中東の石油(7):イランの石油国有化(2)

1951年にモサデク首相がイランの石油国有化を行ったことを前回とりあげた。だが、国有化は結局失敗と言わざるを得なかった。イランの石油は国際石油会社からボイコットされたため、市場に出すことができなかった。ということは石油収入が入ってこないということだ。それまでのアングロ・イラニアン石油会社から配分される金額に不満はあったものの、石油収入は莫大なものであった。それが入ってこなくなったのだから、イラン経済は低迷することは当然の成り行きであった。イギリスはイランでの足場を失う大損失を被ることになる。なんとか国有化を阻止したかった。いずれにせよ、国有化は議会で決定されたことであり、国営イラン石油会社もすでに誕生してしまった状況である。

アメリカのCIAとイギリスの諜報機関が連携をとって1953年、モサデク政権転覆作戦(エイジャックス作戦、Operation Ajax)を実行したのである。CIAがイランのザヘディ将軍を担ぎ出して、クーデターのシナリオを実行したのだった。モサデクは失脚に追い込まれ、若き国王がアメリカの保護の下に権力を取り戻した。そして、イランの石油生産、精製、流通、販売を正常化させるために、アメリカの提案で「イラン石油コンソーシアム」が結成された。このコンソーシアムがイランの石油事業を操業するのである。そして、収益の半分をNIOCがとり、残りの半分をコンソーシアムが得るのであった。肝心のコンソーシアムのメンバと出資比率は次の通りとなった。

アングロ・イラニアン 40%
ロイヤル・ダッチ・シェル 14%
フランス石油 6%
ガルフ 7%
モービル 7%
 スタンダード・ニュージャージー 7%
ソーカル 7%
テキサコ 7%
イリコン・エージェンシー 5%

つまり、イランの石油事業を操業するコンソーシアムに当時の国際石油会社が総揃いして参加したのである。そして、イギリスの独占体制が崩れたのであった。結果的にみると、アメリカがクーデターを計画して現政権を崩壊させて、新政権後のイランの石油事業に参入することに成功したということになる。そのシナリオはフセイン政権時代のイラクに大量破壊兵器が存在することをでっち上げて、その政権を崩壊させて、イラクに影響力を行使しようとしたことと重なるものがある。大国にとって政権を転覆させることなど簡単なことなのである。イラン政府とコンソーシアムの契約期間は25年であったが、5年間の延長を3回行うことができた。イランの石油国有化は達成されたというものの「イラン人の手によるイラン石油産業の経営」は有名無実となってしまった。

このコンソーシアムに石油メジャーズの殆どが参加したということは、重要な意味を持っていた。コンソーシアムのメンバーは中東産油国各国で石油会社を操業していた。だから、イランのコンソーシアムで会合をすれば、中東全域の石油生産を、ひいては市場を、価格をコントロールできるようになったのである。1955年におけるメジャーズのシェアは92%という高い比率であった。

イランの石油国有化の失敗はその後のOPECの結成へとつながっていったのである。