ハーフェズ(その2)

前回に引き続きハーフェズ(2)とした。上の画像は手元にあるDVDの一頁である。頁の右側に一つの詩が、左側には絵が示される。これは3頁であるが、前回の最後に私が好きな一つだと紹介した「シーラーズの乙女が・・・・サマルカンド・・」の一篇である。絵の下の右側の▶を押すと、音楽にのせて朗読が始まるのである。好きな個所を聞けるように、絵の上部には検索枠がある。こうして、ハーフェズを愛する人は彼の詩を堪能することができるのだ。

ハーフェズはシーラーズを愛する詩や美女に恋する詩のほかに酒についても多く詠っている。その一つを紹介しよう。

酌人(サーキー)よ、起きて私に酒杯を与えよ
日々の悲しみに土をかけよ
酒杯をわが掌(て)に置け、体から
この青色の幣衣を脱ぎすてるように
賢者には(名声を求めぬことが)不評であろうとも
われらは名誉や名声を欲しない
酒をくれ、高慢の風をいつまで吹かすのか
悪い結果に終わる欲望には土をかけよ
わが嘆きの胸のため息の煙は
未熟な無常者たちを焼きつくした
恋に狂うわが心の秘密を守る友を
私は貴賤のうちにだれも見出せない
恋人といればわが心は楽しいが
彼女は一挙にわが心から安らぎを奪った
白銀(しろがね)の体をしたかの糸杉(恋人)を見た者はだれも
園の糸杉には決して見向きもしない
ハーフェズよ、日夜苦難に耐えよ
ついにはいつか望みが達せられよう
*青色の幣衣=神秘主義者の幣衣


この画像は私が昔シーラーズで写したものである。ハーフェズ廟である。周りが花いっぱいの公園になっているところで、始終人が訪れる場所である。インターネットで「ハーフェズ廟」と検索すれば美しい写真を沢山みることができる。特に夜の風景が美しいと思う。この墓石に刻まれているのが次の詩である。

私は天国の鳥、この世の罠から抜け出そう
そなたへの愛に誓って、私を自分の奴隷と呼んでくれるなら
私は時間と空間の支配から抜け出そう
神よ、私が埃のように消え去る前に
お導きの雲から慈雨を降らせ給え
わが墓の傍に酒を持ち楽師を連れて坐れ
そなたの芳香(かおり)で私は墓から踊りながら起き上がろう
麗しい歩みの恋人よ、立って姿を見せよ
私は踊りながら生命とこの世に別れを告げよう
老いたりとも一夜私をしっかり抱いてくれ
翌朝私は若返ってそなたの傍から起き上がろう
死ぬ日、そなたに会う一瞬(いっとき)の猶予をくれ
ハーフェズのように、私は生命とこの世を捧げよう

ハーフェズの作品はガザルという抒情詩が多いのだが、ちょっとペルシャの詩の形について説明しておこう。オマル・ハイヤームのルバイヤートは有名であるが、このルバイヤートというのは四行詩という意味である。1行と2行が対になっており、これで1バイトという。同様に3行と4行が対で1つのバイトを成している。2つのバイトの形、4つの短い行で4行詩なのであるが、バイトという概念からは2バイトの形式と言える。ハーフェズの詩で有名なガザルはこのバイトが5~15くらいからなるもので、行数でいうと10から30ということになる。かといって、ハーフェズが4行詩を書かないわけではない。次の画像は昔私がイスファハンの書店を覗いた時に買い求めたものである。サイズはA3ほど。イランの人たちはこのようなポスター的なものも部屋に飾っているのである。私にとって、これはアラビア書道(ペルシャ書道)のお手本なのである。

 

 

ハーフェズ(その1):ペルシャの詩人

昨年の10月に「ペルシャの詩人たち」というテーマをアップしたことがあった。そこではハーフェズやサアディ、そしてオマル・ハイヤームなどの名前を挙げて紹介した。しかし、その時には彼らの作品を紹介したわけではなく、作品紹介はまたの機会にすると約束していた。そこで今日は、ペルシャの詩人たちの中からハーフェズをテーマとする。ハーフェズ( حاقط )の詩集はغزلهای حاقظ ghazalha-ye-Hafez 、つまり「ハーフェズ抒情詩集」として出版されているように、彼の作品は抒情詩である。同じシーラーズ出身の詩人サアディが実践道徳詩詩を扱うのとは対照的な存在である。ハーフェズは本名をシャムス・ウッディーン・ムハンマドといい、詩人としての号を「ハーフェズ」と称した。ハーフェズとは「コーランの暗記者」を意味する言葉である。余談になるが、2008年日本で公開された「ハーフェズ・ペルシャの詩」というイラン映画をご覧になった方は、主人公がコーランを暗記してハーフェズという称号を得るという筋書きを覚えておいでのことだろう。この映画のヒロインが日本の女優、麻生久美子さんであったことでも話題となった映画であった。また、この映画をみたイラン人が「出演者に日本人がいたらしいが、だれだったのかなあ?」と話していたというのである。つまり、イランの中には色々な人種がいて、日本人のような顔つきの人も珍しくないということを物語っているのだろう。今はどうか知らないが、1970年代のテヘランでは肩に絨毯をかけて売り歩いている人たちがいた。顔つきはモンゴル系で我々と似ていた。トルクマンと呼ばれていた人たちだったが、私も同じように思われていたかもしれない。道を歩いていると、時々道を聞かれることもあった。顔つきだけでは自国民かそうでないかの基準にはならないことも知ったのだった。

話を元に戻そう。ハーフェズは1326年頃にシーラーズで生まれた(異説もあるが1300年代であろう)。イランに観光旅行で出かける日本人の多くはイスファハンとペルセポリスの遺跡に行くことがおおいだろう。シーラーズはこのペルセポリスを訪れる際の拠点となる町である。バラの花が香る美しい町として知られている。この町を愛したハーフェズの詩にはシーラーズが賛美されている。「ガザル」の一節をここに掲げよう。

 楽しきかなシーラーズとその比類なき位置(ありか)
 神よ、都を衰退から護らせ給え
 我らがルクナバードを荒らし給うな
 その澄んだ水はヒズルの齢(よわい)を授ける
 ジャファラーバードとムサッラーの間に
 吹くは竜涎香の香りを放つ北の風
 シーラーズに来たりて聖なる霊(天使)の恵を
 優れたる人びとから求めよ
   (平凡社東洋文庫『ハーフェズ』黒柳恒男訳より)
ヒズルの齢とは永遠の命のこと。聖なる霊(天使)とは大天使ガブリエルのこと。

この一節だけでなく、彼の詩にはシーラーズを愛して止まない心情が豊富に表現されている。そして、ハーフェズはこの町から出ることができなかったと次のように詠う。
نمدهند اجازت مرا به سیر سفر
نسیم باد مصلا و رکناباد
   ムサッラーの微風(そよ風)とルクナバードの流れは
   私に物見遊山の旅の許しを与えない

 

ハーフェズの詩の中で最も知られていると思われる、また私も好きな一つは次の詩である。黒柳恒男先生の訳に基づいて紹介する。

かのシーラーズの美女がわが心を受け入れるなら、
その黒いほくろに私は捧げよう、サマルカンドもブハーラーも
酌人(サーキー)よ、残りの酒をくれ、天国でも得られないのは
ルクナバードの川の岸とムサッラーの花園
ああ、都を騒がす陽気で優美な歌姫(ルーリー)たちは
トルコ人が王者の宴(うたげ)を略奪するようにわが心から忍耐を奪った
恋人の美にわれらの不完全な愛は必要でない
麗しい顔に紅(べに)、白粉(おしろい)、黒子や描き眉がどうして要ろうか
ヨセフの日毎に増す美から私は知る
愛はズライハーを貞節の帳から引き出すと
そなたが罵ろうが私は祝福をささげよう
苦い答えは甘く紅の口紅にふさわしい
恋人よ、忠告に耳を傾けよ、生命にもまして
幸福な若者たちが大切にするのは老いた賢者の金言
楽師と酒について語り、運命の秘密を決して探るな
だれもこの謎を知性で解いたり、解く者はいない
ハーフェズよ、そなたは抒情詩(ガザル)を作り、白珠(しろたま)を綴った、さあ楽しく歌え
そなたの詩に大空は昂星(スバル)の首飾りをささげよう

上の画像はペルシャ語と英語訳である。結構長い詩であるが、私が好きなのは初めの部分である。「シーラーズの美しき乙女がもし、私の思いを受け入れてくれるなら、サマルカンドもブハーラーをも与えよう」という心意気。そして、ここでも前の詩と同様に「ルクナバードとムサッラーの美しさは天国にても求められぬ」と詠んでいる。サマルカンドもブハーラーも現在はウズベキスタンの都市である。長い歴史の中で、特にサーマン朝の時代にはイラン・イスラム文化が栄えたところである。かれこれ10年位まえであったろうか。ウズベキスタンの大統領がイランを訪問したことがあった。そして、挨拶というかスピーチがあった。「・・・・親愛なるイランの国を訪問することを大変うれしく思います。イラン国民の皆さんの歓迎に感謝します・・・」とか儀礼スピーチから始まった後に「でも、かつての詩人が詠ったサマルカンドやブハーラーは私たちにとって非常に大切な町です。どうか持って行かないでください・・・」というような話をしたのでした。それを聞いて、聴衆はどっと笑いと歓声をあげたのでした。イラン人の殆どの人がハーフェズの詩を知っているのです。そして、多くの節を暗記していて、諳んじることができるのです。日常会話の端々にでてくることもあるのです。

ハーフェズの詩は美しい。ここまでだけでは語りつくせない。今回は「ハーフェズ(その1)」として、改めて「ハーフェズ(その2)」の機会を持つこととする。

 

 

ペルシャ語講座11:疑問代名詞

今回は疑問代名詞としました。語学の専門家ではありませんので、疑問代名詞という意味が本当は何なのかなど細かいところは分かりませんが、英語の what や who などのつもりで、書こうとしています。完成した原稿を見て書いているのではありません。毎回の記事がそうなのですが、パソコンのキーを打ちながら書いているので、どの方向に行くのかは気持ち次第なのです。

まず、昔読んだことがあるのですが、全然言葉の分からない、言葉の知らない国に行って、言葉を覚えようとするときに、その人はスケッチブックかノートのような白い紙に、ゴチャゴチャと何か分からないような絵のようなものを描くそうです。そうすると、側にいた子供たちが「何?」と言ってくるそうです。そこで彼はまず最初にその国の「何?」という言葉を覚えるのだそうです。その言葉がわかれば、あとは、見たものを指さして何?」と質問すると、次々に新しい単語を覚えることができると書いてありました。なるほどと思ったものでした。

そこでペルシャ語の「何?」英語の「what」から始めましょう。what は「チェ」です。スペルは چه です。ローマ字で綴ると cheとなります。「これは何ですか?」「イン チェ アスト」「in che ast 」「این چه است ؟ 」となります。これが正しいペルシャ語です(笑)。が、実際には「イン チースト?」となります。「این چیست ؟ 」とでも書けばいいでしょうか。そして、もっと言うならば「イン チエ?」と書けばいいかな? インはこれですね。あれは「アーン」ですから、「あれは何?」は「アーン チエ?」で結構です。「あれ」や「これ」のところにたずねたいものの単語を入れてみてください。「あなたの名前」なら「エスメ ショマー」「あなたの国は」なら「ケシュヴァレ ショマー」です。名前はエスム、国はケシュヴァルですが、あなたのという時は単語の語尾の子音にeを付けます。このeをエザフェと呼んでいます。ローマ字で書いた方が分かりやすいですね。esm-e-shoma とkeshvar-e-shomaです。名詞に形容詞をつけて就職するときも名詞の語尾にeを付けたのでしたね。~~の何々というときの「の」に相当するのがエザフェの e と覚えましょう。

  • 今日のランチは何? ナハーレーエムルーズ チエ?
  • 明日の天気は何? ハヴァーエーファルドー チエ?

ちょっと横道に逸れてしまいそうですが、チェが何?という意味ですから、「どのくらい」「どの程度」という意味合いをたずねるときに「ちぇ カドル cheh qadr ?」という単語があります。また。「どうでしょうか?」のよう場場合には「チェ トウリー cheh touri ?」という単語もあります。「挨拶の会話」で「how are you?」を「Hal-e-shoma khob?」と教えましたが「Hal-e-shoma chetouri ?」も使います。そうなると「調子はどうでしょうか=ご機嫌いかがですか」となりますね。いま「挨拶の会話」を見直してみると「ちぇ トウリー」のことも書いていましたね。 ついでに言うと、会話していてちょっと意味が分からないことがあった場合には「ヤニチェ?」と言ってください。「ちょっと、どういう意味?」という感じです。یعنی ヤニ・Yaniは副詞としては「すなわち」、自動詞としては「意味する」という単語です。ヤニチェ? 覚えておくと便利な言葉です。

チェだけで随分書いてしまいました。今回はチェだけで終わりましょう。中々、いいレッスンだったような気がします(笑)。

革命防衛隊について

今年初めにイランのソレイマニ司令官がアメリカによって殺害されたことで、世界中に緊張感が拡がった。直後にウクライナ機がイランのミサイル攻撃で墜落した事件も起きた。ミサイル攻撃は誤射であったことをイラン政府が認めたことにより、状況はちょっと違った方向に転換していった。イラン国内で政府を批判する動きが現れたのであった。それに対して、トランプが応援姿勢を示したが、イラン政府はソレイマニ殺害直後の米軍基地攻撃以後には攻撃的な態度にはでず、沈静化に努めたようにみえる。今回は、殺害されたソレイマニ司令官が所属したコッズ部隊とは、その上部組織である革命防衛隊を取りあげる。

ご存知のように、イランの現政権は1979年に革命によって成立した政権である。それまではパーラヴィー国王による立憲君主制の国家であった。新政権は「イラン・イスラム共和国」という名の共和国となった。イスラムと銘打っているように、イスラム法のもとで統治される(ベラヤテ・ファギーフ)国家となった。新政権の最高指導者はホメイニであった。上の図は国軍の位置づけを表したのである。国王の下に国軍があり、軍は国王に忠誠を誓っていたわけである。国王が国外に逃れ、革命が成立したあとに軍の幹部は粛清の対象となったが、軍が消滅したわけではない。軍は当然新政権の管理下に置かれた。しかしながら、為政者の心理として軍が謀反を起こすことを考えないわけではない、常に注視するのは自然である。

ホメイニは国軍とは別に「革命防衛隊」という新組織を創設したのであった。簡単な位置づけは、イラン国軍(アーテッシュ)はイランの独立と領土保全に責任をもち、革命防衛隊は革命とその成果を守る責任があるという(つまり、早い話が自分たちのイスラム政権を死守するための軍隊ということだ)。

イラン・イラク戦争(1980年9月~88年8月)は革命防衛隊の重要な任務となり、規模が拡大していった。 1981年5万人、1983年15万人、1985年25万人・・・35万人とも言われた。最近の情報では概ね次のように言われている。

革命防衛隊 国軍
陸軍 100,000 350,000
海軍 5,000 18,000
空軍 20,000 52,000
小計 125,000 420,000

数の上からみると国軍に較べて革命防衛隊は1/3程度でしかない。しかしながら、例えばミサイルのような最先端とはいえずとも、先端の兵器を装備しているのは革命防衛隊である。戦争時に戦える軍隊は革命防衛隊のほうなのである。そして、何よりも大きな特徴は、革命防衛隊には特殊作戦部隊(通称コッズ部隊)と民兵組織であるバスィージ(バシジ)があるということである。

先般、殺害されたソレイマニーはコッズ部隊の司令官であった。コッズ部隊はハメネイ最高指導者に直属する部隊で、革命防衛隊の中で最も精鋭の部隊である。周辺国(レバノンやイラクなど)でも活躍していると見られている。かつての大統領、アハマドネジャドもコッズ部隊に属していた。彼が大統領のときの「イスラエルを地図から抹消する」という発言はコッズ部隊の過激さを表しているといえよう。はっきりとは分からないが15,000人程度のようである。

次いでバスィージは1979年11月に創設された民兵組織であったが、次第に革命防衛隊の補助組織となっていった。バスィージはイラクとの戦争時に地雷原への人海戦術に使われた。バスィージを構成していたのは地方出身で革命に影響を受けた宗教心豊かな少年たちだった。イラク戦争の間に、バスィージの数は300万人超になったとも言われている。反政府運動などのデモが発生したりすることもたまにはある。このようなときに政府が頼りにするのは革命防衛隊であった。また。バスィージはイスラム社会の価値観からはみだすような言動を取り締まった。正規のバスィージは90,000人程度。予備軍が300,000人とも。また有事になると、もっと増やせるという。

次に注目すべきは「革命防衛隊は単なる軍隊ではない」ということである。北朝鮮や中国、パキスタンなどと軍事的な協力関係の下で武器や兵器の軍事産業を手掛けているのである。革命防衛隊の傘下には様々な企業体が置かれている。Khatam al-Anbiaはそのなかでも、もっとも大きな企業体であろう。イラク戦争後の復興のために造られた土木・建設会社である。革命防衛隊はアメリカからはテロ組織と名指しされているが、Khatam al-Anbiaも制裁の対象である。イランの重要な石油産業においても革命防衛隊参加の企業が活躍しているのはいうまでもない。軍産複合体的な発展をしているのが、イラン・イスラム革命防衛隊である。

 

ペルシャ語講座(番外篇):ユーチューブを利用しよう

このブログに「ペルシャ語講座」を時々入れていますが、これまでに10回になります。お遊び程度に始めたものですが、少しは見てもらえているようです。中でも、4回目の「挨拶の会話」の閲覧回数が多いようです。でも、正直言うと、私が書くこのブログでペルシャ語が学べるとは思えません。ペルシャ語の一端を知っていただける程度でしかないだろうなというのが本音です。やはり語学は音が重要です。それもネイティブの発音が望ましいでしょう。そんなことを思いながら、ユーチューブでペルシャ語のレッスンをしているものを探してみました。色々出てきました。中でも「挨拶の会話」などを扱ったものがありました。それが冒頭のユーチューブ動画です。再生スピードが少し早いので、今から始めようという方にはちょっと聞き取りにくいかもしれませんが、簡単な内容ですので予め予習しておけばいい動画だと思いました。このような動画が昔あったなら、勉強も楽だっただろうなと思います。当時はインターネットそのものがなかった。いや、パソコン自体がまだ知られていない時代でしたからねえ。せいぜい、リール式のテープレコーダーが最新の語学学習機器でした。あるいはリンガフォンというレコードも有名な教材でした。私は英語のリンガフォンを買いました。話がそれましたが、今日はユーチューブの動画を紹介するだけが目的です。

同じ動画の2も次にアップしておきます。参考にして学習してみてください。

イラン革命から40年

上の画像は2月9日のイランの新聞 (Iran daily)です。1979年2月8日の革命から41年となります。新聞はハメネイ最高指導者が「イランは敵の脅威を終わらせるために、強くならなければならない」と演説したとあります。参考までに英文を紹介すると次の通りです。We must become strong so that there will not be a war, become strong so that the enemy’s threats will end. アメリカと名指しはしていませんが、敵の脅威を終わらせるために強くならなくてはならない。戦争にならないように強くならなければならないということです。先だって、アメリカがコッズ部隊のソレイマニ司令官を殺害した際には、トランプ大統領が、戦争にならないように彼を殺害したと述べていました。お互いに戦争は欲していないというものの、戦争を回避するために何をしてもいいのではなく、話し合いをして平和裏に解決してもらいたいものです。第二次大戦の際の日本への原爆投下についても米国は「戦争を終わらせるためだった」と正当化しようとしたことが思い出されます。そして、今日12日の新聞は次の画像のように全国で記念集会が開かれたことを紹介しています。

イランには昔から沢山の新聞があります。1979年の革命以前に私が見ていたのは保守的な Keyhanというペルシャ語紙とその英文版 Keyhan internationalでした。また英文紙の Tehran Journalも時々読みました。最近ネットから覗くのは、もっぱら上に紹介している Iran daily 紙です。英語だから読みやすいので、日々のできごとを知ることができます。今日はTehran Times も見てみました。こちらの写真は次のものです。国民の団結を叫んで旗を広げている風景のようです。いずれいせよ、日本にいても世界中の新聞が読める時代なのですね。

先月のソレイマニ司令官殺害の直後にウクライナ機がイランのミサイルによって撃墜された事件がありました。これは間違って撃墜してしまったのですが、この時に民衆から反政府的な行動が起きました。「アメリカに死を!」という決まり文句の「アメリカ」の部分を「最高指導者」として叫んでいたと報じられました。沈静化されたようですが、長い間続くアメリカとの関係による経済制裁に苦しむ人々からは、今回の撃墜時間だけでなく、複雑な思いが膨らんでいるようです。

革命から41年となりまして、40歳以下の人々は革命後のイランしか知らない状態になっています。50歳の人でも当時10歳位なら、あまり覚えていないでしょう。先週インスタグラムの友達とライブ電話で話しましたが、お父さんは62歳だと言っていました。革命時は二十歳ぐらいだったのでしょう。この人たちは、今のイランをどのように思っているのか気になるところです。でも、政治的な話は日本のように自由にはできないのが世界の多くのところです。相手に迷惑のかかることの無いように話さないように心がけています。

ペルシャ語講座10:形容詞最上級

前回のペルシャ語講座は形容詞比較級でした。比較級をやるなら、最上級も早くやってよという声にせかされました。比較級は使う機会もあるし、知っておくと便利ですが、最上級はどうでしょうか。英語の場合を思い出すと、比較級を使えば最上級的な意味を表すことができましたよね。例えば、Mt.Fuji is taller than any other Japanese mountains. 富士山は日本のどの山よりも高い。このように比較級の使い方はペルシャ語でもできるわけです。どの言語でもできるということですよね、きっと。

比較級は形容詞の語尾に tar タル تر を付けました。最上級は tarin タリン をつけます。形容詞の「大きい」と「小さい」を表にしてみましょうか。

大きい bozorg bozorgtar bozorgtarin
بزرگ بزرگتر بزرگترین
小さい kuchek kuchektar kuchektarin
کوچک کوچکتر کوچکترین

二つだけを示しましたが、形容詞の語尾に付け加えるだけですから、簡単です。形容詞をいくつか紹介しておきましょうかね。

 美しい qashang 寒い sard 暖かい garm
若い jaba-n 老いた pir 高い(値段が) gera-n
高い(山が) boland 安い(値段が) arza-n 美味しい khoshmaze

それでは文章にしましょう。先ほどの「富士山は日本で一番高い山です」kuh-e-Fujisan bolandtarin kuh dar japon astとなります。「琵琶湖は日本で一番大きい湖です」 daryache-ye Biwako bozorgtarin daryache dar japon. です。  Biwako bozorgtarin daryache dar japon.  湖はダルヤーチェ。ダルヤーは海でして、チェをつけて小さな海=湖です。ちなみにカスピ海は darya-e-Mazandaran つまりマーザンデラーンの海といいます。マーザンデラーンというのはカスピ海のある北部地方を指す言葉です。ハザル族の海という意味でダルヤーエーハザルと呼ばれることもあります。

冒頭の画像は大学書林発行の黒柳恒男先生の『ペルシア語四週間』です。定価7千円という高価な本ですね。私も社会人になって余裕ができた時に買っておいてはありますが、殆ど未使用状態です。もし昔これがあったら勉強できただろうなと思います。私たちの時代は日本語参考書は皆無でした。前にも書いたかもしれませんが、Lambton著の英語があるだけでした。生のペルシャ語を聞く機会も殆どない時代でしたね。今ではNHKの国際放送も聞けます。インターネットを開けばいくらでも耳にすることができる良き時代です。一昨日もインスタグラムで知り合ったイランのラシト市(RASHT)の方とインスタグラム電話で顔を見ながら話をしました。私が昔いたことのあるラシト市の方なので懐かしく話すのですが、今は全然変わっているよということです。逆に昔のその町のことを聞かせてほしいという有様です。昔に比べると、イランも近いものです。ここ名古屋から孫たちのいる東京とライン電話ビデオで交わすやり取りと何ら変わりません。・・・それでは今日はここまでで。

沖縄でイラン映画の上映(2月8日)

今朝、イランの新聞 Iran daily on lineを見ていたら、イラン映画を沖縄でやるという記事がありました。
Okinawa to screen Iranian film ‘Douch’ with Japanese dub
Iranian feature, ‘Douch,’ directed by Amir-Mashhadi Abbas, will go on the silver screen at a special program for children on Okinawa Island in Japan on February 8. そして、その76分の映画のストーリーは10歳の少年が古い自転車を買い替えるためにお金を求めるために、文字の読み書きを教えるコンテストにでるような話だそうな。the 76-minute film narrates the story of a 10-year-old boy, Gholamreza, who is looking for money to replace his old bicycle. During his pursuit, he comes upon a contest that promises enough money for a new bicycle if he can manage to teach an illiterate person in the village how to read and write. Gholamreza decides to take part in the contest, and his pupil is a grouchy 90-year-old woman with really poor eyesight and hearing, who does not want to learn anything. 彼の生徒になったのは視力も聴力も衰え、学ぶ意欲もない90歳のお婆さん。という面白そうな話だ。

The film had previously taken part in the 59th Zlin International Festival for Children and Youth in the Czech Republic and the 10th DYTIATKO International Children’s Media Festival in Ukraine. この映画はウクライナとチェコの映画祭にも参加したとのことだ。

沖縄で上映されるというので、ネットを調べたら出てきました。沖縄までは行けないが、興味ある人はどうぞ行ってみてきてください。

イラン映画は結構評判がいいことをご存知でしょうか。日本でも有名なのはアッバス・キアロスタミ監督でしょうね。『友だちのうちはどこ?』『オリーブの林をぬけて』『桜桃の味』『風が吹くまま』などが有名です。マジッド・マジディ監督の『運動靴と赤い金魚』『少女の髪どめ』なども日本で上映されました。アスガー・ファルハディ監督の『別離』も見ました。特に恋愛ものや体制批判的なものはあまりおおっぴらには表現できない環境の中で、以下に表現するかというのが見どころのようだとか。ウイキペディアで「イランの映画」のページを見ると日本で上映された映画が沢山あることを知ります。気が付くと見るようにしていますが、気が付かないことの方が多く残念です。

キーワード:イラン映画、アバッス・キアロスタミ、マジッド・マジディ、『友だちのうちはどこ?』、『オリーブの林をぬけて』、『桜桃の味』、、『風が吹くまま』、『運動靴と赤い金魚』、『少女の髪どめ』、アスガー・ファルハディ監督、『別離』

ペルシャ語講座9:形容詞比較級

今回は形容詞の比較級です。比較級は形容詞の単語の語尾に tar タル を付けます。「これはあれより大きいです」の場合、in bozorgtar az a-n ast (イン ボゾルグタル アズ アーン アスト)این بزرگتر از آن است となります。英語の場合の than はアズを使います。アズの意味は普通はfrom 「から」という意味です。

簡単にいうとそれだけです。「この花はあの花より美しい」の場合は「この花は あの花より より美しい です」となり、「イン ゴル アズ アーン ゴル カシャングタル アスト」となります。日本語の語順と一緒ですから、難しくはありませんね。

語順は時には入れ替わっても大丈夫です。冒頭の図に示した形は次のように書きました。「イン ゴル カシャングタル アズ アーン ゴル アスト」といえば「この花の方がより美しいよ あの花よりは ね」という感じでしょうか。もう少し普通に会話的な場合は「イン ゴル カシャングガタレ アズ ウーン」程度でも十分伝わるでしょう。

タルを付けて比較級を付けるのが標準ですが、そうでないものが少しあります。ですからそれは覚えなければなりません。

good は khub ですが、 比較級のbetter は behtar ベヘタルです。前にも言いましたがペルシャ語は英語の親戚ですから、英語のbetterがそのままペルシャ語になっているわけです。かといってbestもそうかと言われたらこれは違うのです。

many はziya-d  ジヤードですが、比較級は bishtarです。一応タルは付いてはいます。

本当に簡単でしたが、比較級はこの程度にしておきましょう。参考のためにペルシャ語の参考書を見てみましたが、そちらの本も比較級と最上級で1ページほどしか費やしていませんでした。それではまた次回に!

キーワード:形容詞、比較級、ペルシャ語、goog, better, behtar, best, カシャング、many, bishtar, 

 

イラン革命防衛隊司令官ソレイマニ殺害される。

もう世界中でトップニュースになりましたが、イラン革命防衛隊の司令官がイラクで米軍によって殺害された。トランプ大統領が殺害計画を承認し、命令したとのことで、アメリカ本国の政治機構の内部でも驚いている人々も多いようだ。

これは「ちょっとまずいよな」という感想です。先般、米人が殺害されたことがあり、それに対する米国の姿勢が国内のタカ派から弱腰だと批判されていたり、様々な背景があるわけだが、それはそれとして、もっと適切な方策があったはずである。

殺害の理由を「ソレイマニが新たな米側への攻撃を計画していたため」としているが、そういう理由なら説得力はない。戦争になるまえに殺害したのだという。日本に原子爆弾を落としたのも、戦争を終わらせるために決定したという理屈に通じるものがある。これまでにも、フセイン大統領政権を崩壊させた時にも、結局は見つからなかった大量破壊兵器を持っていることが理由であった。結局はでっちあげであった。

問題はこれからどうなるかだ。イランが報復すると言っている以上、何かするであろう。周辺国のヒズボラを初めとしたシーア派組織も行動を起こすだろう。それに対してトランプは「そうなれば52カ所を攻撃する」と言い、その52というのは、かつてのイランのアメリカ大使館人質事件の人質の数であるそうだ。どういう発想の展開なのだろうか笑ってしまいそうだ。

イランが何処かを攻撃する。おそらくイラン周辺の米軍基地や米関連施設、親米国家の施設あたりであろう。そうなると米軍もまた報復するであろう。でも両者はある程度自制をしながら展開させることを余儀なくさせられる。両者とも大戦争を望んでいるわけではない。私が一番心配なのは、このドサクサに乗じてイスラエルが攻撃されたり、逆にイスラエルがイランを攻撃することである。そういうことにならないように祈る。アメリカはイスラエルを監視下に置いておかなけらばならないだろう。

中東に سلام 平和がくるのはいつのことになるのやら?

キーワード:イラン、アメリカ、革命防衛隊、ソレイマニ、ソレイマニ殺害、イスラエル、