしれませんが、お付き合いの程を宜しくお願いいたします。