オリエント世界 (2) アッシリアのオリエント統一

歴史とは栄枯盛衰そのものである。国が滅ぼされ、新たな国が興り、それがまた滅びゆく。メソポタミアの歴史もそうであった。ヒッタイトのほか、地中海貿易で活躍したフェニキア人たち、内陸貿易で手腕を発揮したアラム人たちがいた。ユダヤ人はダヴィデやソロモンという名君を得て繁栄した。ヘブライ王国が栄華を極めた。それもつかの間のことだった。ヘブライ王国はユダ王国とイスラエル王国に分裂する。その辺の流れを図示してみると次のようになった。

図の中ほどから下の部分に横たわっている部分が今日の重要事項である。前7世紀前半のアッシリアのオリエント統一である。北メソポタミアから興ったのがアッシリアであった。アッシリアが発展したカギとなったのは強力な常備軍だった。アッシリアは軍事遠征を繰り返して巨大帝国を維持しようとした。統一後も征服した地域を圧力をもって治めた。アッシリアの圧政は支配される人々の反感をかいアッシリアの命運は尽きた。アッシリアを直接討ったのはメディアであるが、あっしり滅亡後のオリエント世界にはメディアのほかにリディアがあり、バビロニアが新バビロニアとして復活し、群雄割拠のありさまとなった。図で分かるように、二つに分かれたユダヤ人の国・ユダ王国が滅びずにいたのであるが、新バビロニアによって滅ぼされた。そして、ユダヤ人たちが捕囚となってバビロンに連れていかれたのである。