イラクの歴史

参考文献

第一次世界大戦のところまでの歴史を綴ってきていたが、「第一次世界大戦後の中東:イギリスの三枚舌外交」という記事が昨年の4月であった。それ以来、歴史から少々横道にそれていたようだ。2020年も始まったことだし、この辺で再び歴史に戻ってみることにしようか。

とにもかくにも、オスマン帝国の領土のあとに英仏の委任統治領という形が出来上がった。

  • フランスの委任統治領
  • シリア
  • レバノン
  • イギリスの委任統治領
  • パレスチナ ➡ アラブとユダヤの対立激化
  • トランスヨルダン ➡ トランスヨルダン王国
  • メソポタミア   ➡ イラク王国(1921) ➡ 独立(1932)

イギリス委任統治領メソポタミアを成立させた英国は1921年8月23日に、大戦中のアラブの指導者として知られるハーシム家のファイサル・イブン=フサインを国王に据えて王政を布かせた。彼はフサイン・マクマホン書簡のフサインの息子である。クウェートはイラク王国から切り離されたままとなった。その後、イラク王国は1932年に独立を達成した。つまりイラクという国はイギリスの思いのままに造られた国であったということである。その後の歴史を簡単に箇条書き程度で書き記していこう。

1958年7月:クーデター発生。王政に不満を抱く「自由将校団」ガクーデターを起こす。ファイサル二世とアブドゥッラー皇太子が暗殺された。共和政となりカーセム将軍が権力を掌握。

1963年2月:アラブ民族主義者系の将校団がカーセムを殺害して、新政権を樹立。同年11月にクーデターにより、アラブ民族主義者であるアブドゥル・サラーム・アリフが全権掌握し、バース党を排除する。彼が1966年に事故死すると、兄が後継者となったが、1968年7月にバース党がクーデターを起こして政権を転覆させ、バース党の指導者であるアフマド・ハサン・アル・バクルが大統領に就いた。

このバース党政権下で台頭してきたのが、あのサダム・フセインである。1969年に革命指導評議会副議長に就任。実質的なナンバー2となった。

1979年7月、フセインが大統領、革命指導評議会議長に就任。1979年というとイランでは革命が起った年である。また、ソ連のアフガニスタン侵攻の年でもあった。イラクからイラン、アフガニスタンにかけての帯が変動の時代であった。

さて、サダム・フセインが登場したので、時代は今にかなり近づいたわけだ。ところで先ほどからバース党が出てきているので、バース党とはどういう党かインターネットの「世界史の窓」から引用しておこう。

バース党( حزب البعث‎):バース党(バアス党とも表記)は、シリアおよび、イラクなどで活動するアラブ民族主義政党。バースとは「復興」という意味で、正式な政党名はアラブ社会主義復興党といい、「大西洋からペルシア湾に及ぶアラブ語民族完全な統合」を第一目標とし、さらに社会主義経済の建設を目指すというが、社会主義といっても私有財産制は認めるのでマルクス主義ではなく、主たる敵は欧米の資本主義とユダヤ人のシオニズム(及びそれによって成立したイスラエル)であると主張する。
その起源は古く、1947年にシリアのダマスクスで二人の青年によって始められ、レバノン、イラク、ヨルダンに広がり、各国にバース党支部ができあがった。シリアでは1963年に、イラクでは68年にクーデターによって権力を握った。シリアでは1970年からバース党のアサドが大統領として独裁的な権力を握った。イラクでは1979年からサダム=フセイン大統領を出し、独裁権力を握った。<藤村信『中東現代史』岩波新書 1997 および 酒井啓子『イラクとアメリカ』岩波新書 2002>

バース党はシリアにもあるわけであるが、イラクのバース党とシリアのバース党が良好な関係にあるわけではない。フセイン大統領時代のイラクは体制維持のために独裁色を強め、権力の集中に熱心であった。そして対外的にはイランとの戦争を始めた。イランとの国境問題やイランのフーゼスタンの領土的野心を主張したが、宮田律先生は、それは表面的動機であり、根底には大衆動員による国家の掌握、政権維持の狙いがあったと記している(『中東・迷走の百年史』新潮新書)。

イランとの戦争、いわゆるイライラ戦争であったが、イラン革命後のアメリカ大使館人質事件などもあり、アメリカとイランの関係は悪化していた(現在に至っているが)。従って、アメリカはイラクを支援することになる。敵の敵は味方である。イラン・イラク戦争は1980年に始まり、1988年に国連の決議を受け入れて停戦に至ったのであったが、8年間にわたる戦争に両者は疲弊した。余談になるが、1981年当時に私自身もイランに2ヵ月ほど滞在したことがある。テヘランだけでなく地方の町でも戦死者の弔いを数多く目にしたものである。町の大きな道路の交差点はローターリーになっているところが多く、その周辺に戦死者の胸から上位の顔を描いた大きな写真ポスターが貼られていた。

この後、サダム・フセインはクゥートに侵攻に始まる、湾岸戦争を引き起こしていくのであるが、今回は委任統治下のイラクがフセイン大統領の時代に至る経緯を簡単にまとめたところで終わっておこう。それ以後についても改めて詳述することにしよう。また、イラクというとここにもアラビアのロレンスではないが、それに匹敵するガートルード・ベルというイギリス女性がいたこともブログ材料としては放っておけないものなのであるが、それらもまた改めて触れることにしたい。

キーワード:イギリス、フランス、委任統治、イラク、バース党、バアス党、イラン・イラク戦争、クゥエート侵攻、ガートルード・ベル

 

イラン革命防衛隊司令官ソレイマニ殺害される。

もう世界中でトップニュースになりましたが、イラン革命防衛隊の司令官がイラクで米軍によって殺害された。トランプ大統領が殺害計画を承認し、命令したとのことで、アメリカ本国の政治機構の内部でも驚いている人々も多いようだ。

これは「ちょっとまずいよな」という感想です。先般、米人が殺害されたことがあり、それに対する米国の姿勢が国内のタカ派から弱腰だと批判されていたり、様々な背景があるわけだが、それはそれとして、もっと適切な方策があったはずである。

殺害の理由を「ソレイマニが新たな米側への攻撃を計画していたため」としているが、そういう理由なら説得力はない。戦争になるまえに殺害したのだという。日本に原子爆弾を落としたのも、戦争を終わらせるために決定したという理屈に通じるものがある。これまでにも、フセイン大統領政権を崩壊させた時にも、結局は見つからなかった大量破壊兵器を持っていることが理由であった。結局はでっちあげであった。

問題はこれからどうなるかだ。イランが報復すると言っている以上、何かするであろう。周辺国のヒズボラを初めとしたシーア派組織も行動を起こすだろう。それに対してトランプは「そうなれば52カ所を攻撃する」と言い、その52というのは、かつてのイランのアメリカ大使館人質事件の人質の数であるそうだ。どういう発想の展開なのだろうか笑ってしまいそうだ。

イランが何処かを攻撃する。おそらくイラン周辺の米軍基地や米関連施設、親米国家の施設あたりであろう。そうなると米軍もまた報復するであろう。でも両者はある程度自制をしながら展開させることを余儀なくさせられる。両者とも大戦争を望んでいるわけではない。私が一番心配なのは、このドサクサに乗じてイスラエルが攻撃されたり、逆にイスラエルがイランを攻撃することである。そういうことにならないように祈る。アメリカはイスラエルを監視下に置いておかなけらばならないだろう。

中東に سلام 平和がくるのはいつのことになるのやら?

キーワード:イラン、アメリカ、革命防衛隊、ソレイマニ、ソレイマニ殺害、イスラエル、

ペルシャ語講座8:形容詞 این گل قشنگ است

    این گل قشنک است 

前回は「名詞と形容詞」ということで、名詞と形容詞のつなぎ方を説明しました。ペルシャ語を使うときの語順は、日本語の語順にペルシャ語を並べていけば大体良いのですが、形容詞で名詞を修飾する場合は逆というわけです。今回は形容詞そのものの使い方がテーマですが、何も難しいことはありません。

この花は美しいです。 この=イン  花=ゴル  美しい=カシャング  です=アスト 。 日本語の語順通り並べたら、これで完成です。カタカナで書いているので発音をきちんとするためにアルファベットで書くと、in gol qashang ast となります。花は gol でして、決して goru ではありません。同様に美しいのカシャングのカは qa なので少し喉の奥から音を出す感じがいいでしょう。ペルシャ語で綴ると    این گل قشنک است なります。

あとは形容詞の単語を沢山覚えることになります。

  • 大きい ボゾルグ  bozorg  بزرگ
  • 小さい クーチェク kuchek      کوچک
  • 美しい カシャング qashang    قشنگ
  • きれい パーク   pa-k           پاک
  • 清潔な  タミーズ    tamiz          تمیز
  • 高い  ボランド       boland        بلند
  • 低い、短い  クウター  kuta  کوتا
  • 暑い  ギャルム      gyarm           گرم
  • 寒い  サールド      sa-rd             سرد
  • 美味しい  ホシュマゼ  khoshmazeh     خوشمزه

キリがないのであとは単語集などで語彙を増やして下さい。複数の形容詞を使う場合は形容詞と形容詞を英語の and に相当するva でつなげます。vaはペルシャ語では و 一文字です。また余談ですが、最初の例文 「この花は赤いです」を「in gol qashang ast」とするのは正しいペルシャ語です。口語・会話になるとアストの部分は省略されて、qashangnの次に e だけで済ませます。つまり「イン ゴル カシャンゲ」となります。

キーワード:ペルシャ語、形容詞、ペルシャ語講座、

ゴーンさん日本から逃亡する!

新年おめでとうございます。年末の31日にはゴーンさんが日本から逃亡するというビッグニュースが入ってきましたね。レバノンに入国したようなので、レバノンの新聞を見てみました。大きく扱われていました。内容はともかく、ゴーンさんの名前のスペルはどう書かれているかご存知でしょうか(新聞のタイトルの文字をご覧ください)。Ghosnです。日本ではなぜかゴーンなんですが、世界ではGhosnなんです。彼はレバノンで生まれ育ったのでしたでしょうか?だから本名というか元来の名前はアラブなんですね。Ghosnはアラビア語では غصن このように書きます。意味は「(木の)枝」です。私個人的にはニッサン再建に多大な貢献をした彼に対するニッサンのやり方は疑問に思っています。また、本人が無罪を主張したい案件でありながら、一年経っても裁判の開始にならない日本の裁判制度にも疑問を抱いています。それはともかくとして、今年は良い年でありますように。

キーワード:غصن 、Ghosn, ゴーン、ニッサン、レバノン、

ペルシャ語講座7:名詞と形容詞

余談ですが、先日愛知県図書館で上の本を見つけました。サーデク・ヘダーヤトの短編集です。イランでは有名な作家です。自殺したと聞いていました。現地にいる時に何冊か買い求めましたが、ちゃんと読むことはできずに積読になったと思います。折角の和訳があるので読んでみることにしました。それはそれとして、今日のペルシャ語講座です。

今回も基本的なところで名詞と形容詞を扱います。まず、ペルシャ語には男性名詞や女性名詞という区分はありません。だから、それによって動詞が影響されるようなこともないので、簡単です。複数形の作り方について少し説明しましょう。

名詞の後ろに ha-  ハー ها  を付けるだけです。簡単そのものです。例えば book はketa-bですから、keta-b haで結構です。ケターブハーです。

ただし、例外というか、そうでないものが少しあります。ありますが、少しなので大したことではありません。

子供は「バッチェ」です。「バッチェハー」でも間違いではありませんが「バッチェガーン」が一般的です。

イスラム教とは「モスレム」です。複数は「モスレミン」。「モスレマーン」ともいうかな?ちょっと自信ない。

すぐには思い出せませんが、ほかにもいくつかあると思います。アラビア語からきた単語に多いのかもしれません。おいおい覚えていけばいいでしょう。次に形容詞です。

形容詞の使い方は、名詞の後ろに置きます。大きいは「ボゾルグ」です。「大きい本」の場合は 本(ketab) の後ろに「ボゾルグ」を置きます。ローマ字で書くと、 ketab-e-bozrg となります。見てお分かりのように ketab と bozrgのあいだにeがあります。これはエザフェというものですが、名詞の後ろに形容詞が付くと、e エ という音が付いて、繋がります。ペルシャ語の文字には何も付記されません。状況から判断してエの音を入れて発音することになります。

大きい本 ケターベ・ボゾルグ ketab-e-bozrg کتاب بزرگ
小さな車 マシーネ・クチェック mashin-e-kuchek ماشین کوچک
美しい花 ゴレ・カシャング gol-e-qashang پل قشنگ
美味しいパン ナーネ・ホシュマゼ nan-e-khoshmazeh نان خوشمزه
冷たい水 アーベ・サルド ab-e-sard آب سرد

 

名詞や形容詞の単語をどのようにして覚えるのかという問題があります。書店で単語集を購入するのが手っ取り早い方法です。しかし、文法書にしても単語集にしても高価ですね。でも一冊は必要かもしれません。このブログをご覧の皆さんはインターネットを利用しているわけですから、グーグル翻訳を使えば必要な単語は簡単に知ることができます。日本語とペルシャを対比させておけば、左側に日本語を打ち込めば、即座にペルシャ語が現れます。短文でも同じことです。一度利用してみてはいかがでしょうか。

形容詞には比較級や最上級もあるわけですね。それについてはまた後日ということで、今日は形容詞は名詞の後ろに付けるが、その時に名詞の語尾にe エの発音が付いてつながるということを覚えてください。

キーワード:ペルシャ語、名詞、形容詞、サーデク・ヘダーヤト、

アフガニスタンレストラン紹介

東京や大阪に比べると名古屋には中東の国の料理のレストランが殆どありません。私の知っている限りですが、トルコ料理店が2軒。モロッコ料理店が一軒(ここは以前紹介しましたね)。イラン料理店は無くなったけど、マーヒチェなら食べられる店があるようだ。そこで今日のタイトルはアフガニスタンレストランである。来月に新年会を中東・イスラム学習会「南山会」の仲間でやることになっているので、アフガニスタン料理はどうかなと思ったのです。そこでi一昨日下見に行ってきました。実は以前にランチで行ったことがあるのです。でも、昼はカレーしかなかったのです。今回は夜の料理メニューを確かめに行ってきました。

場所は愛知県名古屋市東区筒井3-31-13 恒川ビル2F。店舗の看板には インド、アフガニスタン、イランレストランと横文字で書いていました。外観の写真は撮るのを忘れましたが、内部の写真を撮りました。

ごくありふれた食堂という感じ。そして、ここには「ハラール」マークが貼られていました。

テーブルに座って、とりあえず「チキン」「羊肉のクビデのキャバーブ」「サフランライス」のワンプレートを注文。それから「マントウ」と「ナン」を。そして、飲み物を「ビール!」と言うと、「ありません!」・・・・思わず無言。対面のSさんと顔を見合わせて「えっ!」・・・・・

とりあえず頼んだ料理を水を飲みながら食べました。チキンも、クビデも味は悪くはない。美味しい。マントウは自分は少々苦手かな。ビールがないから、アルコールがないから進まない。といいうことで、私にとって酒のない新年会は想定外である。この時点で新年会の会場はアフガン料理店ではなくなった次第!

でも料理は決してまずくはなく、メニューも豊富である。ネットから料理の写真を転用させてもらおう。

ということで、新年会は別の会場を設けますが、酒なしで良いという方にはお勧めです。グループで行って、何品かをとって分け合って食べると良いと思います。

キーワード:アフガニスタン、インド、イラン、マントウ、キャバーブ、クビデ、羊肉、

 

イランのロウハニ大統領訪日・安倍総理と会談

今回はロウハニ大統領来日に関する中日新聞のマンガと記事を紹介します。そのあとにイランの新聞もプラスしました。

アメリカとイランの間で板ばさみになった日本政府は自衛隊の派遣を「調査活動」としてペルシャ湾内には入らずに、有志連合とは別に湾外で「調査活動」という苦肉の策で対応する。このような名目が通用するのであれば、「調査活動」と名付ければどこにでも行けることになってしまう。

一方、12月21日のイランの新聞「Iran Daily」はロウハニ大統領の訪日、安倍総理との会談を以下のように報じた。

Rouhani in Tokyo urges Japan to help rein in US 東京でロウハニ大統領は日本にアメリカの手綱を握るように促す

President Hassan Rouhani on Friday called on Japan to help confront the United States’ bid to wreck the multinational deal on Iran’s nuclear program, as he met Japanese Prime Minister Abe Shinzo in Tokyo.

“I hope Japan and other countries will make efforts to help keep the nuclear agreement in place,” said Rouhani, who became the first Iranian head of state to visit Japan for two decades.

The Iranian president inspected a guard of honor along with Abe at the latter’s central Tokyo office before summit talks.

He slammed the “irrational” withdrawal of the United States from the 2015 nuclear deal.

“The nuclear agreement, needless to say, is a very important agreement for Iran. That is all the more reason for me to criticize strongly the United States’ unilateral and irrational departure,” Rouhani said through a translator.

“The withdrawal was a blow to peace and security, and in fact did not benefit either the United States or any of the other parties to the deal,” the Iranian president said. “The withdrawal proved that sanctions have no destiny except a lose-lose situation for all.”

Known formally as the Joint Comprehensive Plan of Action (JCPOA), the nuclear deal was agreed between Britain, China, France, Russia, and the United States, plus Germany.

The JCPOA has been at risk of falling apart since US President Donald Trump unilaterally withdrew from it in May last year and reimposed economic sanctions.

Twelve months from the US pullout, Iran began reducing its commitments to the deal, in an effort to win concessions from those still party to the accord.

Its latest step back came last month, when engineers began feeding uranium hexafluoride gas into mothballed enrichment centrifuges at the underground Fordo plant south of Tehran.

Rouhani branded US sanctions as “economic terrorism” and “countries fight terrorism must counter this act by the US”.

The European parties to the deal have been pushing for talks between Iran and the US to salvage the nuclear deal.

Rouhani said Iran “has done and will do its utmost to reserve the JCPOA” and in return expects other parties live up to their commitments.

He also said Iran was ready for talks and welcomes any effort to maintain the deal as well as global peace and stability.

“Naturally, we do not refrain from any negotiation or agreement in the context of our interests,” he said.

 

 

キーワード:イラン大統領、ロウハニ大統領

 

ペルシャ語講座6:動詞現在形の作り方

به مدرسه میروم 私は学校へ行きます。

前回動詞の過去形に続き、今回は現在形です。過去形の方が簡単だから過去形から始めたのですが、現在形も難しくはありません。現在形には全て「ミ」「mi」「می」が頭につきます。そして、前回、動詞には「原形」があると説明しました。原形から過去形が簡単に作れるということでしたね。もう一つ、動詞には「語幹」というものがあります。現在形はこの「語幹」から作ることになります。ペルシャ語の学習者は動詞を勉強するときには、この「原形」と「語幹」を口に覚えさせるのです。例えば、「行く」の原形は「ラフタン」でしたね。語幹は「ラヴ」です。ですから、学習者は raftan—rav と覚えます。他の動詞も紹介すると次のようになります。

  • 来る  o-madan —–o-    オーマダン オー
  • 見る  didan —- bin   ディダン ビン
  • 持っていく  bordan — bar    ボルダン バル

そこで現在形ですが、この語幹の前に mi を付けて、語幹の後ろに人称別の語尾を付けます。例えば「私は行きます」の「行く」は mi-rav-am となります。あなたが行くなら mi-rav-i  彼・彼女なら mi-rav-ad, 以下複数形は一人称から順番に mi-rav-im,  mi-rav-id,  mi-rav-and となります。前回の به مدرسه رفتم  私は学校へ行きましたを現在形にすると به مدرسه میروم beh madoresseh miravam となります。

現在形の作り方、いかがでしたか。語幹に人称語尾と頭にmiを付けるだけですから、簡単でしたね。上にあげた「来る」「見る」「持っていく」についても同様に現在形を作ってみてください。

それから発音について、少し付記します。「行く」という単語の場合、1人称の場合、miravamですが、これは正式な発音ですから間違いではありません。しかし、そのように発音していた私に友人たちからは「お前の発音はketa-bi-だ」と指摘されました。keta-bとはbook=本ですから、書き言葉、読み言葉的だということで口語では違う言い方をするのです。miravamはmiramとなります。miraviはmiriに。miravadはmireに。miravimはmirimに。miravidはmirid。miravandはmirandとなるわけです。最初からそのような発音を覚える必要はありません。イラン人と会話していると自然に覚えることができるでしょう。でも、彼らの会話を聞いた時にこのことだとちょっと頭に入れておくと、戸惑うことはないかも知れません。go=行く という言葉は日常、頻繁に出てくるので申し添えました。他の単語はそのまま発音してください。

キーワード:動詞の現在形、語幹、原形、

想い出の中東・イスラム:幻のイラン新幹線計画

東海道新幹線が開業したのは昭和39年(1964年)10月1日であった。東京オリンピック開催の直前だった。私は高校3年生で大学受験前であった。あれからもう55年になるのだ。私が大学を卒業して、社会人になったのが昭和44年(1969年)。そして、2年後の1971年にイラン駐在員となった。その後、現地で2年ほど経過したときだった。パーラヴィー国王時代であったが、イラン政府が日本の新幹線をイランに走らせたいという意向を私たちの会社に伝えてきた。日本の新幹線をイランに走らせるという新たな計画が突然現実化し始めたのであった。

当時の日本はまだ「国鉄」の時代だった。昔のことなので詳しいことは忘れたが、国鉄と直接ではなくJARTSという国鉄の関連組織が窓口となって、プロジェクトの調査計画を始めたと記憶している。イランはテヘランとペルシャ湾の港コラムシャーとを結ぶ既存の「南線」を電化複線化にすることのほかに、テヘランと聖地マシャドを結ぶ既存の路線を新幹線にすることが希望であった。マシャド線はフランスの技術協力で完成したターボトレイン車が快適な列車の旅を提供していた。下の写真のように車内には飛行機のキャビンアテンダントのような若い女性がいて乗客のケアをしていた。しかし、国王は国威発揚的な意味で新幹線を走らせたいという意向であったようだ。従って、このプロジェクトのメインは新幹線計画であった。

とんとんと話が進み、日本国鉄の技術者たちがイランに入ってきた。当時の滝山技師長、呉副技師長他が来イした。副技師長は現地の中心メンバーとして長期に滞在していた。テヘランからマシャド間の調査のためにイラン国鉄は列車を提供してくれた。列車には寝台車と食堂車がついており、調査中の食事はそこで摂ることができた。イラン料理は美味しかった。次の写真はその時のものである。私はずーと同行して、現地の人の聞き取りなどに活躍(笑)した。

数日間かけて路線の周辺を調査しながらマシャドに到着した。マシャドはシーア派イラン国内で重要な聖地である。817年、8代目イマーム・レザーがこの場所で殉教した地である。モンゴルの攻撃を受けたり、ティームールの息子ミーラーン・シャーによって壊滅的な打撃を受けた町である。しかし、16世紀になりサファヴィー朝の時代に復活したのである。

我々の調査はマスタープラン作成後のフィージビリティ・スタディ(可能性調査)を経て、実施設計へとはいり、その設計も完了したのだった。分厚い報告者が日本から持参されて、すぐさまそれは道路大臣にプレゼンされた。そして、計画に係るすべての成果品を引き渡したのであった。

イランに革命(1979年)が起こらなかったなら、80年代に日本の新幹線がイランに走ったはずだった。けれども革命、その後のイラクとの戦争でイランは混乱状態になっていった。前政権(王政時代)のプロジェクトは殆どが否定されてしまった。ペルシャ湾では三井グループが推進していたIJPCプロジェクト(イラン・日本石油化学プロジェクト)が完成前に頓挫してしまった。私たちの会社が手掛けていた他のいくつかのプロジェクトも継続が不可能となっていった。

この新幹線計画がなされていた時、私は結婚直後であった。南線の方の調査に行ったときは、妻を一人テヘランに残すのが偲びないので、一緒に連れていくことが許されるという粋な計らいを会社はしてくれた。途中、イスファハンなどの名所は国鉄のスタッフと一緒に観光するということもできた。それは私たちの新婚旅行でもあった。

また、この時に日本の新幹線を語るときに欠かせない人物「島秀雄」さんにお会いすることができた。当時はすでに十河総裁とともに国鉄を去っており、宇宙開発事業団の初代理事長であったが、イランの新幹線計画ということでアドバイスにお出でいただいたのであった。滞在中にケアさせていただいたわけだが、同じ島という姓同士で色々話が弾んだことを覚えている。その時に戴いた宇宙開発公団のグッズ(ネクタイピン)は今も大事にとってある。その時は、正直言うと、新幹線計画になくてはならない人物という、そんなに偉い人とは知らなかったのである。でも新幹線と島三代の関りのテレビ番組などを見て、今は詳しく知っている。

長々と書いたが、日本の新幹線技術の最初の海外輸出が幻に終わったという苦い思い出である。

(注) マシャドという地名について。日本ではマシュハドと書かれているのが殆どであるが、それでは現地で通じない。現地語ではمشهدであり、m-sh-h-dの4文字である。3音目のhは子音のhであり、haではない。従って発音は「マシャhド」と書くのが一番近いと思う。地球の歩き方を読むとローマ字表記がMashhadとなっているので、カタカナではマシュハドとなっているようだ。余談ではあるが、旅行に行く人のために一言付記しました。

 

キーワード:イラン新幹線、テヘラン、マシャド、

 

 

ペルシャ語講座5:動詞過去形の作り方

به مدرسه رفتم  私は学校へ行きました。

今回は動詞です。基本的な決まり事をきちんと覚えておきましょう。動詞にはまず「原形」があります。英語の go で説明すると、原形は raftan です。ペルシャ語では رفتن と書きます。ペルシャ語の文字で r f t n の4文字です。 ra-f-t ‐の後に、第一人称の場合 m م を付けます。そうすると raftamとなります。ペルシャ語では رفتم です。そしてこれがgoという動詞の第一人称過去形となります。

  • 一人称単数過去   ラフタム raftam      رفتم
  • 二人称単数過去   ラフティ rafti          رفتی
  • 三人称単数過去   ラフト  raft           رفت    簡単ですね。
  • 一人称複数過去   ラフティム  raftim   رفتیم
  • 二人称複数過去   ラフティッド raftid    رقتید
  • 三人称複数過去   ラフタンド  raftand   رفتند

このように動詞の原形の末尾を変えるだけで動詞の過去形ができます。 go を例にしましたが、英語の say の場合は goftan ゴフタンですから。「私は言った」はゴフタム goftamです。以下、gofti,  goft,  goftim,  goftid,  goftand ということになります。

良く使う動詞は英語の give かな。dadanが原形なので「私は与えた」は、dadam,  以下 dadi,  dad,  dadim,  dadid, dadandとなります。

  • 折角なので「私は学校へ行きました」はどうなるでしょうか。
  • 学校   マドレッセ
  • ~へ   英語の to ですが、ペルシャ語では behです。
  • 完成形は  マン べh マドレッセ ラフタム です。
  • べの後ろにhを付けたのはペルシャ語のスペルがbとhでべの後に息を抜くような感じがあります。
  • 語順は日本語に近く、「私は へ 学校 行きました。」ですね。最初のマンは私という意味ですが、動詞の語尾が一人称の語尾なので、マンは付けてもつけなくてもいいことです。「私はねえ~・・」という風に私を強調したければ付けると良いですね。

読み書き、そして会話のためには単語を沢山覚える必要があります。動詞をいくつか紹介しておきましょう。

  • 来る     オーマダン
  • 持ってくる  アーヴァルダン  a-vardan
  • 持っていく  ボルダン                  bordan
  • 支払う    パルダークタン       parda-khtan
  • 着る     プーシダン              pu-shidan
  • 買う     ハリダン                  kharidan
  • 欲する    ハースタン              kha-stan
  • 走る     ダヴィダン              davidan
  • 見る     ディダン                  didan
  • 打つ     ザダン                      zada
  • 洗う     ショスタン               shostan
  • 聞く     シェニダン
  • 理解する   ファハミダン           fahmidan
  • する     キャルダン
  • 取る get    ゲレフタン
  • 座る     ネシャスタン
  • 書く     ネヴェシュタン