正倉院の宝物には西域から伝来したものが沢山あることは皆さん承知のことでしょう。シルクロードを通じて西域の文化が中国を経由して日本に伝わってきています。中でも、ササン朝ペルシャの洗練された器物が有名です。でも、ササン朝ペルシャの時代よりももっと前の時代に西域の人々が渡来してきていることが、日本書紀には記録されているのです。今回はそのような渡来人について述べて見たいと思います。タイトルを「日本書紀にみるゾロアスター教徒の来日」としたのですが、正確にはゾロアスター教徒ではなく、ペルシャ人と言った方が良いかもしれません。
654年4月「トカラ国の男二人、女二人、舎衛の女一人が嵐に遭って日向に漂着した」
657年7月3日「トカラ国の男二人、女四人が筑紫に漂泊し、わたしどもは、はじめ奄美島に漂泊しましたと言った。そこで早馬をもって大和に迎え入れた。
657年7月15日「作須彌山像於飛鳥寺西。且設盂蘭盆会、暮饗覩貨邏人。」「すみ山の像を飛鳥寺の西に作る。また盂蘭盆会を営み、夕方にトカラ人を饗応した。」
660年3月10日「トカラ人が妻なる舎衛婦人といっしょに朝廷に伺候した」
660年7月16日「また、トカラ人乾豆波斯達阿(けんづはしだちあ)が本国に帰りたくて、送使を出してほしいと願い出て、『のちにまた大和朝廷にお仕えした。そこで、妻を残してそのしるしにします』と言った。そして彼は送使数十人(とをあまりのひと)といっしょに、西海に向けて旅立った。」
ここまでを整理してみよう。5つの日時での記述がなされている。最初の654年は孝徳天皇の御世(御代)であり、後の四つは斉明天皇の時代である。トカラ人の男二人と女二人、それに舎衛の女一人が九州に漂着したという記録である。舎衛の女というのが、トカラ人ではなくて舎衛人の女という意味なのか、トカラ人ではあるが、何らかの意味をもつ舎衛の女かはこの時点では分からない。漂着したところが、日向なのか筑紫なのか、奄美島なのか私には分からないが、その後、大和朝廷に迎えられたということのようだ。その後、乾豆波斯達阿が帰国したいと申し出て、妻の舎衛を残して旅立ったとある。達阿というのは名前らしい。またその前の波斯はハシと読むがペルシャの意味である。とすると、トカラ人というのはペルシャ人のことなのだろうか?
私自身は日本書紀を所有していないし、していても読むことはできないだろう。そこでここまで述べてきたことは上の画像の文庫本を参考にして書いている。というか、読みながら書いている。というのは読んでいるだけではすんなりと頭に入ってこないのである。数ページ読んでみて、その部分を整理して、ここに書いてみて、ああそういうことなんだなと理解しているのだ。私が持っている知識を披露しているのではなく、私自身が理解するために書いているのである、皆さんはそれに付き合って下さっているという状況です。さて時代は天武天皇の御世になる。
676年1月1日「大学寮諸学生陰陽寮外薬寮及舎衛女堕羅女百済王善光新羅仕丁等捧薬及珍異等物進」⇒「大学寮の諸学生・陰陽寮・外薬寮や舎衛女・堕羅女・百済王善光・新羅の仕丁たちが薬や珍異等物(めずらしきものども)を奉献した」
つまり新年元旦に天皇に珍しいものを献上したという記録である。注目するのは、ここにも舎衛女が出てきているのである。伊藤義教先生によると、殆どの学者が舎衛国の女としているそうである。舎衛国あるいは舎衛城は梵語名をシュラーヴァスティー(在ネパール)であり、北コーサラ国の首都で、その郊外には有名な祇園精舎があったという。このシュラーヴァスティー説に異を唱えたのは僅か一人だけ井本英一先生であるそうな。井本先生というのは私が大学で4年間教えを受けた主任教授である。つまりゼミ担任である。私たちはそんなことは何も知らずに教えを受けていたのであるが。
それでは井本先生が唱えた説は「舎衛はトカーレスターンの地名Shaweghar または Sawe 」と同定されたそうである。伊藤義教先生はまた異なる説をお持ちのようである。この伊藤先生にも私は学生時代に講義を受けたのであった。そのころ先生は京都大学の教授であったが、非常勤講師として私たちに「古代文字の解読」の講義をされた。この場合の古代文字とは楔型文字つまり古代ペルシャ語の楔型文字のことである。我々にとっては現代ペルシャ語自体も初心者であるのに、そのようなものが理解できるはずはなかった。その先生が語られたダレイオス碑文を60歳代半ばにしてビストゥーンで直にお目にかかるとは、当時は想像だにしなかった。
新たにトカーレスターンとは何処なのかという興味も湧いてきた。何か謎解きのようになってきた。ここまで書いてきた行数はそれほど多くはないが、読んでは整理しながら書くもんだから、結構時間がかかった。久しぶりに快晴となり外は猛暑が再来した。少々疲れたので今日はここまでにして、続きは後日としよう。