前回、カンビュセス2世の弟の偽者が現れ王位就任を宣言した後に、カンビュセス自身が急死したことを述べた。さて、その後であるが、後に第3代の王位に就くことになるダレイオス1世には彼を含めて7名の仲間がいた。彼らがスメルディスを偽者と見破り、BC522年9月末に偽王を殺害した。そこで、だれが王位を継承するかという問題が残った。ヘロドトスの『歴史』によれば、彼らの議論では決めることはできなかったという。そこで早朝に馬に乗って集まったあと、一番先に嘶いた馬に騎乗していた者が王位に就くこととしたとか。少々、うさん臭い話ではあるが、彼ら同志では決められずに籤のようなもので決めたということらしい。いずれにせよ、ダレイオス1世が王位に就いたのだ。
混乱した国家を鎮圧したのであるが、敵はスメルディスだけではなかった。アケメネス家の安泰を揺るがそうとする輩は各地に居たわけであり、ダレイオスはそれらを制圧して王位に就いたことを宣言した。彼はキュロス大王の直系ではないことを気にしていたようで、「自分はこの国に安泰をもたらすために悪い奴らを制圧して王位に就いたのである」ということを声を大にして訴えたのである。それが上に示したレリーフと周囲の碑文である。9人ほどの人物が手に縄をかけられてダレイオスの前に並んでいる。ダレイオスの足で踏んづけられている人物も一人いるようだ。これらは反逆者であり、彼らを制圧したのがダレイオスであるという意味である。また彼らの頭上には有翼神アフラマズダがいる。写真では分かりづらいから絵にしてみた。
有翼神アフラマズダのシンボルである。そして、ダレイオスは言う「アフラマズダ神は王国を余に授けたもうた」と。ダレイオスはアフラマズダ神の助けと加護のおかげで戦いに勝利したとして、彼の背後に神がいることを強調して権威付けを図ったのである。
このレリーフの周囲には楔形文字でダレイオスが王位についたことに関する記述がなされていて、「ビストゥーンの磨崖碑文」と呼ばれている。ビストゥーンはイランのケルマンシャーにある地名である。この碑文は3つの言語で書かれている。エラム語、バビロニア語、古代ペルシア語の3つである。そして、この碑文は解読されているのであるが、それは3つの言語で同じことが書かれていることから解読が容易だった(容易と言っても大変な作業ではあるが)。地上70m位の断崖絶壁にある碑文をどのようにして解読作業はなされたのであろうか。それは次回に譲ことにするが、それを行ったのはイギリス人のローリンソンであった。