クルド人について

2020年2月に「クルド人の国家ができようとしていた(イラクの歴史3)」というい記事を書きました。タイトル通りの内容で、それはそれでいいのですが、先日来メソポタミアの民族などを書いてきましたのでクルド人という民族そのものについてちょっと書いてみようと思いました。

先ずは、クルド人の話す言葉はクルド語です。クルド語は言語学的にはインド・ヨーロッパ語族、イラン語派西イラン語群に属する言語のひとつである。つまり、イランで話されているペルシャ語に近い言語である。クルド語をクルド語で書くと كوردی である。ペルシャ語と同じくアラビア文字を使用している。インド・ヨーロッパ語族に属していることからわかるように、イラン人と同じアーリア系の民族である。19世紀のフランスの考古学者は身体的特徴として「肩幅が広く、胸板の厚い、中肉中背の美しい人々である。体のバランスがとれていて、頭は小さく、髪は黒く巻き毛である。額は広く、鷲鼻で、目は大きく瞳は黒い。眉は濃く、頬は出ていてばら色である。これらの人々はたいてい小麦色の肌で、黒くて薄い髭を有している(Pars Today のウェブサイトより引用)」と述べているそうである。

Pars Today はさらにクルド人の衣服についても次のように記している。

クルド人は、イランの他の民族と同じように独自の美しい民族衣装を有しており、クルド人はそれぞれ、昔からの文化の象徴としてそれを保持することを義務付けられています。各民族、各国民の文化や慣習において、衣装はその歴史や社会、価値観を示す象徴的なもののひとつです。
クルド人の民族衣装は、地域や社会階層により、それぞれ異なっています。クルド人の地域には、西アーザルバイジャーン、コルデスターン、ケルマーンシャー、北ホラーサーン州が含まれます。イラン、イラク、トルコ、シリアに暮らすクルド人の衣装は、各地の気候条件に応じた美しい装いとなっています。クルドの民族衣装を研究しているナーザニーン・エスファンディヤーリーさんは、このように述べています。
「地元の男性の衣装には、体、頭、足を覆うものがあります。これらはそれぞれ、季節、仕事、生計、儀式、祝祭の種類によって異なっています。クルドの各居住区によって衣装は異なっていますが、体を完全に覆うという点ではすべて共通しています。クルド人男性の衣装は、次のようなもので構成されています」。

チューヘ:コットンあるいはウール、ヤギの毛でできた前開きの丈の短い上着。クルドの伝統的衣装のひとつ。
ファランジー、ファラフジー:フェルトの長袖衣装
パントール:足首がすぼまったゆったりしたズボン。ランクとも呼ばれる。
マレキー:襟のないシャツ。ボタンで留める。
スーラーニー:ゆったりした長袖のシャツ。シャツの袖には三角形の布がついており、通常手首や腕に巻きつけている。
シャール:およそ3メートルから10メートルの布で、腰付近に巻く。また男性が帽子の代わりに頭に巻く布もある。
ピーチ・オ・キャルーラウ:クルドの帽子は、通常女性たちがクルド独自の文化に残されている模様を使って、特別な技量を用いて編んだもので、黒と白が用いられている。先人たちの教えによれば、男性は頭をむき出しにすべきではないとされている。
プーチ:白と黒のハンカチのような布で、帽子の周りに巻きつける。
キャラーラシュ:足を覆うもの。白色で非常に美しく織られており、絨毯の糸と絹糸、革でできている。使用されている素材から、匂いを防ぎ、涼しさを維持できる。その特性上、冬や雨の季節には使えない。

上の写真からもわかるように日本のモンペのようなズボンが特徴的である。ここで述べられているクルド人の特長は Pars Today から引用したものであるから、イランのクルド人についての記述である。クルド人はご承知のようにイラク、トルコ、そしてシリアに居住しているわけであるから、必ずしもここで記述されたものが全てではないであろうということを追記しておこう。

私自身は昔テヘランに居た時にクルド人と出会ったことはある。でも、それは僅かな人数でしかなかったし、テヘランにはアフガン、トルクマンほか数多くの民族がいたので、特に気にすることもなかったのである。その後、2011年にケルマンシャーを訪れたことがある。ケルマンシャーはクルド人が大勢居住している都市なので、そこでは多くのクルド人と出会いました。どこでもペルシャ語が通じたので、特に違和感を覚えることはなかった。この時の旅は3人だったのだが、エコノミークラスの宿をとった。フラット貸しの宿で寝室二つにベッドが3つづつ置かれていた。一番目を引いたのは受付のカウンター周りにはキリストの宗教画が飾ってあったことだった。オーナーはムスリムではなかったのだ。町で声をかけてきた人がいて、翌日に彼の家に招待されたのもケルマンシャーの想い出である。

最後にクルドに関してし日本で出版されている本を一冊紹介しておこう。新評論発行・勝又郁子著『クルド・国なき民族のいま』は2001年発行のものであるが、クルド問題について詳しく知ることができる。

ルバイヤート朗読(2)

オマル・ハイヤームのルバーヤート(小川亮作訳)の朗読を作成し、YuTubeにアップしました。
文章の電子テキスト化は青空文庫さんのものを利用させていただきました。ここに感謝の意を表します。 #ルバイヤート​​ #オマル​​・ハイヤーム #ペルシャの詩人​​ #イラン悠々

 

ペルシャ語講座29:動詞の時制を整理してみよう。

もっともらしく「ペルシャ語講座」と題して、思いのままに書いていましたが、ちょっと動詞の時制を改めて整理してみましょう。خریدن kharidan (英語の to buy)(日本語の「買う」)を使って表にしてみましょう。

現在形
 1人称単数  میخرم  mikharam  I buy
 2人称単数  میخری  mikhari  You buy
 3人称単数  میخرد  mikharad  He (she) buys
 1人称複数  میخریم  mikharim  We buy
 2人称複数  میخرید  mikharid  You buy
 3人称複数  میخرند  mikharand  They buy

現在形は、語幹の語尾を人称単複にして、頭にmiを付けます。

過去形
 1人称単数  خریدم  kharidam  I bought
 2人称単数  خریدی  kharidi  You bought
 3人称単数  خرید  kharid  He (she) bought
 1人称複数  خریدیم  kharidim  We bought
 2人称複数  خریدید  kharidid  You bought
 3人称複数  خریدند  kharidand  They bought

過去形は語幹の語尾人称単複にするだけです。

過去進行形
 1人称単数  میخریدم  mikharidam  I was buying
 2人称単数  میخریدی  mikharidi  以下省略
 3人称単数  میخرید  mikharid
 1人称複数  میخریدیم  mikharidim
 2人称複数  میخریدید  mikharidid
 3人称複数  میخریدند  mikharidand

過去進行形は過去形の前に mi を付けます。

現在完了形
 1人称単数  خریده ام  kharide am  I have bought
 2人称単数  خریده ای  kharide i  You have bought
 3人称単数  خریده است  kharide ast  以下省略
 1人称複数  خریده ایم  kharide im
 2人称複数  خریده اید  kharide id
 3人称複数  خریده اند  kharide and

現在完了形は語幹に ه を付けて、その後ろに人称語尾を付けます。

過去完了形
 1人称単数 خریده بودم  kharide budam  I had bought
 2人称単数 خریده بودی  kharide budi  You had bought
 3人称単数 خریده بود  kharide bud  以下省略
 1人称複数 خریده بودیم  kharide budim
 2人称複数 خریده بودید  kharide budid
 3人称複数 خریده بودند  kharide budand

過去完了形は現在完了形と同様ですが人称語尾を過去形にします。

仮定法過去形
 1人称単数 خریده باشم  kharide basham  I may have bought
 2人称単数 خریده باشی  kharide bashi  You may have bought
 3人称単数 خریده باشد  kharide bashad  以下省略
 1人称複数 خریده باشیم  kharide bashim
 2人称複数 خریده باشید  kharide bashid
 3人称複数 خریده باشند  kharide bashand

仮定法過去形は完了形と同様ですが、上のように bash を使います。

未来形
 1人称単数  خواهم خرید  khaham kharid  I shall buy
 2人称単数 خواهی خرید  khahai kharid  You shall buy
 3人称単数 خواهد خرید  khahad kharid  以下省略
 1人称複数 خواهیم خرید  khahim kharid
 2人称複数 خواهید خرید  khahid kharid
 3人称複数 خواهند خرید  khahand kharid

未来系は動詞の語幹の前に khastan を付けて語尾を人称単複に合わせます。

一気に書き上げたので、ミスタイプがあるかもしれません。その時はお知らせください。一つ一つを真面目に文法的に理解しようとするなら、参考書を読んでみてください。読んでもややこしいだけですけどね。使っているうちになんとなく使えるようになってくるものです。たとえ間違っていても、ネイティブは何も非難するようなことはありません。外国人がしゃべる言葉ですから、間違いも寛大に見てくれるものです。

わたしなんかひどいものでした。「お金を払う」miparzadam というところを、長い間、 mipazam (料理をする)と間違って言っていました。後から気付いて恥ずかしいと思ったものでした。

 

イスラムを知る:イスラムにも数珠があります。

日本人の多くは一応仏教徒という人が多いでしょう。普段の生活が仏教徒として行動していなくとも、葬儀などは仏式で執り行う人が多いと思います。神式やキリスト教、そのほかでもあるのは勿論です。仏教の場合、数珠というものがあります。我が家にもいくつか有りまして、先日の法事の時も使用いたしました。この数珠がイスラムでも使われているということをご存じでしょうか。そうなんです。イスラム教徒も数珠を使っているのです。

私が初めてイランに行ったのが20代でしたが、その時のオフィスにいた50代のアジュダニさんというスタッフがいつも数珠を手にしていたものです。それでイスラムの数珠を知ったのでした。イランではタスビーと呼んでいました。アルファベットでは tasbih ペルシャ語では تسبیح となります。アラビア語ではどうでしょうか。

平凡社の『新イスラム事典』では次のように説明しています。
アラビア語でスブハあるいはタスビーフという。イスラム世界では遅くとも9世紀半ばころまでにインド方面の仏教徒から借用し、一般化したといわれる。礼拝時、ジクルの際、葬儀の際、神を賛美する定句を繰り返し唱えるために用いられる。玉は木材、骨、角、貴石等のいずれかでつくられ、数は100(アッラーフという名とともにその99の美名の合計数)または33が普通で、33または11個目ごとに異形の玉を、結び目にドーム形大玉を配置し、勘定の便に供している。また占いや魔除けにもなり、敬虔な者は平常、手から離すことがない。(堀内勝)
(注)ジクルとはイスラムにおいて,神の名を唱え,思念を神に集中する宗教的行為。

ということで、数珠の本家はやはり仏教ということらしい。でも、仏教の数珠自体が遡れば、諸説あるものの、古代インドのバラモン教で用いられていた道具が元となっているそうです。
99の美名という部分がひかかりますね。実はアッラーというのは神という意味の言葉です。神を表す言葉は99いやそれ以上沢山あるわけです。その気高き神の名を沢山唱えることを意味するわけです。「アッラーよ、わたしはあなたの美しい名前すべてをもってあなたに祈ります」と。

確かに前述のアジュダニさんはいつも数珠を手から離さずにもっていました。イランのことを何も知らない私に非常に親切にしてくれました。敬虔な信者であったのでしょうね。懐かしいです。今回、数珠は私が所有していないので画像はありません。インターネットで「イスラムの数珠」と検索すれば出てくるので、そちらでご覧ください。アマゾンや楽天市場では販売もされているので、画像も豊富に見ることができますよ。

中東の世界遺産①:パサルガダエ Pasargadae

中東地域にも世界遺産は数多くあります。これまでこのブログでは、特に世界遺産として取り上げてはいませんが、記事にした事柄の中には世界遺産になっているものもあります。今後、中東の世界遺産にも世界遺産として目を向けようと思うのです。一回目はイランのパサルガダエです。

パサルガダエ
パサルガダエは紀元前6世紀にキュロス大王(キュロス2世)によって建てられたアケメネス朝の最初の都である。その領土は地中海東岸とエジプトからインダス川に至る広大な帝国であった。パサルガダエの遺跡の大まかな図を次に示そう。

数字の1のところがキュロス大王の墓である。そこから北東へ歩いていくと③王の謁見の間跡があり、その先に⑤住居にしていた宮殿跡がある。6の地点にはソロモンの牢獄という建造物がある。その先の7の地点は高台になっており、そこから全体を見渡すことができる。そこから見る風景は2500年前の廃墟でしかないが、それぞれの箇所で見る遺跡群は当時の栄華の様を忍ぶことができる。はじめから写真で辿ることにしてみよう。

東からパサルガダエに近づいていくと両側に立派な並木が現れる。その道の奥の方にキュロス大王の墓が少しずつ見えてくる。到着して先ずはまっすぐにキュロス大王の墓に行く。

キュロスの墓を後にして東北に歩いていくと建物の基礎部分だけが残ったエリアに着く。このあたりが王の謁見の間のようだ。

更に歩をすすめるとResidential Palace of Cyrus になる。日本語ではキュロスが居住した宮殿ということだろう。建物はないが太い大きな柱が沢山建っている。キュロス大王の栄華の跡であろう。

この先に行くと、zendan-e-Soleiman ソロモンの牢獄と呼ばれる四角い石の塔のような構造物がある。次の写真であるが、これはゾロアスター教の拝火殿に近いものであるらしい。ナクシェ・ロスタムにあるゾロアスター教のカーバはより良好に保存された同様のものであるとか。

ペルシャ語講座27:慣用句 رستم در حمام 見掛け倒しの男

上の画像はイランのシーラーズの町にあるキャリム・ハーン城塞の壁にあるタイルの壁画である。私が写した写真である。描かれているのはロスタムである。少し大きくしてみよう。

ロスタムとはペルシア文学の建国叙事詩『シャー・ナーメ (王書) 』における伝説上の英雄。その武勇伝はフィルダウシーの『シャー・ナーメ (王書) 』の中心的部分をなしている。だからロスタムというと強い男というのが定着しているのである。そしてイランではロスタムの肖像が浴場の壁画として描かれることが多かった。入浴によってロスタムのように心身ともに壮健になるようにという意味合いであったようである。それが今回のタイトル 「رستم در حمام ロスタム ダル ハムマーム」訳すると「ハムマームのロスタム」であるが、いつの間にか「見掛け倒しの男」「見かけだけ強そうな男」となっているのが面白い。機会があれば使ってはいかがでしょうか。日本人が言うときっと面白がってくれるように思います。

地下水路カナートについて

上の図はカナートの模式図である。中東地域の至る所で見られる地下水路のことであるが、イランではカナートであるが、他ではカレーズと呼ばれるところもある。降水量の少ない地域ではこのような地下水路を建設して地下水を利用している。図では右側が山地、左側が平地になる。降ることは少ないが山地に近いところで降った雨が地下に沁みこむ、その地下の底に不透水層と呼ばれる岩盤などの層があれば、水はそれ以上下には沁みこまずに地下水となって蓄えられる。その地下水を狙って縦井戸をほり、そこから横に水路を掘っていくのである。縦井戸を掘るとそこで掘り出された土が地上の穴の周りに積まれることになる。だから、空からカナートを見るとドーナツのような円形が続いている風景が見える。砂漠地帯を飛行機で通る時によく目にすることができる。模式図では単純化されて描かれているが、実際には非常に長いものである。数キロから数十キロのものまである。カナートの終点で露出したところが池であり、オアシスであって、村人を支えているのである。

インターネットでカナートのことを見ていたら2020年4月26日のTehran Timesの記事があった。見出しは「世界最長のカナートが修復中」とあった。その記事によれば、その水路はイランのヤズドにあるが、最近の洪水により土砂が流れ込んだようである。以下に新聞の写真を転載するが、冒頭の図に見るような単純な井戸ではなく、かなり大きな構造物のように見える。

私がカナートのことを知ったのは学生時代に受けた「西南アジア事情」という授業の中であった。その時に先生(確か京大から非常勤できていた末尾先生)が「このカナートに魚がいることがあるらしい。そして、その魚は白くて目が見えないらしい。」と話したのだった。先生が「らしい」と言ったのは先生自身が見たわけでなく、書物からの伝聞であったからである。その本の名は『Blind White Fish in Persia』であった。なぜ、そんな人工的な地下の水路に魚がいることが不思議であったし、さらに地下で日の当たらないところなので色は白く、目も見えないというのが神秘性を感じたのだった。

私自身、旅行中に道路の脇にカナートが見えた時に、車を降りてカナートの近くまで行ったことがある。近くで見ると竪穴の直径は3メートル以上はあって、意外と大きかった。竪穴から人が入り、横穴を掘っていくわけである。灯とりに蝋燭の燭台を使うと聞いた。それは灯とりだけではなく、酸欠の危険から身を護るためでもあるとも聞いた。いずれにせよ。地下での仕事である。土砂の崩壊などのリスクもあるだろう。私のような閉所恐怖症の者には耐えられない仕事である。皆さんも砂漠を横断するような道路を走る機会があったなら、少し注意して周りを見渡してみてはいかがでしょうか。

さきほど『Blind White Fish in Persia』という本の題名を記したのであるが、1972年頃、テヘランの書店でこの本を見つけたので、買ったのであった。今では古びているが書棚の隅に置かれている。表紙カバーはボロボロである。中の画像を少しここにアップしておこう。


表紙と中表紙

カナートの掘削風景と内部

内部

 

 

ペルシャ語講座27:有用表現 دست شما درد نکند ダステ ショマー ダルド ナコネ

今日の覚えておきたい表現は دست شما درد نکند  です。文字通りの発音をアルファベットで書くと、 dast-e-shoma dard nakonad ダステ ショマー ダルド ナコナッド ですが、最後のナコナッドは会話ではナコネとなります。دست dast はのことです。ショマーはあなたですね。دست شما で貴方の手 になります。あなた と  の間には何も書きませんが、ダストの最後にe エをプラスして、ダステ ショマー で貴方の手となります。プラスするエのことをエザフェと呼びます。私の本の場合は ketab とman  なので私の本はketab-e-man ケターベマン です。ペルシャ語の参考書などでは ketab-e-man と表記されることが多いために「ケターブ・エ・マン」先ほどの例では「ダスト・エ・ショマー」などと間違って発音してしまっている人がいるのでご注意下さい。
話を基に戻しますと、貴方の手=タステショマーでして、つぎの درد dard ダルド は痛みという意味です。 نکند はکردن 英語のdoの三人称単数現在 に否定形のナが付いたもので、don’t の意味です。合わせて、痛くするなということです。最初から通すと「あなたの手を痛くするな」となります。日本語の「お手数をおかけしました」に相当するセリフです。原文の意味にもう少し近く訳すと「お手を煩わさないでください」という感じですね。ありがとうとお礼を言う際に使える便利な言葉です。

ついでですが、ナコナッド ➡ ナコネ になるという部分について補足しておきましょう。go رفتن ラフタン を例に説明します。

go رفتن ラフタン
میرون miravam ミラヴァム miram ミラム
میروی miravi ミラヴィ miri ミリ
میرود miravad ミラヴァッド mire ミレ

上の表は英語のgo、ペルシャ語のラフタンの現在形の上から一人称単数、二人称単数、三人称単数形を並べたものです。
教科書ではそれぞれミラヴァム、ミラヴィ、ミラバッドと発音するように習うわけですが、会話では右側の部分になります。ミラム、ミリ、ミレというわけです。これはわざわざ覚えることもなく、使っていると自然に身についてくるものです。例えば、ミラヴァムを何度も繰り返し早口で行ってみると、ミラムになってしましまうような気がします。他の単語も一つ一つ書けばいいかもしれませんが、今日はここまでにしておきましょう。こんな言い方はありませんが、ダステ マン ダルド ナコネ です。

 

ペルシャ語講座24の答え

ペルシャ語講座24で示した平易な文の日本語訳です:
این منزل ماست これは私たちの家です。
منزل ما است がمنزل ماستと短縮されています。
آن باغ مال کیست あの庭は誰のものですか。
آن باغ مال من است あの庭は私のものです。
پدر این بچه کجاست この子供の父親はどこにいますか。
این اطاق پنجره دارد この部屋には窓があります。
کتاب شما روی میز اسب あなたの本は机の上にあります。
مردی بمنزل ما آمد 男の人が我々の家に来ました。
پسر او بیرون اسب 彼(彼女)の息子は外にいます。
دختر من گربه دارد 私の娘は猫を持っています(抱いています)
آنهارا در باغ دید 彼ら(彼女ら)を私は見ました。
این زن کتابی بمن داد この女性は私に一冊の本を与えました。
کجا رفت 彼はどこに行きましたか。
بشهر رفت 町に行きました。
کتاب و مداد روی میز است 本と鉛筆が机の上にあります。
مادر شما بمنزل ما آمد あなたのお母さんが私たちの家に来ました。
اسب او توی باغ است 彼の馬が庭の中にいます。
این منزل مال ماست この家は私たちのものです。

いかがでしたか。 مال は「誰々のもの」というときの「もの」に相当します。マーレ・マンで私のもの。マーレショマーであなたのもの。あの家は私のものですのように使います。