「六信五行」の五行とは?

第一に信仰告白である。イスラム教徒になるということは、アッラーが唯一の神であることと、ムハンマドが神の使徒であることを最初に信じることから始まる。従って、イスラム教徒になろうとする者は証人の前で「アッラーのほかに神はなし」「ムハンマドは神の使徒なり」という二つの言葉を唱えなければならない。これが信仰告白である。しかもその言葉はアラビア語で行わなければならない。「ラー・イラーハ イッラッラー」「 ムハンマド ラスールッラー」。我々日本人ならアラビア語で唱えるのが少々難しいかもしれないが、それを唱えるだけでイスラム教徒にはなれるのである。

第二は礼拝である。これはイスラム教徒でない人々にも良く知られていることであろう。彼らは一日に何度も礼拝するということが、特異の目をもって見られた時代もあったが、現代では文化の違いであるということが理解されており、礼拝に対する配慮もなされてきている。礼拝は一日に5回と決められている。日の出前。正午。午後。日没時。夜。時計のない時代の昔、人々はどのようにして礼拝の時を知ったのであろうか。日の出や日没、夜も空を見ればわかる。正午とは太陽が真上に来たことでわかる。午後というのはいつでもいいわけではなくて立った自分の影の長さが身長に等しくなるときである。それとは別に、どこにいても礼拝の呼びかけ(アザーン)がけたたましく鳴り響くことで否応なしに礼拝の時は分かるのである(笑)。礼拝の方向であるが、これは世界中どこにいるイスラム教徒もメッカの方向を向いて行う。現代ではスマホのアプリでメッカの方角も簡単に示してくれるし、礼拝の時刻もアラーム設定すれば教えてくれる。昔は昔で「キブラ・コンパス」というものがあったのだ。キブラとはメッカの方角を意味し、コンパスに自分がいる場所(地域)のメモリを合わせれば大体の方角がわかるのである。この方角であるが、イスラム初期にはメッカではなくてエルサレムであったこともある。また、礼拝の回数であるがムハンマドが天上に登り神に近づいたとされる伝説の際に、もっと多かった礼拝の数を5回にしてもらったというような話も聞いたことがある(真偽のほどはわからない)。皆さんはモスクに入ったことがあるだろうか。モスクにはメッカの方角に向けて壁にくぼみが造られている(ミフラーブという)。モスク内ではそれに向かって礼拝するのである。下にスマホに入れたアプリの写真。

3番目は喜捨である。豊かな人が貧しい人々に富を分け与えること。現代社会のように税を集めて社会保障に充てるような意味合いがある。一種の救貧税ともいえる。コーランには喜捨の用途はまずは貧者、生活困窮者に、・・・・奴隷の身請け、負債で困っている人、旅人・・・などと記されている。商売で利益があれば2.5%だとか農産物の?%だとかあるようである。また、エジプトでは毎日の売り上げからいくらかをサンドウク(金庫・基金)に持っていく姿をNHKの番組で見たことがある。

第4は断食である。イスラム暦の第9番目の月(ラマダーン月)の一カ月間、日の出から日没まで一切の飲食ができない。但し、十歳以下の子供、病人、旅行者、妊婦・授乳中の女性、・・・・などは断食をやらなくてもよい。断食の理由は色々な説があるが、私が二十代のときに付き合っていた同世代の人はこう言った「1年に一回1カ月間断食をすることで、普段十分に食を摂ることができない人々の思いを知ることができる。そのような人々に思いを馳せることができる。そして、月末に近づくにつれて、自分の精神が研ぎ澄まされるように感じ、心があらわれるようなすっきりした気持ちになる」と。断食という食を絶つということだけでなく、慈善行為をする、助け合いに励む、禁欲生活をすることなども心掛けるようである。

最後は巡礼である。イスラム教徒は一生に一度メッカへ巡礼するという行である。現代ならいざ知らず、昔は飛行機や車があるのではない時代であった。例えばインドネシアからメッカまで行くことは不可能だったのではないだろうか。その困難を克服して巡礼することに意味があったのかもしれない。あるいはイスラムがこのように世界中に広がることは想定外だったのかもしれない。余談はさておいて、巡礼とはメッカに行くのであるが、それはイスラム暦の第12番目の月の8から10日と定められた日に行かねばならないのである。そして、メッカのカーバ神殿の周りを七周ほど回ったりする礼拝の儀式を行い、その後、近くのラフマ山に行き、石投げの儀式などを済ませるのである。こうして巡礼を終えるとハッジという称号が与えられる。イスラム教徒にとってこれは大変な名誉なことであり、親戚、一族の誇りである。