先般、ハーフェズの抒情詩を紹介しましたが、今回はオマル・ハイヤームのルバイヤートの中から、彼の詩を紹介します。既に、ルバイヤートについては過去にも述べたことがありますので、重複する部分があるかと思います。
オマル・ハイヤームについて:
オマル・ハイヤームは1048年に現在のイランのニシャプールの町に生まれ、1131年に没したペルシャの詩人である。ところが生前の彼は詩人として知られた存在ではなかったようだ。そのような彼を岩波文庫『ルバイヤート』の著者である小川亮作氏は、そのあとがきの中で次のように述べている。
「性来彼は学問を好み、数学、天文学、医学、歴史、哲学などの蘊蓄を極め、今日のトルクメン族の祖先がペルシアを征服して建てたセルジュク帝国(1037~1194)の新都メルヴヘスルタン・マリク・シャー(在位1072~1092)建設の天文台に八人の学者の主席として聘せられ、1074年同王の命によって、他の七名の学者とともに暦法の改正に当たり、後で述べる通りその正確さにおいて現代のグレゴリオ暦にもまさるほどの有名なジャラリー暦を制定したが、これは惜しくも採用されるにいたらなかった。」
「彼の科学的業績として今日存在を知られているものは、アラビア語による『代数学問題の解放研究』、『ユークリッドの「エレメント」の難点に関する論文』、気象学の書、恒星表、インド算法による平方および立方根の求め方の正確度を検した数学書等である。」
このように生前の彼は詩人としてよりも科学者として有名であったことがわかる。小川氏のあとがきによると、死後しばらくしてから、彼が書き残していた詩は伝えられたようであるが、今でいう大きなヒットを飛ばすことはできなかったようだ。そんな彼を詩人として世界中に知らしめたのは英国人フィッツジェラルドの翻訳がきっかけであった。彼についての詳細は省略するが、彼は1959年に250部のみの私家版として出版したのであった。最初、売れなかったこの詩集が、次第に陽の目を見るようになったらしい。
ルバイヤートの日本での翻訳本
私の手元には次の翻訳本がある。
小川亮作訳『ルバイヤート』岩波文庫、1949年第1刷発行
竹友藻風訳『ルバイヤート』㈱マール、2005年第1刷発行
岡田恵美子訳『ルバーイヤート』平凡社ライブラリー、2009年初版発行
小川と岡田の訳は原語からの直訳である。2番めの竹友の訳はフィッツジェラルドの英語訳からの和訳である。2005年発行とあるが、竹友訳が最初に発行されたのは1921年(大正10年)である。彼の訳は文語調の美しい調べの名訳であると思う。が、私自身はフィッツジェラルドの英訳が原典からあまりにも意訳すぎると感じているので、原語からの和訳の作品に拍手を送りたい。勿論、フィッツジェラルドの英訳は英語話者にとっては原典の調べを上手に訳した良い作品なのであろうと思う。でないと、世界中の人にルバイヤートの良さを伝えることはできなかったはずである。
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ここで一つの詩を紹介する。そして先述の複数の訳者による翻訳を味わってみてもらいたい。
これが原語のペルシャ語によるものである。ペルシャの詩はこのように美しいナスターリーク書体で書かれると、詩の調べまで感じることができるような気がする。通常反対側の頁にミニアチュールの絵が挿入されるのだ。
ナスターリーク書体に慣れていない人のために、同じ詩を活字体で示すと次のようになる。
ペルシャ語学習の初級者のテキストにはアルファベットでの表記がある。ペルシャ文字が読めなくても、美しいペルシャ語の調べを少しは味わえるかもしれない。
そして、初級学習者用には、ペルシャ語の意味を直訳した英語訳が示されているのである。それが次の通りである。
そこでルバイヤートを世界的に有名にフィッツジェラルドの翻訳が次の通りである。
原文ではBaghdadとBalkhとなっている地名はNaishapurとBabylonとなっている。Balkhは現在のアフガニスタンにある中世に栄えた都市である。Baghdadは言うまでもなく現在のイラクの首都である。アッバース朝時代に首都として建設された大都市である。フィッツジェラルドが訳出したNaishapurは現在のイラン北東部の町でオマル・ハイヤームの出身地である。Babylonはバビロニア王国の都でる。Naishapuru(私はいつもニシャプールと発音しているが)やバビロンにしても地名であるからそのままでいいと思うのであるが、フィッツジェラルドにはその都市の名前から浮かぶイメージがあったのであろうと思う。この彼の英訳から竹友藻風が訳した日本語訳は以下の通りである。
文語調、五七調なので、詩の雰囲気をうまく醸し出している気がする。中には難しい言葉が使われているために、すぐには意味が分からないような訳もあるが、この詩については分かりやすいと思う。
次に、原語から直訳された日本語訳を小川訳、岡田訳と続けて示そう。
色々な訳を紹介したが、これまでにハーフェズの詩の時に登場した黒柳恒男先生の訳が欠けていた。その書籍は私の手元にはないのだが、黒柳恒男訳注『ルバイヤート』大学書林発行である。そこでの訳は次の通りである。
フィッツジェラルド(竹友)、小川、岡田、黒柳の4人による日本語訳を紹介した。いずれが一番しっくりと心に響いただろうか。原文の語順と意味の取り方から、4人の訳のいいとこどりをした私の訳は次の通りとなった。
人生が甘くとも、苦かろうと、 命は尽きる!
そこがバグダートでもバルフでも、 酒杯が満ちるなら、
酒を飲め! 我らが(この世から)去った後も、
月は限りなく満ちては欠け、欠けては満ちる!
お疲れさまでした。ハステ ナバーシイ!