ムハンマドの登場:イスラム誕生

イスラムが誕生したのは7世紀のことである。ユダヤ教やキリスト教に較べると、ずっと新しいのである。7世紀、アラビア半島のメッカで一人の男が神の啓示を受けたということからイスラムは始まった。この男とはムハンマドである。イスラムの創始者といえば、今ではムハンマドというのが定着しているが、以前の日本ではムハンマドのことをマホメットと呼んでいた。それはなせだろうか?アラビア半島はアラビア語の世界である。アラビア語でムハンマドと書いた場合、そのスペルは m h m d と書く。子音ばかりで母音がない。マホメットという呼び方も、そのような母音を記さないことに原因があるのであろう。冒頭の文字は筆者が書いたムハンマドというアラビア文字である。

ムハンマドの生い立ちから始めることにしよう。彼は571年にメッカに生まれた。当時のアラビア半島は部族社会であった。ムハンマドの一家はクライシュ族の支族であるハーシム家に属していた。彼が生まれる前に父は死去しており、6歳のときに母親も他界したため、叔父に養育されたという。この時に叔父の息子アリー(ムハンマドとは従兄弟である)と兄弟のように育ったのであるが、このことを読者には覚えておいてもらいたい。25歳のときに15歳年上の未亡人で女商人のハディージャと結婚し、その後二人の間に二男二女を授かったが、男子二人は成人前に早逝した。

610年ころ(40歳ころ)にメッカ郊外のヒラー山で瞑想に耽るようになり、天使ジブリール(ガブリエル)が現れて神の啓示を受けたとされている。その後何度か啓示を受けた後、妻のハディージャに支えられて、預言者の自覚をもって、イスラムの布教活動を始めた。布教を始めたといっても簡単なものではなかった。ムハンマドは当時のメッカの社会の状態を憂いていたのである。大商人たちが富を独占していること、彼らの利益追求の姿勢、飲酒や賭博の蔓延などなどを批判して、社会の変革を訴えようとしたのだった。全ての人々は平等であると訴えた。彼の布教活動を理解しめしたのは第一に妻のハディージャ、次に従兄弟で兄弟のように育ったアリー、そして友人アブー・バルクたちであった。布教活動が進むにつれてムハンマドには商人たちから圧力がかけられた。抵抗するも多勢に無勢であったろう。ムハンマドはメッカの人々から迫害をうけてメッカを去った。行った先はメディナである。この移動をイスラムでは「ヒジュラ(ヘジラ)」日本語では「聖遷」といって、イスラムの歴史の重要な出来事である。イスラムの人々は我々とは異なる暦を使っている。イスラム暦である。

イスラム暦の紀元はこの事件が起きた西暦622年である。